ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

続・日本軍慰安婦って知ってる?コミュの韓国では慰安婦制度のどこが問題にされているのか?

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
一言に韓国と言っても、政府、学者、マスコミ、市民といろいろあるのは承知しています。しかし、ネットで韓国人と議論する度に、日ごろ聞かされていた話と、彼らから受ける批判との間のギャップに困惑させられます。

私は今まで「日本軍の関与」や「制度の強制性」が問題にされているのだと詳しい人に説明されて来ました。あるいは日本軍の内規の欠陥が問題だったとも言われました。しかし、自分の経験では、韓国の人びとはそんな事に怒っているようには見えないのです。正しい情報が伝えられないのなら、自分達で探ってみたく思います。韓国では慰安婦問題をどのような問題だと捉えられているのか。

コメント(47)

クリップ
何より韓国政府が出なければなりません. 今でも戦犯国日本をかばう ‘兔罪符’を取り入れて日本政府を相手で被害者お婆さんたちに対する法的・歴史的責任を堂堂と弁償してやらなければならないです. 祖国が守ってくれることができなくて踏み躪られたお婆さんたちの人権と名誉を必ず回復させてくれなければなりません. これ以上恥ずかしい歴史を作ってはいけないです. 忘却の歴史は繰り返されます.

ガングドックギョング金復東金純徳ベツンフィ李傭女お婆さんが歴史の前に素肌を現わす絵 23点にはその方々の恨みを抱いた歴史がごっちゃになっています. 日本軍の性奴隷で青春の時間を劫奪当ぎり朝鮮女人たちの鬱憤が立ちこめています. “私たち前に謝罪しなさい”と血の色わめきで骨にしみる歴史を告発しています.

(以上です)
● 8月23日、歴史の中の今日

これは今年の8月23日に韓国のYTNテレビで放送された動画です。
私は韓国語が分かりませんので、当時2chでスレッドを立てた人の邦訳をそのまま転載します。(翻訳に間違いがあれば指摘して下さい)


日帝、女子挺身勤労令公布(1944年)

1944年の今日、日本の厚生省は「女子挺身勤労令」を公布・施行した。
12歳以上40歳未満の女子に令状を交付して、挺身隊として編成するという内容の法令だ。
日帝は既に1932年から軍隊慰安婦制度を導入し、その後1937年の南京大虐殺を契機に本格化させて、ついに1944年に「女子挺身勤労令」で合法化したのだ。
この法令は、日本政府が組織的に挺身隊、すなわち軍慰安婦を徴発したという証拠だ。
第2次世界大戦の終わりまでに日帝が徴発していった韓国女性は約20万人と推定される。
昨日[注1]の今日 「2003年慰安婦の強制動員アメリカ資料初公開」

「15人の慰安婦がシンガポールにある日本の工場に就職させるという韓国の新聞広告に騙され、 1943年7月、韓国を・・・(不明)少なくとも300人の韓国女性たちが、彼らのように、就職詐欺にだまされて従軍慰安婦となった」 2003年の今日、ソウル大学の鄭鎭星教授とチャン・テハン米リバーサイド・カリフォルニア大教授らが記者会見を開き、こう明らかにした。 1年間、米国立公文書保管所の捕虜の紙の記録を遅れて、太平洋戦争当時、日本軍の性的装身具として開発された従軍慰安婦の強制動員を立証する、米軍情報局の公式発表を見つけて初めて公開したのである。 (中略)

1992年1月、日本の防衛庁防衛研究所図書館で、軍慰安所の運営に関する関連資料が公開されると、日本政府はやむを得ず、慰安婦強制動員の事実を部分的に認め、謝罪もした。しかし、「法的責任はない」とひたすら奇妙な理屈に固執している。

慰安婦の強制性を立証する証拠が続々と現われ、米国下院が慰安婦決議案を全会一致で採択するなど、国際社会で日本の賠償と謝罪を求める声が日増しに高まっているが、日本政府による過去の歴史の反省の努力は遅々として進んでいない。慰安婦の強制動員の事実を立証する資料や証拠がないために日本政府が歴史的真実を否定するわけではない。むしろその逆だ。証拠は公表され、犠牲者たちの証言もある。醜い過去を記憶から消して捨てたがる勢力に遠慮しているからだ。・・・

