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グアムの沈船 東海丸コミュのマリアナ沖海戦に参加したバルボンバー

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「上空を旋回していたときに米軍の高射砲に被弾してこの方面を低空で飛行し、やがてゆったりとした円を描きながらジャングルに墜落した。」という目撃証言があり、これが1944年6月19日にタロフォフォに落ちた零戦という所以になっております。
太平洋戦争博物館に展示してある飛行機の後部はそこから持ち帰ったものであると言われているのです。

その尾翼には332という数字が読め、この機番号から発見者たちはハワイ戦争の零戦と推測されていることを伝え聞き、異議あり。あれはその形状からして確実に九九式艦上爆撃機の後部であるということから議論が巻き起こっておりますので、ここに現状推測される真実に近いと思われることを記したいと思います。
それには30年ほど前既にジャングルにあったこの飛行機の残骸を見に行き、それについて報告されている方々の意見も相当に参考にさせていただいております。

真珠湾攻撃から始まった太平洋戦争は当初、ミクロネシアよりもずーっと南方で戦闘が繰り広げられていたものが1944年に入りトラックやパラオといった南洋の主要な基地が壊滅状態になりました。
これ以上の北上をさせてはいけないと思った日本はマリアナ沖海戦で起死回生を狙ったはずですが、惨敗します。
つまりグアム上空で激しい戦闘が行われたのはこのマリアナ沖海戦しかないだろうと思うのです。

マリアナ沖海戦に参加した日本の飛行機は大量ですが、九九式艦上爆撃機が出撃したのは第652海軍航空隊第2次攻撃隊。
午前10時15分に空母「隼鷹」と「飛鷹」から発進、目的地付近に到着した九九式艦上爆撃機は午後1時すぎに敵艦隊を捜索し始めますが見つけることができませんでした。
あまりにも発進した空母に帰還できずに自爆してしまう飛行機の多さに、九九式艦上爆撃機たちは作戦後空母に帰らずグアムに着陸しろという指令を受けていたので午後2時前グアムに向かいます。
そしてグアム上空に差し掛かった午後3時、九九式艦上爆撃機をアメリカの戦闘機グラマン約30機が襲います。
空母を発進した九九式艦上爆撃機は27機、しかしこの戦闘で9機が撃墜され11機が不時着しました。

不時着と撃墜の差はどこにあるのでしょう。
誰かが報告しないとわからないわけで、戦闘後無線連絡もなく不明になったものは撃墜。「やられた。」という連絡を入れた後帰還しなかったものを不時着と想像しているのですが、タロフォフォで目撃した証言者によれば「パイロットはまだ生きていたが殴り殺された。」と言いますから、この飛行機は不時着した11機の内の1機であると思います。

幸い現物が残されているグアムに住んでおりますので、もう一度太平洋博物館に行ってみました。
写真を撮ってあるのでだいたいのことは写真から判断できるのですが、尾翼に書かれた機番号「332」という話。
今回も日本の観光客にしゃべりまくって解説している女性が来ましたので、この飛行機後部についてその方の解説を聞いてみました。
彼女曰く「第33部隊の飛行機で2人乗りであるから332と番号が書かれている。」、以前は零戦と言っていたと思うのですが零戦とは言ってませんがやはり「作ったのは三菱コーポレーション。」と言っておりました。
この博物館を作った方の息子さんが迎えてくれましたが、彼はこれを零戦と説明しました。

赤く塗られている日ノ丸と、この尾翼に書かれた「332」は同じ時に同じペイントで書かれていると思いますが、色々な九九式艦上爆撃機と比べると、この日ノ丸だけが日ノ丸半個分ちょっと後ろ過ぎますから、これはオリジナルではないと思います。ということは「332」もオリジナルではないと言え、当時の九九式艦上爆撃機が見られないかと探すと、すごいもん見つけました。
YouTubeにほんの数秒ですが、マリアナ沖海戦で空母から発進する九九式艦上爆撃機の映像があったのです。

それによると機体は濃い緑色。よくプラモデルであった零戦と同じ色に見えます。
プロペラも翼が回転するのは見えますが、その先っぽがどうなっているかは確認できませんでした。
日ノ丸の位置もやはり違ってますし、機番号の部分も見ることができます。番号が書かれてそうな位置は正しいですが、その番号の下に2本ラインが入り、日ノ丸の後ろにも1本恐らく白い縦線が入っているのが確認できます。

マリアナ沖海戦に参加し、1944年6月19日に不時着した九九式艦上爆撃機だとすると、機番号は例えば321−221のようになるようです。
第3艦隊第2航空隊・空母「隼鷹」であれば「321−○○○」、空母「飛鷹」であれば「322−○○○」
という機番号になり、後から書かれたにしても「332」は元の数字の一部が発見当時は見えたのだと思います。二桁目の数字がかなり消えかかっていたのではないでしょうか。

そういう観点からもう一度見てきたのですが、例えば元々は濃い緑色していたはずという痕跡は見つけられませんでしたし、赤く書かれている「332」と日ノ丸以外に何も文字らしいものや、その痕跡はありませんでした。
確実にわかったことは、このままではあと数年で朽ち果てるだろうということ。


コメント(6)

グアムのオロテ基地で爆撃されたバルボンバーの写真を見せていただきました。
22型で相当壊れていますが、日の丸がうっすら確認できますし、機番号322ははっきりと見えます。
オロテ基地と言われると第652海軍航空隊第2次攻撃隊所属ではなく、オロテに配備されていた322航空隊と思われ、その写真の解説にもそう書いてあります。
しかし、陸上に配備されたものは11型という説も聞き、また321航空隊にしろ、322航空隊もグアムに行ったバルボンバーはいないという意見も聞き、なぜ素直に652航空隊の飛鷹から飛び立ったバルボンバーという説にならないのだろう。

