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200×年映画の旅コミュの5月上旬号

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5月1日〜15日に侘助が観た映画たちです。

「江戸川乱歩の 陰獣」(5月3日 シネマヴェーラ渋谷)
1977年/監督:加藤泰

【★★★ 推理ものだけに、話は謎解きを中心に据えざるを得ず、加藤らしい男女の情念は薄いが、映像は凄い】

 「江戸川乱歩の陰獣」を観るのは、初公開時の1977年以来2回目です。そんなに昔の映画という印象はないのですが、あれから29年も経ってしまったのです。どうりでこちらは年をとるはずです。
 映画の中身はほとんど忘れてしまいましたが、大友柳太朗がずぶ濡れで浅草吾妻橋から吊り下げられている光景と、主演女優・香山美子が真っ赤な部屋でヌードを披露した場面だけを覚えていました。よほど鮮烈な印象を受けたのでしょう。
 映画はまず、金色の仏像がアップで画面一杯を圧したあと、それを子細に眺めているあおい輝彦のクローズアップが示され、そこにあおい自身が自己紹介するモノローグがかぶります。曰く、彼は本格派の推理小説を書く小説家であり、最近巷を賑わす大江春泥のように怪奇色やエロティック色を強調した小説は推理小説とは認め難いというのです。そんなモノローグと並行して、あおいが仏像を見ていた美術館で香山とすれ違う様子を短い象徴的なカットの積み重ねで見せたり、流行作家あおいが自作の映画化に立ち合うため編集者・若山富三郎と京都の撮影所を訪れる様子を畳み掛けたりして、クレジットバックを構成してゆきます。
 乱歩原作の長編小説を映画にするため、加藤は背景説明の描写をギューッと凝縮させるという作劇上の工夫を凝らしながらも、限られた予算内で大正期のムードを出すため、ロケ場面などで1977年時点を表象してしまう記号を画面から排除しようと、キャメラアングルを敢えて狭めて、画面のフレーム内に大正ロマンと男女の情念世界を凝縮させており、加藤らしい密度の濃い画面を作っています。それは時に、観ていて息苦しくなるような“狭さ”を感じさせもするもので、加藤泰の映画世界とは、例えば清水宏のロケ場面に表れる大らかな解放感とは対極にある、まさに“高密度”の世界であることを実感させてくれるのです。
 このあとあおいは街中でふと知り合った香山が彼の小説のファンであることを知り、しかも香山が春泥から脅迫を受けているという相談を持ちかけられることになり、次第に香山の私生活にも立ち入ってゆくようになります。
 あおいが香山の相談を受ける場面などは長い科白劇をワンカット長回しで押しつつ、バックの照明を次第に暗くして主役二人の顔がボーッと浮かび上がるような画面を作り、香山があおいを自宅に案内し、毎晩誰かに覗かれているような気がすると説明するくだりでは、香山の怯えた表情をところどころに短くインサートするようなカットの積み重ねで構成するなど、全編にわたって映像面では凝りに凝った作りが貫かれており、わたくしたち観客は、今観ている画面の次にどのようなアングルの絵がくるのか常に予想を裏切られるという刺激的な映画体験をすることとなり、物語の推移もさることながら、高密度な画面の連続に息を詰めることになるのです。
 さて物語のほうは、香山の夫でありどうやらサディスティックな性的嗜好の持ち主らしい大友柳太朗が何者かによって殺されて隅田川沿いの船着場トイレに浮かび、犯人は春泥と目される中で、今度は編集者・若山が春泥として見知っている川津祐介が、前衛舞踏団の一人として舞台に出ている最中に毒殺される事態となり、犯人と思しき春泥の正体は一体何者なのかということに焦点が絞られるうち、いよいよクライマックスが訪れます。
 謎解きという面では、この手のお話の定石通りのパターンを踏むもので、観客の誰もが予想できた結末に落ち着くのですが(わたくしは29年ぶりの再会でしたが、途中でラストは大体思い出してきました)、推理ミステリー映画の種明かし部分のほとんどがそうであるように、どうしても説明的な描写が続いてしまう点は加藤も免れておらず、男女の情念の凝縮という加藤の得意パターンが充分に成立しているとは言い難い面はあります。わたくしが29年間記憶していた香山の裸場面も、あおいと香山が上下に重なったところを横から撮る加藤らしい構図
も、二人の間に醸成された恋情の盛り上がりが作劇上は犯人探しの種明かしの陰に追いやられてしまったがゆえに、今一つピンとこなかった恨みが残るのです。
 しかしながら、しつこいようですが映像面での加藤の若々しいまでの冒険はやはり刺激的だったことは間違いなく、久々にこの映画を観られたことの歓びを充分に味わえることができたのでした。