[注1] 1月3日のこと。

Daugu Citizen Forum for Halmuniより (グーグル翻訳を修正)
http://www.1945815.or.kr/bbs/zboard.php?id=hyun&page=1&sn1=&divpage=1&sn=off&ss=on&sc=on&select_arrange=headnum&desc=asc&no=3102&PHPSESSID=ab6156aba70dd173234cd478a9db7cdf

※どうも、いろんな話を混同しちゃってる感じ。鉱山の中に設けられた「慰安所」で働いていた売春婦。軍の慰安所。仲介業者の詐欺etc。ここまでこんがらがってると、話のしようがないというか・・・。
まず日本語の意味から。
「挺身」というのは、「身を挺する」という意味です。
「身を挺する」というのは、「自分の身を危険にさらす」という意味です。

地上戦闘において味方部隊と敵部隊がぶつかったとき、お互い同等の戦闘力を持っていたら、正面攻撃だけではなかなか決着がつきません。 

こんなとき、士官学校では「味方部隊から一部を割き、大きく迂回させて、敵の側面や背後に回り込ませて攻撃させ、正面の本隊と挟み撃ちにせよ」と教えます。 人間の目は正面にしかついていないので、正面の敵とは戦えても、横や後ろから攻撃されたら、もろいのです。

特に背後を遮断されたら、弾薬食料などの補給路が断たれるし、補充兵や増援兵力も来ないし、負傷者の後送もできないし、不利になったときの退路も断たれてしまいます。 プロの軍人といえども、みんな恐怖をかみ殺しながら戦っているので、いざというとき退却できないというのは、非常に不安なことなのです。

「挺身隊」というのは、このとき本隊から分派され、敵の側面や背後に回りこむ別働隊、という意味です。 (なお現在の陸上自衛隊にも「空挺団」というのがありますが、この「空挺」とは「空輸挺身」の略です。 飛行機で敵の背後まで運ばれ、パラシュート降下して挺身隊の役割を果たすのが、その任務です。)

挺身隊は何しろ移動のスピードが勝負ですので、重い火砲などの装備は持って行けません。 少人数で小火器と数日分の食料だけを携帯し、敵地に乗り込むのですから、大変な戦闘能力と勇気が要求されます。

だからこれに選ばれることは、非常に名誉なことでした。 彼らは「挺身隊=身を挺する部隊」と呼ばれ、日華事変の戦況を伝える新聞報道などにより銃後の国民にもよく知られて、憧れの的でした。 

戦況が厳しくなり内地の労働力が不足すると、学生や女性たちにも勤労奉仕が求められました。 このとき工場などに動員された女性たちには、「女子勤労挺身隊」という名前が付けられました。 カッコ良い挺身隊の名前を付けて、彼女たちの労働意欲を盛り立てようとしたのです。 彼女たちは実際に工場で身を危険にさらすわけではありませんが、「お前たちの仕事は、前線で戦う兵士たちに劣らず重要なのだぞ」と言い聞かせる意味もあったのです。

戦時中、悪質な売春ブローカーたちが、「女子勤労挺身隊に参加しろ、国民の義務だし、給料も良いし、学校にも行かせてもらえるぞ」という甘い言葉で女性たちを募集し、実際には慰安所(民間の売春宿)へ売り飛ばしたような詐欺事件があったので、「挺身隊=慰安婦」という誤解が生まれてしまったようです。

しかも韓国マスコミがよく取材もせず、「朝鮮にあった小学校の日本人教師が、小学生を挺身隊(本物の工場勤労奉仕)に送り込んだ」という例を、「小学生まで慰安婦にした」という誤解にもとづく報道を行ったため、騒ぎが大きくなってしまったのです。
何だゴーコリユーザーなのに間島の話も知らんのか。
総督府の弾薬庫所に間島論争用の史料があるから見て来い。
天安市にある独立記念館が、慰安婦コーナーを拡充したとか。
その展示物らしいのですが、ちょっと気になったのは、慰安婦を拉致しているのが軍人でなく民間人らしいこと。個人的な感想ですが、どうやら韓国でも慰安婦の募集は民間業者によって行われていたという認識がある程度のレベルまでは広まって来たらしい。

