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大日本帝国の光と影コミュの【文献紹介】天皇制

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天皇制に関する文献を紹介するトピックです。

明治維新は,「王政復古」を呼号し,それまで武家政権によって圧迫・掣肘されて京都の地で逼塞していた天皇を再び国家統合の要と位置づけ,天皇を中心とする強力な中央集権国家の建設を目指しました。

それは,東洋的日本的な政治原理の再編によって,押しよせる西洋の脅威に対抗しようとするものでした。

従って,明治維新によって誕生した国家「大日本帝国」は,何よりも天皇制国家であり,帝国臣民は林房雄言うところの「武装せる天皇制」とともに,近代世界に船出することになります。

マルクス主義内部の「講座派」と「労農派」の論争も,明治維新によって生み出された天皇制の性格規定を巡ってたたかわされたものでした。

既読,未読を問いません。

最低限,著者名,書名,出版社は挙げてください。

内容の簡単な紹介,感想などを述べていただけると,ありがたいです。

コメント(18)

吉本隆明編集・解説「国家の思想」(筑摩書房「戦後日本思想大系5」)

1960年代に刊行された「戦後日本思想大系」全16巻のうちの1巻で,戦後に発表された国家論の論考を集めているが,その多くは天皇ないし天皇制に関するものである。戦後前期においては,戦前体制の否定・超克という問題意識の下,天皇制に関する議論が大きな比重を占めていた。
目次を紹介しておきます。

解説 吉本隆明「天皇および天皇制について」
? 法的国家論
 石母田正「族長法と王法」
 井上光貞「古典における罪と制裁」
 石尾芳久「天津罪国津罪再論」
? 政治的国家論
 藤田省三「天皇制」
 神山茂夫「『天皇制に関する理論的諸問題』より」
 志賀義雄「日本国家論」
 三浦つとむ「個人意志・階級意志・国家意志の区別と連関」
 津田道夫「マルクス主義と国家の問題」
 松下圭一「大衆国家の成立とその問題性」
 中村菊男「『天皇制ファシズム論』より」
 林房雄「武装せる天皇制」
? 思想的国家論
 大山郁夫「戦争責任と天皇の退位」
 村上兵衛「天皇の戦争責任」
 上山春平「大東亜戦争の思想史的意味」
? 文化的国家論
 橋川文三「乃木伝説の思想」
 鶴見俊輔「わたしのアンソロジー」
 石原慎太郎「祖国について」
 三島由紀夫「文化防衛論」
網野善彦他編「天皇と王権を考える1 人類社会の中の天皇と王権」(岩波書店)

世界史の中の様々な王権との比較の中で日本の天皇を考察しようとする講座の第1巻。
「天皇はどのように論じられてきたか。現在の到達点,これからの課題は何か。本講座の問題関心を提示するとともに,権力の展開過程を世界各地域の代表的な王権をとりあげて考察する。」(紹介文より)

目次
 総論 網野善彦「社会・国家・王権」
 ? 天皇をめぐる言説と状況
   米谷匡史「津田左右吉・和辻哲郎の天皇論」
   安丸良夫「天皇制批判の展開−講座派・丸山学派・戦後歴史学」
   鶴見太郎「日常へ降りる天皇像−民俗学・文化人類学・文学研究
        における天皇制」
   吉田裕「昭和天皇と戦争責任」
   栗原彬「現代天皇制論ー日常意識の中の天皇制」
 ? さまざまな王権
   金子修一「古代中国の王権」
   島田誠「ローマ帝国の王権−ローマ帝政の成立とその性格」
   樺山紘一「ヨーロッパの王権」
   佐藤次高「イスラームの国家と王権」
   永渕康之「東南アジアにおける王国と儀礼」
吉田孝「歴史のなかの天皇」(岩波新書)

