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大日本帝国の光と影コミュの【文献紹介】幕末・維新

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幕末・維新に関する文献を紹介するトピックです。

既読,未読を問いません。

最低限,著者名,書名,出版社は挙げてください。

内容の簡単な紹介,感想などを述べていただけると,ありがたいです。

コメント(19)

佐藤誠三郎他篇「幕末政治論集」(岩波書店日本思想大系56)

「黒船の出現は,幕末日本に比類なき衝撃を与え,国家の前途への先鋭な危機意識をよびおこした。この難局に直面して,攘夷と開国を軸に様々な提言や論争が行われ,政治的試行錯誤が繰り返された。本巻には,ペリー来航から幕府倒壊に至る間に,実務家や志士たちが,その時々の切迫した政治状況に応じて書いた論策・書簡等130余編を収めた。これらは,徳川斉昭・井伊直弼・岩倉具視・高杉晋作・木戸孝允・坂本竜馬・西郷隆盛・大久保利通ら,指導者たちの政治的英知と憂国の情と,また激情と狂信の記録である。」(紹介文より)
島崎藤村「夜明け前(全4冊)」(新潮文庫)

「木曽路はすべて山の中である」の書き出しから始まる藤村の歴史小説。
 木曽路の宿場馬篭の庄屋青山半蔵を主人公に、幕末から維新にかけての地域と人々の暮らしの移り変わりを描いている。

 この小説には、幕末維新の有名人物が登場するわけでもなければ、波乱万丈のドラマが展開するわけでもない。山深い木曽路の庄屋一族と村人達の日々の出来事が淡々と描かれているだけである。しかし、その描写は当時の地域と人々の暮らしはかくもあったであろうと思わせ、あたかも細密画を見るかのように丹念に描きこまれている。この描写は誠に見事で、凡百の歴史小説作家の及ぶところではなく、さすが文豪の手になるものと感心させられる。
 本書はこうした描写の1節1節を、あたかも舌の上で転がすが如く噛みしめ味わうべき書物で、筋だけを大急ぎで追って読み飛ばしても、さほどの感銘を得られないであろう。

 主人公の半蔵は庄屋の後継ぎとして地域の暮らしを維持してゆく責任を負う身であるが、他方で平田国学の信奉者であり、国学仲間と図りあって地域から維新を進めてゆこうとする草莽の士でもある。
 維新は半蔵が待ち望んでいた世の出現であるはずだった。しかし、維新後に出現した社会は、半蔵の描いていた理想とは大きく異なったものとなり、半蔵は次第に世の中の流れから取り残された人になってゆく。こうした世の中の流れと半蔵の思いとの齟齬は、ついには精神を病ませるまでに半蔵を追い詰めてゆくのである。

 ここで半蔵を維新へと駆りたてた国学の理念について、藤村は仏教や儒教のような中世的理念へのアンチテーゼとしてあるがままの人間の感情を対置するものであると捉え、西洋におけるルネッサンスのヒューマニズムと同質のものと位置づけている。こうして藤村は国学を日本的近代の理念と位置付けるのであるが、そうすると、国学運動が維新後の世において挫折してゆくのは、日本的近代化としての維新が未だ実現されていないということになり、ひいては、「第二維新」を必要としているという含意を読み取れなくもない。こうした本書の内容は、この小説が書かれた昭和初期という時代の思潮と、どこかで木霊しあっているように思われる。
大佛次郎「天皇の世紀・一〜十」(朝日新聞社)

 明治天皇生誕から維新まで,激動の時代を描いた畢生の大作。
 1967年から1973年まで朝日新聞に長期連載された著者のライフワーク。連載中,小林秀雄は必ず第一に目を通していたという。

 著者は「鞍馬天狗」「赤穂浪士」などで著名な歴史小説家。近時,幕末物では司馬遼太郎ばかりが脚光を浴び,著者も本書も半ば忘れ去られているが,再評価されて然るべきであろう。
原口清「日本近代国家の形成」(岩波書店)