もちろん「日本軍が主導して組織的に犯した反倫理的犯罪」というのが彼らの展示の趣旨であるそうですが・・・(下に書いたように、ソース未確認)。

さて、この展示「日本軍'慰安婦'の実状をもう少し現実感あるように展示することにした」ものだそうだが、元の展示とはどんな物だったのだろう?やはり日本軍が朝鮮の村で慰安婦狩りを行っている様子をジオラマにしていたのだろうか?

聯合ニュース8月21日(ソース未確認)
日韓翻訳掲示板は長らくROMしていますが
そういえば、「業者が居たこと」を否定する韓国人には、会った事がありません。


最近は、「言っても大丈夫」な雰囲気が出来てきたのか、「慰安婦話を信じている人は少ない」とか「信じているのは馬鹿」とか言う韓国人も居ますね。

二人の日本兵がチョゴリを着た少女の両腕を抱えて連れ去ろうとしている姿がロウ人形になって展示されていたのは、ココでしたっけ?そういう展示物も残しておいて欲しいですね。あとあとの教訓の為に。

>最近は・・・とか言う韓国人も居ますね。

けっきょく長い目で見れば、落ち着く所に落ち着くのでしょうね。
ソースです。

http://www.ainews.kr/index.cgi?action=detail&number=5730&thread=22r04

(以下グーグル翻訳より部分)

今回新たにお目見えする日本軍慰安婦'関連の展示は、独立記念館ギョレウイシリョングァン第4ゾーン「試練と苦痛の時間」で、パネルで展示していた「反人倫的犯罪日本軍慰安婦」「展示コーナーを、さまざまな表示媒体と手法を導入し、拡充·補強する。

日本植民地時代、韓国女性が日本軍慰安婦に強制連行され、人権をジトバルヒョトドン被害の実態を国民に、よりリアルに報告し、韓国女性が日本軍慰安婦'に強制連行されるシーンや日本軍慰安所をモデルに演出を再現している。

日本軍の関与を証明する関係資料の実物を展示し、戦争で敗北した日帝が日本軍慰安婦の存在を隠蔽しようと、これらを殺害したりイグクタンでしまったという事実をマジックビジョンを使って展示することで、日本軍慰安婦の実情を国民に正しく知ってもらおうとしている。

>日帝が日本軍慰安婦の存在を隠蔽しようと、これらを殺害したり・・・

ここまで行ったら、日本軍の「関与」じゃ済まないような気も・・・。
トピのテーマとは少しズレますが、今年の独立記念日を前にして開かれた水曜デモの様子だそうです。誤解のないように申し上げておきますが、タイトルをつけたのはup主です。集会では、「40余りの女性 ・市民団体、青少年などが参加して日本政府の公式謝罪と賠償を要求した」とのこと。


!!

管理人のマジで?で御座います。

「コミュティティ内の議論には加わらない」
としている私ですが、19で、コメントを残してしまっていました。
別の慰安婦コミュニティと勘違いして書き込んでしまったようです。

今後同じミスを仕出かさない様、注意致しますm(__)m


日本語訳は後日、ということで勘弁して下さい。
韓国人(現在は日本に帰化)でこういう人は例外といえるでしょうが、決してこの人一人ではないと思います。
------------------------------------------------


呉善花(オ・ソンファ)


「従軍慰安婦」問題とは何かといえば、まず貧困アジアの農村問題であり、戦場という異常空間のなかでの男の性の問題です。これが第一義の問題であるにもかかわらず、そこを論じることなしに、彼女たちを帝国主義的侵略戦争の犠牲者と断じて、彼らの日本軍国主義批判の単なる道具にしてしまいました。[・・・]このやり方は彼らの常套手段で、彼らは常にその道具を探しているのです。

彼らは、自分が貧困アジアの農村の母親だったとしたら、父親だったとしたら、娘だったとしたら、いったいどうしただろうか、どうするだろうかということへの思いをいたすことはありません。また自分が、戦場という殺伐とした異常空間で、いつ死ぬとも知れぬ恐怖を抱えながら日々を送る一人の男だったとしたら、どんな行動に出ただろうかということへも思いをいたそうとはしません。

