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生命倫理(Bioethics)コミュのエホバの証人の輸血拒否

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一般的な意味で、子どもの治療拒否に関するトピはあったと思いますが、最近、ニュースで話題なので、あらためて今回の事件とそれ以降の議論に関するトピを作りました。

私個人の意見は、以前のトピで書いたのであらためて書くことはしません。ただ、あえて個人的主張を別にして言うと、こうした生命倫理をまつわる重要な事項が、医療提供側の思惑だけで決まるというのは問題なのではないかと思います。皆さんご存じの通り、医療を提供する側は、「治療施す」という方に傾きがちであり、医者の集団である学会で指針を定めれば治療を強制するという結論になるのは明らかだからです。

治療拒否そのものも含め、さまざまな観点から議論できればと思います。

////

信仰上の理由で輸血を拒否する「エホバの証人」信者への輸血について、日本輸血・細胞治療学会など関連5学会の合同委員会(座長=大戸斉・福島県立医大教授)は、15歳未満の患者に対しては、信者である親が拒否しても救命を優先して輸血を行うとする指針の素案をまとめた。

「信教の自由」と「生命の尊重」のどちらを優先するかで悩む医療現場の要請に応えて検討を始め、「自己決定能力が未熟な15歳未満への輸血拒否は、親権の乱用に当たる」と判断した。

親拒んでも15歳未満輸血、信仰より救命優先…学会指針案/YOMIURI ONLINE
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=238564&media_id=20

コメント(40)

以前のトピで書いたので、とのことですが、ここ↓でよろしいですか?
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=15714405&comm_id=317379

子供は、信者になるかどうか分からないわけで、
親の気持ちを考えないならば、ふつうの意思の分からない人
(例えば道端で倒れてて、何聞いても返事してくれない人)
と同じように、輸血が必要なら輸血する、で良いと思うのです。

今の日本の社会で、親に、子供の生き死にを決める権利があるとは思えません。
ただ、社会が違えばその辺は違ってくるんですけどね。

もちろん、なるべく輸血しないというのは、信者さんにしろ、
そうでない人にしろ大事なことだと思います。
>>医療を提供する側は、「治療施す」という方に傾きがちであり、医者の集団である学会で指針を定めれば治療を強制するという結論になるのは明らかだからです。

どうして、そういう切り口になるのでしょう?不思議です。
お医者さん達が、まるで、治療がしたくて治療してみるみたいですね。



「自己決定能力が未熟な15歳未満への輸血拒否は、親権の乱用に当たる」
は適当な判断だと思いますが・・・どうなんでしょう?
これは…難しい問題です。答えは出ませんね。
ちなみに、私はクリスチャンです。(※エホバではありません)


 まず、ひとまとめに15歳未満と言っても、中には信仰を持っている子どももいると思います。幼い子どもでも信仰を持つ子はたくさんいます。

 もし本人が信じていて、両親や本人の意志にそぐわない形で治療がなされた場合(輸血された場合)、本人はそのことによって一生苦しめられる可能性があります。

 あくまで想像でしかないですが、たとえば、「自分は罪(宗教的な)を犯した」とか「自分は地獄へ行くんだ」「あの時出血多量で死ぬことが神さまのご意志だったのに」など、強く“信じ”ながら苦しんで生きていくのだとしたら、一概に輸血が正しい方法とは言えないかもしれないのです。(・ω・;)このことを、少し心に留めてくださいませ。


 誰もこの「輸血拒否」を批判できません。エホバの方の信仰だと思うので…。それがたとえ他の人から「異様」に思えても、信仰は守られるべきではないかと思います。そうでなければ大きな苦痛を与えることになるかもしれません。

 でも、命の危険に関しては、可能な限り回避されなければなりませんよね。私は“こうすべきだ”という意見は出せません。
>gyuさん
>命より教義を大事にするような宗教

一口には、そう言えないと思います。実際、エホバでも絶対そんなことはない(私の知っている小さな範囲でも)からです。

結果的に、命よりも教義をとる「ように」見えるだけだと思います。
4: みみちゃんさん
> 誰もこの「輸血拒否」を批判できません。エホバの方の信仰
>だと思うので…。それがたとえ他の人から「異様」に思えて
>も、信仰は守られるべきではないかと思います。
私は批判されてしかるべきだと思います。
少なくとも日本においては思想・信条の自由は保障されていますが、行為は自由ではありません。信仰は問題行為の"免罪符"とはなり得ません。