「日本近代国家の形成過程について考える場合に,これまでの学説史からみても,さけて通ることのできない学問的課題がある。それは,明治維新によって成立した国家権力が,基本的に絶対主義と規定されるものか,それともブルジョワ権力をいいうるものか,ということである。よく知られているように,この問題については,戦前の「講座派」・「労農派」の論争があり,戦後においても数多くの著書・論文がこの問題の解明にあてられてきた。」
「今日,国家論・権力論の深化が,とくにつよく要請されている。戦後日本に例をとっても,占領下日本の国家権力の把握には大きな誤謬や混乱があったし,今日でもアメリカとの関連において日本の国家権力について大きな見解の対立があることは周知のことである。また,スターリン批判と一連の衝撃的事件(ポーランド,ハンガリー「暴動」など),最近の中・ソ両国(党)の対立などは,プロレタリアート独裁のあり方を基軸にしてひきおこされたものとみられるが,このことはおよそ未来における国家の消滅に深い関心をもつ人々に対し,国家論・権力論・民族理論などに対する精力的なとりくみ,とくに過渡期における国家権力についての理論的な深化の必要性を痛感させているといえよう。すでに久しい以前から,哲学・政治学・経済学などの分野においても,この種の問題意識のもとで,また多分の混乱をともないながらも,多くの労作がだされている。明治維新以降の国家権力の性格究明という古くからの課題も,以上の作業の一環としても行われる必要があると思う。」(「序説」より抜粋)

著者(元名城大学教授)は幕末維新史の研究者。本書は明治維新を絶対主義的変革と把握する,「講座派」の見解に立った維新史の概説書です。
遠山茂樹「明治維新」(岩波現代文庫)

「私たちからあとの戦後世代の若手研究者たちにこの本が与えた影響は測り知れない。近代史研究のバイブルというと少し大袈裟だが,導きの星だったのであり,何回も読んで本がボロボロになったという人もいる。多かれ少なかれ,この本を足がかりにして,戦後の近代史研究を担う人々が育ったのである。」
「絶対主義という概念は,天皇制国家の過渡的な,そして専制的な性格を表すために,ヨーロッパ諸国の絶対主義(絶対王政)との類推のもとに用いられた概念である。遠山さんは第一章第一節の注の中で,『政治史的には,絶対主義の成立は,農民戦争に対抗する封建権力の統一・強化として把握さるべきである。・・・絶対主義は,下からの革命(農民的農業革命)の端緒を圧殺する,上からのブルジョワ的改革・・・たることろに,その特質がある』と述べている。この基本的なとらえ方はこの本を一貫しているし,遠山さんのその後の考えも変わっていないはずである。」
「明治維新を天保改革からはじめるというのは異色であった。ペリー来航から説き起こすのが常識的である。しかしそれでは明治維新が外圧になって引き起こされた変革ということになってしまう。明治維新を国内的必然性から理解することが遠山さんの基本的な視点であり,天保改革にその起点を求めたのであった。それは絶対主義概念の理解と適用の仕方からしても一貫性のある態度だった。この本の第二章第一節では,開国以前に微弱ながら自主的な絶対主義形成の萌芽を持ったことが,日本のその後の運命を左右したことが協調されている。・・・ところが刊行後,この節と第一章とにいくつかの批判が集中した。・・・批判の底流には,幕末の民族的危機をどれだけ強調するか,明治維新の民族的意義をどれだけ高く評価するかという態度の相違が横たわっている。」(永井秀夫「解説」より抜粋)。

「講座派」の代表的著作。著者は戦後の日本近代史研究をリードした歴史学者。元横浜市立大学教授。
E・ハーバート・ノーマン「日本における近代国家の成立」(岩波文庫)

