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トヨタの足元コミュの裸のつき合い あるか カローラの魂<4>

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裸のつき合い。トヨタには文字通り、それがあった。

 「1時間ぐらいは平気で入ってたなぁ」。トヨタOBで、技能者養成所9期生の小田桐勝巳(69)が懐かしむ。

 1954(昭和29)年の入所。3年間の養成期間を終え、配属されたのは鉄を熱して加工する本社工場の鍛造部門だった。

 真夏なら炉の前は軽く40度を超える。「(ススで)体が真っ黒になるし、全身から汗っていうか、塩がふき出るんですよ」

 きつい、きたない、きけん−。社内で名高い3K職場で、最高の楽しみが、工場内の風呂だった。

 掃除も、沸かすのも新人の役目。仕事の後、先輩らがつかり「ふうっ」と、ひと息ついた後で入る。浴槽から出たら、背流し。気の荒い先輩たちもこの時は上機嫌で口が回る。

 「とにかくいろんなことをしゃべった。盛り上がって、そのまま飲みに出掛けることも多かったねぇ」

 そんな中に「おやじ」もいた。やはり養成所の出身で、年は10歳ほどしか違わないのだが、そう呼んだ。

 仕事でミスをすると、どやされるが、休みの前には自宅へ招かれ、日が昇るまで酒を酌み交わした。

 小田桐は3歳のときに父を亡くした。背中に桶(おけ)の湯をかけながら、思ったものだ。「おやじがいたら、こういう人だったろうなぁ」

 あるとき、右手の親指と人差し指をプレス機にはさんだ。今でも満足には動かせない大けが。母は「職場を変えてもらったら」と心配し、おやじも「俺が異動を掛け合ってやる」と言ってくれた。

 だが、“家族”のいる職場を離れがたかった。

 戦後、労使が争い、車をつくるどころじゃなかった歴史。「二度とあんなことは繰り返しちゃいかん」。語り伝える先輩の真顔にドキリとした。

 「あのころは次代に伝えようという気持ちと伝える場所があった」

 小田桐は86年から8年間、労組の執行委員長を務めた。最近でも労使それぞれに顔が利くが、ふと「大丈夫かな」と感じるときがある。

 「どん底の時代を知らない人が増えてるんです」

 2005年の総選挙で、経営側が初めて“一線”を越え、あからさまな与党支援で労使間にしこりを残したのも、「協調」の歴史が風化した果てのことではなかったか。

 今年1月、トヨタは社員のコミュニケーションを深めようと福利厚生施設を改装した。フィットネスルーム、サウナ付き大浴場…。器は立派になった。

 ただ「今も裸のつき合いは続いてるんだろうか」。原点の継承を思うとき、小田桐にはそれが気にかかる。

  =文中敬称略

 【トヨタ労組】 組合員数約6万人。労使協調路線を掲げ、トヨタが経常利益1兆円以上の02年の賃上げ交渉から4年連続でベースアップゼロで妥結。デフレ不況下の産業界にベアゼロを定着させるきっかけとなった。「労働者の立場に立っていない」として06年、正社員6人の第2組合ができた。

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