「沓掛時次郎 遊侠一匹」(5月3日 シネマヴェーラ渋谷)
1966年/監督:加藤泰

【★★★★★ 何度観てもその都度泣かされる。あらゆる細部が加藤の意気込みを反映し、役者たちも素晴らしい】

 上記「陰獣」と併映されたこの映画は、2002年に観たばかりでしたが(映画館ではなくTV放映版のエアチェック・ヴィデオでしたが)、今回はニュープリントでの上映でしたので、都合6〜7回目だとは思いますが、また観ることにしました。
 渥美清扮する朝吉が錦之助=時次郎の仁義口上を真似するファーストカットに続いて、時次郎を仇と追ってきたヤクザ3人を海岸で時次郎が返り討ちにするまでのイントロ場面から、加藤泰お得意のローアングルや望遠レンズを使ったアップなどで“加藤印”の絵を組み立ててゆき、加藤ファンとしては心が躍ります。
 弓恵子扮する土地の親分の娘に目をかけられた時次郎が、自分を喧嘩の助っ人として駆り出そうとした弓の計算高い策略を見抜いたのに対して、同行していた朝吉はまんまと弓の策略にはまり、ばかな一宿一飯の恩義に殉じてしまう悲痛さもさることながら、その朝吉が女郎の三原葉子に軽くあしらわれる様子(三原が布団で大の字になって、人差し指1本で「こいこい」と渥美を呼び寄せる仕草の可笑しさ)をコミカルに見せ、朝吉という愛すべきキャラクターを観客に印象づけると同時に、渥美というコメディアンの資質を充分に引き出す演出に感心します。
 朝吉を孤独に弔ったあと、再び旅に出た時次郎が、河の渡り船で池内淳子扮するおきぬと同乗し、柿を振る舞われる名高い場面があるのですが、船で仲良くなったおきぬの幼い息子を肩車しながら、時次郎が故郷・沓掛の話を聞かせる場面における、ホリゾントに夕暮れの雲が流れる絵を描いた井川徳道の大胆なセット・デザインが忘れ難い印象を残します。
 そして東千代之介扮する六ツ田の三蔵と時次郎との一騎打ち。 おきぬと時次郎が再会した時、彼女が三蔵の妻であることを知った時次郎の驚愕。しかし三蔵を斬ったのは自分であることを潔く打ち明ける時次郎。いずれの場面も、ローアングルの長回しを基本にして、芸達者な役者たちの芝居の呼吸を活かした演出が貫かれ、加藤お得意のシンクロ録音の成果が充分に発揮されます。ついでに言えば、池内は映画前半ではほぼノーメイクを通し、加藤の要求する薄幸のヒロイン像を体現しています。
 三蔵の遺言にあった親戚は既に死んでいることがわかった上、おきぬが肺病にかかっていることが判明したことによって旅が頓挫し、逆に時次郎たちにとっては小さな幸福を共有する時間が生まれるわけですが、 おきぬが呟く「どうしてこんないい人がうちの人を斬っちまったんだろうねぇ」という慨嘆によって、時次郎が愛してはならない相手を愛してしまった現実に直面し、おきぬから預かったまま肌身離さず持っていた簪の片割れをおきぬに返す場面に、加藤泰永遠のテーマである男女の情念の迸りが現出して観客の胸を締め付けます。そして長い養生を経て医者から旅の再開を認められ、いよいよ旅立とうと時次郎がおきぬと息子の草鞋を買い揃えた時、愛し合う男女が一度は別れることによって情念の昂揚を醸成させてゆく加藤流メロドラマの法則通り、今度はおきぬのほうが簪を残して姿を消すことになるのです。
 黒味の画面に雪が舞い降り始め、さらにオーヴァーラップして炬燵にくるまった時次郎がぼんやりと浮かび、中村芳子扮する旅籠の女将に向かって、友達の体験なのだがと前置きした上で、時次郎が自らの心中を吐露する名場面に続いて、「追分」を弾き語りしているおきぬ母子との再会、おきぬの喀血へと至る場面の推移においても、ホリゾントを大胆に利用した井川の装置設計が素晴らしい効果を上げており、ただ胸を熱くするばかりです。
 阿部九州男・清川虹子夫妻が営む安旅籠で(ここでの阿部は、わざと入れ歯を外して気のいい老主人になり切っており、悪役を演じている時の彼とは全く違う側面を見せてくれます)再び病の人となったおきぬの薬代を稼ぐため、時次郎が進んで喧嘩の助っ人を買って出て、凄まじいまでの活躍をする殺陣の迫力もさることながら、結局は時次郎の献身も徒労に終わり、おきぬの遺児を連れて故郷・沓掛に帰ろうとする道すがら、時次郎を殺して男を上げようなどという軽挙に出た三蔵の親戚・岡崎二朗に対して、時次郎が思わず刀を抜いて応戦しようとした瞬間、「おじちゃん、殺さないで」としがみついたおきぬの息子の叫びに打たれ、自らの中に根付いた殺伐とした暴力衝動を自覚した時次郎が愕然とする様子を、ローアングルの極端なアオリ(それはまさにしがみつく少年の視点でもありましょう)で見せた上、時次郎が怒ったように刀を川に投げ捨てて非戦主義を宣言するところをラストカットに据えた加藤の人間哲学こそが感動に値するのです。
 「遊侠一匹」は、やはり何度観ても素晴らしいです。


「月給¥13,000」(5月3日 三百人劇場)
1958年/監督:野村芳太郎

【★★★★ 多彩な人物が出入りしながらも、きちんと交通整理されている群像劇で、会社員の悲哀も胸に沁みる】

 この映画を観る前は、タイトルの類似から、野村芳太郎の師匠・川島雄三が大船時代に作った心優しきホームコメディ「明日は月給日」のような軽い喜劇を想像していました。しかし、冒頭のアニメーション風タイトルバックに流れる小坂一也の主題歌が、「明日は月給日」の主題歌のような明るいマーチ風の旋律ではなく、どこか物悲しいような哀愁漂うマイナー調のコード進行を持っていることに意外な思いを抱きました。明朗喜劇を想像していたのに、実際は違うような気がしたのです。
 そして映画が進むにつれて、確かに随所に笑える箇所はあるものの、全編を通して一貫しているのは、世知辛い生存競争に駆り立てられているサラリーマンが抱える悲哀をペーソス豊かに描くという姿勢だということがはっきりしてきて、能天気な喜劇を予想していた自分の不明を恥じつつ、わたくしも長年の社会人生活の間に体質の中に染み込んだ自らのサラリーマン根性と向き合いながら、身につまされて画面を見つめていたのでした。そして次の瞬間には、脚本を書いた野村も山田洋次もサラリーマン生活など一度も体験していないはずだという事実に思い当たり、その割りには実にリアリティ溢れるエピソードを次から次へと紡いでいることに驚嘆しつつ、よほど綿密に取材したのだろうと想像を巡らせたのでした。この映画が山田洋次にとっての脚本第1作であることを思い併せると、サラリーマンの実情を詳しく取材するという下調べも、その取材に基づく第一稿の執筆も、師匠の野村ではなく弟子の山田に委ねられたことは容易に想像できるのですから、このお話の骨格を作ったのは山田だったのではないかと確信した次第です。
 映画はまず、日本橋近くと思しきところにある大手ゴム会社(朝の始業時には社長の訓示として「我が社のゴム長靴をジャンジャン売ろう」などという言葉が語られます)に、九州支社から転勤してきた南原伸二(のちの宏治)が独身寮への土産の奈良漬を持って赴任してくる場面から始まります。そして人事課に配属された南原が、同僚や上司、他部署の人々を紹介されたり、独身寮で仲間による歓迎会を開いてもらったりする過程で、主人公・南原のバカがつくほど正直で曲がったことを嫌う正義感の持ち主というキャラクターを端的に観客に印象づけると同時に、酒飲みでC調の三井弘次、狡猾で野心家の渡辺文雄、万年課長と揶揄されながらも仕事には真面目な宮口精二、インテリながら今ひとつ覇気を失っている田村高広、南原の人の好さを見抜いて何かと味方になってくれる独身寮の小母さん三好栄子ら主要人物のキャラクターも見事に描き分けてしまいます。
 そして、越中ふんどしを愛用している南原が替えのふんどしを買いに行った洋品店で、その家の娘であり会社で一目見て南原が惹かれた杉田弘子を登場させるのですが、決して裕福とは言えない杉田の家庭環境、ふんどしの在り処をてきぱきと父親に指摘する飾りのなさなどによって、観客にも自然に杉田を魅力的だと感じさせてしまう作劇が巧いと思います。そしてさらに、この杉田が実は田村高広の恋人であり、二人は結婚の約束を交わしながら最近はお互いの間に冷たい風が吹いているという設定を作り、南原の恋の行方についても観客の興味を引っ張る工夫が凝らされているのです。
 こうして主人公・南原の公私にわたる生活を次々と素描しながら、彼が会社の新入社員採用試験の担当になることによって、物語のメインエンジンを作動させてゆきます。最初は南原が受験生のカンニングを発見するという小さな端緒です。曲がったことが嫌いな正義漢・南原はカンニングした青年を許せないのですが、この青年には有力な“コネ”があります。一方、この試験には田村の弟で好青年の石浜朗も受験しています。南原は次第に田村と親しくなってゆく過程で石浜の好青年ぶりを好ましく思い、彼こそ入社するに相応しい青年だと確信しますが、会社組織は人がいいかどうか、優秀かどうかだけが採用の条件にはなりません。南原の正義感は、この採用問題を通じて挫折を味わうことになるのです。
 この日の劇場では友人ふたりと遭遇したため、映画が終わったあと巣鴨の居酒屋で飲むこととなり、わたくしなんぞは調子に乗って飲みすぎ、話した内容の後半は覚えていない有り様なのですが、前半に話したことで覚えている限りでは、この映画に出てくるサラリーマンたちが、机に向かって仕事をしているようで実は具体的に何かをしているようには見えないところなど、「釣りバカ日誌」の“スーさん”の会社そのものだと思える上、社員寮で同僚たちが口論の末殴り合いに発展するところなど、「男はつらいよ」のタコ社長の印刷所に寅次郎が闖入した場面を観るようであり、この映画には後の山田映画の数々を導く原点としての要素が詰まっていることで意見が一致したのでした。笑いとペーソスを見事に配分して劇を組み立ててゆく巧さも、のちの「なつかしい風来坊」「吹けば飛ぶよな男だが」あたりの山田の作劇を思い起こさせます。ところで、友人のうちFさんが突然気付いたことですが、正義感に燃えながらどこか憎めないオッチョコチョイなところがある主人公のキャ
ラクターは、漱石の「坊っちゃん」をモデルにしているんじゃないか、ということでわたくしたちの意見が一致しました。そう考えると、小説では東京から松山に赴任してくるという設定を、映画では九州から東京に置き換えているものの、マドンナが登場し、上司にオベッカばかり使う渡辺文雄は“野ダイコ”だし、インテリで覇気がない田村は“うらなり”だし、ゴム輸入に関して不正を働く西村晃は“赤シャツ”だし、酒を喰らってばかりいるとはいえ言うべきことは言うという役柄の三井は“山嵐”を連想させるといった具合に、この映画のストーリーラインや人物設定には「坊っちゃん」との類似を思わせるものがいくつも散見し、野村−山田コンビが(もっと言えば第一稿を書いたに違いない山田が)漱石の名作を下敷きにしてこの話を考えたであろうことが確実だと思われるのです。
 映画のラスト、自らの正義感に挫折した南原は東京を去って北海道に転勤することになり、恋心を告白した杉田にも“ごめんなさい”されてしまうことになるのですが、ここなども「坊っちゃん」の結末を思い起こします。そして、ポジティヴな生き方を貫いてきた南原は、きっと北海道に渡っても実直にバカ正直を通して前向きに生きてゆくのだろうという確信は揺るぎませんので(「坊っちゃん」のラストもそうでした)、結末がハッピーエンドではなくとも、わたくしたち観客は、映画からパワーを貰った気分で劇場を後にすることができるのです。
 それにしても、多彩な登場人物を見事に描き分けた上、それぞれの役割をきちんと与えて、狡賢くて悪い奴(西村晃、渡辺文雄)は劇から退場させ、いい奴にはそれなりの見返りを用意してやるといったふうに、群像劇を巧みに組み立てる脚本構成・演出は賞賛に値するもので、野村芳太郎ものとしては、今回観た15本の中でもベストの1本に挙げられる映画でした。