輸血を受けたことで信者の方が後々苦しむことは想像できますが、それは輸血治療が苦しめているわけではありません。信仰がその人を苦しめているというべきでしょう。
苦しめられても信仰したいという人をとめる術はありませんが、苦しいのなら信仰をやめる権利が誰にでもあるわけで(一部のカルトはこれを認めないかもしれませんが)、治療を責めるのはお門違いではないでしょうか。
言葉が足りませんでした。すみません。
他人の安全、命を脅かすなど、もっての他であります!!(オウムなど…犯罪です。。)

ただ、信仰というのは、あくまで個人の問題になります。

もちろん判断力のない、子どもが、両親の意見のみによって、治療を受けられないとなると、問題であります。


>gyuさん
>人として、おかしいと思える教義を掲げている宗教は当然批判されるべきです。
単純に「人としておかしい」かどうかだけは論点にはできない気がします。(宗教の一面でもありますので…。変なたとえですが草履の鼻緒が切れて不吉に感じるのは、ある人が見たら「おかしい」かもしれません。^^;)輸血問題の場合、生命がかかわりますので、明らかに「異様」に見えることは間違いないかとは思います。



>もちまささん
>苦しいのなら信仰をやめる権利が誰にでもあるわけで
エホバさんはカルトなのかどうかは知らないです。でも、個人的に「救われている」(と自分で感じている)人が、簡単に信仰をやめたりする、宗教をチョイスするというのは…少し違うんです。

もちろんカルトなどで苦しい思いをなさって、たまたま相談をキリスト教の教会にもって来られ、改宗される方もたくさんいらっしゃるのは事実です。

ただ、私たちが思い描くほど(私も信仰を持って間もないので前の感覚は覚えています。)、改宗とは簡単なものではありません。これは、特定の宗教を信じている人にしかわからない感覚だと思います。うまく説明できなくて、すみません。σ(・ω・*)


エホバさんは、カルト的な面も持っているのでしょうか。
詳しい方がいらっしゃいましたら、教えてください。(*- -)(*_ _)
>gyuさん
>あるいは信者の中にも、命が掛かれば、輸血もよしとする人もいるかもしれません。

はい!私もそう思います。
絶対的に輸血拒否をする(という信仰の)方と、相対的に拒否する(命が危険にさらされる時のみ例外とする)方がいらっしゃると思います。


私がどうしても申し上げておきたいのは、あくまで信仰というのは「個人」の問題なのです。個人の内面の問題であって、その信仰によって他人に危害を加えない限り、他人の踏み込める領域に限りがあるということです。
そうでなければ、極端に言えば思想統制と同じになってしまうのです…。それほど悲しいことはありません…。

ですから、「おかしい」「異様だ」というある意味(それが多数意見であっても)主観的な形だけではなく、何らかの他の形で(命についての深い対話など?)アプローチする必要があるかもしれません。σ(・ω・*)

デリケートな問題なんです。
11: みみちゃんさん
>私がどうしても申し上げておきたいのは、あくまで信仰という
>のは「個人」の問題なのです。個人の内面の問題であって、そ
>の信仰によって他人に危害を加えない限り、他人の踏み込める
>領域に限りがあるということです。
>そうでなければ、極端に言えば思想統制と同じになってしまう
>のです…。それほど悲しいことはありません…。
大人が輸血を拒否して自らの寿命を縮める行為については、他人に害がないので、同じ意見です。

しかし、この問題の大きなトピックとして、子供の輸血がありますね。これは別問題というか、逆の問題だと思います。子供は押しつれられた信仰を拒絶することが難しく、親が子供を"思想統制"しているんですから。子供の人権を制限する宗教なら、私は法律で規制されても仕方がないと思います。
私は、いかなる「宗教」もまったく信じておりません。
「エホバの商人」も「ベニスの商人」も区別が付きませんが。
「宗教」で治療できるわけでもないなんだから、助かるためには治療受ければいいじゃない?
と、単純に思うだけです。
>もちまささん
>子供は押しつれられた信仰を拒絶することが難しく、親が子供を"思想統制"しているんですから。

なるほど。σ(・ω・*)
誤解のないように何度も書きますが、、エホバさんの教義がどんなものなのか具体的なものを私たちは知らないというのがあります。なので反社会的カルトなのか?と言われるとわかりません。


