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佐竹氏(清和源氏義光流)コミュの佐竹氏の人気向上運動!(なぜ佐竹氏はかようにも評価が低いのか!)

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清和源氏の嫡流は前九年・後三年の合戦を戦った八幡太郎義家以後、一度没落を余儀なく

されました。その後、平治の乱の敗北により清和源氏は完全に息の根を止められたかに

見えましたが、源頼朝が見事に源氏再興を成し遂げ鎌倉幕府を樹立しました。しかしながら、

それもつかの間で、わずか3代にて滅亡をしてしまいました。以後、北条氏による執権政治

により雌伏の時代を余儀なくされた清和源氏の末裔達でしたが、足利尊氏により、再び

源氏再興がなされ、室町幕府が樹立されました。この室町幕府は「足利一門の足利一門による

足利一門のための幕府」、「足利一門でなければ人にあらず」といっても過言ではないほどで、

清和源氏は再び我が世の春を迎えました。室町幕府における『主な』足利一門だけを挙げて

みても実に以下の通りです。


  ○足利氏(室町幕府将軍家)
  ○足利氏(鎌倉公方・古河公方家)
  ○細川氏(室町幕府管領家)
  ○斯波氏(室町幕府管領家)
  ○畠山氏(室町幕府管領家)
  ○一色氏(室町幕府四職家)
  ○吉良氏(一門筆頭・御所(足利将軍家)が絶ゆなば吉良が継ぎ)
  ○今川氏(吉良が絶ゆなば今川が継ぐ)
  ○大崎氏(室町幕府奥州探題家)
  ○最上氏(室町幕府羽州探題家)
  ○渋川氏(室町幕府九州探題家)


しかしながら、これとても将軍家および三管領の斯波氏、畠山氏の家督争いが発端で応仁の大乱

を引き起こし、自ら下剋上の時代の幕開けをしてしまい、結果、これら足利一門で戦国時代を

勝ち抜いたのはわずかに最上氏だけという惨憺たる状況となり、その他はことごとく滅亡、没落の

憂き目をみることとなりました。(最上氏についても残念ながら江戸時代初期に御家騒動に

より改易となってしまいました。)また、足利一門以外の清和源氏として、山名氏(室町幕府

四職家)、武田氏、小笠原氏、里見氏、南部氏などがありますが、里見氏と南部氏を除いては

いずれも戦国時代末までに滅亡、没落しています。(ただし小笠原氏についてはその後に

傍流が江戸幕府の大名として再興しています。)また、里見氏についても最上氏と同じく

江戸時代初期に御家騒動により改易となってしまいました。)江戸幕府における大名は

ほとんどが戦国時代に下剋上により成り上がった出自が不確かな成金大名で、当時、家系図は

売り買いされ、作られることが半ば常識だった時代でした。そんな中、江戸時代の大名で

明治維新に至るまで、平安時代以来の清和源氏の血を伝えているものはわずかに佐竹氏と

南部氏と小笠原氏のみであり、その中でも平安時代以来、一度も滅亡、没落することもなく、

常陸守護職として、戦国時代には北条氏や伊達氏との争いにも一歩も後れを取ることのなかった

佐竹氏がいかに特筆すべき清和源氏の名門であったかについてはいうまでもないところです。


『 が・し・か・し 』


なぜか現在では佐竹氏のことはすっかり忘れ去られてしまっていて評価をされる以前のような

状態です。ということで…、まずはそんな「忘れ去られた」佐竹氏の人気向上と事蹟の回顧を

するためにこのトピを立ち上げることとしました。 是非、皆さんのお力添えを…。

コメント(7)

評価が低いと言うよりは

歴史年表的に「地味」なんです。
教科書に記載されるような立ち位置にいなかったってのが
あまり表立って取り上げられない理由の最たるものかと。

ま、そのおかげで潰える事なく家系が遺っている訳でもありますんでw
歴史的評価とは、歴史を動かす出来事をおこなったか?

個人的には評価してますが、一般的には評価低いのでしょう。

自分の地元では南方三十三館の仕置をよく思ってない地域で、佐竹氏より塚原卜伝の認知度あります。
その仕置や優柔不断なイメージが強い気がします。
そうゆうところを払拭できるといいんですが・・・
2009年11月1日に茨城県常陸大宮市で行われた
歴史シンポジウム『よみがえる戦国の城』の質疑応答にて
「佐竹氏はなぜマイナーなのか?」
という質問が出されました。

佐竹氏の研究論文を多数書いている佐々木倫明先生は、
「私見だが、水戸黄門の存在があまりにも大きいからだと思います」
と述べられました。

徳川光圀は、実像でも、水戸藩の権力確立のため、領内に残る佐竹氏の遺風を払拭することにつとめました。
さらに、水戸学の府として水戸を強烈なカラーで染め上げた結果、
佐竹の遺構は目立たなくなり、忘れられて行ったのです。

また、虚像としての水戸黄門漫遊記が幕末以来大流行したことも、
戦国大名佐竹氏の知名度を引き下げる結果に結びついて行ったと考えられます。
伊達政宗のかませ犬の立場になっているのが大問題だと思います。
成り上がりの徳川が佐竹の実力と正統性を恐れてたのだと思います。

水戸黄門漫遊記は「天下の副将軍」など取りようによっては庶民に将軍の権威に誤解を与えかねないのに、
あの恐怖の御公儀が黙認したのは関東から佐竹の威光を消し去る目的にかなうからだと父から聞きました。

ウチは秋田久保田藩藩士の家系なんで、佐竹贔屓が幾分入っているかも知れませんw
日本の歴史上に残る

○前九年の役
○後三年の役
○平治の乱
○保元の乱
○奥州征伐
○承久の乱
○関ヶ原の戦い
○大坂冬の陣
○大坂夏の陣
○戊辰戦争

などのすべての合戦に何らかの形で関わって
いるのは唯一『佐竹氏』のみです!こんな氏族は
日本全国を探しても佐竹氏をおいて他にはありません。

かの、伊達家や島津家でさえもそれには及びません。

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