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生命倫理(Bioethics)コミュの死刑制度

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本日「死刑」森達也著を
読了しました
これを読むまで私自身は
死刑廃止派 死刑存置派の間で
グラグラしてましたが
読んでますますわからなくなってしまいました
ここは生命倫理のメンバーの皆様の見解をお聞きしようと思い
トピ立てしました
よろしくお願いいたします

コメント(525)

>でも、禁固刑なら、まだ、生きているうちに本人が無実であるということを皆に示すことが出来ますし、経済的な補償ぐらいなら受けることが出来ますよね。

命が不可逆、つまり生き返らないから、死刑はダメだ、と言っているのだから、時間が不可逆、つまり時間が戻らないからダメ。
経済的な補償は、時間を戻すものではない。
経済的な補償をすれば不可逆でもいいというのなら、死刑囚には補償に値する金額を執行前に与えればいい事になる。
命は返ってこないが、経済的な補償は受けたからな。
それは、時間は返ってこないが、経済的な保証を受けた、というものと変わらない。


>違います。
>犯罪を生まない社会を作るのが先なんじゃないですか。

おいおい、殺人がすぐなくならないと自分でも言ってるじゃん。
より良い犯罪への対処法を生まずに、どうやって犯罪を生まない社会を作るのか、ぜひ教えて欲しいね。


>幾ら犯罪者を罰しても、殺しても、死んだ人は帰ってこないし、被害者の時間もかえっては来ませんよ。

「より良い犯罪への対処法」って刑罰だけを指すんじゃない事は、日本語が読めれば分かると思ったんだけど、あなたには難しかった?
もし刑罰の事だけを言うのなら、「より良い刑罰」っていいますよ。

単にイチャモンつけたいだけじゃん。


>自覚したから、無罪放免になんかしませんよ。
>当然、罪の重さに比例して、懲役ですよ。
>終身刑でいいんじゃないですか。

何一つ質問に答えてない。
・どう自覚したと見分けるのか?
・どうして監禁でいいのか?


>逆に、聞きたいんですが、なぜ殺さなければいけないんですか?

民意あるルールには従わねばならないからです。
ここは法治国家ですから。
>正義もないのに死刑ですか?
>それってどんな社会なんですか?

それはもう、質問でもなければ対話でもない。

読むつもりがないなら、日記にでも書いとけ。
読むつもりがないなら、日記にでも書いとけ。
読むつもりがないなら、日記にでも書いとけ。
読むつもりがないなら、日記にでも書いとけ。
読むつもりがないなら、日記にでも書いとけ。
読むつもりがないなら、日記にでも書いとけ。
読むつもりがないなら、日記にでも書いとけ。
読むつもりがないなら、日記にでも書いとけ。
読むつもりがないなら、日記にでも書いとけ。
読むつもりがないなら、日記にでも書いとけ。
読むつもりがないなら、日記にでも書いとけ。
読むつもりがないなら、日記にでも書いとけ。
読むつもりがないなら、日記にでも書いとけ。
読むつもりがないなら、日記にでも書いとけ。
読むつもりがないなら、日記にでも書いとけ。
読むつもりがないなら、日記にでも書いとけ。
>それはここの場では答えになってないと思いますが。

どう答えになっていない?
あなたが答えないのは、どうして?


>自覚したと見分ける必要なんかないですよ。

自覚したかどうかも分からないのに、どうしてそれが一番の罰になるの?
自覚することが一番の罰だという理由で監禁しているのに、それを見分ける方法もなく、必要もなく、解き放たないからいい?
矛盾しています。
罰の目的のために監禁するのなら、罰がきちんと執行されたか確かめる必要があります。
ここは、法治国家。
正義なんて人の裁量で変わる基準をもって、罰の目的を達したかどうか分からない監禁を続ける事は、それそのものが犯罪です。

それこそがあなたの言う、犯罪者だから閉じ込めておけばいい、という野蛮で無思考なやりかたじゃないですか。
罰の目的を達するかどうかわかんないけど、とりあえず閉じ込めておけばそれでいいや、って事じゃないですか。
よく人のことだけは非難できますね?


