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ミラノ風ドリア(仮)コミュのいその対策

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コメント(15)

インターネット語(ほぼ全略 一部省略)
 
イリノイ州のGuerneeにあるバイキングミドルスクールの英語教師であるジャックリーン・ハーディングさんは9月になり、生徒たちの宿題をチェックしていると多くの書き間違いを見つけました。例えば“you”を“u”と書いたりしていたのです。
 彼女が13歳である生徒に対してこれらの省略をレポートでどの程度の人数が使うか聞いたところ彼女の予想通りほとんどの生徒が使っていました。結局のところ、これらの省略はオンラインにおける彼らの共通語なのです。
 ハーディングさんは最近2年ほどこれらの省略がレポートに蔓延しているのを見てきたので、生徒に対してこう警告しました。「私がもしあなたたちの課題の中にこれら(省略、書き間違い)を見つけたら、減点をします。」と。
「子供たちは違いを知るべきです。」とハーディングさんは言いました。「彼らは正式な文書と口語的な文書の間の線引きを知るべきなのです。」
ティーンエイジャーがオンライン上で社会化すればするほど、ハーディングさんのような教師たちはますますe-メールから学業へと飛び移ってきたインターネット英語の形態を目にすることでしょう。驚くことに、レポートは短縮語や記号(&や@)などで書かれているのだと教師たちは言っています。
ティーンエイジャーの社会生活が近ごろ、話し言葉と同じくらいテキストコミュニケーションに依存しているため、彼らは便利な省略語を無意識のうちに使用すると言っています。
「わたしたちは略語に慣れていて、課題やレポートなどに無意識に使っています」とニュージャージー州の高校生のイブ・ブレッカーさんは言いました。
彼女はかつて試験に省略語を使ってC評価を受けたことがありました。
ペンシルベニア州でリーディングを教えている先生もいくつかの学生の期末レポートに唖然としています。
「彼らはレポートの中で強調しようとすると文章の最後に笑顔の顔文字を置くことがあります。」とその先生は言いました。「また会議に出席していたとして、反論したいときには、彼らはしかめっ面の顔文字を置きます」
17歳以下におけるオンライン人口の60%はインスタントメッセージを使っています。携帯メールに加え、Eメールなども距離の離れた友達とコンタクトをとるのにポピュラーな手段となっています。
「彼らはタイプされたコミュニケーションを中心に置いた社会生活をしています。」と、マサチューセッツ工科大学のメディア研究室で電子コミュニケーションを研究している教授は言いました。「彼らはティーンエイジャーの社会環境の中で培われてきた文体を用いているのです。」
公式な書き言葉におけるテクノロジーの挑戦の一部分として忍び寄る略語を見ている先生もいれば、もっと軽くみなしていて、それは言語の進化の中の一部でしかないと言っている先生もいます。
「彼らにとってそれはそんなに悪くはない」とハーディングさんは言いました。「それは彼らの文化の中にあるものなので受け入れられ得る。彼らに公式な書き言葉のコツを十分に教えることは難しいです。今、私たちはこれ(この教える際の困難)を乗りこえたのです。」
オリンピック招致(とりあえず左半分)

