戦国時代に猛将として恐れられた北条氏康―。
”相模の獅子”との異名を持ち、
日本三大夜戦の一つに数えられる『河越城の戦い』で
歴史に残る奇襲戦を演じて10倍の敵を破った。
身を安全圏に置いて部下を死地に突入させる卑怯を憎み、
難局には先陣に立って斬り込んだ。
勇猛果敢な性格から、顔には”氏康きず”と呼ばれる
向う疵が七ケ所あったのに対し、
背には一ケ所の疵もなかった。
一方、内政においては、
酷税を取り立てて酒池肉林を生き甲斐とする腐臭の支配者の一掃を志とし、
四公六民の善政を守り、足らざるは海外貿易でかせぎ、
生活は高僧の如く清らか。
家臣のみならず、多くの領民からも
”武略に優れ、民を慈しむ”理想の領主として慕われた。
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幼少の頃は、大筒の爆裂音にさえ身を縮めるほどの弱虫で
臆病だった彼が、
やがて卓抜なる軍略と民政で後北条氏の最盛期を築くにまでに至った…
このサクセスストーリーがたまりません!
少しでも
「北条氏康」 「後北条氏」 「祖父・北条早雲」
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楽しみは諸侯の後にたのしみ、うれいは万人の先にうれふ。
いまだしゆゆの間も、心をほしいままにぜず、
常に慈悲の政道をとりおこなひ、天道の加護をあふぎ、
民をなで、道をただしくまします故、
神明のまもり天道に叶ひ、敵をほろぼし国したがふ事、
あたかも吹風の草木をなびかすがごとく、
万民を憐れみ給ふ事、ふる雨の国土をふるほすに同じ。
「北条五代記」三浦浄心著より