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悪魔の映画辞典コミュのトピック版【 に 】

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[ニー1]にく・だん【肉弾】 肉体を弾薬のかわりにして、敵陣に突入すること。

岡本喜八監督の『肉弾』をはじめて見たのは新宿文化劇場の右の路地から地下に入る「蠍座」であった。アングラ文化の発祥地点とも言うべき新宿で、「蠍座」は特別ユニークな存在だった。場内に入ると細長い客席はパイプ椅子が並べられていたが、このパイプ椅子は高級なもので、座り心地がよかった。同時上映が松本俊夫の『薔薇の葬列』で、この組み合わせは実に面白い現象を見せてくれたのである。というのも、『薔薇の葬列』は名にし負うピーターの主演作で、入場してみると空いていると見えた客席のあちこちの席には荷物が置かれていて主はいない。そして、しばらくして気がついたことがある。それは『肉弾』上映中にはまったく不法占拠のように空席であり、『薔薇の葬列』上映になると、その席の主である、十代の娘たちがいつの間にか還ってきて座っているのだ。そして分ったのは、ピーターの出ているシーンを選んで入場してきていたのだ。薄っぺらな扉に耳をつけていて、「よし、ここだわ」と思ったときのみ入ってきて座り、また去り、また還るのだ。しかし、これは『肉弾』目当の戦中派観客には煩いことに違いない。ついに「チャカチャカするな」という叱声が飛んだのだ。その頃(73年ごろ)の若者は、いまとは違って、まだ聞き分けがいい。そのまま座って温和しくなったように見えたが、よく見ると、両耳を塞いで、下を向き、何人かは激しく貧乏ゆすりをしている。そしてお目当のシーンだけは、『カサブランカ』を見るウディ・アレンのように恍惚としているのであった。よく考えたら、これはやはり怖いシーンだよね。いまでいうならロリータ・ファッションやコス・プレで外を出歩いている彼女たちにダブってしまうのだが、先般同じような体験をした。最近、生まれて初めて一人の女優にはまった。韓国のキム・ハヌルだ。もちろんチョン・ドヨンやイ・ウンジュなど若くて優秀な女優さんは枚挙に暇がないのだが、彼女たちは女優さんであって、作品のなかに光り輝いている。だが、ボクのキム・ハヌルはその次元に加えて、彼女の表情を一瞬たりとも見逃したくないという気持ちが作動してしまう。したがって、彼女の出ていないシーンではFFボタンを押しっぱなしになってしまう。おそらく標準再生しているときのボクはウディ・アレンみたいな緩みっぱなしの顔をしているのだろうと、韓国ドラマにはまり込んだ妻の表情から察知しているボクなのである。「蠍座」の彼女たちの35年が安らかな年月であったことを祈るばかりだ。