 IOC評価委員委員長は2016年の夏季オリンピックを開催するための東京都の招致活動に最も(すごく)感銘を受けたと言いました。
 ナワル・エム・ムータワケルIOCの4日間の調査の最終日の日曜日に行われた記者会見で、その都市(東京)のヴィジョンやコンセプトそして高い質のプレゼンテーションを褒めました。
 東京は2016年のオリンピック開催をシカゴ、リオデジャネイロ、マドリードと競い合っています。IOCの調査チームはすでにシカゴを訪れていて、10月2日にはコペンハーゲンで開催国を決めるための投票がIOC委員全員によって行われます。
 東京招致[委員会]は全ての会場がメインスタジアムから8?圏内に配置されているという最もコンパクトな大会を提供すると言っています。
 「それはとてもコンパクトな構想だと思いますし、プレゼンテーションにも大変満足しています。」と、1984年のロサンゼルス五輪のハードルで金メダルをとったモロッコ出身のムータワケルさんは言いました。
 IOC調査チームの13人のメンバーは滞在中に提案されている競技場を巡ったり、都市の交通機関やインフラ設備を調査したりしました。
 「私たちは多くの情報を与えられ、その与えられたものにとても満足しています。」とムータワケルさんは言いました。「東京は本当によくやってくれました。4つの都市に選ばれたのも納得です。」
 東京招致委員はこの経済的不況の真っただ中で経済的に安定していることもまた推しています。その都市(東京)の1年間の予算は約660億ドルですでにこの大会のために現金で40億ドルの特別予算を確保しています。
 「全体として、私はこの[IOC調査チームの]訪問に満足していますし、2016年の東京招致に弾みをつけたと思います。」と東京都知事であり東京招致委員会の長である石原慎太郎は言いました。「私たちは難しい質問にも完璧に答えました。彼らは私たちのヴィジョンやコンセプトを理解してくれたでしょう。」
ありがたい!
俺もできたら今日書く!
マイケル

これは、アメリカが単に遠くの異なる大陸としてしか知られていないぐらい多くの多くの辺境の地がある大きな世界なのである。しかしマイケルジャクソンは世界中の国のほとんどと触れ合った。そのミュージックスターの50歳の死の木曜日は世界的な出来事である。そして私たちは、なぜそうなったのかを認めるべきである。
 その奇抜で、そして結局混乱を招くような、行動の全てによって“キングオブポップ”と呼ばれたり、悪いと“キングオブウィアード”と嘲笑されたマイケルは、ロナルド・リーガンやジョージ・ブッシュやビル・クリントンと同じくらいアメリカの顔として、1980年代と1990年代の重要な位置にいた。
 「マイケルは階級や差別、更には人種の壁をも越えて人々をひき連れた。」と、ジョージタウン大学の社会学の教授である、作家でコメンテーターのマイケル・エリック・ダイソンは言った。「彼は、アフリカ-アメリカ文化の天才と強人を世界に投影した。」
 アフリカ-アメリカの子供だったマイケルは、その目覚ましい才覚と勢いで大きな成功を収め、大きな影響を与え、莫大な富を得た。
 人は、マイケルや彼の曲を、天使と悪魔が戦ってきたアメリカの長く複雑な歴史においてある特別なものと認識し、崇拝する必要はなかった。そしてマイケルは、世界に多分化的で寛容なアメリカの価値と希望を投影させた。
 一時は、“OFF THE WALL”や“THRILLER”などのアルバムの爆発的な人気によって、彼は、ポピュラーミュージック界で最も有力な人物ではなかった。彼しかいなかったのである。ソロアーティスト、またジャクソン5のメンバーとしてロックンロールホールオブフェイムに二回もなったマイケルは、13回グラミー賞をとり、ソロパフォーマーとしてのシングル1位を13回とった。また、世界中で、750ミリオン以上のアルバムセールスを達成した。
 キーワードは“世界中”である。
 マイケルの1991年にヒットした“BLACK OR WHITE”が、オーストラリア、オーストリア、ベルギー、キューバ、デンマーク、フィンランド、フランス、イスラエル、イタリア、メキシコ、ニュージーランド、ノルウェー、スペイン、スウェーデン、イギリス、ジンバブエ、もちろんアメリカでも1位にチャートインした。 
 “BLACK OR WHITE”は、“KKK RULES”や“NO MORE WETBACKS”と落書きしてある窓ガラスを割るシーンをデジタル化し、強化された反人種差別主義のメッセージとしての怒りの曲だった。そのユビキタス効果のビデオは、アフリカ人、アメリカ原住民、アジア人、南アジア人、ロシア人と一緒に踊っているマイケルをフィーチャーした。
 マイケルは、特別に政治的なアーティストではなかった。彼は1992年にエボニー誌で、「私は決して政治には介入しない。」と言った。しかし、彼の1980年代と1990年代のすごい知名度のおかげで、エイズの人々を丁重に扱うという彼の決意は、政治的にも分化的にも重要な意義を負っていた。マイケルがHIV/AIDSの調査とケアのより多くの資金を求めるために、公共の場(ビル・クリントンの大統領就任式)を使った時、その約束は、ライアン・ホワイトが死んだ時に最も顕著に表れた。
 マイケルのチャリティーはたくさんあった。難民や虐待被害者のためのプログラム、ウォーチャイルドのような“WE ARE THE WORLD”プロジェクトや、彼自身のHEAL THE WORLD FOUNDATION、また同じようにTHE NELSON MANDELA CHILDREN’S FUND、赤十字、ユネスコ、そして長年のTHE UNITED NEGRO FUNDがある。
 特に近年の彼の奇行は混乱を招き、同時にショッキングだった。それは悲劇と自己破滅の前触れとしての奇行に他ならなかった。その悲劇と苦難はしばらく忘れられることはないだろう。
 しかし、エルビスプレスリーやその他の素晴らしいアーティストたちの命が終わった後、彼らの栄光も色あせたが、それは聖像となるだろう。その影響は、人種、階級、性別、国籍を越えて広がっている。私たちがマイケルの話をするとき、それは最も思い出されるだろう。そしてそれは、結局最も重要なことなのだ。
オリンピック招致(右半分)