家族が食べるために娘を売った親たち、また家族を食べさせるためにしかたなく自ら春をひさいだ娘たちは、貧困アジアの農村には古くからたくさんいて、いまなおアジア各地にいることはみなよく知られていることです。少なくとも、こうした状況がなかったら、あれほど大量な「従軍慰安婦集団」などありようもなかったはずです。

そうした貧困アジアの実情を無視して「従軍慰安婦」を単なる軍国主義の犠牲者だとするためには、軍が強制力をもって強引に連行して「従軍慰安婦」にしたというストーリーがどうしても必要となるのです。軍が関与していたかいなかったかという議論は、きわめてばかげています。関与したに決まっているわけです。それは1993年に河野洋平官房長官がいったような意味からではありません。軍が必要とするからあちこちに陰に陽に要請したわけであって、間接的にせよ軍の働きかけがあったことは当然だということです。

[・・・]ようするに無法な暴力的な手段をもって略奪するように連行したのかどうかということだけです。もちろん、いい仕事があるからと誘われていったところ、そこが慰安所だったということはいくらだってあったと思います。そういうことは、慰安婦問題に限らず、いまだってあり得ることです。
軍隊が慰安婦を必要としたのは、単純に兵士たちの性のはけ口がなくては困ることがたくさんあったからです。慰安婦がいなければ占領地の女を強姦しねないのが、戦場の男たちというものです。それは満州に攻め込んだソ連兵しかり、朝鮮戦争時、軍事境界線地域の村落に駐留したアメリカ兵しかり、ベトナムに進出したアメリカ兵や韓国兵しかりであって、きれいごとですむものではありません。

積極的・消極的を問わず、貧困アジアの農村の家では、多くの娘がその身を売るしかない境遇にあったのです。もし本当に元「従軍慰安婦」やその親たちの話が聞けるならば、きっと「娘を売った」「親のために自ら身を売った」と証言する人たちが少なくないはずです。本当の問題はそこにあるのに、つまり歴史的なアジアの為政者たちが農村を常に貧困状態に置き続けてきた伝統と現在にあるのに、そこをいっさい見ようとしないで、その責任をすべて日本軍国主義に転嫁するという「きれいごと主義」に、「従軍慰安婦」問題を追及する活動を展開しているすべての人たちが陥っています。いや、そこに同情を寄せて「性奴隷」などという言葉をもてあそんでいる善意の先進国市民たちも同じことです。
[・・・]私は韓国で生まれて26歳まで韓国で生活していた間、村の女を軍や総督府の官憲が強制的に連行したといった話はいっさい耳にしたことがありません。また私が『生活者の日本統治時代』でインタビューした植民地世代の韓国人の誰一人として、そのような光景を見たことも聞いたこともないといっています。にもかかわらず、最近になってそうした話が出るなんて、まったくおかしなことだというしかありません。日本の左翼活動家が反日民族主義の活動家に入れ知恵して以来、「そういうことがあったらしい」「そういうことがあったに違いない」「そういうことが事実あった」というようにエスカレートしていったことは明らかです。こうして「従軍慰安婦」問題は、女子挺身隊と意図的に混同させられ、大量の女たちが「従軍慰安婦」にさせられた、強制連行でそうさせられた、という物語がつくられ、それがあたかも事実であるかのように韓国国内で信じられるまでになってしまったのです。

韓国には、いまだにガラス張りの部屋のなかから道を行く男たちに声をかける「売春窟」があります。もちろん違法ですが、堂々と営業しています。私が調べた90年前後は、その多くが親に売られたり、離婚して実家に帰れずに身を落としたり、誘拐されたりした女たちでした。いまでもそうした状態がなくなってはいません。ここにも、自らを棚に上げての「きれごと」の他者批判があります。

呉善花(オ・ソンファ) 「反日韓国」に未来はない (2001)