ただ、宗教(仏教、イスラーム、キリスト教、などなど)の側面として、親が子どもに“伝えて”いくという点ではそれ自体を否定しない(「思想統制」とは呼ばない)のがふつうです。

日本でもそうだと思います。宗教は人間の文化の一つです。八百万の神をなんとなく信じている日本人の子どもも、親と同じようにそう信じることに、違和感はありません。


「親が自分の信仰を、自分の子どもに共有させること」
は問題ではありません。世の中で普通に起こっていることだからです。
輸血問題で問題なのは、
「内容によって、子どもが“将来”苦しむことになる“かもしれない”。」
ということかしら。。あくまで「かもしれない」の領域ですもんね。でも、とっても重要なことです…。15歳という年齢も適切なのかどうか考えなければなりません。。σ(・ω・*)

…となると、明確な答えは簡単には出ませんね。^^;
エホバさんの教義をかなり詳細な内容まで勉強しない限りは。短絡的な批判はできないかもしれません。
手術や検査、輸血については
その都度、同意書をとられますよね

今、母がICUにいますが
意識がないので、毎日のように家族の同意書をとられます
未成年の場合も、親の同意が必要です
もちろん丁寧な説明を受けていますが
拒否の欄もあります

その同意書が意味をなさないという事でしょうか?
もし、輸血によって感染症等になった場合は
病院が責任をとるのでしょうか?
14: みみちゃんさん
世の中で普通に起こっていることだというのは、子供への信仰の事実上の押し付けを正当化する理由にはなりませんね。このような不条理な行為が世の中で普通に起こっていること自体が問題であるともいえます。

エホバがカルトであるかどうかは判断が分かれるところでしょうが、カルトであろうとなかろうと信仰を理由にして人権を抑制する宗教は許されません。それはどんなにメジャーな宗教であろうと例外ではありません。
>gyuさん
>「信仰」という名がつけば、何も言ってはいけない、というはおかしいですよ。

そうですね^^;私もそうは思います。


>それでも、信じるに値するかどうかは、事実を検証すればすむことです。

値するかどうかが普遍の尺度では測れないから、「宗教」なのではないでしょうか?σ(・ω・*)


>人として、いけないことと誰もが認める理論

そうですね!
その理論は多くの部分は一致します。科学で明示でき、皆が納得できる(ほぼ普遍な)ことがたくさんあります@生命倫理に関する問題もできる限り、この理論によって解決するべきでしょう。
しかしそこに、尺度の曖昧な「信仰」が絡んでいるのです…なので必ずしも一致しない問題になります。


 ちなみに…私の個人的な考えは、(本当に未熟ですが、)子どもはなんとか助けたいと思います。その思いは皆さんの多くと同じなんです。
 ただ一概に、その他に関連する事柄のせいで、「絶対輸血して生きなさい」とは、ちょっと言えないのです…。苦しくなります…。最後は当事者(これも曖昧ですよね)にゆだねるしかないのかなという気もしています。

未熟者ですのに、偉そうに申してすみません。(*- -)(*_ _)
繰り返しになりますが

輸血という治療は
現代の進んだ医学でも、安全な治療ではないのです
輸血をすれば絶対に助かるというモノではないですよ
だから、どんな理由であれ、拒否する権利はあるんじゃないですか?

親が同意書を書かなければ
誰の責任で輸血をするのですか?
こちらには、初めて書き込み致します


私は、その宗教の教義の意味を存じませんが、単純に疑問はあります


輸血を拒否させることは、広義の自殺教唆にはならないのでしょうか?
そうだとすると、反社会的だと捉えられてもやむを得ないのかも
しれません

他人に迷惑をかけなければ自由、というのは、極論しますと援助交際
という名の売春をする一部の方々の発想に共通するようにも感じました


また、輸血も、人の命、健康を守る為に生み出された、医療行為だと
私は考えています

その医療行為の発展に寄与した方々には、私は敬意を払います
熱心な信者の方々は、輸血について、医療について発展に寄与してきた
方々を、どう捉えていらっしゃるのでしょうか?

医療には敬意を払うけれども、輸血を発展させてきた人たちだけは
罪悪である、というお考えなのでしょうか?