「天皇の歴史についての著書・論文はたくさんあるが,その多くは著者が自分の専攻する時代の天皇のありかたに天皇制の本質(とくに存続の理由)を見ようとする。もちろん石井良助『天皇ー天皇の生成および不親政の伝統』のように,天皇の歴史を古代から近代まで叙述した優れた通史もある。そして同書の副題に『不親政の伝統』とあるように,石井は津田左右吉や和辻哲郎の学説を継承して,『不親政』を天皇の歴史の本質と説き,現在も大きな影響力をもっている。
 たしかに江戸時代の天皇については『不親政』とも言えるが,不親政というだけで,江戸時代の天皇と近代的な憲法体制下にある敗戦後の天皇の歴史的性格を同質としてよいだろうか。津田らの学説は,敗戦後の天皇制の危機をなんとかして乗り切りたいという,熱い思いが生みだしたものではないだろうか。また,天皇制(広義)は,時代を通じて一貫した性格をもっていたのだろうか−私の出発点は,そのような疑問にあった。
 もう一つの視点は,日本列島のなかだけでなく,人類史,とくに東アジアの王権の歴史のなかで,日本の天皇の歴史を探ったとき,どのような問題が浮かびあがってくるか,という問題だった。たとえば,対馬海峡の両岸,朝鮮半島と日本列島のおける王権のありかたは,古代には類似する点が多かったのに,なぜ大きく性質の異なるものとなっていったのか,という疑問であった。本書は中国・朝鮮の王権の歴史との比較のなかで,日本の王権の歴史の特色を探ろうとする試みである。」(「あとがき」より)

著者は青山学院大学名誉教授。専攻日本古代史。
遠山茂樹編「近代天皇制の成立」(岩波書店)

「明治維新によって成立し、敗戦と占領によって解体された近代日本の国家権力である天皇制は、8・15以前はそれ自身へのいっさいの批判を拒否し、その本質の科学的研究は非合法化のきびしい条件の下でしか行われなかった。8・15以後はじめて自由に展開されることになった天皇制研究は、その機構やイデオロギーの分析において大きな成果を挙げ、日本近代史研究の中核的地位を占めることになった。とくに中央集権的統一国家と天皇の権威とが天皇制という形態をとって成立する明治維新期、自由民権運動との対抗の中で天皇制の政治機構とイデオロギーとが確立していく自由民権期、侵略戦争を繰り返す過程で独占資本と結合しついに破局の戦争にいたったファシズム期について、戦後の40年間の研究は多くの成果を挙げてきた。現在、それらの研究を整理し、その到達点を確認することの意義は決して少くはないと考えられる。」(序文より)

目次を示しておきます。
序文
天皇制と天皇(遠山茂樹)
維新政府の対外問題(永井秀夫)
近代天皇制成立の政治的背景(原口清)
大久保政権論(田中彰)
天皇制国家の形成と「富国強兵型」都市(石塚裕道)
天皇制国家権力と自由民権運動(下山三郎)
帝国憲法の発布と世論の動向(後藤靖)
帝国憲法体制の発足と貴族院(芝原拓自)
田中正造における明治憲法観の展開(由井正臣)
地方自治制の確立(大石嘉一郎)
あとがき
遠山茂樹編「近代天皇制の展開」(岩波書店)

上に挙げた「近代天皇制の成立」とセットになっており、元々は編者の遠山茂樹教授が横浜市立大学を停年退職するのを契機に企画されたものです。

目次を示しておきます。
序文
藩閥官僚と政党(宇野俊一)
天皇制軍隊と民衆(大江志乃夫)
政党内閣期の天皇制(今井清一)
産業報国運動と天皇制(神田文人)
統帥権と天皇(藤原彰)
マルクス主義の天皇制認識の歩み(犬丸義一)
お召列車論序説(原田勝正)
天皇制国家による宗教弾圧(村上重良)
近代天皇制研究史上の若干の論点(鈴木正幸)
あとがき
笠原英彦「歴代天皇総攬」(中公新書)

戦前の学校教育では、生徒は神武天皇依頼の歴代天皇の名を暗唱しなければなりませんでした。

本書はそのような戦前の学校教育の慣行の現代版といった趣を持ちますが、内容は歴史学の成果を踏まえた穏当なものとなっています。

著者は慶応義塾大学法学部教授。専攻日本政治史。
安丸良夫「神々の明治維新−神仏分離と廃仏毀釈−」(岩波新書)

