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200×年映画の旅コミュの2007年7月上旬号(川島雄三・1)

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「喜劇 とんかつ一代」(7月6日 フィルムセンター)
1963年/監督:川島雄三

【★★★★★ 川島らしい細部をちりばめながら、多彩な登場人物をまとめ上げてゆく川島節の快感!】
 この映画は6年前にも三百人劇場で観ましたが、大好きな映画なので再会のため、フィルムセンターへ。
 タイトルバックに森繁久弥の歌う「とんかつがなければ生きていけない」という歌が流れ、とんかつが揚げられる様子が描かれます。キャメラを担当した岡崎宏三は、「(川島監督は)とんかつを揚げるのを鍋の底の油の“見た目”のアングルで撮ってみようなどと、とんでもないことを言い出す。これはガラスの鍋と鏡を利用してなんとか撮ったのですが、そうした監督と組むのは、そのとき苦しんでも新鮮な仕事となります。」(山口猛「映画撮影とは何か」平凡社)と語っていますが、この場面がタイトルバックに登場します。
物語の舞台は上野。冒頭から、不忍池にある弁財天でのロケ場面が置かれ、珍妙なフランス人・岡田真澄が、とんかつ屋たちが集まって“豚供養”を行っているところに闖入するというエピソードです。
そして、森繁久弥扮するとんかつ屋と、義理の兄・加東大介が反目し合っていることが示されます。加東は老舗フレンチ・レストラン(上野精養軒がモデルです)のシェフで、森繁は彼のもとを飛び出し、加東の妹と駆け落ち同然でとんかつ屋を開いたのです。加東の息子・フランキー堺は、叔父に当たる森繁の店に入り浸っており、今はホテル経営などを手がける益田喜頓の下で働いています。フランキーの恋人・団令子は下町のれん会の事務局で働いていますが、彼女の父親は森繁の店に肉を仕入れる屠殺業者(今なら差別問題に引っかかって決して描かれることのない職業です)・山茶花究です。森繁の妻・淡島千景、加東の後妻の連れ子・池内淳子、その夫でクロレラを商品に開発しようとしている珍妙な発明家・三木のり平、フランスから日本の食生活を研究するためにやってきている岡田真澄(ほとんどフランス語しか話しません)、フランキーが社長(益田)に結婚を薦められている横山道代、森繁がこっそり入れ揚げる芸者の水谷良重ら、多彩かつ複雑な登場人物が入り組みな
がら、東宝オールスター映画、特に社長シリーズを思い出させるような、小さなギャグを織り交ぜて物語は展開してゆきます。
 川島雄三の盟友・柳沢類寿が書いた脚本は、上記のように10人以上は出てくる主要な人物たちが物語をあちこちに拡散させながらも、渦状に中心化を果たしてしまうという、川島の得意な群像劇を提供し、川島演出のほうも、上記の岡崎が指摘したように、多彩なアングルの絵を駆使し、人物の前にわざと手摺りや格子を配するといったヘンテコな絵作りをして、画面に変化を導入するがゆえに観客を飽きさせず、さらには三木のり平が研究するクロレラやら、嘘発見機、自転式ソノシート・プレイヤーやら、新しいもの好きな川島のキッチュな趣味が微苦笑を誘う上、随所にトイレや階段を演出に活用する川島らしさを見せるといった具合に、見せ場を作りながらも多数の役者たちを見事にさばいてみせ、満足感いっぱいの映画にしているのです。
 これぞ映画の快楽! 何度観ても、面白い!


「お嬢さん社長」(7月12日 フィルムセンター)
1953年/監督:川島雄三

【★★★ ご都合主義のお子様ランチながら、横丁の人々の善意の連帯や主人公の失恋など川島らしさが出る】
 この日はフィルムセンターの川島雄三特集で、美空ひばり主演「お嬢さん社長」を鑑賞。6年前の三百人劇場では上映されていない映画なので、わたくしにとっては初めて観る映画です。
 お菓子メーカーの会社を病気の祖父から引き継いで社長になったひばりが、自らが歌手として出演するTV番組の提供で会社の商品の売り上げを伸ばす一方、他企業への会社売り渡しを企む専務・多々良純らの陰謀を暴いて会社を危機から救うという、絵に描いたような八面六臂の活躍をするお話です。
 1953年の年末に封切られたお正月映画で、人気絶頂の少女を起用したスター映画ですから、何から何まで都合よく物語が運ぶご都合主義のお子様ランチではありますが、会社で孤立するひばりを助ける秘書の月丘夢路をはじめ、ひばりが贔屓にしている歌劇のレヴュー・ガールがいることから知り合った演出家の佐田啓二、その友人でインダストリアル・デザイナーの大坂志郎、佐田や大坂の近所に住む幇間の坂本武(彼は、実はひばりの母方の祖父だとわかります)、坂本の弟子の桂小金治、近所のお灸師・竹田法一、妻の易者・桜むつ子ら、浅草の小さな横丁の心優しい住民たちが、ひばりを支えて手助けするために連帯の輪を形成するあたりの善意が、観る者の頬を緩ませ、ひばりが秘かに想いを寄せている佐田への恋が、月丘によって奪われて失恋に終わるあたりに、失恋作家としての川島らしさも出て、なかなかいい映画に仕上がっています。
 川島らしさといえば、まだ放送を開始して間もないTVを物語に活用するあたり、新しいもの好きな彼の特徴も出ています。
 この映画のことを“スクリューボール・コメディの傑作”と評している人もいましたが、確かに、嘘のようにすべてが巧く収まってしまう劇構造といい、場面転換や編集の快調なリズムといい、ハリウッドのウェルメイドなコメディ、やや大袈裟に例えて言えば、プレストン・スタージェスやハワード・ホークスを思い出さなくもありません。
 ただ、残念だったのは、この日上映されたプリントの画質が暗かったことで、誰が映っているのか見分けられなかったくらいでした。
 この映画の助監督は、中平康。川島雄三門下からは、中平だけでなく、野村芳太郎、今村昌平ら、錚々たる監督を輩出していますが、いずれも、川島の軽さをいい意味で学びとり、日本映画に確たる潮流を生んでいます。