[ニー2]にこ・いち  長屋など屋根は一緒で、下の住居が二軒に分けられているもの。さんこいち、よんこいち、ごこいちもある。
 
映画館はいつしか戸建て劇場が激減し、すべて複数映画館の形態をとるようになってきた。かつて繁華街の一等地を占拠していた映画館は、建て替えの時期の波をいくつも乗り越え、ついに21世紀にミニ・シアター複合映画館化というゴールになった。ただ、建て替えの際に費用の捻出という問題から、映画館は殆どが1階から撤退し、多くは3〜7階の上方に追いやられた。大抵は1・2階にはパチンコやパチスロに明渡してしまった。そんな劇場ばかりかといえば、そうではない。去年旅行した函館において、先行封切りしていた『雨鱒の川』を見たくて五稜郭前公園駅で下車。ダイエーとミスター・ドーナツの間の道を入り、二つ目の辻を右折。そこの8階建てマンションの1階に、目的館である「シネマ・アイリス」があった。この映画館は、調べていかねば絶対に分からないロケーションにあった。なにせ、そのマンションがなんの変哲もない賃貸しマンションであるし、その1階にあるといっても、知らなければ歯科の入り口にしか見えない。看板には「市民映画館・シネマ・アイリス」と書かれてある。驚くべきは、そのスケジュールである。朝9時から23時30分までの14時間半のフル稼働。5本の映画を交互に7回上映している。『ディープ・ブルー』『誰も知らない』『雨鱒の川』『下弦の月』『茶の味』の5作品である。だが、残念なことにインターネットで調べていた10時半からの上映は『誰も知らない』になっており、変更されていたために断念せざるを得なかったのである。『雨鱒の川』は13時と早い夕方の2回上映だから、一番いいタイム・テーブルを与えられてはいる。この映画館、定員が71席。ということは、一日全部満席であったとしても500人ですよ。テケツの前にソファーがあるだけで、場内がすぐに客席らしい。受付は市民ボランティアによる協力だし、なにしろ地方都市でミニ・シアター作品ばかりをかける苦労は推して知るべしである。商売としては考えられない。文化を消すな、という意気込みがなければ成立するはずがない。時間変更のショックも、なにか爽やかな風に吹かれて劇場を後にした。だが、この劇場、日本新記録を持っている。というのは新宿プラザ劇場の開館以後途絶えていた、1階に建てられた映画館だということを二十数年ぶりに更新した映画館なのである。形態はどうでもいい。一日五作品を調整して頑張る・・・、これこそ現代の五こいちだ!



[ニー3]にこ・よん[俗] 日雇い労働者。「二個四」の意。昭和25年ごろ、公共職業安定所で斡旋で働いた失業対策労働者の日当が240円だったことから。

むかし三国連太郎主演の日活映画『ニコヨン物語』があるように、この呼称は一般的に認知されていた。むかし映画が放っておいても娯楽のトップに位置し、国民の一人あたりの年間鑑賞回数が12回以上という日本映画黄金時代には、映画は1週替わり。使い捨てというわけではないが、量産されて、見返す振り返るスキがなかった。そのかわりに、およそ存在するありとあらゆる職種が映画に取り上げられる時代であった。「かんかん虫」というのは造船所・ドックにて船舶の船体に金槌でかんかんと板金作業をしている人々をいう。これも『かんかん虫は唄う』という映画になっている。「ガタロ」というのは胸まであるようなゴム長靴の服を着て河川に埋没している捨て自転車や針金などを拾いあげて売りに行く仕事をいう古い大阪の呼称である。古い映画や落語、すぐれた著作にはいくらでもお目にかかることができる。ボクが人が一生の仕事に選んだ職種を敬意を持って取材し、新しい映画の鉱脈となせと叫んでいるのは、じつはこういうことである。「ニコヨン」「かんかん虫」「ガタロ」は時代の変遷とともに消滅したけれど、それに代わって現代の表にあらわれない仕事がいくらでもあるじゃないか。その中の現在を考えさせるサムシングをいかに面白く見せるか・・・、ここがプロの仕事だろうというのである。それを今の感覚でやりつづけたのは伊丹十三の一連の作品で、彼のレクチャー&リサーチ映画があらたな展開を見せる前に夭折したことは、なんといっても残念だ。