「割りきっていえば、本書は、神仏分離と廃仏毀釈を通じて、日本人の精神史に根本的といってよいほどの大転換が生まれた、と主張するものである。もちろん、この転換は、明治初年の数年間だけでなしとげられたものではなく、その前史と後史をもっている。しかし、神仏分離と廃仏毀釈を画期とし、またそこに集約されて、巨大な転換が生まれ、それがやがて多様な形態で定着していった、そして、そのことが現代の私たちの精神のありようをも規定している−本書はそうした視角にたっている。」
「薩長倒幕派は、幼い天子を擁して政権を壟断するものと非難されており、この非難に対抗して新政権の権威を確立するためには、天皇の神権的絶対性がなによりも強調されねばならなかったが、国体神学にわりあてられたのは、その理論的な根拠づけであった。」
「あらたに樹立されていった神々の体系は、水戸学や後期国学に由来する国体神学がつくりだしたもので、明治以前の大部分の日本人にとっては、思いもかけないような性格のものだった。伊勢信仰でさえ、江戸時代のそれは農業神としての外宮に重点があり、天照大神信仰も、民衆信仰の次元では、皇祖神崇拝としてのそれではなかった。だが、天皇の神権的絶対性を押しだすことで、近代民族国家形成の課題をになおうとする明治維新という社会変革のなかで、皇統と国家の功臣こそが神だと指定されたとき、誰も公然とはそれに反対することができなかった。」
「この良民鍛冶の役割からすれば、仏教の反世俗性や来世主義、また信仰生活の遊楽化などは、克服されねばならなかった。しかし、仏教よりもさらにきびしく抑圧されたり否定されたしされなければならないのは、民俗信仰であった。幕藩体制下において民衆教化の実績をもつ仏教は、ほぼ明治3年末をさかいとして、国家の教化政策の側に組みいれられる方向にすすみ、民俗信仰への抑圧は、それ以後いっそうきびしくなっていったという全体状況の推移は、右のような事情によるものだった。」(「はじめに」より)

明治革命政府による日本版文化大革命ともいうべき、神仏分離・廃仏毀釈を解明した書。真に「日本の伝統」に立ち返ることを目指すなら、こうした明治期の革命政策による断絶から遡って、近代以前のこの国の姿を再現してゆく作業が不可欠となるでしょう。

著者は一橋大学名誉教授。専攻日本近代史。
村上重良「天皇の祭祀」(岩波新書)

「幕末維新の政治抗争を経て、倒幕王政復古が実現し、近代天皇制の中央集権国家が成立した。祭政一致をかかげる近代天皇制国家は、明治維新直後から、皇室神道のもとに全神社を一元的に再編成し、国教をつくりだす政策を強行した。天皇の宗教的権威は、大幅に高められ、皇室祭祀の再興に加えて、大小の祭祀が、つぎつぎに新定された。大日本帝国憲法の制定によって、天皇の属性は、歴史的な伝統をなしてきた人間である祭司王から、一神教的な現人神に変った。神である天皇は、真理と道徳を体現する神聖不可侵な存在とされ、同時に、政治、軍事、祭祀の各大権を一身に保有するにいたった。
 国家神道の確立によって、記紀神話に依拠する、万世一系の天皇が統治する万邦無比の国体という教義が、全国民に強制された。この国体の教義にもとづいて、皇室祭祀を基準に、皇紀、一世一元制、祝祭日等が制定され、国旗、国家等の公式制度がつくられて、国民生活のすみずみにいたるまで、天皇制イデオロギーの浸透が図られた。
 国家神道の大神主ともいうべき天皇の宗教的権威は、本来、民族宗教がもつ排外的集団原理に発しており、日本の国土と結びついた特殊な限定的価値したそなえていなかったが、近代天皇制国家は、あらゆる価値を天皇に一元化し、天皇を、時間、空間を超えた全人類にとっての普遍的価値をそなえた宗教的権威に仕立て上げた。」(「まえがき」より)

著者(1928−1992)は宗教学者。国家神道・天皇制の研究で多くの業績を持つ。
村上重良「慰霊と招魂−靖国の思想−」(岩波新書)

「靖国の思想は、幕末維新期の激烈な政治抗争の過程で生まれた新しい宗教観念であり、わずか1世紀余の歴史をもつにすぎない。靖国神社の祭祀の源流は、この時期に、にわかにさかんとなった『国事殉難者』の招魂祭に発している。
 2世紀半におよぶ江戸幕府の封建支配体制を打倒して、近代天皇制国家を誕生させた明治維新の政治変革は、日本社会の体質そのものを大きく変え、資本主義国としては世界に類例のない独特の宗教国家をつくりだした。靖国の思想は、国家神道を国教とするこの宗教国家の巨大な精神的支柱となった。」(本文?ー1「国事殉難者の招魂」より)
高橋哲哉「靖国問題」(ちくま新書)