>生きている人全ての尊厳を保ち、疎外や孤立から守る、これが犯罪を予防する一番の方策だと思いますよ。

まあ、それはそう思うなら、そうでしょう。
それを否定しなければいけない理由もないようです。


で?
どうして監禁でいいんですか?
答えてもらってませんが?
しかも、罰の目的である自覚は確かめなくていい理由も必要ですよね?
罰金刑なのに、罰金を払ったかどうか確かめなくていい、とか、法治国家に住むなら、普通は誰もそうは思いませんよね?
何故自覚するのが一番の罰なのに、それは確かめる必要はないのですか?
解き放たない、というのは罰の目的を達するためのものではありませんから、それでいいとはなりません。
> gyuさん

終身刑でいい? 日本に終身刑などはございません。
てか、そういう考えなら死刑廃止以前に終身刑を日本に導入する運動の方がまずは先でしょ?

違いますか?


それに、死刑を廃止して犯罪が増加してしまった場合は?

また、その責任は?



とはいえ、貴方のお気持ちも充分すぎるほど分かるのですけどね…

まずは現実的に考えましょう。

空想や理想論では済まないんです。


命は尊いものです。その尊いものを私欲のために奪い、反省や謝罪もなく、救いようのない人の場合、自らの尊い命を代償に償う以外に償いきれない罪を犯した者に死刑があると認知しています。

死刑も所詮は殺人です。

ですが、これは必要悪と捉えています。

現在の死刑が極刑のベストとまでは思いませんが、改善の余地があるのでしたら、改善すべきでしょう。


人生はゲームではないんですよ。


リアルに人が殺されるんです。


まずは優先順位として被害者をつくらない姿勢で考えてみるべきではないですか?
>結論から言えば、程度の問題だと思います。
>あとは名誉の回復という事もありますよね。

命は不可逆で、時間も不可逆だけど、程度問題?
意味不明です。

命は返ってこないから死刑はダメだけど、時間は返ってこなくてもいいって、そんな事あるわけないでしょ。
それが正義ですか?
ずいぶん都合のいい正義ですね。
そんな胡散臭い正義とか言うものはそのうち、こいつは気に入らない奴だから、こいつの命は返ってこなくても程度問題だとかいう言い訳のために利用されていく。
今までの歴史がそうだったように。

不可逆が理由であるのだから、同じ不可逆のものに程度の差などありません。
それをつけるのは、あなたの勝手な理屈に過ぎません。
正義同様、あなたは懲役刑を程度問題とするかもしれませんが、他の人は死刑の方を程度問題にするかもしれません。

しかし、それは手前勝手な難癖に過ぎず、命も時間も返ってきません。

それと、名誉の回復は死刑の後でも可能です。
>殺しても、罰にはならないのでは?
>と僕は思っていますが。

へぇ〜、思えばそれでいいんだ。
じゃあ、殺人犯が「殺人は罪じゃないと思います」って言ったら同意するのかお前は?
それともお得意の正義とやらで、お前の意見だけは思うだけで正当化されるが、他人はそうはいかないということか?


>それはただ排除しているだけで、
>排除するだけなら、禁固で充分でしょ。

・同じく禁固されている者を殺す可能性があります。
・施設の所員を殺す可能性があります。
・脱走する可能性があります。
・場所が必要です。
・人権問題があります。

どこが十分なの?
特に人権問題はやっかいだ。
単純に閉じ込めておけばいいと、終身刑なんて軽々しく言うあなたは、おそらく、絶対的終身刑に関する問題について知らない。
知っていたら、終身刑なんて簡単には口にできないから。
前にも書いたが絶対的終身刑は、死刑よりも残酷な刑罰であるという認識が一般的である。
つまりは拷問である。

何故拷問が刑罰から外されたのか、よく考えてみるべきだ。


>現実の冤罪の被害者を前にしたら、単なる屁理屈にしか感じませんが。

おいおい、それはこっちのセリフだろ?
差があるって言ってるのはお前なんだから。

私は差がない、冤罪で処刑されようが、冤罪で懲役だろうが、等しく不可逆で許されるものではない、と言ってるんだろうが。

それに対してお前は、死刑は取り返しがつかないけど、懲役は程度が軽いからいいよね、って言ってるんじゃん。

免田さんの例や足利事件について、彼らは死刑執行されてしまったのと同じですか?と聞いてたな。
不可逆と言うところでは同じなのさ。
金払ったから、名誉回復したから、それでOKじゃあない。
そんなもので過ぎ去った時間は戻ってはこない。

そういった意味では、冤罪における死刑と同じレベルの問題だよ。

程度問題って言ったな?
じゃあ、彼らの下へ行って「死刑にならずに良かったですね。賠償可能ですからね」って言ってきてみろよ?
そういう事だろ?
死刑じゃないからいいじゃん、って言いたいんだろ?

