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伊伎國見聞録コミュの−21−

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カラカミ遺跡


周辺には、弥生時代の拠点集落遺跡・車出(くるまで)遺跡や長崎県下最大の前方後円墳・双六(すごろく)古墳(九一メートル)もあって、古来より居住地としての痕跡の残されている地域です。

弥生中期から後期にかけての遺跡で、海岸からは二キロ離れ、刈田院川の流域にあって、標高三〇〜五〇メートルの丘陵地帯にあり、頂上部に「香良加美(からかみ)」と刻(きざ)まれた石の祠(ほこら)があって、下から「石剣」が見つかりました。

流域の低地には水田があり、丘陵地では小麦などの畑作が行われていました。

昭和五二年の九州大学の調査では、鹿、猪の肩甲骨を利用した「卜骨」が発見されました。

西日本で最初の発見で、天の岩屋での『天兒屋根命、布刀玉命を召して、天の香山の眞男鹿の肩を内抜きに抜きて、天の香山の天の朱櫻を取りて、占合ひまかなはしめて』の記載を彷彿(ほうふつ)とさせ、壱岐が卜占(ぼくせん)の先進地であることを証明しています。

もう一つの特徴は、弥生式土器に混ざって大量の鉄器が出土しており、高度な鉄器文化をもっていたことです。

このことも、『天の金山の鐡(まがね)を取りて、鍛人天津痲羅(かねちあまつまら)を求(ま)ぎて、伊斯許理度賣命(いしこりどめのみこと)に科(おほ)せて鏡を作らしめ』と古事記の記す天の岩屋の場面と重なります。

天孫が持参した三種の神器の「鏡」は常世思(とこよのおもい)金神(がねのかみ)が作らせた鉄製のもので、既に弥生式文化時代に入っており、千七百〜二千二百年前の遺跡とされ、高地性で祭祀遺跡(さいしいせき)の特徴を有するカラカミ遺跡周辺に居住したとしても考古学上の矛盾は生じません。

カラカミ遺跡周辺の高台から北西を望めば、黒崎半島が韓国に向かって延び、先端には巨大な猿岩が鎮座しており、古事記の記す葦原中国の風景と一致します。

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