「第一章の『感情の問題』では、靖国神社が『感情の錬金術』によって戦死の悲哀を幸福に転化していく装置にほかならないこと、戦死者の『追悼』ではなく『顕彰』こそがその本質的役割であること、などを論じる。
 第二章の『歴史認識の問題』では、『A級戦犯』分祀論はたとえそれが実現したとしても、中国や韓国との間野一種の政治決着にしかならないこと、靖国神社に対する歴史認識は戦争責任を超えて植民地主義の問題として捉えられるべきこと、などを論じる。
 第三章の『宗教の問題』では、憲法上の政教分離問題の展開を踏まえた上で、靖国信仰と国家神道の確立に『神社非宗教』のカラクリがどのような役割を果たしたのかを検証し、靖国神社の非宗教化は不可能であること、特殊法人化は『神社非宗教』の復活にもつながるきわめて危険な道であること、などを論じる。
 第四章の『文化の問題』では、江藤淳の文化論的靖国論を批判的に検証するとともに、文化論的靖国論一般の問題点を明らかにする。
 第五章の『国立追悼施設の問題』では、靖国神社の代替施設として議論されている『無宗教の新国立追悼施設』のさまざまなタイプを検討する。『追悼・平和祈念懇』報告書の新追悼施設案がなぜ『第二の靖国』になってしまうのか、不戦の誓いと戦争責任を明示する新追悼施設案はどのような問題を抱えているのか、千鳥ケ淵戦没者墓苑や平和の礎をどう評価するか、などを論じる。」(「はじめに」より)

小泉首相による靖国神社参拝が繰り返されていた2005年に出版された、進歩派の側からの靖国論のスタンダードというべき内容の書物。
村上重良「国家神道」(岩波新書)

「国家神道は,世界の宗教史のうえでも,ほとんど類例のない特異な国教であった。それは,近代天皇制の国家権力の宗教的表現であり,神仏基の公認宗教のうえに君臨する,内容を欠いた国教であった。国家神道は,その意味で,ヨーロッパのキリスト教圏に見られるような,世界宗教によって単一化された社会で成立し,歴史的遺制として現在もつづいている国教制度とは,完全に異質であった。ヨーロッパにおける国教制度の存在は,こんにち,国家神道復活のための有力な論拠とされているが,このような恣意的な比較は,宗教が多元的に並存する日本社会での国教制度の復活を,いささかも合理化し正当化するものではない。」(「まえがき」より)
飛鳥井雅道「明治大帝」(筑摩書房)

「幼冲の天子は、いかにして大帝となったのか?
 誕生から崩御まで、幕末・明治史のなかにその生涯を跡づけ、近代天皇制の成立と構造を探る、力作書きおろし評伝。」(紹介文より)

著者(1934−2000)は元京都大学人文科学研究所教授。専攻日本近代史。主な著書に「坂本竜馬」(平凡社)、「文明開化」(岩波新書)などがある。
原武史「可視化された帝国 近代日本の行幸啓」(みすず書房)

「明治から昭和初期にかけて、全国各地をまわり、人々の前に生身の身体をさらした三人の天皇・皇太子。その足どりをつぶさに追うことを通して、全国規模で展開される『視覚的支配』の場に、一つの政治思想が浮かび上がる。近代天皇制は、イデオロギーによる観念的な支配というよりは、むしろ、個別の天皇・皇太子の身体を前提とした大がかりな仕掛けによる支配とみるべきではないのか。たび重なる国家儀礼に動員される『臣民』たちは、天皇との一体感を身体ごと体験し、記憶に深く刻み込んだのではなかったか。だからこそ、象徴天皇制のもとでも、昭和天皇の戦後巡幸は熱狂をもって迎えられ、元号は平成に変わっても、1999年秋には現天皇の在位十年を祝う『国民祭典』が、二万五千の群集と日の丸・君が代・万歳の儀礼空間を再現したのではないだろうか。」(紹介文より)