時間は不可逆だけど賠償は可能だからいい、なんていう連中は、彼らの下へ行って、「死刑にならなくて良かったですね、懲役は何年であっても賠償すればOKですからね」って言ってこい。

あんまり人の人生をなめるものではない。
見つめているところが違うのさ。
償いとかさ、最終的な付加価値の部分でしかない。
死ねばチャラってのも、殺人犯個人しか見ていない。

命は大切で、特別なものさ。

なんで?

なんで、命は大切で、特別なものなの?

どうして、刑罰は存在するの?
昔からあるからやってる?
じゃあ、何でその昔にそんなものができたの?
何故それを考えない?
どうして未だに、人を殺しても良い場合と、殺してはいけない場合がある?
あなただって、緊急避難や正当防衛を認めないわけではあるまい?
警官が人を殺しまわっている凶悪犯を射殺しても、自衛隊が攻めてきた敵国の兵士を殺しても、新たに命を消して何の解決にもなってないと思うのかよ?

緊急性がなく、相手が抵抗していなかったとしてもだ。
例えば、エボラウィルスの最後のキャリアは最終的に殺されるだろう。

単純な嫌悪感から、殺人を単純に忌避し、それについて感情的にはなるものの、死刑の意味について考えない。

「感じる」だけじゃなく、何故人殺しを法で規定したのかを「考えて」くれ。
死刑制度は現行で良いと思います。
人間は基本的に物事の善し悪しで判断は出来ない生物ですから感情があります。感情の赴くままに、人が人を殺める行為を行った場合等の際に倫理的な歯止めとして、使役という罰則を用意すると言う考えですから、必要であると思います。
死刑が残酷で非人道的であるという観点で物事を言いますが、死刑によってしか救済されていない人がいると考えれば死刑が継続される方が合理的であり、到底倫理観からは逆行してないと思いますね。

ただ、一つだけ得るのは、人を何人か殺した人が英雄にはなっていませんし、それはただの犯罪者と裁かれてるのですから当然のことであると思いますね。、

死刑を含め、刑罰の抑止力なんて人それぞれですよ。
だから、抑止力になっている人もいれば、抑止力にならない人だっている。

当たり前だが、抑止になってない人が犯罪をしでかすんですし…

だから、抑止力効果もあるから、これだけの犯罪率で済んでいるという見方もできるわけですが、凶悪犯罪が無くならないのは抑止力が機能しきれていないともとれますし、受け取り方も様々…

だけど、「完全な抑止力」なんてないんだから仕方がない。

完全な抑止力にはならないけど、刑罰がきちんと機能しなけりゃ、もっと酷くなると考えるのが普通じゃないの?
被性犯罪者です。
>508 ひろぽんさんへ
加害者は一刻もこの世から消えてほしい。
でも、被害にあったとき身ごもりました・・・当時は汚らわしい証拠を消したくて堕胎しましたが。
被害者は心の殺人を受けている事、未だ自殺未遂を繰り返すほどに堕胎したことはよかったのであろうかと苦しみ続けています。
堕胎が問題でないって事、ご理解ください。
話は簡単のはず。たとえ一人でも尊い他人の命を奪った場合は、自分の命で償うのは当然のこと。
私はいつも殺人が明白な事件でも、弁護士がつくのに腹を立てています。そんな奴をかばうなんて人間のくずだ、とね。
そして又、死刑囚100人以上にうまい飯を食わせているとは何たること、とね。
人が人を裁くということの意義を考えていると、

