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伊都国コミュの三雲 井原遺跡 ヤリミゾ地区1094 発掘調査結果

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平成21年3月1日に、三雲 井原遺跡 ヤリミゾ地区1094 発掘調査報告の現地説明会に行ってきました。

ということを日記に書いたところ、sunmarkさんから「伊都国コミュニティに掲載を!!」と勧めて頂きましたので、恐縮ながら紹介させて頂きます。

新聞(朝日)で現地説明会があることを知り、意気込んで行ったのですが10時〜12時までの説明会だったのに12時に到着してしまい、現地はもう閑散としていました。
ですが、快く受付をして頂き、最後の参加者ということで、逆に調査員の方からじっくり話を聞くことができました。
私は非常にありがたかったのですが、調査員の方には申し訳なかったですあせあせ(飛び散る汗)


今回は、所在不明な謎の王墓を発見するための発掘調査だとのことです。

頂いた資料を引用(1.はじめに を全文引用)させて頂きますと…

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 三雲・井原遺跡は「魏志倭人伝」に登場する「伊都国」の都と考えられています。倭人伝には「世王有」と書かれていて、それを裏付けるように三雲南小路応王墓、井原鑓溝王墓、平原王墓の3つの王墓が現在確認されています。
 このうち井原鑓溝王墓については、江戸時代の天明年間(1781〜1788)に発見されていますが、所在が不明な謎の王墓となっています。事の始終は、青柳種信が三雲南小路王墓発見の知らせを聞いて駆けつけた時、40年前にも同じような出来事があったことを知り、「柳園古器略考」という記録に記しました。それには、飢饉の時に井原村の次市という百姓が、井原村の鑓溝という所で、溝岸を突いたところ、「壺」が発見され、中から鏡、鎧の如きもの、刀剣の類が出土したことが書かれています。また、同本の「同(怡土群)井原村所穿出古鏡図」には、まだ当時残っていた鏡や巴型同期の拓本が載っています。
 前原市教育委員会では、この重要な井原鑓王墓の所在を明らかにし、三雲・井原遺跡の国指定史跡を目指すべく、平成9年度から発掘調査を進めています。今回は井原鑓溝王墓と同じ時期の木棺墓や甕棺墓がどこまでひろがっているのか確認するために発掘調査を行いました。
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とのことで、つまりは江戸時代に「発見」されていたものを再発見するための調査だそうですが、今回の発掘(H20.10〜H20.3)では王墓は見つからなかったそうです。
どうも、今回の発掘場所は埋葬箇所としては地区的に少し「格下」らしく、次はもう少し格上の所を掘ってみたいのだとか。
(ただ、そのアタリをつけた場所がイチゴを栽培しているビニールハウスらしく、農閑期が8月…。8月の炎天下にビニールハウスの下を発掘するのは地獄だ…とおっしゃられてました)


今回は、弥生時代の遺跡の調査なのでしょうが、その上に平安〜鎌倉にかけての遺跡が残っており、その時代はゴミ捨て場になっていたらしく、弥生期の地層も若干削られたり壊されていたのだとか。

その時代に甕棺墓などもガシガシ壊されて散乱しており、その中に鉄の矢じりがあったのをみせてもらいました。
かなり大きくて、当時としては貴重だったんじゃないのかな?と思って尋ねたところ、九州は結構鉄器が豊富で、このくらいのものが"捨てられている"ことも珍しくはないのだとか。
近畿あたりまでいくと、使い古されて小〜さくならないと捨てられないらしいです。
ただ、平安〜鎌倉にかけてこの地区は壊されているから、もしかしたら副葬品として甕棺に納められていたのが散らばった可能性もなくはないのだとか。

その他にも、
・勾玉のランク(ヒスイの勾玉がトップで、次がガラス、あとはそれぞれのできそこないや、地方に行くと石でてきているものもある)
・鏡の副葬品について
・甕棺の作成技術の推移
・この地域の埋葬形態は非常に保守的であること
・女王の墳墓には太陽信仰の跡がある
…などなど興味深い話をイロイロ聞くことができました。

ちょうどその地区からみて、ひなた峠方向にある山と山の間は、春分の日に日が昇る方向に一致しているらしく、その王女の墳墓は遺体がその方向に埋葬され、足元には柱が立てられていたのだという話は、聞いてちょっとゾクっとしました。

九州…とくに北部は女王というか女酋長の存在をよく感じますよね。
景行紀にもなんだかそんな記述があったような気がする…と思い見てみるとありました!!
景行天皇が熊襲を討伐した時の記述にやたらと女王(の如き人)が出てきます。

 神夏磯媛(かむなつそひめ)…山口県佐波からみて南にある国の首長
 速津媛(はやつひめ)…大分県の早見村にいる"ひと所の長"
 諸県君泉媛(もろかたのきみいずみひめ)…夷守(宮崎県小林市?)の代表者(?)
 八女津媛(やめつひめ)…八女の山の中にいるという女神
 
そして景行天皇の孫の代に神功皇后が出てきますから、この時代、女性は強かったんですね〜。

コメント(2)

>めぐちんさん

最近、このコミュに入りました。

三雲・井原遺跡発掘調査報告の現地説明会があったんですね〜!

もっと早く知っていたら参加したのに・・。

三雲・井原遺跡はあの吉野ヶ里遺跡の倍の規模だったと言われています。

素晴らしい報告ありがとうございます。

>めぐちんさん

色々と説明が聞けて羨ましいです〜

歴史の勉強をしたら、発掘現場は、もっと楽しいでしょうね。

あの日は雨が降ったので、中止と思っていました。

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