むしろ一切の医療行為を受けないのならともかく、輸血は認めない、
という教義ならば、十分な整合性を、私は見いだせはしません

例えば、大量に動物を「殺して」作られた新薬を飲むのは良くて、
輸血はだめだとすると、ちょっと違和感を感じます
私は輸血も受けますし、薬も飲みます


これは私の個人的な感想ですが、こんな疑問がすっきり解消出来たら、
その教義にも一定の理解は出来るようになれるんでしょう



信仰そのものを否定するつもりは、全くございません
医療行為によって死ぬ事もありますよ
それをしなければ命を失わなかったという事もあります

現代の医療、科学は絶対ではありません
それは偏った考え方です

エホバの証人が輸血を拒否することも
偏った考え方です

偏ってるのは同じでしょう
>もちまささん
>このような不条理な行為が世の中で普通に起こっていること自体が問題であるともいえます。

…そうなのですか!?!??( ̄□ ̄)
でも、成長して自己判断ができるようになれば、嫌になったらやめると思いますよ笑。個人の問題だからです。

私も前は仏教徒でした@^^嫌になったとかじゃないですけど。幼い頃から、両親から仏教のことを熱心に教えられましたが感謝しています。他者のことを理解する力になるからです。今も仏教など宗教を学んでいます。でも、今信じているのはキリスト教です@
(あなたはあなた、私は私、と言えば冷たく聞こえるのかもしれませんが、お互いに認めているのです。そのままのあなたでいいんだよ、と。)

カルトの中にある、改宗・脱退(?)が自由にできないというのはおかしいと思います!誰も心の中には踏み込めないのに、、。それこそ統制です。けしからんと思います。

「信じろ」と言われても信じられないのと同じで、「信じるな」と言われて信じないこともできないのが…人間です。(子どもは信じるかもしれませんが、成長してくると変わります。←カルトでない限り。)


あと、批判することをやまましょうと言っているのではないです。
批判して→輸血を強制(言い方悪いですが)する
のは、ダメじゃないかと思うんです。。(*- -)(*_ _)
22: ふうたさん
>現代の医療、科学は絶対ではありません
>それは偏った考え方です
別に医者が何が何でも輸血をしたがっているわけではありません。患者の状態を見て患者の生存と健康にプラスになるように輸血をするしないの判断をするのではないですか?
常にその見込みがあたるとは限らないし、中にはそれを怠る医師もいるかもしれませんが、極めて合理的な方法だと思います。

それを必ずしも事実を反映していない宗教的な判断と同列に扱うのは違うと思います。
はじめまして
少し疑問があるので質問します。
1つは、親がエホバの証人を信仰していない場合、輸血の強行は行われないのでしょうか?
もう1つ、親がエホバの証人を信仰していて、輸血に同意しなかったにも関わらず輸血が行われた場合の医療費の請求はどこへ出すのでしょうか?
皆さん輸血は安全な治療だと思ってるみたいだったので・・・

もちろん母も輸血をしなければ助かっていませんでした
でも、意識が無く寝たきりになった母を見ていると
あのときに逝った方が幸せだったのかとも思います

また話がずれていってますが
輸血をする、治療をする
そんな単純な話ではないでしょう

そういう事態に直面しないとわからないでしょうが
いろんな考えや、思いがあるから
治療についても、説明し同意を得るわけです
そのときには必ず危険性について大げさに言われます
最悪の事態についても言われます
輸血すれば元の幸せな生活に戻れるという保証はありません
それでもしてくださいと言ってしてもらうのが輸血ですよ
「命」「人権」の語義がそもそも人によって異なるのですから
「命を大切にしない宗教は碌なものではない」
「命を大切にしない宗教は人権を抑圧するものだ」
という言葉は、実はエホバの証人だって言える言葉の筈です。

「(天国における永遠の、という意味での)命を大切にしない日本近現代社会は碌なものではない」
「(天国における永遠の、という意味での)命を大切にしない日本近現代社会は神の民の正当な権利を抑圧するものだ」
という論理に容易に摩り替えられます。

というのは「命」「人権」のいずれも、グローバルにみれば多義的だからです。

我が国でそれが意識されないのは、これらの言葉が幸か不幸か殆ど非多義的だからです。

一般的に我が国における「命」とは「この世」の命の事であり、「人権」とは生存と快楽と自由と平等を志向します。

ですが
「生存と快楽を最高の価値とするかどうか」
だけで、既に世界には様々な価値観の違いがあります。
そしてむしろ生存と快楽をここまで極大化して解釈される国は、日本だけなのだと私は思います。

