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グアムの沈船 東海丸コミュのあの二重丸で記入されたものは?

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アッパーデッキ前方、一階上のブリッジデッキの配膳室に通じる階段室の隣の部屋。
ここには二重丸で記入された何かの設備があるのです。

廊下に面したこの小さい部屋の扉を開けると、こんな風に丸い筒状のものが目に入るのです。
よく見ると、丸い筒状の物体の右側にある壁には上下に四角い穴が開いており、たぶん航海中には、この四角い穴には網のようなものが張られていたと思われ、つまりこの部屋には換気が必要だということなのだと思うのです。

換気が必要ということは、その部屋にいる人間の安全を図ったものか、または熱や湿気が籠ることを防いでいるのかということだと思うのですが、そんなことが必要な部屋は何?
これだけのスペースしかありませんので、長い時間人がそこに滞在することは考えられません。ということは、熱か湿気を逃がす換気孔が必要な部屋ということです。

丸い筒状のものには、横に四角い穴があいていますから、ここに水を入れて洗濯はできないでしょうから以前想像した洗濯機ではないようです。
二重丸のマークといい、写真を見ても、丸い筒状のものが二重になっているようです。
内側と外側の筒状のものが回るのか、それとも内側の筒を持ち上げてはずして何かするのか・・・?

船の設備に二重丸で記入するものとは何なのでしょう?

コメント(12)

この時代の船旅で旅客が自分で洗濯をするとは考えられません。
余談ですが、船箪笥も販売しているルイヴィトンでも船旅中に洗濯物を出す専用の袋を販売していたと記憶しております。
ですから、この階に洗濯部屋は不自然でしょう。
きっと、ランドリールームはエンジンルームの近くが妥当でしょう。

さて、するとこれは何?
今までの私達の検証からすると
現存する氷川丸では、ほとんど類似の器具、部屋等が確認されております。
このような装置、またそれを備えた部屋もまた氷川丸にもあるのではないでしょうか?
現在、公開されていない部分で見落としているのかも知れません。
氷川丸のGAも入手出来れば良いのですが・・・
b_777rainbow さん、氷川丸のGA、1960年のものですが手に入れてあるんですよ。
ただ、そこには横から見た図とサードデッキ、ホールドしか記入されてないので、エンジンやワークショップなどのメカニカルな部分はわかりますが、客室など艦橋部分についてはわからないのです。

きっと専門の方に聞けば、二重丸の表示は一発回答だと思いますが、もう少し悩んでみましょうか。
たぶん内側の筒と外側の筒が別々に回転するものだと思いますが、どうでしょう?
例えば船長室の奥にある部屋ならばチャートルーム、
エンジンルームの奥ならば工作室等、だいたいの予想が付きます。
この部屋は廊下に面してドアの開閉があるので
或る特定の人々が使う道具ではなく、極一般的に全員が使ったものなのではないでしょうか?
窓の無い内側の部屋ですし、工作機械のようなものではないかとも思われますが、ならばもう二階層下辺りにあっても良いはずですし。
もう暫く、あーだこーだ言って楽しんでみませんか?
以前、日本郵船の野崎船長がおっしゃっていたことが最近気になります。
「船の等級に何故三等がないのか?」
一般的には一等・二等・三等と3段階くらいに分かれるはずなのに、我々は一等と二等客室と思っています。それはアッパーデッキとブリッジデッキの2フロアしか乗客用のスペースがないからそう思い込んでいるだけなのです。

船の定員が68名であるということも、同型の姉妹船の情報からそう思っているだけです。
例えば、氷川丸は296名の乗客に127名の乗組員が乗り込んでいたそうで、東海丸の68名には乗組員が含まれた数であるのか、または乗客だけで68名乗せたのか確認したわけではありません。

氷川丸ほどに東海丸が乗客のサービスのために乗組員を用意したとは思いませんが、氷川丸の数字を参考にすると、もし乗客68名なら少なくとも20名の乗組員がいたと思います。

何が言いたいんだよと言うと、アッパーデッキのスペースには乗客が乗らなかったのではないかと思うのです。
ギャレー、食糧庫、下のデッキの食糧庫に行くための階段、消火設備のための二酸化炭素のボンべの部屋などの配置を考えると、どの部屋も乗客用の部屋にはふさわしくないように思います。
アッパーデッキは乗組員用スペース。上のブリッジデッキが乗客用として使われていたので、宿泊するための部屋は2フロアにしかなく、その区別は一等と二等ではなくて、客と乗組員ではなかったか。そう思うようになってきたのです。

ブリッジデッキの部屋を見ると、小部屋が11室、大きめの部屋が5室、ラウンジが1室、それに12名が席につけるダイニングルームが1つです。
この小部屋に2名、大きめの部屋に4名が入ったとすれば、42名の乗客を乗せることができます。
もし定員68名が本当なら、26名が乗組員ということで、あり得る割合になってくるのです。

ギャレーから料理をどうやって配膳室に上げたのか?
乗客がいないフロアであれば、どの通路を通っても問題なく、配膳室脇の階段から上げたのです。
下のデッキにある他の食糧庫へ下りるための階段は廊下からむき出しで、扉で仕切られていませんが、乗客が通らない前提なら問題ないのです。
だいたい、船長などの操船に関わる乗組員は一番上のデッキに部屋はあるでしょうが、メンテナンスや料理に携わる乗組員はどうやって旅していたのかということになりますから、彼らの部屋も必ずあったはずです。

あの二重丸表示のものは、乗客には関係ないですが、乗組員には必要な設備だったのだと思います。
GAから部屋の様子みますと、寝室だけのような現在のホテルのスタンダードルームに近い部屋とベッドの他にテーブル、イスの応接セットのような物が設えている部屋が判ります。
これをクラス別けで扱っていたのかどうかは不明ですが
部屋のランク(居住人員の差だけではなく)は最低でも二通りはあったのではないでしょうか?