価値観は百人百様だから、

簡単に結論を下すことは出来ません。

情状酌量を目的とする裁判ということもあるだろうが、

全ての国民が、死刑判決を希望するものではないから、
裁判というものが存在するのだ。


不可抗力や自己保身の為の結果に於ける殺人も有る。


死刑囚が拘置所に居るということは、
いつ自分の死刑執行が成されるかという不安と絶望を日々体現することで、

しっかり刑に服しているとは思うのだけど、

長年審議して死刑判決をしたので有れば、その時点では凶悪犯ということですから、

速やかな死刑執行を願うものです。

逆に、
本当に死刑執行をしても自分自身納得出来ないようならば、裁判官というものは、
死刑判決を下してはならないでしょうから。
命を奪った人に対して命を以て償わせる
というのは本当に償わせた事になるのでしょうか?
僕はそうは思いません。死刑制度反対です。



死刑制度の良い点は多数の遺族の気持ち
即ち加害者に今すぐにでも死んでもらいたい
という気持ちに応える事ができる点のみだと思います。



人を殺める行為は絶対に許せざる行為です。
しかし加害者にすべき事は
自らの過ちの重大さを自覚させ、一人の人間として一生苦しみながらも生かせ続け、悔い続けさせる事ではないでしょうか?


亡き人は救う事はできません。しかし加害者の魂を救う事はできるのではありませんか?
僕は加害者を救う事は可能であり、それが理性を持つ文明人として我々が歩むべき道だと僕は考えます。


それに人間が人間の生命を奪ってはならないという道理が法の下では異なるのも僕は納得いきません。


駄文で申し訳ありません。
死刑制度は、やはり犯罪の抑止力になると思うのですが。今の時代そうとも言い切れない面がありますが、それでもやはり多少は抑止力として機能しているんでは?
> キングカスさん

世の中には悪質な犯罪をしても、反省や謝罪もなく、罪を罪とも思っていない様な連中もいます。

そういった連中を更生させる方法がありますか?

懲りずに再犯をして被害者を増やす連中がいるのも残念ながら事実です。

それは、つまり通常の刑罰だけでは更生させられないという証明でもあります。
それに、何を根拠に「更生しました」と言えることができるのか…


犯罪をすれば、社会的制裁があるのは仕方がありません。
大きな罪を犯せば、それだけ罰も大きくなります。 犯罪者を何のお咎めもなく野放しにはできませんよね?

罪を犯せば、犯罪者の自由も奪われ拘束されます。 その延長上に命までも奪われる死刑が存在するのです。

日本国民ならば、日本に死刑があることは認識していきます。
悪質な犯罪をすれば、死刑になる可能性もあることは覚悟せねばなりません。
認知していながらも、それでも悪質な犯罪をして死刑になるのは、もはや自業自得でしょう。

死刑判決を下す司法が悪いわけでもなく、悪いのは犯罪者自身。

それに、刑罰には最高刑として死刑という刑罰の上限がありますが、犯罪には限りがなく、これ以上の悪質な犯罪はしませんよ! なんて約束も保証もないわけです。

日本国民の大半も死刑制度を容認していますし、民主主義の上でも成り立っています。


社会的にみても危険度の高い人物。悪質な犯罪をしても反省や後悔もせず、罪を罪とも感じていない連中は救い難く、死刑適用でやむを得ないと思います。

また、その様な罪の意識が低く、人の命を奪っても何とも思わない犯罪者は、更生の見込みが薄く、再犯の可能性もありますので、社会的にみても危険度が高いと言えます。

そんな連中に本当の意味で命の尊さや重みを理解させるには、犯罪者自身の命にも制限をかける以外、有効な手段はないと感じます。
言わば、加害者を救うと言う意味でも、死刑は最後の手段として存置して良いと思うんだ。

 