※ 写真は現代の韓国(釜山) 「ガラス張りの部屋のなかから道を行く男たちに声をかける『売春窟』」の様子。
韓国統営市の慰安婦決議。


一. 日本政府は1930年から1945年終戦までに、韓国とアジア太平洋地域の幼い少女や女性を強制で日本軍の性奴隷とした反人権的・反人類的犯罪事実に対し、公式に認め正しい謝罪とともに徹底した真相究明することを促求する。

一. 日本政府は、日本軍「慰安婦」問題に対して、過去を反省しこれから成長していく若い世代に正しい歴史教育をするため、慰安婦の真相を歴史教科書に収録することと、法制定を通じ被害者が受け入れられる法的賠償を行うことを促求する。

一. 日本議会は、日本軍「慰安婦」被害者が一人でも生きているうちに、被害者の人権回復と法的賠償を実現するため、特別法を迅速に制定することを促求する。

一. 韓国政府は、日本軍「慰安婦」被害者の余生は残り少ないという切迫感を深く認識し、日本軍「慰安婦」問題の早急な解決のための請求権協商および法的制度制定、担当機関設置など、対日外交協商に早急に立ち上がることを促求する。 上記のとおり、トンヨン市議会は、トンヨン市民14万人とともに、日本軍「慰安婦」被害者の苦痛を癒し、人権回復のため持続的な努力を傾けることを決議する。

2009.11.30 統営市市議会議員一同


>韓国とアジア太平洋地域の幼い少女や女性を強制で日本軍の性奴隷とした反人権的・反人類的犯罪事実

「慰安所を開設し、運営した主体が軍であった」「募集に関与した事実が問われている」と言っている人々(↓)は、いったいどこの世界の話をしているのだろう?
少なくとも、韓国人はそんなことを問題にしているようには見えないけど?


相変わらずトンチンカンなことを言っている人々↓
http://www.47news.jp/CN/200912/CN2009122001000148.html
大部分の韓国人は、挺身隊といえばすなわち日本軍慰安婦のことだと思っています。日本が朝鮮の純潔な乙女を挺身隊という名で動員し、日本軍の慰安婦としたというのです。 [・・・]中学校・高等学校の歴史教科書にもそう書かれていますので、そのように考えるのも当然でしょう。教科書だけではありません。私が使用している『国語大辞典』(金星出版社)で「挺身隊」という語を引くと、「太平洋戦争当時、日本軍の慰安婦として強制的に従軍した女性たちの隊伍」と出ています。ウェブ上のインターネット百科辞典で「挺身隊」という語を引くと、「植民地の女性たちを強制的に徴用し、日本軍人の性的な欲求を解消するために作られた性的な奴隷集団である従軍慰安婦をさす言葉」と説明されています。そして、その数は無慮 20万にものぼるというのです。この数値は、ある時期までの中学校・高等学校用の歴史教科書にも引用されたことがあります。

大韓民国の歴史 P.121 -P.122


※ 写真は朝鮮人女子挺身隊
大韓民国の歴史 李 榮薫 (著)

http://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A7%E9%9F%93%E6%B0%91%E5%9B%BD%E3%81%AE%E7%89%A9%E8%AA%9E-%E6%9D%8E-%E6%A6%AE%E8%96%AB/dp/4163703101
実際、所謂「食玩」の戦車模型に「挺身隊女性」フィギュアが付属する、
というだけで「性奴隷付属」とか馬鹿な大騒ぎしてたのが韓国人ですからね・・・。

私的にはその機会に「慰安婦」と「挺身隊」は別物なんですよ、と説明してやれば良かったのに、なんかメーカの方が自粛しちゃって、「機会を自分で潰してどーすんの」と思ったものです。
>「慰安婦」と「挺身隊」は別物なんですよ、と説明してやれば良かったのに

李 榮薫教授はそれをやって、韓国で酷い目にあったようですよ。

>戦車模型

これですね。
>李 榮薫教授はそれをやって、韓国で酷い目にあったようですよ。

内側から話しても駄目なんですねぇ、あの国は・・・orz



ナヌムの家を訪ねる個人動画ですが、ナヌム家の内部や、中で働いている外国人ボランティア、ボランティアの解説に耳を傾ける外国人の表情など、公式サイトより色んなことが分かります。