著者は日本経済新聞記者を経て、現在明治学院大学教授。専攻日本政治思想史。著書に「<出雲>という思想−近代日本の抹殺された神々」(講談社学術文庫)、「大正天皇」(朝日選書)、「昭和天皇」(岩波新書)などがある。
ドナルド・キーン「明治天皇 上・下」(新潮社)

「ほとんど同時代を生きた英国のヴィクトリア女王と違って明治天皇は日記をつけなかったし、手紙も書かないに等しかった。明治天皇の父である孝明天皇は多くの書簡を残していて、そのほとんどが世の中の動きに敏感だった孝明天皇の激しい怒りに満ちている。しかし、ごく稀に残っている明治天皇の書簡は興味に乏しい。また詔勅の親書は別として、明治天皇の宸筆もほとんど残っていない。天皇がどのような声の持主であったかさえ、しかとはわからない。天皇を知る人々の話では、その声が大きいものであったことはわかっても、その声の質まではわからない。天皇の写真もほとんどなく、公表されたのはせいぜい3、4枚ではないだろうか。同時代の身分が低い日本人の写真は、いくらでも残っているというのにである。死後に描かれた多くの肖像画は、例えば銀山を視察しているものであれ、憲法起草の会議を主宰しているものであれ、あくまで絵姿であって実物そのままを正確に写し取ったものではない。」(「序章」より)
島薗進「国家神道と日本人」(岩波新書)

「日本人の多くは『無宗教』だと言われる。確かに現在、特定宗教の教えや礼拝に慣れ親しんではいないという人が多い、しかし、はたして日本人はずっと『無宗教』であり続けたのか。早い話、戦前(第二次世界大戦前)はどうだったか。戦前の日本人は『無宗教』だったのか。問題を解く鍵の一つは、『国家神道とは何か』を明らかにすることである。
 1890(明治23)年に教育勅語が下された。明治天皇が教育の根本精神について国民に授けた『聖なる教え』だ。この後、小学校は天皇の聖なる教えに導かれる場となっていった。それから敗戦までの数十年の間に多くの日本人が神道的な拝礼に親しんだ。伊勢神宮や皇居を遥拝し、靖国神社や明治神社に詣で、天皇の御真影と教育勅語に頭を垂れたのだ。これは国家神道の崇敬様式にのっとったものだ。『国家神道』という言葉の問題は第二章であらためて検討するが、天皇と国家を尊び国民として結束することと、日本の神々の崇敬が結びついて信仰生活の主軸となった神道の形態である。戦前はおおかたの日本人が国家神道の影響下で生活し、その崇敬様式に慣れ親しんでいた。」(「はじめに」より)

著者は東京大学大学院教授。専攻近代日本宗教史。
藤原彰著『天皇の軍隊と日中戦争』(大月書店刊)


本書の構成は以下の通りです。

【論 文】
○天皇の軍隊の特色−虐殺と性暴力の原因−(2000年)
○南京攻略戦の展開(1992年)
○日中戦争と戦後補償(1995年)
○日中戦争における捕虜虐殺(1995年)
○「三光作戦」と北支那方面軍−抗日根拠地への燼滅掃蕩作戦−(1998年)
○海南島における日本海軍の「三光作戦」(1999年)
○日本軍から見た反戦運動(1999年)
○命令された最後のたたかい−第一軍の山西残留−(2001年)

【回 想】
○ある現代史家の回想(遺稿(2003年)
○対談 日本の侵略戦争と軍隊、天皇(2002年、対談者は吉田裕)

【追 悼】
○藤原彰さんを偲ぶ会発起人代表挨拶  荒井信一
○藤原彰氏を悼む  江口圭一
○藤原彰さんの学問について思う  由井正臣
○藤原先生を悼み、惜しむ  本多勝一
○藤原先生を偲ぶ  笠原十九司
○藤原先生の人と学問  吉田裕
【編集後記】・・・林博史

本書は2003年2月26日に亡くなられた藤原彰一橋大学名誉教授を追悼して、生前同氏の薫陶を受けた歴史学者有志が中心となり編纂したものであります。

冒頭の論文「天皇の軍隊の特色−虐殺と性暴力の原因−」は、「天皇の軍隊」の歴史的成立過程をマルクス主義歴史観(方法論)に基づいて詳細に分析した総括的論文であり、特に読み応えがありました。

