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200×年映画の旅コミュの2007年1月上旬号(NFC日本のミュージカル・歌謡映画)

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2007年1月上旬に侘助がNFCで観た日本のミュージカル・歌謡映画特集の作品たち。


「エノケンのちゃっきり金太 総集篇」(1月6日 フィルムセンター)
1937年/監督・原作・脚本:山本嘉次郎

【★★ エノケン主演ものに面白い映画なしという言い伝え通り、笑えず。オチも飛ばされて、茫然】

 フィルムセンターでは、“日本映画史横断? 歌謡・ミュージカル映画名作選”と題して、日本製音楽映画の特集が始まりました。この日は、わたくしが観ていない「エノケンのちゃっきり金太」。
 エノケンは浅草の舞台に出ていた頃が全盛期と言われ、舞台袖の幕を伝ってスルスルと上に昇ると、まるで猿のようにピョンピョンと飛び跳ねて舞台下手から上手へ、上手から下手へと身軽に飛び移ってみせた、といった“伝説”を小林信彦の本か何かで読んでことがありますが、映画界に招かれてからは既に往年の運動神経を欠いて、本来のスピードもアクションのキレもなくなっていたというのが、これまた定説になっています。そしてこの映画を観る限り、その定説の通り、エノケンが韋駄天走りをする場面は、なんとコマ落としによって撮影されるなど、アクションは映画的な“水増し”が施されていて切れ味を欠き、アクションが凡庸だと笑いも弾けずにせいぜいクスクス笑いが洩れる程度で終始し(エノケンのもたらす笑いは、言葉遊びではなく、あくまでもアクションによってもたらされるスラップスティックな笑いであるため、アクションの切れ味がなければ、笑えないということになるのです)、結局は、エノケンの全盛期は映画では体験できぬという定説の正しさを裏付けるだけの鑑賞となってしまったのでした。
 お話は、江戸の町にやってきた金持ちの田舎侍ばかりをターゲットにしていた巾着切りのエノケンが、時あたかも江戸幕府末期で薩摩からやってきた討幕派の武士から重要な手紙の入った財布を盗んだことによって、その薩摩武士から追われる身となり、同じようにエノケンを追い回す岡引の中村是好からも逃れながら旅するという内容なのですが、このプリントは、公開時には前篇・後篇に分かれていたものを一本化し、さらに「エノケンのざんぎり金太」(1940年)を加えて大幅に編集し直した版だということから、描写の細部はすっ飛ばされてしまう雑な展開となっており、ラスト近く、いよいよ薩摩武士の手紙の内容が明らかになるのか、と思われたところで、そうしたオチを飛ばされていきなりチャンバラが展開してしまうという呆気なさに茫然とするほかない代物でした。
 そのチャンバラ場面のあと、突然時代が江戸時代から明治に移り、近代紳士の格好をしたエノケンが、明治になっても警察官をやっている中村に追い回されるという展開が描かれるのですが、そのエピソードは恐らく「ざんぎり金太」から持ってきたものだったのでしょう。


「支那の夜 前後篇」(1月7日 フィルムセンター)
1940年/監督:伏水修

【★★★ 話は国策に沿ったご都合主義の産物で鼻持ちならないが、抗日意識に燃えた李香蘭は美しい】

 戦時中、日本に友好的な中国人だと信じられ、人気絶頂を誇っていた頃の李香蘭が長谷川一夫と共演した歌謡メロドラマ。わたくしは観たことのない映画でしたので、何はともあれ駆けつけました。
 舞台は上海にある日本人専門のホテル。長谷川の役どころは貨物船の船員です。ただし民間の輸送会社というより、軍の注文を受けて武器や弾薬を運ぶ仕事にようですから、半分は軍人といった感じです。
 その長谷川が、後輩の藤原鶏太とともに上海の繁華街に繰り出した時、日本人にいじめられている中国娘の李を助け出します。かつては裕福だった家を日本軍によって破壊され、家族もバラバラになった李は日本人に対する憎悪に燃えているという設定で、長谷川の善意にも強い拒否反応を示すのですが、やや上目遣いに長谷川の顔をキッと睨みつける李の視線の強さに圧倒され、美しいと思いました。
 行く宛てもない李は長谷川のいるホテルに連れてこられ、中国人との融和こそ大事だとする長谷川の温情に次第に心を動かされてゆく、というのが物語の流れなのですが、長谷川に対して心を許すようになるに従って李の表情は和らぎ、あの魅力的なキッという視線は影を潜めてしまい、映画自体も生温いだけの通俗的メロドラマという器に納まりかえってしまうのです。