「お嬢さん乾杯」(5月4日 フィルムセンター)
1949年/監督:木下恵介

【★★★★★ 久々の再会だったが、笑いの中に感動もあり、演出テンポも快調。木下としてのベストの1本】

 この映画は、30年前の1976年に初めて観て、さらに翌年、当時参加していた自主上映サークル“映画村”の上映会でも観た映画でしたが、とにかく楽しい映画だという印象は残っているものの、佐野周二扮する新興成金と原節子の元華族令嬢の恋愛を描くというプロット以外の細部はかなり記憶が失われているため、このGW中の上映には足を運ぼうと決めていました。しかも、カミさんがこの映画を観たことがないというので、誘って二人で観に行きました。
 プロのダンサーらしき男女が、映画の主題歌であるワルツ(「きのう逢ったお嬢さんは〜」とかいう歌詞の、木下忠司らしい軽快で覚えやすい旋律の歌です)に乗せて踊るタイトルバックに続いて、ファーストカットは、銀座の真ん中で警官が台の上に立って両手で交通整理をしている場面です。1949年の東京には、まだ街頭で警官が交通整理していたのです。信号代わりの警官が体の向きを90度変え、発車待ちしていた車が動き出すのですが、そのうちの1台がタイヤをパンクさせてしまいます。運転手が後部座席から出てきた坂本武に謝ると、坂本はパンクから連想されたのか、「ちょうど思い出したところがあるから、そちらに向かう」と言い出し、自動車修理工場を経営する知り合いの佐野周二のもとを訪れるのです。
 坂本がわざわざ佐野のところに来たのは、縁談を薦めるためでした。結婚する気などないと嫌がる佐野に近くのアパートまで案内させて、見合い写真を差し出す坂本。3階建てのアパート(“西銀アパート”と書かれていますので、銀座という設定でしょう)が階段つきのセットとして組まれ、下から上へという縦のキャメラ運動を映画に導入しつつ、佐野の部屋を3階の奥に設定して、手前から奥へという奥行を意識した動きを俳優に演じさせる木下は、こうした動きによって映画に快調なテンポを刻んでいるのです。
 お見合い写真を見た限りでは気乗りしない佐野ですが、坂本や弟分の佐田啓二に薦められるまま、嫌々ながらお見合いに臨むことにします。雨の日、村瀬幸子がマダムをしている行きつけのバーでお見合いすることになった佐野は、普段着にゴム長靴という飾らない格好で訪れるのですが、坂本が連れてきた“お嬢さん”原を一目見るなり、電撃的なショックを受けます。眼を見開いた佐野の表情をキャメラのゆっくりしたトラックアップで捉える演出が、佐野の言う“雷に打たれたような思い”を見事に表現しています。そして、4月上旬号「誘惑」の項でも書きましたが、1948〜49年あたりの原は、彼女のキャリアにおいても恐らく最も美貌に輝いていたピークだろうと思われ、佐野の電撃的なショックと同様、観客も原の美貌に心打たれてしまいます。
 原が結婚を承諾したという連絡を受けて、佐野が悦びを爆発させ、佐田を後ろに乗せてオートバイを走らせる場面は、画面右から左へ走るバイクを畳み掛けるようなカット繋ぎで見せてゆくのですが、そのカッティングの小気味よさは、マキノ正博「血煙高田馬場」で喧嘩に馳せ参じる中山安兵衛を描いた場面を想起させ、木下が如何に多くのテクニックの引き出しを持っているかを如実に表わしています。ちなみに、佐野がバイクを疾走させる場所が49年当時の赤坂見附だということを、この日のフィルムセンターで遭遇した友人・Fさんから教えていただきました。周囲には高い建物が皆無で、弁慶橋も木造だった時代の赤坂見附は、今とは全く別物の風景です。
 このあと佐野は、原の家を訪れたり、坂本の話を聞いたりすることによって、原の家は名門華族でありながら、父親が詐欺事件の片棒を担がされたことで多額の借財をした上、その父は今は刑務所に収監されていること、自宅は借財の抵当に入っており、その返済については佐野の蓄財が当てにされていること、原には実は死別した婚約者がいたことなど、つまり佐野との結婚を承諾したのは金目当てだったことを知ります。しかしそうした事情を知った上でも、原が自分を愛してくれてさえいれば、借財の返済に力を貸すことは厭わないと考える佐野なのです。
 結婚を前提とした付き合いを始めた佐野と原が、デートを重ねる場面。原の友人であるバレリーナの公演を観に行くくだりでは、バレエの場面がいくらなんでも長過ぎるようにも思えましたが、佐野がバレエに感動して涙を浮かべてしまうという純朴さを見せることになりますので、そこに至らせるためには一定の長さが必要だったのだと観客を納得させてしまいます。
 このあと、原の誕生日プレゼントとして、原の家が経済的苦境に陥ったため一度は手放していたピアノを佐野が贈る場面があるのですが、原の家族は施しを受けたように思い、ピアノを歓迎する気持ちになれません。かと言って、佐野が純粋に好意から贈ってくれたことはわかるので、これを謝絶することもできません。そんな家族の気持ちがわかる原は、厳しい表情を崩さないのですが、原のシリアスな表情は、劇中の設定以上に“凄み”を帯びてしまい、ピアノを贈られたことに心を痛めているというより、何か途轍もない不幸が彼女を襲っているかに見えてしまう面があります。そしてそのシリアスな表情に、男は底なし沼に嵌ったようにのめり込んでしまうのであり、原節子という女優が持つ“ファム・ファタール”的な魔性を思い知らされます。ただし、原が笑顔を見せると、途端に周囲の空気は一変し、和やかな幸福感が画面を満たすのですから、やはり原は稀有な女優だと言えましょう。
 果たして原は本当に自分のことを愛してくれているのだろうかという疑念が消えないまま、佐野が原の家を訪れた際、原の家族(特に祖母)が、最近の原に元気がないこと、原の許婚が死んでからずっと笑顔が見えないことなどを語る場面が、佐野の不安を増幅させ、観客には佐野の焦りがわかるだけに笑いを生むということになります。
 そしていよいよ二人の婚約成立を祝う日がやってきます。村瀬のバーで、坂本や佐田(この時佐田は、かねてより付き合っていた彼女との結婚を漸く佐野に許してもらいます)を招いて小ぢんまりしたパーティを開こうというのですが、佐野はこの段階になって原と別れる決心をして、実家に向かうことにします。サバサバしたと村瀬に語って駅に向かう佐野。一方、佐野から別れの手紙を受け取った原は、今や佐野がかけがえのない存在になっていることに気づき、村瀬のバーに向かいます。「お嬢さん、あんた彼のことをどう思っているのか」と村瀬に尋ねられた原が「好きです」と応えた時、「好きとか愛しているかどうかなど、どうでもいい。惚れているかどうかが問題なのだ」と村瀬に説諭された原が、佐野を追いかけて駅まで行こうとしてバーを出る間際に「惚れております」と応える一言で、観客の胸にはこの上なく暖かな幸福感が広がるのです。
 戦後間もない時期の価値観の変容という新藤好みの主題(「安城家の舞踏会」が典型でしょう)を巧く織り込んだ脚本も巧いですが、場面展開の度に変形ワイプを多用して映画に心地よいテンポを導入する木下演出も快調そのもので、数ある木下の代表作の中でもトップクラスの1本であることを再認識しました。