誤解されては困るので一応申し上げますが、これは事実認識を述べたまでであって、「それがイケナイ」などの価値判断は含んでいません。そういう社会があってもいいとは思いますし、なんらかの価値判断・抑圧はあらゆる社会に必然的である以上、「生存・快楽最高価値」の社会というのもアリだとは思います。

ですがそれもまたある種の根拠無き価値観選択の結果であるという自省的な態度は必要なのではないでしょうか。そうした自省の上で「それでも社会にある程度の価値は必要であり、残念ながらエホバの証人にもそうした価値観をある程度受け入れて貰う事はやむをえない」くらいの文言・論理を用いるのであれば、私は納得がいくのですが。

どうしても「命」「人権」という言葉の多義性が看過されてしまい、話が「輸血の扱い」から「日本の近現代の価値観を絶対視した上で判断される信仰の質」にまで及んでいるような気がしてなりません。

ちなみに私はプロテスタントからギリシャ正教に改宗したクリスチャンであり、その事は私のバックボーンとして提示させて頂きますが、これは正教会の公式見解などから出ている意見では勿論無い事はお断りしておきます。

なお私自身は輸血を承認しております。自身の手術の時も輸血拒否など考えもしませんでした。手術前のお医者様や看護師さんと雑談している時に「私はクリスチャンで」という話が出たときに「まさか輸血拒否とかないよね^^;」と半分冗談で言われたので「ウチ(正教会)はそういうのはないです^^;」と答えたという事が御座いました。
>みみちゃん さん
たぶん、本人の意に反して、輸血を強制するのも、意に反して、輸血をさせないのも、どっちもダメなんじゃないですかね?
確かに、15才未満なら意思決定能力が不十分と言えるのか?
逆に15才超えてれば十分と言えるのか?については争う余地ありありだと思います。

>ふうたさん
輸血は安全な治療、じゃないですか?
例として平成13年の北海道の輸血副作用件数は53件
(うち30件は熱or発疹らしい)
使った血は120万単位、何人かは不明
参考までに交通事故が3万件、交通事故死亡が500件
だそうです。
社会的に容認できる程度と思われますが如何です?

>gyuさん
輸血を強制されてるのはお医者さんかもしれんです。
輸血せずに患者が死んだ場合医者が訴追される恐れがあります。
それで首とんだらたまらない・・・。
死んだ、じゃなくて、具合が悪くなった場合です。間違えちゃった。
 輸血問題はインフォームド・チョイスの適応範囲についての問題として考えるべきで、特定の宗教の教義などを含めると軸がぶれてしまうと思います。
 このコミュだったか別のコミュだったかで、宗教に拠らないご自身の信念に於いて輸血を拒否する方法での手術を選択された方の話題が出たことがあったと思います。患者や患者の保護者が治療行為を選択するという点に於いて特定の宗教団体に所属しているかどうかというのは、本質的な問題では全くありません。

 ですのでこうした問題は「生命の危機にある未成年者の患者の治療方針に対し、医師の推奨する成功率の高い治療方法を、保護者がインフォームド・チョイスの一環として拒否する事が出来るか」と定式化した上で、考えてゆくべきだと思います。
こんばんわ。
エホバの証人のことは昔にかなり勉強しました。
私はその時、輸血拒否に関してはやはり感染症などを例に出された説明を受けました。
極端な言い方になりますが・・・「科学も神も万能ではない」と考えてる私にとって、輸血拒否はある意味一つの選択肢のように思えました。

さて、15歳未満が適当かという判断ですが、私は妥当な線だと思います。ただし15歳未満ということでも、すでにその方が洗礼(割礼では無い)を受けた信者だった場合は例外としたほうが良い気がします。
通りすがりに一言。感情的なただの愚痴独り言です。

(自分にとって)何の信憑性もない信仰とやらで、勝手に死なれるのは医者に取って迷惑以外の何者でもない。
医者がどんな気持ちで患者に向かっているのか。

輸血を受けて生き長らえて、一生後悔し続ける信者と言いますが、医者は輸血をしなかった事を一生後悔するでしょうね。



今回のようなケースなら医者に頼るか、頼らないか、その時点で線引きして欲しいですね。そして頼った以上、聞き分けて欲しい。というのが医者の本音だと思う。
無論信仰者は医者に行くな。とは言えないので、医者に行く行かないの判断がある程度親に委ねられている時期を想定した今回のガイドラインは妥当だと思います。
世界的にみても、今の動きは妥当だと思います。
(というか、日本ではまだガイドラインがなかった事に驚きました)