「鋪道の囁き」(1月9日 フィルムセンター)
1936年/監督:鈴木傳明

【★★ お話や演出は中学生の学芸会レヴェルで、ひたすら退屈。ベティ稲田の歌と中川三郎のタップが救い】

 アメリカ帰りの二世ジャズ歌手として名を馳せたベティ稲田が主演で、戦前の二枚目スターだった鈴木傳明が共演&監督した映画。
 ベティ稲田の役柄は、彼女自身のキャリアと重なるように、アメリカから帰ってきた二世歌手という設定で、彼女は悪徳興行師によって金を騙し取られた上、棄てられてしまいます。そしてミルクホールで所持金より高い注文をしたことを店主から無銭飲食となじられていたところを、青年タップダンサーの中川三郎に助けられ、その中川のことを弟分として可愛がる鈴木傳明が、かねてからベティの才能を買っていたことから、鈴木の尽力でベティと中川が共演する舞台が設定され、その頃恩人の鈴木は交通事故で生死をさまよった末、結局は死んでしまうものの、才能あるベティと中川は結ばれて仲良く鋪道をスキップするというお話。
 話はご都合主義、演出も芝居も中学生の学芸会レヴェルに過ぎず、ひたすら退屈です。雨が降っている場面の雨降らし技術のお粗末さといったら、まあ中学生の映研のほうがもっと巧いと思えるほどの代物で、呆れ返るばかりです。
 しかしながら、ベティ稲田の歌は巧いので、ひたすら彼女の歌の場面が出てくるのを待っていた次第ですが、ベティの歌より凄いのが、のちにダンススタジオ経営で有名になった中川三郎の若かりし頃のタップダンスで、アステアとまでは言えないまでも、日本にこれだけ巧いタップダンサーがいたという事実に驚かされました。
 この中川のタップダンスだけでも観る価値はある映画なのですが、監督の鈴木傳明はよほどの馬鹿と見えて、中川のダンス場面を僅かしか見せてくれません。


「ロマンス娘」(1月10日 フィルムセンター)
1956年/監督:杉江敏男

【★★ 話は三人娘が傍観者の立場に追いやられ、弾まず。歌や踊りも本筋とは無縁に挿入され、退屈】

 フィルムセンターの日本歌謡映画特集で、ひばり・チエミ・いづみの三人娘による「ロマンス娘」を観ました。大昔、どこかのオールナイトで前作に当たる「ジャンケン娘」を観たことがあり、なんだか古臭いながらも楽しかった記憶がありますが、今度の映画はちょっと退屈でした。
 冒頭、銀座の街角に公衆電話ボックスが三つ並び、それぞれから若い女性の脚だけが覗いて、家に連絡を入れている声が聞こえ、三人が同時に受話器を置いて出てくると、ひばりら三人で、彼女たちがいそいそとテアトル東京に入ってゆくというあたり、なかなか快調でした。
 高校か大学のテニス部仲間という三人が、夏休みのサイクリングに行くための資金稼ぎとして、テニス部コーチの宝田明に紹介してもらったデパートのアルバイトをしながら、宝田の伯父でありデパートの会長でもある小川虎之助の家に舞い込んだトラブル処理に尽力するお話。
 行方不明になった小川の娘、その娘が残した忘れ形見の孫娘、その孫娘を連れてきた怪しげな男・森繁久弥。こうした筋書きの中での三人娘の役割はあくまでも傍観者の立場でしかなく、脇に追いやられており、従って物語が弾まないのです。
 そのくせ、三人娘が歌い踊る場面は随所に用意されているのですから、そうしたミュージカル場面は本筋とは全く関係のない“オマケ”という位置づけしか与えられず、歌の場面が長く退屈なものに感じました。
 しかし考えてみれば、1956年という製作当時はTVはまだ普及しておらず(大ブルジョワであるはずの小川の家にも受像機は見当たりません)、その時代は三人娘の歌う姿は映画でしか観られなかったのでしょうから、当時の観客は話の筋などどうでもよく、彼女たちが歌い踊ってさえいれば満足だったのかも知れません。
 その意味で、劇中の三人娘が、日劇に出掛けて三人娘のレヴューを観に行き、三人揃ってソファに座っていると、佐山豊扮する観客のおじさんが、レヴューの看板に映った三人娘の顔と目の前に座る三人の顔を見比べて怪訝な表情を浮かべるというギャグなど、当時は大受けしたことでしょう。