藤原教授は、明治初期に我が国が軍制(徴兵制等)を倣ったフランス軍制について、「革命によって(農奴身分から)解放された農民層から徴集された兵士」によって構成された「愛国心・自発的戦闘意思を持った」軍隊であったと肯定的に評価する一方、「天皇の軍隊」は小作貧困層を中心しており、そもそも彼ら徴兵された兵士たちに「自発的戦闘意思」は期待できなかったとし、明治維新の革命性をも否定しております。

藤原教授論の面白いところは、旧日本軍が「内務班教育」等での徹底的かつ暴力的な新兵教育等を行った理由に、上記の「自発的戦闘意思」の欠如の問題があったこと(つまり「戦闘意志」を植えつけるための制裁)、また、そうした「天皇の軍隊」の非人間的構造が、結果的に中国等に於ける一般民衆等への非人道的行為(殺害・性暴力等)に繋がっているとの指摘です。

戦前の我が国の軍事機構は、私などから見れば諸外国と比較して、構造的には平等であったと思えます。しかしながら、マルクス主義的歴史分析からの視点は、「天皇」を頂点とした階級的色彩を帯びたものとなるのでしょう。また、徴兵された兵士が、本来「自発的戦闘意思」を有していなかったという指摘には首肯しかねる部分が多々あります。例えば、日露戦争で見せた日本軍の勇猛奮戦振りは、単に「上部構造」から抑圧された軍隊では説明不可能な、「自発的愛国心」があったようにも思えます。 

何れにしても、本書は「天皇の軍隊」を左翼学者の立場から詳細に分析を試みた好著であります。
原武史「大正天皇」(朝日選書)

「昭和天皇は、生涯を通して明治天皇に対する深い尊敬の念を抱き続け、その気持ちを会見の場で表明することもあったが、大正天皇に対してはほとんど沈黙を保った。この点で晩年に実父に言及し、一緒に鬼ごっこや将棋をした思い出を語ったり、『父上は天皇の位につかれたために確かに寿命を縮められたと思う。東宮御所時代には乗馬をなさっているのを見ても、御殿の中での御動作でも、子供の目にも溌剌としてうつっていた。それが天皇になられて数年で、別人のようになられたのだから』と同情的な態度を雑誌の中で露わにした秩父宮とは対照的であった。
 大正天皇が結婚する直前、伊藤博文は有栖川宮に向かって、『皇太子に生まれるのは全く不運なことだ。生まれるが早いか、到るところで礼式の鎖にしばられ、大きくなれば、側近者の吹く笛に踊らされなければならない』と放言し、『操り人形を糸で躍らせるような身振りをして見せた』と、エルウィン・ベルツが日記に記している。だが本分で見たように、大正天皇の『不運』とは、むしろ皇太子時代だけでなく、天皇になってからも『操り人形』になることを拒否し、天皇にあるまじき過剰なまでの人間性を保持しようとしたところに由来していたのではなかったか−。
 晩年には天皇の病気につき『遠眼鏡事件』のような風説がはびこり、健康だったころの天皇の実像は忘却され、完全にイメージでのみ語られるようになってしまった。その実像がどうであれ、大正天皇の死後に昭和天皇があえて沈黙を保ったことの中に、ある種の政治的な判断を読みとろうとするのは穿った見方だろうか。」(「あとがき」より)
田中伸尚「ドキュメント昭和天皇 全7巻」(緑風出版)

昭和天皇の戦争責任を問責する立場から,当時の日記等の資料を丹念に読み込みながら戦争時の昭和天皇とこれを取り巻く宮中,重臣グループの言動を克明に明らかにした書。

昭和天皇存命中から刊行され,一読して,それまでの昭和天皇に対するイメージ(立憲君主制を守って政治的発言は極力控え,只,終戦のときだけは「聖断」を下して日本を救った,生物学研究者で非政治的な人物というもの)が一変したことを覚えています。

それ以後,昭和天皇については,良くも悪くも,戦前戦後を通じて,一貫して偉大なる「帝王」としてこの国に君臨し続けた人,戦後も実質的にこの国を統治していた人,という印象を抱くようになりました。

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