「剣難女難 第一部 女心流転の巻」
「剣難女難 第二部 剣光流星の巻」(5月5日 シネマヴェーラ渋谷)
1951年/監督:加藤泰

【★★★★ お話は詰め込みすぎで駆け足になった感もあるが、時代劇を作る歓びに溢れた上々のデビュー作】

 シネマヴェーラでの加藤泰特集の中で、個人的には最大の目玉だった加藤の監督デビュー2部作です。
 冒頭、山間の原っぱで剣道の御前試合が行なわれています。かなり遠い位置に置かれたキャメラから望遠レンズで撮られている場面なのですが、ファーストカットにこの大胆なまでのロングショットを選択していることに、加藤のデビュー作への意気込みがビンビン伝わってきます。
 試合に臨んでいるのは堀正夫。2つの藩がそれぞれ剣術の腕自慢を立て、両藩主が観ている前で、お互いの威信を懸けて競い合うという御前試合に堀は勝ち進むのですが、最後の敵を払い胴で破ったと思った瞬間、相手側が体調不良を訴えて引き分けを主張し、審判もこれを受け入れてしまいます。そして、体調不良で退いた相手の代わりに強豪・阿部九州男が堀の前に立ちはだかります。
 木刀を構えて向き合う堀と阿部の緊張感を、交互のアップ、観戦する藩主たちを捉えた横移動、望遠のロングショットなどを交えながら盛り上げてゆく加藤の演出は、時代劇に精通した職人芸の域に達しており、カット割りは異なるものの加藤の叔父・山中貞雄が演出した「大菩薩峠 第一篇 甲源一刀流の巻」(35)における机龍之介と宇津木文之亟の奉納試合の場面を彷彿とさせます。さらに、攻勢に出た阿部が動き始める場面でやおら荒れる波や渦潮をインサートする手法は、山中の盟友だった鳴滝組の稲垣浩「宮本武蔵 第三部 剣心一路」(40)や「宮本武蔵 一乗寺決闘」(42)をも想起させ、加藤が山中や鳴滝組の後継者として名乗りを挙げる覚悟を高らかに宣言しているように思えました。
 阿部に脚を打たれて敗れた堀は藩主から禄を取り上げられ、阿部に復讐を果たすことだけが御家再興の道となるのですが、片脚不随の状態ではどうすることもできず、弟・黒川弥太郎に阿部を倒してもらうほかなくなります。しかし黒川は刀を見ただけで身を竦ませてしまうというほどの臆病者なのです。
 こうして主人公・黒川が臆病を克服して阿部を討ち取ることができるかどうかという縦軸に沿って物語が進行することになるのですが、このような“剣難”の主題に加え、タイトルにある通り“女難”という主題も次から次へと浮上し、物語はいくつもの迂回を経てゆくことになります。
 女難という主題の最初に登場するのは、林加寿恵扮する黒川の許婚です。この林に横恋慕する他藩の男・寺島貢が現われたばかりに、黒川は恋敵として命を狙われる羽目となり、寺島によって瀕死の大怪我を負わされます。
 瀕死の状態で河を流れてきた黒川を助けたのは、投げ槍を得意とする大道芸人・加賀邦男の情婦である春日あけみで、その春日が黒川に懸想したことから、亭主気取りの加賀は黒川を恋敵として殺そうとします。加賀や春日のもとを逃げ出そうとした黒川を加賀が追ってきて土手の上でチャンバラとなり、土手の手前にある町中では寺島を追ってきた堀と林(寺島は林との結婚を認めさせようと林の父親に迫ったのですが、許婚・黒川がいることを理由に断られたため、寺島は林の父を斬り殺してしまいます。天涯孤独となった林は許婚の兄である堀を頼り、父の仇・寺島と許婚・黒川を探す旅を堀とともに始めたのです)がチャンバラを繰り広げるといった具合に、土手の上下で延々と続く殺陣を様々なアングルから描いてゆく加藤演出は、チャンバラを撮る歓びに満ち溢れてイキイキしているのであり、観る者の心も躍らせます。
 そして、加賀の槍や剣から逃れた黒川と、寺島を取り逃がした堀・林は遭遇することなく、再び別々の道を歩むこととなります。黒川はいつか兄の仇・阿部と戦う日に備えて剣の臆病を克服しようと道場に住み込み始め、たまたまこの道場を訪れた阿部に対して、千載一遇のチャンスとばかりに無謀な戦いを挑み、道場主から破門されてしまいます。そして江戸に流れた黒川は第三の女難として、将軍の側室を妹に持ちながらヤクザな賭場を開帳している女・市川春代に出会い、彼女の囲い者という生活を送るようになるのです。
 吉川英治原作の入り組んだお話を二部作に詰め込んでいるだけに、細部のリアリティを担保する余裕もなく、あれよあれよという間に話が進んでしまい、御都合主義とも思える個所も散見します。脚本はお世辞にも誉められるものではありませんが、加藤の演出は、例えば黒川と市川のラヴシーンなどには凄味を発揮します。林という許婚がいる黒川は市川に夢中になることなく天井を見つめて体を投げ出しているのに、黒川にベタ惚れの市川が艶然とにじり寄って覆いかぶさる場面は、加藤得意の構図の中で女の情念が燃焼していたのであり、真の意味でのメロドラマ作家としての加藤の真骨頂がデビュー作からはっきりと刻印されているのです。
 第二部になると、我流で鍛えた剣に自信を持つようになった黒川が、いわゆる武家奴として江戸で勇名を轟かせるようになっており、黒川を探し歩いた堀・林の二人や、大道芸の小屋を開いている加賀とその情婦・春日、そして今は加賀のもとに居候している寺島など主要人物が江戸に集結し、いよいよ話が凝縮するかに思われましたが、堀と林はすぐに江戸を離れて中仙道に向かったり、黒川を敵視する武家奴の親玉・澤村国太郎が登場したり、何かと黒川を手助けする川喜多小六が登場したりと、話は相変わらずあっちに行ったりこっちに行ったり、落ち着きません。吉川原作をなぞりすぎて、描写が駆け足になってしまっているように思えるのです。
 しかし、ついに黒川が兄・堀や許婚・林と再会し、山に籠もって徳川夢声から剣術の指南を受け、兄の仇・阿部との対決も将軍の御前試合として成立するに至り、再び第一部の冒頭と同様の緊張感が映画に張りを取り戻します。
 そして黒川が兄の遺恨を晴らした時、実は、かつては対立していた藩主同士に今は和議が成立しており、黒川が御家再興と藩の名誉を懸けて闘う意味は既に失われてしまっていることに気づかされるという皮肉なエンディングには、武士道というものの虚しさという一面を伝える吉川原作の“哲学”が反映していると同時に、死を賭した戦いの殺伐より男女の愛を謳い上げることを信条とする加藤の“哲学”を感じ取ることができるとも思えました。