「嵐を呼ぶ楽団」(1月11日 フィルムセンター)
1960年/監督:井上梅次

【★★★★ 音楽的素養のある役者たちを揃えたジャズ演奏場面にリアリティがあり、演出もテンポよく的確】

 井上梅次が日活を退社してフリーになった1作目だそうで、東宝系の宝塚映画が「嵐を呼ぶ男」にあやかろうとして井上を招いて作ったと思しきジャズ映画です。
 かつてはビッグバンドのリーダーとして名を馳せたジャズマンの息子である宝田明が、仲間を集めてバンドで成功するものの、宝田の我の強さから反発を招いてバンドは解散、しかし最後はメンバーの友情が復活して再結成を果たすお話。
 型通りの芸能サクセス・ストーリーで、目新しいところは皆無なのですが、ピアノの宝田、トランペットの高島忠夫、ギターの水原弘、ベースの神戸一郎、ドラムスの柳沢真一など、音楽的素養のある役者たちを揃えているだけあって(サックスの江原達怡だけは別口でしょうが)、彼らがジャムセッションする場面にはちゃんとリズムに乗っているのでリアリティがあり、なかなか賑やかで楽しい映画でした。
 井上梅次の演出も、招かれたという気概もあったでしょうし、ジャズが本当に好きだというせいもありましょうが、カット割りも編集も実にテンポよく的確であり、時には大胆な映像的お遊びも導入しています。たとえば、高島が、バンド専属シンガーの朝丘雪路とようやく相思相愛になり愛を囁き合うという海辺のシーンなど、突然画面を赤や黄、青、緑などに彩色したモノクロにしてしまうのであり、それが若い男女の感情の燃え上がりに見合った表現として成立しているだけに、感心してしまいました。
 また、劇中劇として登場する“ジャズの歴史”など、セットも踊りの構成もなかなかのもので、これなら実際に舞台にかけることもできたように思えました。
 大阪の話なのに、関西弁が使われないあたり、ちょっと拍子抜けではありました。


「アスファルト・ガール」(1月14日 フィルムセンター)
1964年/監督:島耕二

【★★★ アメリカ製ミュージカルに近づこうという努力は窺えるが、出演者が地味で、こぢんまりした印象】

 中田康子主演、クラシック歌手の坂本博士が共演という地味なキャスティングの映画で、東京オリンピックを間近に控えて外国客相手のコールガール(この映画の中では“アスファルト・ガール”と呼んでいます)組織が作られる中、その一員である中田が、坂本扮する純朴な客に呼ばれます。坂本は、妻に死なれてから男ヤヨメを続けているブラジルのコーヒー園経営者なのですが、堅物ぶりを友人たちにからかわれるため、自分にも恋人くらいいるということを示そうと、コールガールを呼んだのです。そして、組織のボスにヒモとしてたかられている中田が、この純朴な紳士たる坂本との間で次第に純愛が育まれるというお話です。
 コールガール組織に属するチンピラ男性たちが、都会の街角を舞台にして歌い踊る場面(ダンサーとして、のちに「シャボン玉ホリデー」などのTV番組で踊っていた原田信夫が出演しています)が出てくるあたり、「ウエストサイド物語」の影響ありありで、じじつ、振付とミュージカル場面監督として、「回転木馬」(55年、ヘンリー・キング監督)を手がけたロッド・アレクサンダーを招くなど、和製の本格的ミュージカル映画を作ろうという野心は感じられます。衣裳デザイナーとして東宝の舞台美術で活躍した真木小太郎(マイク真木の父)を招いて原色を強調した衣裳で統一し、照明設計においても、水に反映した光や、あえて照明を当てない暗部の意識的活用(冒頭、コールガールたちが歌う「アスファルト・ガール」というナンバーなど、女性7人がシネスコの横長画面いっぱいに踊るのですが、左右2人ずつには照明が当たるのに、センターの3人の顔には照明が当たらずに暗い、という大胆なまでの場面があります)など、作りは意欲的でもあります。
 しかし、島耕二は器用な人ではなく、むしろ不器用な誠実さのほうを特徴とする人に思えるだけに、全体にポップな明るさはなく、どこか垢抜けない地味さが蔓延しており、その地味で垢抜けないところが主演の中田康子にはお似合いという具合に、こぢんまりしたところが魅力という、妙な映画として成立しています。中田は決して若い女優さんではありませんし(彼女は56年の東宝「のり平の三等亭主」でデビューし、9年間のキャリアののち、この「アスファルト・ガール」が最後のフィルモグラフィとして記録されています)、共演の坂本も中年男という役柄ですから、お話自体がそもそも若さが欠けているのですが、それにしても、全体を覆う地味さは異様に感じるほどです。個人的には、この地味さは嫌いではありませんが…(さらに言えば、中田康子という女優も嫌いではありません。彼女が出演した「怪談 蚊喰鳥」など、よかったです)。