ただ同じ652航空隊の隼鷹に配備されていたバルボンバーの機番号は黄色で描かれていたという話があります。
見ようによってはオロテが発見されたバルボンバーの日の丸と機番号は違う色のようにも見えますが、写真がモノクロなので判別が難しいです。

そしてYouTubeのバルボンバーの機番号の下には2本線が入っていますが、ということは分隊長が機乗していたらしく、隼鷹の分隊長には猪狩進大尉、荒川中尉。飛鷹の分隊長には川口富司中尉というお名前が見つかります。
しかしこのマリアナ沖海戦を最後にバルボンバーはほとんど前線に出なくなるという最後の時期にまだ11型が分隊長機なのでしょうか。
プロペラにスピンナーが付いているかどうかは見えませんが、キャノピー後部の形は22型には見えません。
あの映像はマリアナ沖海戦のより古い映像なのかもしれません。
YouTubeの映像はやはりマリアナ沖海戦のものではありませんでした。
昭和18年夏ごろに撮影された記録映画の一部だということなので、11型としてもおかしくないのかもしれません。
元々マリアナ沖海戦には九九艦爆は出撃する予定はなく、新型爆撃機の彗星が間に合わなかった穴埋めのために補充されたもの。やはり旧型感は否めないのかもしれません。
しかし垂直尾翼の2本線は分隊長機らしく、記録映画撮影当時のどなたか分隊長機なのでしょう。

オロテ基地で爆撃された九九艦爆について零戦隊の方の記録からわかったことがあります。
敵を発見できずにグアムに着陸しようとした九九艦爆隊は、もう着陸態勢に入っていた。そこにグラマンが攻撃をしかけたのでひとたまりもなかった。それを何とか救出しようと向かったのは零戦隊。
自分たちの身を呈してまでも九九艦爆隊を助けようとし、結局零戦隊も相当数が撃墜されてしまった。

オロテ基地にあった九九艦爆が爆撃されたという可能性よりも、着陸しようとしていたところを撃墜されたと考える方が、残されていた「322」という機番号と写真の九九艦爆が22型であるということから自然だと思えます。

グアムに残置された九九艦爆で機番号が321-226のものがあるという話を聞きつけて探してみたのですが、壁にぶつかっております。
これは写真ではなくイラストですので、このことを言っているのではないと思うのですが、これがマリアナ沖海戦に参戦した九九艦爆のデザインかもしれませんするとこの博物館に置いてある九九艦爆もこういうデザインだった27機の内の1機のはずなのです。
まだ水中に沈んでいる九九艦爆の機体後部であるという可能性も残ってはおりますが、タロフォフォで発見したとき見に行った人がいて、その人の証言によれば1944年6月19日に撃墜された1機だということですのでこんな色をしていたことは間違いないのでしょう。
すっかり太陽と雨で朽ち果てかけています。

しかし一点、ものすごい資料を見せていただくことができました。
その資料にはマリアナ沖海戦に参戦した九九艦爆27機全ての乗組員がわかります。
たとえば、上記のイラストの九九艦爆に搭乗していたのは操縦員・安藤勝二飛曹と偵察員・長谷圀雄上飛曹となります。
その他、操縦員や偵察員が戦死や重傷を負ったなどの記録がはっきり残っているものもあり、それらは撃墜などではなく、着陸したか不時着かは別にして帰ってきているわけですから、少なくとも水中にあるものではないことが証明されます。
博物館のは微妙であり、目撃者の話ではタロフォフォに不時着した九九艦爆の乗組員(一人)はまだ生きていて島民たちに殴り殺されたとなっていますから、日本海軍側でこれをどう記録したかでわかりません。
もしどちらかが生きていたと記録していれば、そういう記録は6機だけになるのです。
322-213
321-224
321-228
322-235
322-237
322-238

また322-239は確実にタロフォフォのものではありません。
何故なら6月20日の作戦にも参戦していて、偵察員が機上で戦死されている記録が残っているからです。

九九艦爆隊の中隊長であった宮内大尉が作戦後に報告しているという話が複数ありますので、上記の名簿上は宮内大尉の322-211機は未帰還なのかどうか不明でしたが無事帰還しているものと思われます。

ちなみに宮内大尉の報告と言うのは感動的なものであり、戦争というまともな精神状態ではなかったはずなのですがすごいです。
「敵を見つけることができずにグアムに着陸しようとしたところ、アメリカ軍のグラマンが襲いかかってきた。そこを自らの危険を顧みず援護してくれたのは小林大尉率いる零戦隊。小林大尉が護衛してくれるならどんな困難な作戦であっても飛びます。」
小林大尉は宮内大尉の一期下の海兵隊67期。
小林大尉とともに零戦隊中隊長を務めた吉村大尉は海兵隊66期でありますが、二人は経験豊富な中隊長であり、周りからの信頼度が抜群であったということですから、こんなことは当たり前でありますと言うことでしょう。
宮内大尉率いる九九艦爆隊を最後まで守るべく奮闘しましたが海に落ちてしまったということです。
吉村大尉の零戦は6月20日にグアムで自爆したという記録が残っているのです。
九九艦爆を守るべく、小林大尉率いる零戦隊20機の内13機が未帰還とはっきり記録に残されているのです。
残る7機の中でも吉村大尉は翌日自爆、もう1機はグアム残留戦死。
さらに残る5機の中に小林大尉はいるのですが・・・。

つまり宮内大尉の322-211機はタロフォフォにも落ちていないし、水中に残る九九艦爆でもないということになります。
http://www.youtube.com/watch?v=4OWxoMZHErM

映画ではありますが、九九艦爆が激しく飛び回っています。

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