[ニー4]ニライカナイ 沖縄や奄美大島の人々が昔から語り継ぐ、幸い住む桃源郷

彼の地の人々は、その遠くのニライカナイから神様がやって来て豊穣や幸福をもたらすと信じたのだという。だからこそ来訪者を笑顔でもてなす土地であったのだと。2005年邦画の収穫『ニライカナイからの手紙』では冒頭に幼い娘に母親がニライカナイの説明をする。それからの13年にわたる母と娘の魂の結びつきを描いた映画は、都会に住むボクたちに多くのものを感じさせた。田舎の人間が純朴で親切だという、都会人の勝手なイメージで作られた映画は後を絶たないが、この映画では、その陥穽に落ちることなく、奇跡的に成立している。ところで沖縄ロケなどで以前現地を訪れたスタッフのなかには、朝食バイキングの大広間が「ニライカナイの間」と名付けられていることに「なんだよ、発音できねぇじゃないの」と不満に思ったホテルがあったという。この映画から、少なくとも映画関係者にだけは「ニライカナイ」は認知されたことだろう。沖縄の自然に身を擱く生活には、都会で生きていくのとは違うリズムと価値観がある。いつか、都会で生き抜いている人々、なによりも若者の、生き生きとした日常を描いて比類ない作品が登場することを心の底から願っている。そういえば「ニライカナイからの手紙」をネットの映画専門書き込みページで「ニカラグアからの手紙」と読み間違えているひとは決して少なくないらしい。



[ニー5]に・やっかい【荷厄介】《名・形動》 ?持った荷物をもてあますこと。?物事が負担になりもてあますこと。

熊井啓監督の『忍ぶ川』の一シーン。主人公哲郎(加藤剛)は近親婚が原因と思われる精神疾患の家族歴に悩んでいる。東京に出て学ぶことは、その悩みに直接触れずに済む日常だ。兄弟姉妹の大半が自殺や出奔してしまうのも、病気もあるが、その迫り来る不安によるものだろう。哲郎はその残った最後の男兄弟であり、実家には年老いた両親と目を病む姉が彼の卒業を待つばかり。それだけに彼に期待する家族の思いが膨れ上がっていることをいちばん知っているのは哲郎自身であった。その彼が学生寮の送別会の流れで小料理屋の「忍ぶ川」という店に行き、仲居をしている志乃(栗原小巻)という女性を知る。その翌朝、店に出かける前にいつものように実家に宛てて書いていた手紙が机上に置かれている。「いつもの手紙がなんだか荷厄介なものになっていた」というナレーションが利いている。この親・兄弟が疾病などにより家族全体の感情に暗い影を落すということは決して珍しくない。だが、若ければ若いほど、その影に立ち向かうことは重圧以外のなにものでもない。何回も見て、ようやくわかったことは、彼はいつしか封じ込めていた、若者なら必ず湧き立たせる異性への胸騒ぎを「荷厄介」という言葉で表現したのである。このモノローグの時点で、哲郎も意識していないことだが、志乃という凛とした美しさを持つ若い女性が発散する眩しさに己が影を照らし出されている。そこには「なんの屈託もない学生と同じようには自分は遊ぶわけにはいかない」という抑制が絶望的に支配していた。志乃もまた洲崎の遊郭のなかの射的屋の娘として泥水稼業の街に育ち、その後は潔白かもしれないが極貧の生活を送った女性で、いわば先天的な「負」を背負った男と、後天的な「負」を恥じる女が邂逅する物語『忍ぶ川』がボクを捉えて離さないのは、ひとは誰だって幸せになる権利があり、懸命に生きるならば報われるのだという夢を見事に描いたからである。「忍ぶ川」のモデルである小料理屋「○い川」は今もJR・K込駅前にあるが、こちらは映画と原作をこよなく愛する人間のささやかな夢を微塵に打ち砕くお店になっていることは残念である。昭和30年代の東京をフィルムに再現・焼き付け得た最後の映画『忍ぶ川』はいま見ると奇跡的な風景を止めている。


[ニー6]にょ・たい【女体】[文] 女性のからだ。女の肉体。

『女体の神秘』という西ドイツ映画が男子中・高校生のスケベ心を大挙動員して大ヒットしたのは1967年のことである。エリック・F・ベンデルという監督が構成・監督した長篇記録映画。なんといっても、ミソは胎児の姿が画面いっぱいに登場するシーン。その胎内の特殊撮影指導には西ドイツ保健教育中央研究所長の博士、マイクロ・カメラ担当も博士、製作監修もミュンヘン産婦人科病院の博士があたったというのだから、学術映画以外の何者でもない。このうまみに配給もとの東京第一フィルムは忘れられなかったのだろう。その5年後に『THE BODY』という同じようなものを公開した。前回は産婦人科、今回は生理学的な人体の秘密に迫った甲斐があり、これもそこそこのヒットになった。「生理学」じゃなくて「生理」を真っ向から描いたら空前の大ヒットだっただろう。その時ゃ、題名は決まっている。『 アンネの日記 』しかない。


