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史実 忠臣蔵事件の真相コミュの梶川日記 原文理解のポイント その1

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 これは続き物です。

 初めての形は、↓ をクリックして 1.からお読みください。
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=29704148&comm_id=3207175

 画像1は、仮名手本忠臣蔵三段目 長谷川貞信(初代か二代)

 画像2は、江戸東京博物館にあるミニチュア

 画像3は、松之大廊下の中庭側の構造

 


指でOK富士山クローバーチューリップ指でOK富士山クローバーチューリップ指でOK富士山クローバーチューリップ指でOK富士山クローバーチューリップ


 この前のトピック
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=29546032&comm_id=3207175
 で、2つの疑問点をあげた。

 このトピックの画像1を見ても画像2を見ても、松之廊下の中庭側は柱があるだけ。素通しである。

 そこで、江戸城の構造を現存する建築図などを使って、徹底的に調べたところ、雨戸を収納する戸袋のようなものはなかった。
 平面図をよくよく調べたら「舞■戸」のように読める文字を見つけた。
 それを手掛かりに調べたところ、書院造の建具として「舞良戸」(まいらど)が用いられていたことがわかった。
 舞良戸とは、表面に舞良子(まいらこ)という細い桟(さん)を狭い間隔で、横あるいは縦に取り付けた板戸である。

 画像3のように、敷居と鴨居には3本の溝があり、外側と中央にそれぞれ舞良戸が1枚、内側に「明障子」(あかりしょうじ)が1枚、引き違いにはめこまれている。

 柱と柱の間の幅は戸2枚分しかない。そこに舞良戸と明障子合わせて3枚を納める。

「わかった!」

 3枚を重ねれば、柱と柱の間の半分は素通しになる。

 内側の明障子を閉めれば、外気あるいは直射日光を遮断して外からの明り取りができる。

 3枚重ねの中央の戸を閉めれば、雨戸代わりになる。

 図面や建築資料からこの構造を知ってすぐ、ボクは鎌倉の古寺で同じ構造を見つけた。

 さらに、愛知県の花岳寺住職、鈴木悦道師にこのことを話したところ、

「うちの本堂にも同じ構造があります」。

 この花岳寺は東條吉良氏の菩提寺で、住職は吉良氏研究の第一人者でもあり、吉良上野介が書いた書状など史料がいくつもある。
 なによりも、花岳寺本堂は吉良上野介が寄進したもので、伊勢湾台風に被災したものの2年ほど前に改修工事を行うまでは、手を加えることもなかった。




 事件の前日、元禄十四年三月十三日は、雨降り。

 この日は、猿楽(能)の高覧があった。

 この前の前のトピックの画像1、2
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=29611697&comm_id=3207175
 をご覧になればわかると思うが、舞台は大広間南の庭に常設されていた。それを大広間から見るのだから、舞台と高覧席の間には冷たい雨が降っていたことがわかる。
 雨は夜半過ぎには上がったものの、十四日の事件前は風も強く外気温も低かった。
 この条件であれば、舞良戸を二枚重ねて明障子は閉めていたはずだ。
 これでは現場まで行かなければ松之廊下の様子はわからない。

 だから、梶川は角柱のところまで行って桜之間の杉戸の方を覗き見たのだ。

 浅野内匠頭(あさの・たくみのかみ)と伊達左京亮(だて・さきょうのすけ)が控えていた「本座」。おそらく、これまでどんな本を読んでもイメージできなかった「大広間の方御障子際」が見えてきたと思う。



 下に続く

 5.梶川日記 原文理解のポイント その2
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=29612561&comm_id=3207175

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