「17世紀の前半に徳川幕府がうち立てた精巧な行政機構は,18世紀の末になると廃頽の兆候をあらわにしはじめた。その後の数十年間にこの体制の解体は農民の反抗によって,下級武士の経済的窮迫によって,また幕府の覇権に対するいくつかの外様藩の大胆な反対によって,きわめて劇的な過程のうちに立証された。対外問題は反抗的な諸藩に対する幕府の統制をいよいよ困難にし,幕府をますますはっきりと防禦の側に立たせた。したがって,明治維新の歴史は,それ以前から始まっていた,国家の集権化を達成し国民経済に対する国家統制を強化する企ての記録として始まらなければならない。この記録の出発点は,当然ながら天保改革におかなければならない。水野忠邦のおこなった諸改革が徳川直領内で失敗に終ったのに反して,後年ことに薩摩,土佐,長州で遂行された藩政改革は巧妙であり,比較的成功したことが注目される。これら諸藩の改革が生み出した結果のいくつかはおそらく本来の目的の副産物にすぎなかったかもしれないが,それにもかかわらず,維新の歴史そのものにとってきわめて大きな意味をもっていた。
 これら藩政改革に手をつけまた実行したのは下級武士であって,その点にさしたる例外は認められない。名目的な藩支配者すなわち藩主が改革運動を助けようとしたか妨げようとしたかにかかわりなく,改革の結果は藩政の諸方面において封建制構成分子の統制を増大させることになった。」(「日本語版新版への序」から引用)

著者ノーマン(1909−1957)は,カナダの近代日本史研究者,外交官。本書を初めとするノーマンの日本研究書は大戦中の対日本政策立案者に大きな影響を与え,戦後の占領政策を方向付けたとされる。ノーマン自身も駐日カナダ外交官としてGHQに協力し,占領政策にかかわる一方,丸山真男や加藤周一といった戦後日本を代表する知識人と親交を結んだ。1950年代のマッカーシズムの中でノーマンに対するスパイ疑惑が持ち上がり,エジプト大使在任中の1957年にカイロで投身自殺を遂げた。このノーマン自殺の謎に迫った書物に中薗英助「オリンポスの柱の陰に」(現代教養文庫)がある。
上記の引用文を見れば分るとおり,ノーマンの学説は,大日本帝国の根幹をなす天皇制を封建遺制たる絶対主義と捉え,近代化のためには天皇制に代表される封建遺制の徹底的改革が必要とする,日本共産党系の講座派に近い見解であり,この講座派の見解は,コミンテルンの見解と通じるものでもあった。
こうして見れば,ノーマンという人とその学説は,大戦を挟んだ時代の日本と世界の時代状況を,ある意味で象徴的に表すものと言えよう。
山川菊栄「覚書 幕末の水戸藩」(岩波文庫)

「著者の生家青山氏は水戸藩士で,曽祖父・祖父は『大日本史』編纂局総裁などをつとめ,徳川斉昭や藤田幽谷・東湖父子とも近しく交わった。その祖父の残した日記や手紙,親戚故老の思い出話に基づいて,流血に明けくれる幕末水戸藩の内実,ひとびとの暮らしぶりをいきいきと描き出す。」(紹介文より)

「水戸といえばテロを連想させるような,あの恐ろしい血まみれ時代をぶじに生きのびたその故老たちは,みなテロぎらいのおだやかな人々で,あのテロ期の水戸は,ある人々のいうように,水戸人そのものの先天的な体質にあったのではなく,封建制度の生んだ矛盾と行きづまりの生んだ深刻な,絶望的な世相の一部であったことと思われます。世の中の移り変わりには,ともすればそういうヒステリックな傾向も現れるようですが,それを適当にコントロールするところに時代の進歩があっていいはずです。」(著者のあとがきより)
子母澤寛「新撰組始末記」(中公文庫)