[ニー7]にりん・しゃ【二輪車】 車輪を2つ持った車。

『下妻物語』の新人・中島監督の次回作はベスト・セラー小説の『嫌われ松子の一生』だ。主演は中谷美紀。この原作には、その重要なエピソードに黎明期のトルコ風呂、現在のソープが出てくる。映画として成功するか否かに、まったく認知されなかったトルコ風呂のシステムやテクニックに対して、どれだけ肉薄できるか・・・、ここがクリアできれば平成の『にっぽん昆虫記』にも成り得る企画だと思う。
というのも、昔の日本で、例えば米穀通帳がなければ米も買えない時代に、社会的な制裁を受けた若い女性が肉体を駆使するしか生きる術がなかったことを描き出せたなら・・・、という条件がつく。
またかと思われる『忍ぶ川』だが、哲郎と志乃が薮入りに洲崎を歩く。すると日傘に向かってガムが投げつけられる。振り向くと娼婦たちが白昼の相合傘の彼らに嫉妬と怨嗟の声を浴びせるのである。洲崎の氷屋でかき氷を食べながら志乃が言う。「こういったらなんですけど、昔のお女郎さんはああじゃなかった。中途半端な玄人って、たまらなくいやらしいものなんです」嗚呼、そうだよね。むかしは玄人は素人がしないことをするからカネを稼げたし、そのかわり賤業だと、社会的にはっきりと区別されたものだ。いまや、中途半端な玄人が姿を消し、恐るべき素人たちが跋扈している時代なんだよね。
非婚率、そして不妊率、そして離婚率。これらは密接な関連がある。
で、二輪車はなんなのよ、という疑問には(松田定次監督の『赤穂浪士』での千坂兵部と大石内蔵助の渡り廊下での再会のように)じっと目を見て、汲みとってくれぇとしか言いようがない。お分かりの方はリッシンベンの豪傑だと思いますよ、ええ。



[ニー8]にんさん・ばけしち【人三化七】 非常に顔の醜いひと。

こんな言葉、実際にはあるものかと考えてたら、この間からテレビを見て実例と思われる人を見かける。長年にわたって、隣近所に対して騒音、罵詈雑言を繰り返したとして逮捕され、係争中の女性の表情がそれだ。容貌魁偉という言葉があるが、美醜は問題でなく、結局は穏やかさとか寛容さを欠如した人間の表情を言うものなのだろう。野村芳太郎の『ダメおやじ』のオニババは、倍賞美津子では美し過ぎた。


