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伊都国コミュの二見浦

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数ある糸島の絶景の中で一、二番を付けるとしたら、やはりここ二見浦ではないでしょうか。
海に沈む夕陽が最高に美しい。

[糸島郡誌]より 二見岩:
桜井神社の北十数町大口濱より西の浦に至る海濱にあり。
砂汀より凡二三町の海中に立てる巨巌にして白波の間に対峙す、一大壮観たり。
干潮の時は足を洗はずして巌壁に達すべし。
加ふるに西に呼子半島壱岐に連なり、模糊たる對州の青螺に断続し、東北には西浦岬突出し小呂島亦梯形の姿を浮ぶ。
此巨巌を眼前に亦此の背景あり。
実に絶景の勝地たるを失はず。

コメント(12)

 はじめまして。
 よろしくお願いします。
 桜井の方は夫婦岩のしめ縄はりが、毎年大変と言ってました。
 全国夫婦岩サミットが毎年あって、志摩町も参加しているそうです。
 「魏志倭人伝サミット」おもしろそうだと思うのですが。邪馬台国をめぐって喧嘩が起こりそうです。
 mixiならばやれるでしょうか。
伊勢の二見ケ浦とそっくりというところが面白いですね。
伊勢内宮のご祭神アマテラスは、伊都国の太陽の巫女だった、という原田大六氏の説が思い起こされます。
夫婦岩は糸島の方が大きいですね。
伊都志摩(糸島)と伊勢志摩はやはりなんらかの繋がりがあるのでしょう。
朝日と夕日の門みたいなものでしょうか。
伊勢には三雲と言う地名もあります。
夕陽の美しい海岸をもっと観光に生かしたいですね。
最近はテレビで取り上げられることも多く、お洒落なお店が少しずつ増えているようです。
ある番組で志摩町は“日本一住みたい田舎”に選ばれたとか。
志摩町の人口は増えているんでしょうね。でもここも「市街化調整地区」がほとんどではないでしょうか。
新しく人家は建てられるのでしょうか。店舗ならいいのでしょうが。

二見浦はよく福岡市内からチャリ行きましたね。荒江から芥屋の大門まで行く途中に通りましたよ。真夏の暑さはすごかったですが。
海の近くは風が強くて土地は安いとか。
今はリタイヤ後に移住してくる団塊の世代が多いそうです。
若い世代と子供が増えないことには、医療問題などちょっと将来的に不安もあります。
 はじめまして。
 高祖山の由来です。
 某市役所の文化財の人に電話したら、わからないといってました。
 多分、誰もわからないことだと思いますが、私なりに考えていることがあります。

 江戸時代に、貝原益軒が筑前国続風土記という地誌を記しました。
 (http://www.lib.nakamura-u.ac.jp/kaibara/fudo/head.htm#m)このページの22怡土郡の8ページと9ページをごらん下さい。(4ページと5ページの境は微苦笑)
 「原田氏の祖先は後漢の光武帝としています。ですから、漢の始祖である高祖劉邦を祀りました。そして、高祖神社は高祖山にあります。」という説を否定しています。
 実際、原田氏が糸島に来てから、「高祖山、高祖神社」となったようです。
 それ以前は高祖山も高祖神社も違う名前だったようです。
 ただし、高祖城は原田氏が築城したので、はじめから高祖城です。
 ちなみに、古代に朝鮮半島(百済や新羅)から来た渡来人は秦の始皇帝の子孫を名乗ったり、上記のように後漢の光武帝の子孫を名乗ったりしています。この名乗りは、学者の間(普通に考えても)では否定されていることです。とはいえ、古代から日本の歴史や文化に多大な貢献をしたことは事実なので、この「名乗り」が真実か否か、というのはさほど大きなことではないと思います。
 「漢の高祖の一族の末裔」と原田氏が心から自認していたとすると、「秀吉なにするものぞ」という気概が想像できるような気がします。
 秀吉に反抗した原田氏は、結局領地を奪われました。
 この際うまく立ち回ることができたなら、糸島には城下町があり、それなりの文化が花開いたことでしょう。
 山の名前一つから、いろんな歴史を考えることができますね。
平安時代に編纂された歴史書「三代実録」の中に、元慶元年(877年)高磯ヒメ神に従五位下を授けるとの文があり、これが高祖神社について書かれたもっとも古い記録のようです。
神社の建物は今よりもっと低い大門と高祖の間にあったそうです。
この「日本三代実録」は宇多天皇が、源能有、藤原時平、菅原道真、大蔵善行、三統理平に編纂を命じたとあります。
怡土庄はこの宇多天皇(在位:887年8月26日 - 897年7月3日)が建立した仁和寺の荘園となっており、皇室との縁が深いようです。
高祖山の麓、福岡市西区宇田川原には、今も宇多天皇を奉った宇田神社があります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%B8%89%E4%BB%A3%E5%AE%9F%E9%8C%B2


また編纂者の大蔵善行と言う人物は、原田氏の祖である大蔵春実の父でしょうか?
菅原道真にちなむ太宰府・天満宮との関係など、未だ整理が付かない事が多いのですが不思議な縁を感じます。
二見が浦、私も大好きです!

ただ、二見が浦という地名と夫婦岩という名称そのものは、桜井神社を江戸時代に黒田の殿様が、伊勢神宮にちなんで名付けたと何かの本で読んだ記憶があります。
ですので、こちらがオリジナルというより、かなり新しく、江戸時代に伊勢のネーミングにちなんで名付けた、といったものなのではないかと思っていました。

もし違っていたら、とても興味深いです!

仁和寺といえば、宗像の鎮国寺も仁和寺系ですよね!

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