ボランティアの女性を、どこかで見たような気がしたのだが、この人(上写真)かな?
久しぶりに韓国軍の慰安所について韓国の媒体で取り上げられていたので、機械翻訳ですが、転載します。

--------------------------------------------------------

朝鮮戦争60周年をむかえた去る6月25日まで、彼女は誰よりも忙しい毎日を送った。 漢城大学校研究棟805号には放送会社カメラが訪ねてきて戦争と分断を尋ねた。 各種学術行事と原稿依頼が押し寄せた。 理由がある。 朝鮮戦争を専攻した学者は多いがジェンダー視点の平和研究者として金貴玉(キム・キオック)教授は一匹狼的な存在だ。 彼女は朝鮮半島分断歴史で民衆、女性が当てられた歴史的苦痛を集中的に研究し男性中心の既成政治史にバランスを取ってくれた。 その間その実体が全く公開されなかった北朝鮮派遣工作員と民間人拉致に関する歴史的事実を月刊「말」と「민족21」に寄稿して注目をされた。

特にさる2002年、京都で開かれた第5回「東アジア平和と人権国際シンポジウム」で朝鮮戦争当時韓国軍慰安婦が存在したという論文を発表した。これは朝日新聞とオーマイニュースに同時に報道された。朝鮮日報を除いた国内主要日刊紙とニュースでもこの衝撃的な事実を扱った。だが、韓国軍の恥部を触った彼女の論文はまもなく歴史の裏街道で片づけた。 国防部資料室に置かれた韓国軍慰安婦関連資料の閲覧が禁止されたし、マスコミは申し合わせたかのように沈黙した。 大学当局では「気を付けてくれ」という連絡がきた。

公然の秘密になったこの懸案は「特ダネ」を渇望した各放送会社時事プロ担当者には長らく抗えない誘惑だ。 この頃もずっと電話がかかってくる。 「韓国軍慰安婦問題を扱いたい」で。 だが、彼女は断る。 全てが韓国軍慰安婦だったハルモニたちの顔公開を要求するためだ。 扇情的な観点からの横暴から彼女たちを守ること、歴史的真実のために個人の犠牲を求めないのは、知識人として彼女が守ってきた倫理だ。
・・・彼女は1996年から博士論文を書くために越南民(ウォルナムイン)の定着村の江原道(カンウォンド)、束草(ソクチョ)「アバイ村」で居住した。村に部屋を得て半年ほど留まり現地調査を行った。人々の生活の中で歴史をうかがって読んだ。現地の人々に会い、彼らの記憶に内在しているのを探った。 単純に離散家族の問題より、反共主義がどのように暮らすということ中に滞貨されるのかアイデンティティ形成に関心を持った。 そんなある日、束草(ソクチョ)で越南人のキム氏をインタビューしていた時に聞き捨てに出来ない話に接した。

「1950年、国連軍に逮捕されたキム氏は民間人にも関わらず人民軍に分類された。平安北道の小川で巨済島(コジェド)捕虜収容所で移送される時まで米軍部隊を付いて回って食事と洗濯の世話をしたが、この越南民が部隊には慰安対女たちがいたと言う。北の言葉遣いでなかったことは明らかだとし、南の人のようだといった。北側で引っ張って来た女ではないとの話だ。すなわち米軍と韓 国軍が1950年の10月に休戦ラインを突破する時点で、すでに女性たちを引き連れて行ったことが分かる」

以後5年間キム教授はインタビューなどを通じて「直接慰安所を利用したことがある」、「軍隊に拉致されて慰安婦になった」など男女8人の証言を聴取した。最終的に韓国陸軍本部が1956年編纂した公文書 「後方の戦史」に「固定式慰安所-特殊慰安対」と書かれた部分を発見した。この本に記載された「特殊慰安対実(実績チャート)は1952年にソウル、江陵など4つの小隊に編成された慰安対89人が年間20万4560人の兵力を「慰安」したと記録されている。慰安婦1人が一日平均6〜7人の将兵を慰安したのだ。
・・・51年の夏、戦争が小康状態に陥る。 後方の退屈な戦争が続きながら、周期的に前方と後方で交替させられる将兵らに何らかの「上に」が必要だったのだ。 将校たちは、すでに北に行った時点で女性たちを連れてきており、別途の慰労は必要なかった。 前方最前線の家々は将校たちが女と住んでいる家だ。 「性は公平だ」という男性の論理により将兵らにも慰安の機会を与えたのだ。