「緑茶」(5月5日 東京都写真美術館ホール)
2002年/監督:張元(チャン・ユアン)

【★★★ 中国の現実と格闘してきたチャン・ユアンにしては雰囲気映画だが、ヴィッキー・チャオがいい】

 つい先日の3月下旬に「ウォ・アイ・ニー」を観たばかりのチャン・ユアン監督が、「ウォ・アイ・ニー」より前に製作した映画です。
 「ウォ・アイ・ニー」の項にも書きましたが、チャン・ユアンという監督は、北京オリンピックを間近に控えて急速に近代化を推し進めている現代中国の“いま・ここ”と向き合う“中国第六世代”を代表する一人です。単なる夫婦喧嘩を延々と繰り返すばかりに見えた「ウォ・アイ・ニー」にも、夫婦生活の中には社会の風が吹き込んでいることを感じさせ、否が応もなく社会性を帯びてしまうところにこの監督の特徴を感じたものです。
 しかしこの「緑茶」では、次々とお見合いを繰り返す内気な大学院生ヴィッキー・チャオと、一度彼女と見合いをして以来何かと彼女に付き纏うチアン・ウェン(言わずと知れた「鬼が来た!」の監督兼主演男優です)とが付かず離れずお互いの内心を探り合うダラダラとした展開からは、社会性を感じ取ることはできませんでした。
 とはいえ、中国4大女優の一人に数えられているらしいヴィッキー嬢は今が旬の女優さんであり、彼女の表情変化を、ウォン・カーウァイとのコンビが有名なクリストファー・ドイルが多彩なキャメラワークと色彩感覚を活かして切り取ってゆく画面を観ているだけで、退屈を覚えることなく映画に身を任せられたのであり、まあ“雰囲気カモカモ映画”には違いないものの、嫌いにはなれない映画なのでした。
 映画はまず、喫茶店で待っている地味なスーツと色気のない眼鏡姿のヴィッキー嬢のもとに、サングラスをかけたキザ男ウェン氏が訪れるところから始まります。コーヒーを注文するウェン氏と緑茶を注文するヴィッキー嬢。中国の喫茶店すべてがそうなのか知りませんが、この映画に出てくる喫茶店ではお湯の入ったグラスと小皿に載せた茶葉を別々に持ってきて、客がグラスに茶葉を浮かべ、その葉が静かに沈んでゆくのを待って、上澄みを飲むという方法が採られています。ヴィッキー嬢は、何かというと友だちの話を持ち出し、友だちに教えてもらったという“茶葉占い”(葉の落ちるスピードなどで占うのでしょうか)に夢中になっています。ウェン氏は占いには何の興味もなさそうですが、ヴィッキー嬢には興味津々のようです。湯の中で揺らめく茶葉と、次第に湯がほんのりとグリーンに色づく様子を、エロティックなまでに捉え、その茶葉を見詰めるヴィッキー嬢の横顔を舐めるように描いてゆくドイルのキャメラ。
 このあと何度も繰り返されるヴィッキー嬢とウェン氏のデートでは、ヴィッキー嬢が茶葉占いを教えてくれた友だちの話題を持ち出し、「彼女の母親は死人の化粧をする仕事に就いていたが、結婚後、そのことが原因で夫に虐待され、常に手袋をして生活させられていた。そして最後は、彼女の目の前で、母親が夫を殺してしまったのだ」などと語り、観客はそれが“友だちのこと”ではなくヴィッキー嬢自身のことではないかと思うようになります。
 一方、なかなかヴィッキー嬢との親密度を深めることができないウェン氏は、画家の友人から教えてもらったナイトクラブで、ピアノを弾いている妖艶な女性を知ります。色っぽいロングドレスを着て、ロングヘアを靡かせているそのピアニストは、ウェン氏と親密に話す女性なのですが、この女性もヴィッキー・チャオが二役で演じており、観客は、大学院生と瓜二つの別人なのか、それとも実は同一人物が二つの顔を使い分けているのか、判断に迷いながら画面を見詰めることになります。
 こうして、片や堅物そうなヴィッキー嬢、片や色気を振り撒くヴィッキー嬢という二つの役柄を演じ分ける彼女を観ているだけで、飽きることなく映画を愉しむことができたのです。
 二人のヴィッキー嬢が別人なのか同一人物なのかについて、映画のラストには思わせぶりな結論が出されており、観客は今ひとつ納得できずに劇場をあとにすることになるのですが、まあ映画の中身などどうでもよく、ヴィッキー嬢の旬の美しさを体験するだけで、まずまずの満足感を覚えていたわけです。