難しいのは、どこで線引きをするか…
年齢は場所(国)によって様々ですが、日本の状況に沿ったものになるといいですね。

15歳ということは、中学卒業しているかどうか…ということで、まぁ、妥当じゃないかと…

これが「永遠の決定」ではないので、必要なら改善していけばいいと思います。

子供にとって人生は長いんだし、カウンセリングなど、十分なメンタルサポートが受けられれば問題になりにくいと思います。

ただ、ガイドラインを示すだけでなく、その後のサポート体制を整えていくことが大切でしょうね。
宗教は時間が経てば、時代と共に解釈が変わってきます。

たとえ輸血を拒否して信仰を貫く事が出来たとしても、命を捨て、伝道の義務を放棄することになります。
個人的には輸血を受け、後者を優先するのも一つの信仰のあり方と思いますけどね。

実際、輸血はだめでも透析は良いとか、当事者の判断に任せるなど曖昧な点も多く、聖書内では輸血についての明確な記述はありません。

「血を食べてはならない」モーセの律法において食に携わる記述の中での事柄なので(動物の血は必ず抜いて食しなさい)輸血などは拡大解釈のうちに含まれます。

しかしながら何故ここまで輸血に関して敏感になっている理由は、永遠の命を得る為に危険な不確定要素は全て取り除いてしまおうという策の一環にあります。
しかも聖書中で、少なくとも3回同じような記述があるので、それは重要視されているのです。


15歳という年齢は妥当でしょう。
聖書を研究していくにつれ教会の教えに疑問点を抱く方も出てきます。
エホバの証人で輸血は絶対しないと考えていた方でも、自己血輸血は良いのでは?普通に輸血しても良いのでは?と考えを変える方もいらっしゃいますし。

ただし、洗礼を受けた多くのエホバの証人は、輸血を拒否することが「信教の自由」と「生命の尊重」の両方につながる事が前提となっています。
たとえ今の命は無くなろうとも復活があるので、現世での死は問題ないのです。
エホバに関しては難しいですが
キリスト教のかたはおこるかもしれませんが
イエスは仏教を学んだこともあるそうですよ

歴史のなかでイエスの行方の定かではない伝道を始める前の謎の3年間があるのですが
その間に、一部地域の伝説で
アジアに渡り仏教を学んでいたとかいなかったとか
トビにずれるかもしれませんが
もしそうだとすると
キリストは仏教の一宗派ということにもなり
私的拡大解釈ですが
輸血されることもすることも戒律違反にならなくなるのではないでしょうか?

私的には15歳を一つの目安とする意見は賛成です
やはり、自分の考えを主義主張するには
ある一定年齢までの教育が必要ですので
その目安となる義務教育終了年齢が妥当と考えます
3で書き込みましたが、今一度疑問に思っていることを。

今回の問題は「判断能力の有無は誰が判断するか」であると思います。
エホバでも何でも構わない。
この人間が、理性的で、自己決定能力を有しているのか。
それを決めるための15歳というライン引きは妥当なのか。

こうなると生命倫理というか、普通の倫理学の問題になるようですが・・・
自分で話題振っちゃったので・・・

義務教育に、事実上、神だとか倫理だとかが入らない現状
社会の仕組みや様々な宗教観を教えるのは高校だったりする現状
中学卒で、親から独立した考え方を持てる子は少数派じゃないですか?

一方で、どこかで切らなくちゃと思うと15か18か20ですね。
社会に出はじめる15才で妥当なのかもしれないです。
すいません、自分の中ではよくわかりません。
何歳を成人とするか、なんて社会の状態によるので、仮決めでいいのかも。

本題からそれて申し訳なかったです。。

*

信教のいかんに関わらず、受けたくない治療は受けなくていいですよね。
エホバの信者のオトナの方が、自分の輸血拒否をするのは、
自己決定権の一環としてOK、というのはフツウじゃないです?

でも、病気の小さい子供を病院にやらないと保護責任遺棄?
ちっと忘れましたが親の信条の如何に関わらず罪に問われますよね。
このシステムがダメって人は少ないと思うのです。
だから同様に、小さい子供に治療を受けさせないのは
親が何を考えてるかに関わらずダメだと思うのです。

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