“最高裁判事としての痛切な経験”
以前から学者として、死刑は廃止するべきだと考えてはいましたが、最高裁の判事になってから痛切な経験があって、確定的に死刑廃止論者になりました。
それはある事件の裁判でのことです。
もっとも裁判官として、自分が扱った事件をとやかく言うことはできませんから、少し抽象化して申しますので、ご了承下さい。
その事件はある田舎町でおきた毒殺事件でした。
事件の被疑者としてある男が捕まったのですが、彼は逮捕以来ずっと否認を続けていました。
直接証拠は何もないのです。指紋も残っていませんでしたし、他にも直接証拠は何もなかったのですが、状況証拠から言いますと、この人がやったと疑わせるに十分な証拠がありましたので、一審二審ともに死刑判決を受けていたのです。
ところが弁護人の主張によりますと、警察は町の半分くらいを調べただけで、この男を被疑者として逮捕したようです。
そのため弁護人は、「残り半分の地域を調べたら、同じような状況にある人間が出てきた可能性がある」と主張しました。
それはもっともな話です。けれども、それだけで一審二審の死刑の判決を覆すだけの理由があるかというと、個々の状況証拠は動きませんから、それは難しいのです。
判決に影響を及ぼす重大な事実誤認があるときは、下級審の判決を破棄できますが、この程度のことでは破棄できません。私も記録をずいぶん詳しく調べたのですが、合理的な疑いをこえる心証が取れれば有罪というのが刑事訴訟の建前ですから、そのまま判決を確定させることになったのです。
いよいよ死刑判決を言い渡す日になりました。
裁判官がみんな席に着き、裁判長が「本件上告を棄却する」と言いました。棄却するということは死刑が確定するということです。
そして裁判官専用の出入り口から私たちが退廷し始めたその時です。
「人殺し!」という声が法廷中に響いたのです。罵声です。私たちが罵声を浴びせられたのです。
私はいつもでしたら傍聴席のこんな罵声くらいで驚きはしませんが、正直なところ、「本当にこの人がやったのだろうか」という一抹の不安を持っていましたので、このときの「人殺し!」という声はこたえました。その声は今でも忘れられません。
その事件で私が感じたわずかな不安というものは、多分に主観的なもので、人によって違うと思います。その小法廷の5人の裁判官の中でも、そういう不安を持ったのは、おそらく私だけだったでしょう。残り4人の裁判官は、自信を持って死刑判決を言い渡したと思います。
でも私には、わずかに引っかかるものがありました。
しかし現在の司法制度の下では、このようなケースで判決を覆すことはできません。そして死刑制度がある以上、この事件で死刑が確定したことはやむを得ない結果でした。
私はこの経験を通して、立法によって死刑を廃止する以外には道はないとはっきり確信するようになりました。

“再審への道を広げた「白鳥決定」と、死刑事件における誤判の可能性”
それと前後しますけど、私は「白鳥事件」という事件の審理を担当し、「白鳥決定」と呼ばれる判決を下しています。これは再審の基準に関する裁判です。
詳しく申しますと、今までは無実の証拠がなければ再審は認められませんでした。それをこの裁判では、無罪判決になるような新たな証拠が示されれば再審を認めてもよいことにしたのです。つまり再審の基準を緩やかにしたわけです。
刑事訴訟法では、有罪か無罪か分からないような場合は、合理的に考えて有罪の判決に疑いの余地があれば無罪になります。これは刑事訴訟法の鉄則です。私たちは再審の場合にもそれを適用すべきであると考えました。
ですから原判決で認定した事実に疑いを持たせるような証拠が出てくれば、それで再審の開始ができるようにしたのです。
これはかなり大きな前進でした。
「白鳥事件」そのものは棄却されましたが、この裁判の作った基準が後にあたえた影響はとても大きくて、ご承知のようにその後すぐに4つの事件が、再審で次々に無罪になりました。
...

(この原稿は、1998年2月18日に行われたインタビューの一部を、読みやすく書き直したものです。)

http://homepage2.nifty.com/shihai/message/message_dando.html↑


dandou,shigemitsu
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%A3%E8%97%A4%E9%87%8D%E5%85%89

(M.J. 1958/08/29‐2009/06/25
comment=237
PC:http://mixi.jp/view_bbs.pl?&page=12&id=14503467
CP:http://m.mixi.jp/view_bbs.pl?&page=48&id=14503467&readmode=start
http://youtu.be/A6gTS8rWNyk)

高い建物を建てれば、人はそこから落ちて死ぬ可能性がある。
車を走らせれば、人を轢いたり、事故で人が死ぬ可能性がある。
水溜りでも、人は溺れ死ぬ可能性がある。
どんなに健康に良い食べ物も、過剰摂取や喉に詰まらせれば死ぬ可能性があるし、薬は言うまでもないし、飲み物もまた言うまでもないだろう。