男性証言者たちに慰安婦たちがどうだったのか尋ねた。 化粧してオシャレした赤線地帯の女でなくやぼったい容貌の15〜16くらい度の幼い女性といった。 もちろん戦争孤児も一部いたかもしれないが、大部分が左翼賦役容疑者だったと推定される。 いわゆるアカ疑惑を受けている状況で武力を持つ軍人たちに対して慰安を断ることは死を意味した。 左翼を口実で簡単に引っ張ってくることができなかったか。 これは本質的羞恥心に触れた処懲罰であり、左翼に対する暴力的報復と見ることができる。”

キム教授は韓国軍慰安婦自らの声を聞けなかった。 慰安婦と推定される何人に会ったが「涙と沈黙」で答えるだけだった。 「墓で持っていく」として、翌日証言を翻することもあった。

ムン・某氏(1936年生まれ)は1951年当時、16才で原産沖合いにある島で女盟会議をした夜、当時の原産沖合いの女道で諜報工作活動をした北朝鮮派遣工作員らに拉致された。その中の一人に強姦された後、強制的に慰安婦生活を強要されて子供二人まで産んだ。彼女を苦労して噂をたよりに捜して訪ねて行ったが、「戦争中、子供を産んで苦労して生きてきたことしかない」と、これ以上話すことはないと口述を拒否した。

1950年当時医科大学生だった女性(73)は拉致または、強要によって慰安婦になるところだった別の女性の事例だ。6・25当時ソウルに残って人民軍に協力したために国軍に逮捕された李さんは、他の女医大生3人と共に引き渡された部隊の将校4人に「配分」された。李さんは、幸い彼女を気の毒に思ったある将校の助けで解放されたが、他の3人はそれ以来、再び見ることはなかった。
・・・2002年韓国軍慰安婦問題が公式提起された時韓半島は沈黙した。 当時女性界、進歩男性知識人、社会学会を問わず大多数が日本極右の悪用を憂慮するだけだった。 キム教授に日本軍慰安婦問題と連結を作らなくユ無言の圧力が加えられた。 朝鮮戦争当時軍隊慰安婦を経験した男性は「韓国軍慰安婦は日本人でなく、韓 国人とそのような物だから、それでも良いではないか」と弁解した。 このように家父長イデオロギー、民族主義イデオロギー、反共イデオロギーが同時に作動して韓 国軍慰安婦の真実を選別した。 キム教授は「韓国軍慰安婦と日本軍慰安婦問題を断絶的に考えてはいけない」という立場だ。(以下略)


http://megalodon.jp/2010-0718-0649-27/suyunomo.net/?p=4603
長いので、途中も省略しました。翻訳の精度は補償の限りではありません。
昨年末、一人の元慰安婦が亡くなりました。チョン・ユンホン(ユノン)という方です。
韓国では各紙が取り上げています。

ところが、韓国の新聞記事からは割愛されている(あくまでネットでざっと見た範囲では見つからなかった)興味深い事実があります。この人の旦那さんの名前です。

韓国挺身隊問題対策協議会の発表によれば、この人の旦那さんの名はニシハラといったそうです。

挺対協ではチョン・ユンホンさんをこのように紹介しています。

------------------------------------------------------
1920年に忠清南道唐津で生まれ

1933年に15歳でニシハラ氏と結婚し二人の子どもをもうけました。

1942年ごろに徴用で連行された夫の死亡通告を受けて出向いたところ

22歳で「慰安婦」として連行され中国で日本軍性奴隷として生きなければなりませんでした。
------------------------------------------------


1933年に結婚していますから、創氏改名令(1939年)の前ですね。その頃から日本名を名乗っていた朝鮮人か、あるいは日本人だったかもしれません。

旦那さんは、チョンさんが20歳の時に徴用(連行)されたといいます。これも時期的に朝鮮人に徴用令が適用される前です。官斡旋にしても時期が早すぎます。やはり旦那さんは日本人だったのかもしれません(日本人には39年から徴用令が有効でした)。