また、後部のDockingDeckにも甲板員ならば居住可能なのではないでしょうか?
果たして、東海丸のサイズの船を運航するために何人の乗組員が必要かは全くわかりませんが、操縦室に3名、厨房に3名、メンテナンスに5名、客室サービスに3名ほどの人数は確実に必要だと思います。
さらに貨物部分にも人手が必要ですが、それは見当もつきません。

船長室があったボートデッキにはスペース的には10名は居住できると思います。
ドッキングドックに4名が入ったとして、やはりこれだけでは不十分なスペースと思うのです。

アッパーデッキ全ての部屋が乗組員用ではなく、一部乗客用としても使っていたとも考えられますが、それには何かしらの仕切りがあるべきだと思います。しかし、その仕切りの役割になるような境目は見当たらないのです。
b_777rainbow がおっしゃるように部屋の等級別は存在したかもしれませんが、やはり乗客は乗客で一つのデッキにまとまってもらっていた方が仕事がしやすそうだなあと思うわけです。

あの二重丸の少し引いた写真を載せます。
アッパーデッキは乗組員のスペースであるという証拠を見つけた!
・・・と思ったのですが、ブリッジデッキのドアでした。

配膳室のすぐ後ろにあるエンジンオープニングへの入口。
右舷側の扉は残っていませんが、左舷側にはこんな風に低い扉が閉じられて残っています。
ちょっと斜め方向からも写してみましたが、この扉だけしか付いてなかったのでしょうか?
この扉の外は一般客が往来していたはずなのですが、どう見ても、この扉の外側にもう一つの扉があったようには見えませんねえ・・・。
エンジンオープニングはかなり大きな空間ですから
火災時、浸水時を考えて、例えそれが乗組員だから往来する区域だったとしても
しっかりした扉が設置されていたことでしょう。
通常、ギャレーからの配膳の為に上の階との往来を簡単にする為の
簡易の柵のようなものを併用していたと考えるは無理は無いと思います。

師範とBrian氏と三人で潜ったときに、この部屋を見た後で
「ランドリールームではないだろうか?」と話したことを記憶しております。
しかし、こうして詳しく画像を確認してみると洗濯機には見えないですよね。

先日、パンパニート見学時に撮影した搭載の洗濯機の画像を貼ってみます。
45年当時、こんな縦型の洗濯機が既にあったことに驚くと共に
65年経過しても、未だにそのまま進化していない北米の家電産業の姿勢にも驚かされます。
確かに洗濯機とは思えなくなっています。
二重丸の記号通りに、この丸い金属のものは二重に作られています。
たぶん、それは内側と外側が別々に回るのではないかと想像しますが、
あれだけ四角い穴が大きく開いていれば、液体は入らないですね。

部屋には上下に換気孔まで備えているので、何か熱を発することが
行われていたと思います。

図面などに記入する記号集のようなもので調べるとわかるかもしれま
せん。
船の科学館の学芸員の方がこの写真だけ見たとき、上の階が配膳室で隣にその配膳室に上がる階段があることは説明済みであったのですが、この上に大きな鍋があったのがどこかに転げ落ちてませんか?とおっしゃいました。
いえその鍋なら今も厨房に残っていますとお答えしたのですが・・・。

この二重の筒状のものの上に蓋はあったのか?
蓋はなく、そこに何かを置いたのか?
それとも蓋はいらないものなのか?
ずーっとこの二つの筒状のものが回ることに頭が行っていて、上が開いているいることに疑問を持ちませんでしたが、ここに鍋のようなものが乗る。
そして二つの筒状のものは洗濯機のように高速で回るのではなく、手で必要な時に回す。たとえば、火力を上げるとき空気を送るために、外側と内側の四角い穴を合わせる。火力を落とすなら穴を閉じるために回す。

厨房で調理しきれないものをこの部屋で調理して、隣の階段から上の配膳室に送る。移動経路は完璧に納得できるのです。
当然熱は出るから換気は必要ですし、後ろの小さいCO2ボンベが6本ずつ2セットあるのは、1セットは厨房。もう1セットはこの部屋用なのかもしれません。
空母Midwayにもランドリールームがありました。
退役して間もない船でしから、展示されているランドリー器具は現在どこのコインランドリーでも目にするようなもの。
しかし、その入り口に大変興味深い写真を発見。
恐らく就役当時1945年頃のものと推定されます。

以前、私が潜水艦パンパニート内で撮影したようなものではなく(9の書き込みの画像)正に東海丸に現存するようなものです。
このランドリールームは食堂やギャレー、乗組員の居住区と同じフロアーにあります。
やはり東海丸の二重丸で記載された謎の物体は洗濯機を考えるのが妥当なのではないでしょうか?

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