「次郎長三国志 第一部〜第九部」(5月6日 自宅TV/時代劇専門チャンネル)
1952〜54年/監督:マキノ雅弘

【★★★★★ 何度観ても、これぞマキノ節の集大成であり、日本映画最大の快楽であり、役者たちの饗宴!】

 GW中のこの日、我が家のCATVで視聴可能の“時代劇専門チャンネル”で、朝の10時から夜中の1時までほぼぶっ通しで、わたくしが最も敬愛する監督マキノ雅弘の最高傑作にして、我が心のベストワン映画である「次郎長三国志」東宝版9部作が一挙に放送されました。
 この9本はつい最近もシネマヴェーラ渋谷で全作が公開されており、わたくしも必ず駆け付けるつもりで意気込んでいたのですが、第一部から順番に3日間くらい通い続ければ踏破できるだろうと高を括っていたところ、シネマヴェーラが立てた上映スケジュールが酷い代物で、第一部から順に観ようとすると何回も通わなければならないため、いろいろ悩んだ挙げ句、結局一度も足を運ばず仕舞いでした。ところが時代劇専門チャンネルは、15時間かけて順番に放送してくれるというのですから、この際ヴィデオ収録を兼ねて一気に通しで鑑賞しようと思い、リヴィングルームのカウチを独り占めして、朝から夜中までTVの前に陣取る1日となったのです。
 清水港の風景に廣沢虎造の浪花節がかぶる第一部のオープニングから既に心は躍り始め、虎造が一杯飲み屋で例によって「馬鹿は死ななきゃ治らない〜♪」と唸っていると、隣で飲んでいた二人組のヤクザが「馬鹿とはなんでぃ」と絡んできて、喧嘩はからきし苦手の虎造が一緒に飲んでいた長五郎(小堀明男)に助け船を求め、長五郎こと次郎長がヤクザ相手に大立ち回りを始める頃には、すっかりマキノ節のペースに乗せられてしまうのでした。
 虎造の知らせを受けて親分で長五郎の友人でもある大熊(澤村国太郎)と妹お蝶(若山セツ子)が港に駆け付けると、長五郎はヤクザ二人を海に沈めてしまい、殺してしまったと思い込んでいます。ヤクザを殺めたとあれば堅気の米屋のままではいられないと、自分も博奕打ちになると決めた長五郎は、お蝶からお守り代わりに貰った簪を持って旅に出るのですが、この簪を貰う場面、即ち惚れ合った男女がイチャイチャと恋心を吐露するシーンになるとマキノ節には一気に艶が出てくることを今回も痛感しました。
 桶屋の鬼吉、関東綱五郎、大政、法印大五郎、増川仙右衛門と、次郎長を慕って子分がどんどん増えてゆく過程もワクワクしますし、清水の飲み屋の娘・お千ちゃんを巡って恋の鞘当てを演じる鬼吉と綱五郎の漫才のようなコンビぶりも、何度観ても愉快です。第二部で場をさらう、次郎長の兄弟分・沼津の佐太郎とお徳の夫妻による涙ぐましい歓待ぶりには今回もジーンとさせてもらい、佐太郎を演じた堺佐千夫の気弱な亭主ぶり、しっかり女房お徳を貫禄たっぷりに演じた隅田恵子はまたしても強烈な印象を残しました。
 そして、第二部のエンディングから登場する森の石松・森繁久彌の若々しい軽妙さ。石松、追分の三五郎(小泉博)、投げ節お仲(久慈あさみ)が丁々発止のやり取りを繰り広げる第三部中盤は、主人公・次郎長は出てこないものの、シリーズ前半のヤマ場とも言うべき愉しさのピークを形成します。特に、お仲が石松と飲み交わすうちに酔いが進み、二人で唄いながら明日は一緒に旅立とうなどと約束するくせに、酔いが醒めると「そんな約束しちゃった? まいったな、ああいう男、嫌いなのよ」などと豹変するところが爆笑ものです。久慈の色っぽさは絶品で、女優を輝かせる天才マキノの本領が発揮されています。
 次郎長一家が揃い踏みして清水に腰を落ち着け、相撲興行と親分衆を集めた花会を開く第四部は、観終わったあとは記憶に残りにくい回なのですが、観ている間は常にニヤニヤと幸福感に浸れる回でもあり、山型マークに“長”の文字を背中に入れた次郎長一家の法被を観客も着たような気分で愉しめる一作です。
 第五部は、祭りの夜に次郎長とお蝶が子分の前で成り初めを語る、山田宏一氏の言う“マキノ調のオノロケ、ベタベタ”が続くウェットな部分と、後半の猿屋の勘助への殴り込み場面に横溢する殺伐とした乾いた部分が好対照を形作る回ですが、両者に挟まれて登場する、お千ちゃんの嫁入り行列駕籠を鬼吉と綱五郎が唄いながら担ぐ場面が実に印象的です。
 殺伐とした斬り合いよりワッショイワッショイの祝祭性を重んじる次郎長一家の(マキノ節の)快楽的な信条が活かされているのもこのシリーズの魅力なのですが、第五部の後半、猿屋の勘助一味が白い眼潰しの粉を画面一杯に撒く殺伐とした斬り合いも、次郎長一家の面々にとっては常にワッショイワッショイの祝祭性を帯びているように感じたのであり、それは、一家の面々が斬り捨てる敵方の顔が強調されることなく、いわば無名性を背負った影を斬っているように見えるからなのだと、今回観直して認識した次第です。
 暗い裏街道の兇状旅が続く第六部では、小松村のお園(越路吹雪)の艶姿が画面をパッと輝かせ、お蝶の死を悼む次郎長一家や観客にとって小さな救いをもたらしています。
 次郎長一家が再び清水に戻った第七部では、お仲のことを母と慕う島の喜与蔵(長門裕之)がメソメソと泣き芝居を繰り返し、いつもは毅然としているお仲にもそれが伝染したかのように涙の愁嘆場が繰り広げられるウェットな新派調に、マキノ節の特徴を見出すことができるでしょう。
 一方、お蝶に死なれて喧嘩は二度とするまいという非戦主義者になった親分・次郎長と、第五部で自分たちを騙し討ちにしようとした保下田の久六を許せないと殺意を燻らせる一家の面々との葛藤が表面化するのもこの回で、それはそのまま、斬った張ったの殺し合いより男女の色恋を描くほうが好きなマキノ本人の嗜好と、ヤクザ映画として観客や会社から求められる派手なチャンバラを撮らなければならない義務感との葛藤に煩悶するマキノ自身を反映していたような気もします。フグの毒に回ったふりをして、保下田の久六を待ち伏せるという、次郎長一家にしては卑怯とも思えるやり方でラストを締め括っている点にも、そうした煩悶が反映していると思えたのです。
 そして、そうした煩悶が一気に昇華し、ヤクザな稼業をしていてもヤクザな生活はするな、というマキノ流任侠哲学が高らかに宣言されると同時に、男が女に惚れ、女が男に惚れるという新派調メロドマラマが最高潮に結晶しているのが、シリーズ中の最高傑作とも目される第八部でしょう。
 この第八部を作ってしまったからには、マキノにとって第九部は付け足しでしかなかったのかも知れません。既に「オール読物」に連載していた村上元三の原作を映画が追い越してしまい、第八部は完全なマキノのオリジナル・ストーリーだったという事情もあったのでしょうが、もはや村上原作をなぞって次郎長一家の物語を編んでゆくことに、マキノ自身は意欲を失っていたのかもしれないとすら思えます。そうなると、第九部は、本来の侠客とは堅気の人々を守り、時には無力な堅気の代わりになって、役人や侍と対峙することも辞さないものだ、というマキノ流哲学をさらに推し進めるしか興味はなく、物語の推進力であった甲州の大親分・黒駒の勝蔵に次郎長一家が最後の大勝負を挑むというお話には、描写の執念が感じられなくなります。その意味で、このシリーズが完結篇の第十部を持つことなく、第九部をもって尻切れトンボの未完に終わったことも、理解できるような気がしたのです。