韓国の新聞は「連行」と簡単に言いますが、よく考えてみれば「連行」されたのは日本人も同じなんです。むしろ日本人の方が早い時期から「連行」されていたわけです。

謝罪・賠償と言う前に、こういった事も一度じっくり考えてみる必要があるでしょう。
>韓国の新聞は「連行」と簡単に言いますが、よく考えてみれば「連行」されたのは日本人も同じなんです。むしろ日本人の方が早い時期から「連行」されていたわけです。

翻訳掲示板では「以下に朝鮮半島が優遇されていたか」と言う話で、時々出てくる話題ですね。

EnjoyKoreaの頃は

「捏造ニダ!」

と集団で暴れだす韓国人が見られたものですが、最近の翻訳掲示板の韓国人は理解しているのかどうなのか・・・^^;


そういえば今日の翻訳掲示板は

「韓国の繁華街で『従軍慰安婦は本当は只の売春婦だ!』と100回叫んで、あなたが無事だったならお婆さんも本当の事を話すようになるでしょう」

と言う話がでていて妙に納得しました。

「そう言わないと命が危ない」のが現実の韓国の様です。
不謹慎と言われるかもしれませんが、あえてチベットに例えると、最初漢族だけが兵士として徴用され、マラリアや飢えで大量の戦死者を出します。何年か遅れてチベット族が、戦地へ送られた漢族の穴埋めに炭鉱や工場に動員されます。

戦地へ送られる漢族の若者はチベット族が羨ましかったでしょうが、なぜか50年後チベット族は強制連行の被害者となり、漢族は「加害者」として謝罪と賠償を要求される・・・こんな感じですか?
女性家族部とは、日本でいう所の省庁に当たる行政機関とのことです。官民を上げて、子供たちに慰安婦教育を施しているのがよく分かります。

------------------------


女性家族部(長官ペク・ヒヨン)は韓日強制併合100年、光復(解放)66周年を迎えて、7〜8月間初め・中等学校を対象に「日本軍慰安婦被害者教育週間」を指定して運営する。

(中略)

教育週間(7〜8月)中一線小中等学校では日本軍慰安婦被害者を主題でする創意的体験学習活動を実施することになって、教育科学技術部創意人格教育ネット(www.crezone.net)に登載された教育資料、女性家族部運営日本軍慰安婦被害者サイバーe-歴史観(www.hermuseum.go.kr)学習資料等を通じ慰安婦被害者と会うことができる。

夏休み期間中には、日本軍慰安婦被害者展示館がある忠南(チュンナム)、天安(チョナン)にある「独立記念館」、慰安婦被害者たちの多くが永眠している「国立望郷の丘」、慰安婦ハルモニが集まって住む京畿道広州の「ナヌムの家」等を訪問するなど自律的体験活動を進行する予定であり、体験学習後には読書感想文、絵描く課題遂行等を通して当選した優秀作を各一線教育庁別に褒賞する予定だ。

この自律的体験学習活動により日帝治下日本軍慰安婦被害者の方が体験した苦難ある過去の歴史と私たちの民族の苦難を学校現場で生き生き体験することによって、歴史に対する関心を呼び起こすのに大きい効果を上げると期待される。

女性家族部は今後も年1回以上定期的に一線初・中等生を対象に日本軍慰安婦被害者に対する歴史教育を実施して歴史的真実を正しく知らせる努力に最善を尽くすと明らかにした。

NEWSWiRE 2011.6.29
http://www.newswire.co.kr/newsRead.php?no=554739&lmv=A01
女性家族部と言うと・・・。

この画像で有名な所ですね・・・。

これだけの大自爆をした後でも思考が変わらないあたり、
「分かった上でやってるんだな」と思いますねえ・・・
ええ、彼女たちは完全に分かった上でやってますね。

ログインすると、残り14件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

続・日本軍慰安婦って知ってる? 更新情報

続・日本軍慰安婦って知ってる?のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。