「確かな史実と豊かな巷説を現地踏査によって再構成し,隊士たちのさまざまな運命を鮮烈に描いた不朽の実録。」(紹介文より)
森川哲郎「幕末暗殺史」(ちくま文庫)

「封建体制が崩壊し新時代へと移行する安政から慶応のうちおよそ10年間に繰り返された弾圧,反発,裏切り,抵抗,謀略,奸計,殺し合いのドラマを追う。」(紹介文より)

目次を紹介しておきます。

安政大獄と軽輩士族の擡頭
激発した攘夷事件
文久暗殺年
清河八郎の暗殺と浪士組始末記
吉田東洋と武市半平太の対立
河上彦斎の生涯とその死
坂本竜馬と中岡慎太郎
新撰組の考察
対馬藩の内争
王政復古のクーデター
幕末暗殺補遺
篠田鉱造「増補幕末百話」(岩波文庫)

「今(昭和四年)より三十年前の家庭には,幕末の古老が,どこの家にも,ごろごろしていた。祖父母といい,父母といい,幕末維新を,まのあたり見聞して,廃刀から丸腰,ちょん髷から散切,士族の商法,お長屋住居,お扶持米,殿様の栄耀,官軍と彰義隊,薩摩屋敷焼討で溝渠に生首がころがっていたこと,町に朱に染んだ死骸の辻斬り,各藩士大騒ぎのお国入り,安政の大地震,辰歳の大暴風雨,道具諸式の投売,物価の安かったこと等,すべて幕末維新の話で持切っていた。その間に育った時代は,何彼につけ「昔はこれこれ」「以前はしかじか」の話が耳にタコであったので,尋常茶飯事の如く考えていた。祖父母逝き,父母老いて,そうした話が繰返されなくなってから,俄かにその話が聞きたくなった。また世間にこうした話が,ザラにあるに違いないと心付いた時は,まだまだ幕末維新の話が聞き得られた。幕末から維新にかけての古老の話は奇抜で,珍妙で,想像もつかない面白いことずくめであった。世の中がコセコセせず,悠暢であった。幕末百話はこうして産れたのである。」(序文より)
坂野潤治「未完の明治維新」(ちくま新書)

「明治維新は尊王攘夷と佐幕開国の対立が一転して尊王開国になり,大政奉還の後に王政復古と討幕がやって来るという,激しく揺れ動いた革命だった。そのために維新が成就した後,大久保利通の殖産興業による富国,西郷隆盛の強兵を用いた外征,木戸孝允の憲法政治への移行,板垣退助の民撰議院の設立の四つの目標がせめぎあい,極度に不安定な国家運営を迫られることになった。様々な史料を新しい視点で読みとき,『武士の革命』の意外な実像を描き出す。」(紹介文より)

著者は東京大学名誉教授。著書に「明治デモクラシー」(岩波新書),「昭和史の決定的瞬間」(ちくま新書)などがある。
渡辺京二「逝きし世の面影」(葦書房)

「幕末・明治の外国人訪日記を博捜・精査し、彼らの目に映った豊かな文明の諸相から近代日本が滅亡させたものの意味を問う。」(紹介文より)

「一方、近代という人類史の画期が終焉を迎えつつあることは、当時誰の目にもあきらかであった。80年代の日本はポストモダンの言説に席巻されていたが、私の耳には、それはポストと銘打ちながら、近代というプロセスがすでに完了したことの意味を解さないウルトラ近代的言説にしか聞こえなかった。近代という人類史的プロセツが歩み尽くされたというのは、日本の近代というプロセスの意味を客観化する条件が整ったということなのに、ウルトラ近代的価値観からする日本近代解釈はかえって横行の度を加えたのである。」(「あとがき」より)

本書は、その後、平凡社ライブラリーに収録されています。
今泉みね「名ごりの夢」(平凡社東洋文庫)