「女中ッ子」(5月7日 三百人劇場)
1955年/監督:田坂具隆

【★★★★★ 日活多摩川以来伝統の厳しいリアリズム。貧しき者への慈愛溢れる田坂の代表作の1本】

 三百人劇場では、野村芳太郎の30本に及ぶ回顧上映に続いて、田坂具隆17本と島耕二4本のミニ特集が始まりました。この機会に未見の映画や久しぶりの映画などを中心に観直そうと思っています。
 この「女中ッ子」は、1977年、当時参加していた“映画村”の自主上映会で観たことがありますが、今回観直していて、映画後半のエピソードをまるで覚えていませんでしたので、もしかしたら1本全部を観たことはなかったのかも知れません。
 東京・上野駅に降り立った左幸子が国電を乗り換えて山の手に移動してゆくタイトルバック。上野駅から東京駅近郊のビル街を抜け、同一規格の住宅が建ち並ぶ地帯を抜け、次第に田園が残る地域に入ってゆく車窓からの光景は、東京にもまだ田畑の匂いが残っていた時代の空気を伝えます。そして、車内にいる若い女性たちのファッショナブルないでたち(ピカピカのハイヒール、洒落たハンドバッグ、イアリング等のクローズアップ)を見て、驚く左の純朴な田舎娘ぶりが、観る者の心を武装解除します。そうした場面を一切の科白を抜きに、映像だけで示してゆく田坂の演出には、ドキュメンタリストのような確かな観察眼が働いています。
 坂の多い山の手を重そうな荷物を持って歩く左が、住宅街の坂道途中にいるクリーニング屋に、目指す家の住所を伝え、その家がどこにあるかを尋ねると(世田谷区内の某番地です)、「世田谷区○○の××番地、△△さんの家は、きみの眼の前にあるこの家だよ」とクリーニング屋が応える場面が笑いを誘います。
 生憎自分を雇ってくれた夫人は留守なのですが、勝手口で夫人の帰りを待ちながら、左はペダルを踏むと蓋が開くゴミ箱が珍しいらしく、何度もペダルを踏んで面白がっているあたりの仕草が、実にリアルです。
 こうしてこの家で女中として働き始める左ですが、雇い主の轟夕起子は家族のことを“さん”と呼ぶことを許さず“さま”と呼ぶよう強いるなど、主従関係のけじめだけははっきりさせようとするタイプであり、左もそうしたけじめを当然のこととして受け入れています。女中という言葉を“差別用語”として忌避する現代とは時代が違うのであり、同じような時期の東京を舞台にし、同じように東北地方から東京に住み込みとしてやってきた少女を扱いながら、去年公開された「ALWAYS 三丁目の夕日」とは一線を画した倫理観が、55年の日本には厳然として存在していたことを思い知らされます。
 主人の佐野周二は時計会社の部長をしているのですから(この家の応接間には世界各国の時計が所狭しと置かれており、正時になると一斉にチャイムを鳴らし始め、左を驚かせます)、いかにもプチブルジョワ家庭という感じなのですが、近所には佐野の上司にあたる重役が引っ越してきて、サラリーマン社会のヒエラルキーの悲哀を観客にも感じさせます。
 そして物語上最も大きな役割を担っているのは、この家の次男である伊庭輝夫です。彼は最初、左に向けてパチンコ玉を撃ったり、乱暴な言葉遣いをするなど、女中を見下した態度をとっているのですが、彼が親に隠れてこっそり飼っている子犬の飼育に左が協力するようになってから次第に打ち解けるようになります。台所仕事をしながら雪深い故郷・秋田での子供たちの遊びについて話をする左にじっと耳を傾ける伊庭が、台所の引き戸を繰り返し滑らせている仕草が実に子供らしく、先に見せたゴミ箱のペダルにせよ、この引き戸にせよ、田坂演出は役者に何気ない仕草をつけることによって役柄にリアリティを付与するのが巧いと痛感させられるのであり、これも田坂が長年培ってきたリアリズム表現の成果なのだろうと思わせます。
 伊庭の学校の運動会(駆けっこ場面で、スタート地点後方に置いたクレーンキャメラの上昇運動を繰り返すことによって、何やら浮き立つような運動会の歓びを表現する巧さ)に左が飛び入り参加して一等賞を獲った翌日、近所に越してきた重役の息子によって伊庭が“女中ッ子”呼ばわりされるなどイジメに遭った時、左はイジメっ子を打擲するような短絡的な行為ではなく、一等賞を獲った時と同じ条件で彼と一緒に走り抜けることによって彼自身に非を認めさせるという真に教育的な振る舞いに徹してみせ、観る者を見事に説得してしまいます。
 と、このへんまでは記憶にも残っていたのですが、ここからあとは全く記憶が欠落しており、多分このへんで中座したのではないかと思っているわけです。
 一家からの信頼を得るようになった左は正月休みで実家秋田への一時帰郷を許されるのですが、左が留守中に子犬が轟の靴に悪戯し、怒った轟は犬を捨ててしまいます。狂ったように犬を探し回る伊庭。世田谷にはまだ小川や池、林や小山など自然が残っていた時代で、伊庭が犬を探す背景として緑豊かだった東京が垣間見られるのですが、伊庭は犬を捨てられたことで親への信頼を失い、大胆にも単身で左のいる秋田に汽車で向かうのです。
 吹雪の中で伊庭が遭難しそうになるというサスペンス場面を経て、伊庭を保護した左の実家には、正月行事として “なまはげ”がやってきます。嘘つきの子供はいないか〜? 親を困らせる悪さをしている子供はいないか〜?と雄叫びを上げるなまはげと、怖がって隠れる左や伊庭を丹念に見せながら、田坂は日本人の伝統の中に息づく児童保護、及び教育的哲学(なまはげとは、まさに教育的な行事なのです)を提示し、1955年の観客たちに向けて自省を促しているように思えました。
 翌朝、左が伊庭を東京に連れ帰ろうとした時、左の実家に向かう雪深い道を歩いてくる人影二つ。佐野と轟です。この二人が何度も雪に足をとられながら必死に前進して家出した息子のもとへ向かう姿を追った長い横移動撮影は感動的です。
 東京の日常が戻ったある雨の夜、勝手口の物音に気付いた左が扉を開けると、捨てられていた子犬が戻ってきました。伊庭を始め、歓びを弾けさせる人々。すべてが美しいハッピーエンドに納まるかに思えたその時、物語において小骨のように喉に引っ掛かっていた行方不明の轟所有のオーヴァーコートが左の箪笥の中から発見されたことで、思いもよらなかったラストが導き出されてしまうのです。
 あまりにも厳しすぎるのではないかと思えるほどのラストに打ちのめされ、左のような善人にこのような仕打ちを設けなくてもよかろうに、と思い、自己主張を封じて伊庭への忠誠を貫く左の生き方は滅私奉公という戦前の倫理を美化してやいないかと訝しく思いながらも、子供を傷つけることなく善導する真に教育的な左の姿勢にも説得されたのであり、震えるような感動が背筋を走るのを感じていました。
 人間を凝視したところから生まれる田坂の作劇は、日活多摩川撮影所伝統のリアリズム路線を正統的に引き継ぐものであり、田坂の誠実極まりないキャラクターを反映したものでもあるでしょう。
 素晴らしい傑作でした。