[ニー9]にん・じゃ【忍者】 忍術を用いて敵方に忍び入り、そのようすを探るなりするひと。

“NINJAS”という単語をはっきりと洋画で認めたのは『007は二度死ぬ』でのタイガー・田中(丹波哲郎)の台詞であった。イアン・フレミングの小説をあのロアルド・ダールが脚色し、ルイス・ギルバートが監督した007シリーズの第五作目。日本が舞台であり、姫路城ロケで国宝の白壁を傷つけたという不祥事も、この超人気シリーズの追い風になったのか、この年1967年の興行配収第1位となった。
それまでに「忍者」という名前がついた洋画で最も有名だったのは、大蔵映画配給というだけでいかがわしさ満点なのだが、『 忍者と悪女The Raven 』(1963) であった。しかし、これもファンからすればビックリ仰天のタイトルであった。というのも、原作はエドカー・アラン・ポーの詩『大鴉』をヒントに『激突!』『ヘルハウス』のリチャード・マシスンがシナリオを執筆、「古城の亡霊」などAIPのロジャー・コーマンが製作・監督した推理ドラマだったからだ。出演はボリス・カーロフ、ピーター・ローレ、ヴィンセント・プライスなどの曲者俳優揃い。忍者映画だから「曲者!」を集めたわけではないが、若き日のジャック・ニコルソンも出ている。
そのほかの洋画には香港映画で真田広之主演『 龍の忍者 The Legend of The Ninja 』とか、ショー・コスギ主演の一連の忍者ものの流れをくんだ『 アメリカン忍者 American Ninja 』香港の『 ドラゴン忍者 聖戦 Mouk's Fight 』などがあるが、その忍者登場映画の最新版が『バットマン・ビギンズ』だ。この映画ではバット・モビルから後続してくる車にマキビシを撒いて蹴散らせたり、蝙蝠形の手裏剣をなげているから、クリストファー・ノーランは忍者通と見た。



[ニー10]にん・じょう【刃傷】《名・他サ》刃物で人を傷つけること。

「刃傷」と聞いただけで「松の廊下」を思い出す。だが、以前、とてつもない映画が公開されたことを覚えている人は少ない、大映映画『刃傷未遂』がそれだ。この映画、浅野内匠頭の松の廊下での刃傷事件の一年前に、勅使饗応を拝任した青年大名が強欲の吉良上野介をやっつけるという時代劇。林不忘の原作で、伊藤大輔が脚本、加戸敏監督。出演者は長谷川一夫、岡田茉莉子、勝新太郎。ボクの住む南大阪の隣組である、 泉州岸和田の藩主・岡部美濃守の弟は武家生活を嫌い、町方に居候して音曲の師匠をやっている若様やくざ。この弟の活躍で美濃守は上野介の妨害を適当にあしらい逆に上野介をじらし、勅使到着と同時に正座につく。公卿衆の居並ぶ前で美濃守は「力業などお目にかける、御座興までに」といきなり上野介を引掴んで池の中に投げこむ。万座で恥をかかされた上野介は抜討ちに斬りつけたが梶川与惣兵衛に抱きとめられて果さず、彼の悪業をよからず思っていた者は一度に溜飲をさげた・・・。というのだから、林不忘原作といってもパロディ小説そのものだったのだろう。



[ニー11]にん・そく【人足】 荷物の運搬や建築工事などの力仕事をする労働者。

黒澤明の『赤ひげ』で長崎帰りの保本登(加山雄三)は小石川養生所に配属されるも、それを不服として現代なら白衣とも言うべき押し着せにも着がえず、ぶらぶらしていた。突然「北の一番に行ってください。ケガをした女人足が運ばれて来たんですが、2人ではどうにもなりません」を森半太夫が迎えに来た。すると若い女人足が痛みのために身をよじっている。両足を綱で引っ張っているから丁度婦人科診察台でのスタイルになっている。両足を抑えろといわれ抑えているが、「いかん、腸が出てきた。半太夫、押し込め!」などという状態であるから、保本登は気を失ってしまう。このシーンには内科的治療の学問しか積んでいない彼が初めて大量の出血を見て仰天してしまうこと。そして彼がまだ女を知らない少年のままの男であるという意味を持たせている。長崎に行く前の彼には「ちぐさ」という婚約者がいたのだが、遊学中に他の男のもとに去っていた。長崎でも誘われたことがあったが、遊郭にも行かず、ちぐさに操をたてたという台詞が後ででてくる。裸の女だというだけで童貞の彼には緊張が走る。そこに生まれて初めて外科手術をみたのだから、ダブル・パンチだ。「赤ひげ」ほどの映画になると、すべての登場人物に掘り下げが施されていて、じっと見ているだけでも能弁に語りかけてくる。山本周五郎が自分の原作よりいいと言った「赤ひげ」は4人のシナリオ・ライターの叡智の結晶である。

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