「彼女じしんも、この本のなかで、?江戸はあんまり泰平に酔っておりました?といっているように、将軍のお膝元の人たちは、武士町人の区別なく、足もとの地盤の土崩瓦壊もうわのそらで、花に酔い、月にうかれて、あそびくらしていた。廃怠的で、ゆきづまっていたとは言い条、江戸ぐらしは楽しかったらしい。末端的ではあるにしても、江戸人は、巴里人が世界のみやこ人と自負するとおなじように、洗練されたじぶんたちの文化に誇りをもち、江戸っ子に生まれたことの幸福だけは疑わなかった。東京人のほうが、江戸人よりもしあわせなどとは、めったに言いきれるものではない。江戸を東京に変えた人間たちの進歩主義が、一面、お粗末で、無慈悲なものであったことも、真実である。ともかく、江戸は、一朝にしてくずれ去った。ゆく先を見通すものがいたとしても、ほどこすすべがなく、諦観に徹して、世の終るその日、その時まで、月に雪に風流のつどい、青楼に花を手折り、小紋の新柄がどうの、鯉こくは、柳島の橋本が食わせるの、伊藤潮花は講釈では日本一だの、いや、おいらにはなにがなんでも如燕だのと、趣味とあそびにあけくれして、気に入らぬことは笑いとばし、しゃれのめしてくらすよりほかにしかたがなかったろう。」(金子光晴「解説」より)
羽仁五郎「明治維新史研究」(岩波文庫)

「明治維新史に初めて世界史的観点をうちたてた『東洋における資本主義の形成』など維新史研究の基調をなすい論文5篇を収録。幕末の人民大衆闘争の革命的意義を指摘したこれらの論文は、治安維持法下のきびしい制約のなかで書きつがれた。」(紹介文より)
渋沢栄一「雨夜譚」(岩波文庫)

「激動の幕末維新を背景に、大実業家渋沢栄一(1840−1931)が疾風怒濤の青春を語る自伝。尊攘倒幕の志士→徳川家家臣→明治政府官僚と転身を重ねる筆者の生き方は鋭い現実主義に貫かれた魅力をもち、維新変革をなしとげたエネルギーが生きいきと伝わってくる。実業家時代を概観した『維新以後における経済界の発達』を併収。」(紹介文より)

「明治維新を社会経済私的に考察するにあたって、この革命的変革を担った主体=社会層は何か、ということがつねに根本的に問題となる。ここで研究史を整理する余裕はないのであるが、豪農豪商層を重要な担い手と見ることは、一つの有力な見解である。『雨夜譚』は豪農範疇の生きた実証的うらづけを示すとともに、『豪農』の規定そのものによりゆたかな肉づけを与えるものといえよう。」(長幸男「解説」より)

「M・ヴェーバーは・・・『儒教とピョウリタニズム』(『世界宗教の経済倫理』中の第一論文『儒教と道教』の第8章)においては、現世的秩序=権威への順応、すなわち、外面的儀礼を遵守し、階層秩序への恭順をもっとも完全に表現するための形式的行為の徹底した合理化・君子としての人格的完成を目標とする儒教は、プロテスタンティズムのような予言者的・超越的現世批判の力を欠如するが故に、巨大な前期的商人資本・高利資本の営利組織の形成をみたにもかかわらず、永続革命的・」批判的合理主義を内在原理とする近代資本主義をみずから創造することができなかった、と指摘している。では何故、明治期以降の日本において、渋沢によって代表される実業家の儒教倫理が資本主義形成のエートスたりえたのであろうか。」(長幸男「解説」より)
服部之総「黒船前後・志士と経済他16編」(岩波文庫)

「明治維新史研究で知られる著者(1901−56)の歴史随想集。名篇「黒船前後」以下、幕末から明治へ至る激動の時代をめぐるエッセイを精選した。」(紹介文より)
芝原拓自「世界史のなかの明治維新」(岩波新書)