東京都知事の石原慎太郎は300万?(2億9600万円)を2016年夏のオリンピック開催のためのIOC調査委員会を接待するのに使用したことを気にはしていません。
 日曜日に、コンパクトでグリーンなオリンピックを掲げる東京の計画についての14日間の調査を13人のIOCのメンバーは終えました。
 石原は10月2日に2016年の開催地を決定する100人のIOCのメンバーの何人かから予想できることを要約して「私は(東京での開催となることを)期待しているけれども、全く(結果は)読めない。」と言いました。
 東京招致委員会を率いる石原は「財力がある国がIOCチームを接待することに成功してきている。」と言いました。
 彼は「オリンピックの開催(の実現)を成功させるのに、はずみがついた。」と言いました。
 すでにシカゴを訪れている委員はすぐにリオデジャネイロとマドリードを訪れ、IOCメンバーへのレポートを作成します。
 東京では、彼らは17テーマにおよび細かい議論を行いました。その中には、移動手段、宿泊施設、科学技術、環境、財政、安全性、会場などを含みます。
 彼らはオリンピックの会場も回りました。会場の95%は半径8km以内に収まっています。そして、彼らは招致活動に反対している市民とも会いました。
 日曜日のメディアへの会見で調査委員会委員長のナワル・エル・ムータワケルは「人々の生活の中に、このようなスポーツを行える大きな場所を持った東京というダイナミックな都市にいることを私たちは非常に喜ばしく思います。」と言いました。「私たちは東京がオリンピックで提供できるものを見て感心しました。」
 しかしIOC委員は過去にもシカゴの招致活動をほめる際に同じ言葉を使っています。
 彼女は方針としてシカゴと東京を比較することを拒否し、そして中立的な発言をしたのです。
 彼女は東京の開催地の建造費用として30億ドル貯えているという財政面の強さや、インフラ設備、そして、いかなる財源不足にも対応できる財政面の保証の確保をしているということの利点を認めています。
 「私たちは金融状況を考慮することについての権限を与えられています。ですので、慎重に勉強(調査)していきたいと思います。」と彼女は言いました。「東京の成功を祈ります。」
 2016年のために、東京は海岸沿いの埋め立て地に10万人収容のメインスタジアムを建てようと計画しています。また、会場の70%程度が選手村から車で10分ほどの距離にできる予定です。
環境保護というテーマのもと、そのスタジアムは部分的に太陽光発電を備えた天蓋に覆われる予定です。一方で、馬術やボート、自転車などの会場はごみの堆積物の上に建てられた樹木に覆われた小島のようなところに設置される予定です。
 4都市は6月中旬の執行委員会で、それぞれの計画をプレゼンします。
 日本の総理大臣の麻生太郎は、(彼自身クレー射撃のオリンピック選手でありましたが、)その訪問中に2度委員会を接待しました。しかし彼は9月に開かれる総選挙に面している状態にあります。
 「私たちは日本オリンピック委員会のメンバーによる個人的な接触、そして人間関係の構築にベストを尽くすしかない。」と石原は言いました。
なぜ日本人は英語でコミュニケーションをとるべきなのか
 私が1980年に初めて日本に来た時、私はテレビで尤もらしい日本語訳で吹き替えされているハリウッド映画を見ました。1990年に私が日本へ再び来た時には、手のひらサイズの翻訳機が非常に流行っていました。
 その装置に打ち込まれた日本の単語や熟語は5カ国語の同じような言葉や熟語に変換されます。私は外国人観光客とコミュニケーションをとるためにそれらの装置を使っている日本の生徒達を見たことがあります。
 ハイテクな日本はいつか日本人がどんな外国語も話せるように唇につけるための(?)コンピュータチップを発明するかもしれない。けれども、機械による代用品が本当に人間の感情を伝えられるのかは疑わしい。
 東南アジアから来た時、私は日本の英語でのコミュニケーション能力の欠如に戸惑った。
 世界中のほかの国々よりも日本で発行されている教科書の方がより多くの英語が話されている。確かに、これらの魅力的な教科書は世界でもっとも創造的である。一体、地球上のどこにビデオ、テープ、ゲーム、あるいはカサブランカから直接手に入れられるオーディオクリップ、あるいは世界の指導者の演説など、それらから英語を学べる国があるだろうか。