「愛のお荷物」(7月13日 フィルムセンター)
1955年/監督:川島雄三

【★★★★★ 速射砲のようなセリフ、快調なカット割り、人の出し入れの巧さ…テクニシャン川島の真骨頂】
 この映画を観るのは、確かTV放映も含めて4回目くらいですが、最後に観たのが30年前くらいですから、えらく久しぶりの再会でした。
 冒頭、加藤武のナレーションにより、日本でベビーブームが生まれて人口は増加の一途を辿り、このまま人口増加を放置しておくわけにはいかない政治問題と化していることが説明されるという、ナレーション好きな川島らしい展開のあと、さて政治はこの問題にどう対処するのか、という言葉に合わせて国会議事堂が映し出され、すぐに続いて、国会内でまさに人口抑制策のあり方について、芦田伸介や菅井きん扮する国会議員の質問に対する答弁を、人口問題担当の厚生大臣・山村聰が行っているという場面に移行してゆく快調な出だしです。ちなみに、21世紀の今、この映画とは真逆の少子化対策が政治問題化しているのですから、隔世の感があります。
 さて、国会質問する芦田も菅井も、そして答弁する山村も、立て板に水のごとく速射砲の科白を早口にまくし立ててゆき、前記「お嬢さん社長」の時に思い浮かべたハリウッドのスクリューボール・コメディにちなんで、ハワード・ホークスの早口科白の傑作「ヒズ・ガール・フライデー」を思い出していました。
 山村の人口問題に対する政策は、性風俗の紊乱は防ぎつつ、かといって堕胎を合法化することもせず、“受胎調節相談所設置法案”などによって人口増加を防ぐという、リベラルな考え方ですから、何よりも夫婦同士の自覚が重要ということになるわけですが、そうした中で、産児制限の旗振り役である厚生大臣が、身内に次々とおめでた話が飛び込んできて慌てふためくことになるのです。
 まず、山村の長男・三橋達也が、大臣の有能なる秘書である北原三枝と恋愛関係を持ち、結婚の約束も結ばぬ段階で妊娠していることが発覚します。三橋の妹・高友子は、兄からこの話を聞き、華族の御曹司フランキー堺との間で進められている自分の縁談に悪影響を及ぼすことを懸念して、当初は反対を唱えますが、のちに高自身もフランキーの子供を宿していることを知るに至り、結婚式を早めるために兄の助力を得ようと、兄に味方します。山村の長女で、産婦人科医・田島義文に嫁いで6年にもなるのに子宝に恵まれなかった東恵美子にも、ついに妊娠の朗報がもたらされます。さらには、50歳近くなっている山村の妻・轟夕起子にも、妊娠の疑いが生じ、一度は医師によって否定されるものの、ガマガエルを使った検査の結果、やはり妊娠していることが判明するのです。
 俳優たちはおしなべてマシンガンのように早口で科白をまくし立て、画面に出入りする人物たちをテキパキと見事に交通整理してゆく川島演出のテンポに乗せられ、山村、轟、三橋、北原といったメインキャスト以外の役者たち、本業のドラマーとしての腕を披露するフランキー(おたふく風邪を引いていると頬に湿布を当てたり、正座で脚が痺れたと膝でいざってみせたり、まともな格好はさせません)、大臣秘書官役の小沢昭一(彼の奥さんも妊娠します)、山村の父親役で今なお妾の坪内美子と夜はお盛んという設定の東野英治郎、山村の実家が営んでいる薬屋の番頭・殿山泰司(彼も、妻に先立たれた寂寥の中で女中の小田切みきに手を出し、妊娠させてしまうのです)ら、芸達者たちの奏でるアンサンブルに笑い、川島が繰り出す様々なキャメラアングルの多彩さに心躍らされ、といった具合に終始ニヤニヤ、ゲラゲラとさせてもらいながら、映画を愉しませてもらったのでした。
 山村の自宅でドアや障子が開けられたり閉じられたりするテンポが物語を活気づけるあたりはエルンスト・ルビッチの猥褻なる艶笑喜劇を思い起こさせ、結局はすべてがおめでたい慶事として収斂する大らかさは、まるでジョン・フォードを観ているようでもあります。
 何度観ても面白い!

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