「君も出世ができる」(1月14日 フィルムセンター)
1964年/監督:須川栄三

【★★★★ 米製ミュージカルの亜流ではなく、和製オリジナルを作ろうという気概に満ちて、充分な成果】

 この日2本目は、最近再評価の呼び声が高いという「君も出世ができる」。約25年前にオールナイトで観たことのある映画ですが、細部はきれいさっぱり忘れていました。
 とはいえ、アメリカ帰りの社長令嬢たる雪村いづみの肝煎りで「アメリカでは」という曲に合わせてオフィスが洋風に改装される場面や、出世街道から一旦は見放された主人公のフランキー堺がヤケ酒で悪酔いし、酔っ払った大量のサラリーマンたちを引き連れてオフィス街の大通りで踊る場面は、覚えていました。
 フランキーは、旅行代理店の外人向け営業マン。オリンピックを控えて、大量の外国人受け入れが期待される中で、出世のチャンスを掴もうとしている野心家です。朝から自宅で筋肉を鍛え、「できる、できる、出世ができる」とおまじないのような歌を歌いながら出勤する男です。そのフランキーの後輩である高島忠夫は、出世には興味を持たない青年。彼は、社長の益田喜頓のアメリカ視察出張に際して、愛人のクラブ・ホステス浜美枝の世話を頼まれます。そして、アメリカから帰国した益田が、留学先から娘の雪村を連れて帰ってから、アメリカ式の合理的経営を導入しようとする雪村を軸に、この旅行代理店に変化が訪れるというお話が展開します。
 この映画は、アメリカ製ミュージカルの日本風焼き直しを図った前記「アスファルト・ガール」のような作品ではなく、純日本製ミュージカルを作ろうとしている点で、実にユニークかつ野心的な試みなのであり、100%成功しているとは言えないものの、充分に合格点を上げられる出来にはなっていると思います。楽曲がちゃんと日本語に乗っかっていて、ジャズ・スタンダードが日本語で歌われる時に感じる違和感がないのです。谷川俊太郎・作詞、黛敏郎・作曲というコンビによる成果なのでしょう。
 さらに、踊りの構成、須川栄三によるダイナミックなカット割りと大胆なキャメラワーク、音のテンポを活かした編集リズムなど、演出のすべてが、和製ミュージカルが陥りがちな“ダサさ”を、ギリギリのところで回避しているのです。
 箱根のホテルで高島と雪村が二人になり、雪村のほうは「アメリカでは、イエスはイエス、ノーはノー」などと、相変わらずの米国至上主義を押し付けようとするのに対して、自然愛好家たる高島が「タクラマカン、心のふるさと」などと歌うと、次第に雪村が感化されて、結局は二人で「タクラマカン」をハモるに至る場面など、実にエモーショナルで感動的ですらありました。
 「アメリカでは」という曲では、「では」の部分で肩を揺らす振付が施され、それがコミカルな味付けとなって笑いを誘うのですが、このほかにも、社長の愛人たる浜のアパートが装飾から犬までピンク色で統一してあったり、フランキーが通勤に使う二人乗りの車(黄色と黒の縞模様)が発車の時にガタピシとぎこちない動きをしたりと、小さな工夫が全篇の随所に凝らされており、飽きることがありません。
 監督の須川栄三は、この映画を作るために本場ハリウッドのミュージカル作りを視察するほどの熱の入れようで、この映画によってミュージカル演出に目覚めたせいか、1977年には自分のプロダクションを興してATGと組んで「日本人のへそ」というミュージカル映画に再度挑戦したほどですが、「野獣死すべし」「けものみち」といったハードボイルド路線でも知られるテクニシャンであり、彼のことはもっと再評価されていいと思われます。どこかの映画館が、須川の映画をまとめて上映する機会を作ってくれないだろうかと、ひそかに願っているところです。じっさい、この日のフィルムセンターは「君も出世ができる」の評判を聞きつけたらしき観客で満員札止めの状態だったのであり、須川再評価の機運は熟成していると思えます。

コメント(3)

『君も出世ができる』、ミュージカル映画好きを自認する者としては、ぜったいに見逃してはならない一本ですが、見逃しつづけております(笑)

観たいなあ!

ご評価の星は四つ。未見ですが、なぜかとても納得しております。
侘助兄弟の目からご覧になって、この映画を満点にするためには、いったい何が必要だとお考えですか?

お時間のあるときに、ご教示くださいませ。
Qfwfq兄弟さま
「君も出世ができる」を★4つにしたのは、ギャグが笑えないという一点に尽きます。クスクス笑いにはなるのですが、笑いが弾けないのです。
でも、ほとんど★5つと同等だと思いますので、5つをつければよかったです。
さっそくのご返答、ありがとうございます!

なるほどギャグでありましたか…
この映画には植木等も出演していると聞いておりますが、ギャグが弾けないのは、フランキー堺と対峙する強烈なコメデイアンの不在が原因なのかなあ、などと勝手に想像しております。

須川栄三さんのこと、遅ればせながら私もこれから追いかけます。

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