 これらのサービスは日本でのみ利用できるものだと私は思う。
 人びとは以前のアメリカ大統領であるロナルド・レーガンの演説からより良い英語を学ぶことは出来るだろうか。日本の学生は「出来る」と思うだろう。
 加えて、彼ら(日本人)は他国よりもネイティブスピーカーから英語を学ぶ機会に恵まれている。
 アメリカ式のアクセントはアメリカ人の先生から学べるし、オックスブリッジアクセントはイギリスの先生から学ぶことができる。
 金髪の先生から英語を学ぶことはファッショナブル(流行?)でもある。たとえ、その教える能力が疑わしいものであっても。
 日本でどのくらいの数のネイティブスピーカーが英語を教えているか統計を取ったことはありますか。少なくとも1万人以上が教えています。しかし、彼らは日本人が英語でコミュニケーションすることの助けにはなっていません。
 他の国々ではそのようなぜいたくはしないし、ネイティブスピーカーを雇う余裕もありません。彼らが頼りにしているのは英語を知っていて、その言語に関わる細やかな問題について理解している(同じ国の)人です。そして、彼らの生徒たちはより上手く英語を話せるようになります。彼らは日本において重視される語形や文体ではなく、内容(実質)に焦点を当てます。
 途上国のために英語を公用語とする国は援助プログラムの一部として英語の先生を送っています。
 ASEANで、話される共通語は英語です。翻訳の必要はないのです。
 インドネシア語は世界で4番目に使われている語ですが、インドネシアの議員はみんな英語を話します。
 日本の外務大臣はASEAN諸国の相手と会う時に通訳を使います。日本の外務大臣は未だにASEANのリーダーとコミュニケーションをとる時に英語を使いません。
 以前のベトナムの外務大臣であったグエン・マイン・カムは1994年のバンコクで開かれたASEAN会議でベトナムの初のスピーチをする際に英語を使いました。
 日本はウォークマンなど世界で最も人気のある電気製品を生産していますが、日本人はまだ、それらを他国語を用いて表現したいという衝動は感じていません。
 人は翻訳されているものであれば、外国で出版されたものは文字通り読むことができます。なので、コミュニケーションのために、真剣に英語やその他の言語を勉強しようという動機を持ちません。日本語を知るということは素晴らしいことであると考える人もいます。それが「日の出づる国」の外では話されていないにもかかわらず。
 学問や産業の世界の中で機能的かつ明確な使用法を持っている外国語を、専門としている日本人の学者はたくさんいます。
 途上国では英語を学ぶということはまったく別の過程で、重大な仕事とみなされています。中国の揚子江からネパールのヒマラヤの高い山々まで、先生と一緒についていくような若い生徒たちは、概してみんな短波のラジオの前に集まり、外国のラジオの放送を注意深く聞いているように見えます。
 いくつかの放送は、あとでグラマーやライティングの勉強ができるように、逐語的に翻訳されます。これが、彼らの英語学習法なのです。
 途上国では英語は違った役割を担っています。つまり、それは英語を話せる人に権限を与えるということです。英語能力は人びとにより良い仕事に就ける機会を与える。途上国は経済的に強くはないので、その国民は競争力を上げるために英語を学ばなければならない。
 国境がなき世界とグローバル化で、日本は厳しく新しい現実と直面しています。つまり、それは英語を通じたコミュニケーションを広げなければならないということです。さらに、日本人は世界の人々から近付かれる立場にあるので、日本の視線が英語のほうを向くということは、大変重要であります。
 日本では、英語を第二の公用語とするべきかどうかという議論が進行中です。
 日本の国際的な印象を向上させるために日本人は英語に堪能にならなければならない。結局のところ英語は日本国やその国民、文化を豊かにするのです。
 より多くの日本人が英語を話せるようになり、より多くの日本のものが英語で書かれるようになるので、言語の訓練をする必要のない国として日本が認識されていくことでしょう。これはみなさんにとって良いニュースです。