間違った判断によって人が死ぬ可能性があるから、それを排除すべきであると言い始めたら、最終的に排除するのは人類そのものだろう。

人間が一人もいないなら、どんな間違った判断が下されても、誰も死なない。
逆に、全て正しい判断のもと、人の死ぬあらゆる可能性を排除しても、絶対に人は死ぬ。

人は今のところ、死ぬ生き物であるからだ。

であるなら、なるべく安全に生きれるオプションこそ、生命倫理に適ったやり方である。
つまりは、ある人を殺さない事が生命倫理に適っているとは言えないという事である。

例えば、隔離の方法が無い場合、新宿のど真ん中にいるエボラ出血熱のキャリアを生かしておくのは、生命倫理に適ったやり方であるだろうか?
答えはNOである。
理由は、「より多くの命を奪ってしまう」からである。
隔離施設の安全ラインを今にも突破しようとしているキャリアも、突破されるくらいなら、射殺するだろう。

では、殺人犯はどうだろう?
今、現実に起こっていることだが、死刑廃止国では、100人近い人を殺したテロリストが8年で刑期を終えて出所した。
ある国では、あまりにも警官や裁判官、証人などが殺されるので、その人達を刑務所の独房に入れた。
人を殺すマフィアが表を闊歩し、命を守るべき警官や裁判官が独房に入るという、マンガみたいな状況が生まれた。
「命を奪ってはいけない」という倫理観から生まれた現実である。

私はレイシストと呼ばれても構わない。
そう呼ばれるとしても、日本をそんな国にしたくない。

日本は死刑があるが、世界一安全な国である。
その死刑も、人を殺しても99%はそうなれない。
死刑は狭き門なのだ。

申し訳ないが、死刑をすべきでないという人達は、死刑廃止国へ移り住んで欲しい。
そのオンピニオンリーダーたるフランスでさえ、他殺率は日本の4倍だが。
つまり他殺によって死ぬ人が日本の4倍いるって事だ。
ちなみに言っておくと、日本の人口は約1億2千万人、フランスの人口は約6千万人だ。

死刑廃止派の多くの人からは、「殺人犯は人を殺している」という観念が抜け落ちているように感じる。
日本における死刑とは、その殺人を究極の所で封じる方策の一つに過ぎない。

つまり、生命倫理に最も従った方法は、「死刑ではなく、殺人をなくすこと」である。

何故なら、今の日本において、殺人なしに死刑はありえないからである。

(まあ、外患誘致も死刑ではあるが、死刑であるが故、それが認められる時は死者が出たときである。
そんな条件は法に書かれていないと言うかも知れないが、全ての条件が法に書かれていたら、裁判なんていらない。
まあ、大体が、外患誘致の条件を見れば、人死にがでない可能性はほぼないが。)
「死刑制度」を倫理問題で論じるのはまちがっている。

倫理というけれど、その「倫理とは何か」というメタの部分を検証せずに、
「生命の尊厳」「人権」などという妄想を、
さも「絶対的な真理」のように騙る馬鹿者のなんと多いことか。

それは、「尊厳教」「人権教」という宗教である。

そしてそれは、たたただ信仰によるものであり「万人が納得できる価値観」ではない。

死刑には、社会制度として重要な意味がある。
生活保護や社会保障同様に、社会が必要として認めている制度なのだ。
もちろん、それを不要としている社会もある。
それは、その社会が「偏向した価値観」をわりと多くの構成員で共有しているからであり、
    *たとえば、基督教社会やムスリムの間での、
     社会制度への宗教的価値観の介入。
     資本主義、共産主義など。
     「偏向」というのは、あらゆる社会で言えることであり、
     特に歪んでいるということを言いたいのではない。
そういった「偏向的価値観の小社会」において、
是か非か?としか論じることはできないのである。


「人類が共有できる価値観」などは、存在しない。
人権問題で押し通すならば、被害者家族の人権をクリアーしてからのことでは。

冤罪問題で言うならば、
死刑囚の生活費を税金で賄うという下世話なことも、議論せねばならないのではと。

人が生きて行くということは、
簡単に答えを導き出せないことの方が多いとは思うが、

現時点では、日本国憲法では、死刑制度を採用しているのです。

そして、日に日に死刑判決が下されてるという現実がある。

優良模範囚を隠れ蓑に、
あっという間に出所して、

再犯に及ぶことを、
誰が責任を取れるだろうか。

現時点では、
法務相に就任するのならば、
死刑執行を遂行すべきだし、

もし判子を押せないというならば、
法務相を固辞すべきでしょう。

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