「これまでにも、科学的研究をふまえた維新史の歴史叙述はすくなくない。けれども、維新政府の歴史的性格や内政・外交をめぐる諸対立などを、主として国内の経済的・社会的諸関係が生みだす矛盾の表現として評価するものが多かった。ここ十数年来、維新変革におけるいわゆる『国際的契機』の重要性が強調されながらも、具体的な政治過程にその契機から照明をあたえつつ歴史像を再構築していく試みは、まだあまり成功していないようにおもう。依然として、主として西ヨーロッパ諸国の歴史的経験から抽象された諸命題にそって、絶対王政成立期の、あるいは市民革命期の階級関係や諸対立の展開として、明治維新史や自由民権運動史を構想する方法が支配的であるといえる。
 この本もまた、そのような方法の社会科学としての正当性を否定するものではない。ただ、明治維新の変革が、ヨーロッパ諸国のそれとは明らかに異なる歴史的段階で、資本主義世界体制確立後の国際政治と世界経済の圧力をまともにうけた19世紀後半の変革であったことの意味と問題性とを、あくまでもその世界史的条件に密着させて考えてみようとおもう。」(「はじめに」より)

 本書は、一国史的観点から明治維新を絶対主義的変革ないしブルジョワ革命とみなす講座派ないし労農派的見解が未だ主流を占めていた時期(本書の初版は1977年)に、世界史的観点を加味して明治維新を捉えようとしたもので、この頃から有力化する近代資本主義世界システム論的潮流と呼応するとともに、明治維新を国内階級闘争の帰結と捉える視点から対外的ナショナリズムの発現たる万国対峙・国威宣揚実現の過程と捉える、ある意味で常識的な見方に転じていったことを示す著作と言えます。

著者(1935−)は大阪大学名誉教授。専攻日本近代史。
宮地正人「幕末維新変革史 上・下」(岩波書店)

「本書の基本的視角は,幕末維新変革期を,非合理主義的・排外主義的攘夷主義から開明的開国主義への転向過程とする,多くの幕末維新通史に見られる歴史理論への正面からの批判である。この見解からは,極めて容易に幕末維新期を『巨大な無意味の時代』とする評価が生まれてくる。しかしながら,欧米列強が主導する軍事力を背景とした世界資本主義への包摂過程に対し,非キリスト教世界のいかなる地域と国家においても,摩擦なし,抵抗なしの『開国主義』は,例外なく当該地域と国家の従属化と植民地化の第一歩となっていった。
 この世界資本主義への力づくの包摂過程に対し,日本は世界史の中でも例外的といえるほどの激しい抵抗と対外戦争を経,その中で初めて,ヨーロッパでは17世紀なかば,絶対主義国際体制のもとで確立された主権国家というもの(著者はこれを天皇制国家の原基形態と考えている)を,19世紀70年代,欧米列強により不平等条約体制を押しつけられた東アジア地域世界にあって創りあげた。そしてこの主権国家がようやく獲得した自信をもって,上から日本社会を権力的につかみ直そうとするその瞬間,幕末維新変革過程で分厚く形成されてきた日本社会そのものが,自由民権運動という一代国民運動をもって,自己の論理,社会の論理を国家に貫徹させようとする。この極めてダイナミックな歴史過程こそが幕末維新変革の政治過程ではないだろうか。」(「はじめに」より)

明治国家のイデオロギーは思想史的に見れば吉田松陰と福沢諭吉の合体として捉えることができるのではないでしょうか。吉田松陰を非合理攘夷,福沢諭吉を開明開国と捉え,吉田松陰を排斥して福沢諭吉を称揚すれば日本が合理的な近代国家となるというような見方は現実の明治国家の把握としては一面的ではないでしょうか。さらに言えば,この吉田松陰―福沢諭吉という軸からこぼれ落ちる西郷隆盛,勝海舟,横井小楠といった人達の再評価が必要なのではないかということも考えたりしています。

著者は東京大学名誉教授。専攻日本近現代史。

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