俺の担当がなさそうだったので出るのほぼ確実なやつやってみた↑
あ、新年のやつもやっちゃっていいかな?
        クリームを落としたり、叫んだり(みたいな題名)
 
 新年の始まりは5千年以上もの間、ある礼儀を持って祝われる。けれども、伝統は文化によって異なり、多くの宗教的なの行事は進化してきた。ほとんどの儀式は(休みを伴うのだが)象徴的に古い年をきれいにし、新しい年の中に良い時間を確保するということを意図している。
 新しい服(特に赤色や黄色の服)を買って着ることは、共通の儀式である。ベネズエラでは人びとは幸運を祈り新年に向けて着るための黄色の下着をお互いに贈ります。
 イギリスとアイルランドでは新年になって初めて玄関に入ってくる人が、その家の一年間の運の前兆を告げる人みなされています。伝統的に最初に来る人は背が高く、健康的で、大柄で、暗い髪の色をしているのが望ましいとされる。その人は家に豊かさの象徴を持ってきてくれる。炎には石炭を、テーブルにはパンを、家の主人にはウイスキーをそれぞれ持ってくる。
 多くの文化で花火は新年の明るさの象徴です。
 アイスランドでは、一年間のほかの期間制限されている、爆薬(花火)に火を灯すことが新年の前日のみ全ての人々に許可されます。
 コロンビア人と他の南アメリカの人々は、来る12カ月(新年)に旅行するのが好きなのだが、スーツケースを持って家を歩き回る。
 スペインで始まったある伝統は多くのスペイン語圏の国々で行われている。深夜、時計が一つ動くたび(1時間ごと?)にブドウを一つ食べるというものである。これは、一年のそれぞれの月の幸運を(祈るということを)象徴している。
 新年の日、スイスの一部では人びとはクリームを床に落とすということが許されうる。これには来る一年においてあふれんばかりの豊かさを保証するという意味合いがあります。
 深夜、デンマーク人は椅子から飛び降りながら祈ります。文字通り新年に向かって飛んで行くのです。
 多くのフィリピン人はポケットの深い服を着ます。彼らは新年の前日そのポケットをコインや新札でいっぱいにします。そして、深夜彼らはそれらを騒がしいほど振り鳴らし、来る年の繁栄を引き付けるのです。
 日本の足利では、人びとは「あくたら祭り」言い換えれば「きたない言葉の祭り」に参加します。彼らは1200年前に建てられた最勝寺まで小山をのぼり、呪いの言葉(?)を叫び、雇用者、先生、政治家についてののしる。このカタルシス(感情の浄化)の後、彼らはこれから来る月々に幸せが巡っていくように寺で儀式をしながら新年を迎える。
めっちゃやったね!ありがたい(泣)
新年のほう、他の2人にも送ったほうがいいかな?

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