「どぶろくの辰」(5月7日 三百人劇場)
1949年/監督:田坂具隆

【★★★ 工事現場で働く土木作業員を描いた映画だが、工事現場を撮ったドキュメンタリータッチに瞠目】

 「女中ッ子」に続く田坂具隆特集の2本目。新国劇の芝居を映画化したもので、45年8月6日に広島で被爆した田坂が長い闘病から映画界に復帰した戦後第1作目です。
 舞台は北海道の炭鉱地帯。険しい岩山を切り崩してダンプカーが通るための道を作っている“土方”即ち土木作業員たちを描いた映画です。
 冒頭から男声合唱団によるハミングの唄が低く歌われる中で、土方たちが鶴嘴を振るい、トロッコに岩石を載せ、岩山に発破を仕掛けるといった姿を、まさにドキュメンタリーとして描いてゆき、画面に迫力をもたらしています。
 主人公の辰巳柳太郎は仕事中もどぶろくを飲んで景気をつけ、女のことはモノとしてしか扱わないような粗野な男で、飯場の賄い婦として働き始めた水戸光子のこともすぐにモノにしてやると豪語し、仲間の河津清三郎とどぶろく3升を賭けているような野郎です。
 ところがいざ水戸を口説こうとすると、凛として男に媚びない水戸を前に、辰巳が生来持つシャイな側面が顔を出して怖気づいてしまうのです。
 物語は、辰巳と水戸が次第に親密度を深めてゆく過程を縦軸にして、土方たちのリーダー格の菅井一郎、出征中に自分が戦死したと誤解した妻が別の男に体を許したことに悩み、土方という仕事には反発を覚えながらもここに逃避してきている伊沢一郎、彼を追ってきた妻・羽鳥敏子、辰巳に想いを寄せる酌婦・入江たか子、辰巳にライヴァル心を燃やす河津らを絡めて展開してゆきます。
 こうしたドラマ部分はスタジオ内のセットで撮影されており、堅実な作りに感心させられるのですが、何と言っても映画が輝くのは土方たちの作業現場を撮ったロケーション場面で、辰巳と河津が口論から腕ずくの喧嘩を始めるくだりなど、急峻な岩山を舞台にガチンコの肉体勝負を繰り広げ、キャメラはそれを望遠レンズで追い、迫真の場面にしています。
 この映画は大映東京撮影所の製作ですが、ここはもともと日活多摩川撮影所と呼ばれていたところですから田坂にとっては古巣であり、「五人の斥候兵」「路傍の石」「土と兵隊」などで組んで気心の知れたキャメラマン伊佐山三郎と見事なコラボレーションを見せています(彼は、田坂が日活に転じると行動を共にし、前記「女中ッ子」「陽のあたる坂道」「乳母車」などでも田坂に協力します)。
 お話が途中でやや停滞してしまう点がありますが、なかなか見応えのある映画でした。


「忍術児雷也」(5月10日 シネマヴェーラ渋谷)
1955年/監督:加藤泰、萩原遼

【★★★ 大ガマ、大蛇、大ナメクジが出てくる子供騙し映画とも思えるが、きちんと正統的時代劇にしている】

 シネマヴェーラ渋谷での加藤泰特集で「忍術児雷也」。この映画は続編「逆襲大蛇丸」と併せて一つのお話を構成しているのですが、わたくしには2年前にラピュタ阿佐ケ谷で後編のほうだけを観る機会があり、この前編は観ていなかったのです。
 クレジットには加藤泰と先輩格の萩原遼が共同監督したことになっていますが、事情通の友人・彦一さんに伺ったところ、実際は加藤の単独演出だったそうです。
 応仁の乱が終わった直後の戦国時代。今の長野・新潟あたりの三国が争い、柏崎と諏訪の殿様が生き残り、尾形家は滅ぼされたことが、冒頭のナレーションと戦闘映像のフラッシュ(多分過去に作られた映画のフッテージでしょう)で説明されます。
 柏崎の殿様は尾形家の残党を壊滅させようと、3人の山賊(田崎潤、山口勇、小林重四郎)を雇いますが、小林は実は尾形家残党だったため、この企てには加わりません。そこで田崎と山口が手下を連れて尾形家残党が住む部落を襲うのですが、ここに住む若者・大谷友右衛門は病気の父親・小川虎之助のために薬を買いに行っており難を逃れます。そして大谷が部落に戻った時、瀕死の小川から、実は大谷が尾形家主君の忘れ形見だという事実を聞かされるのです。
 大谷は柏崎の殿様に復讐を果たし尾形家再興のために立ち上がるのですが、旅の途中で大ガマと大蛇が争っているところに出くわし、大ガマを助けて大蛇を斬ったため、大ガマに化けていた忍術使いから忍術を伝授されます。一方、大蛇に化けていた忍術使いのほうは、田崎に乗り移ったため、田崎は忍術を使えるようになります。また、小林重四郎が尾形家再興のために動き出した際に行動を共にするようになる利根はる恵は大ナメクジに化ける忍術を身につけるのです。
 大ガマ、大蛇、大ナメクジが出てきて、目玉の松ちゃんこと尾上松之助が活躍したサイレント期の「児雷也」と大差なかろう稚拙な特撮でぎこちない動きをするところなど苦笑が漏れますし、所詮子供騙しではないかという考えも頭を掠めるのですが、加藤にはお子様ランチを作ろうなどというつもりはさらさらありません。
 児雷也を名乗り始めた尾形家の遺児・大谷と大蛇丸・田崎の対立を軸に、最初は柏崎側についていながら尾形家にも好意的な態度を取り始める諏訪の家老・香川良介、その息子・若山富三郎(若山はこの映画がデビュー作です)、諏訪の姫君・嵯峨三智子、諏訪藩の軍師・大河内伝次郎など役者の顔ぶれを揃えた上、チャンバラ場面もふんだんに盛り込み、正統的な時代劇を組み立ててゆくのであり、きちんと大人も充分に愉しめる時代劇に仕立て上げているのです。
 諏訪の城を舞台に繰り広げられる児雷也と大蛇丸の対決は決着がつかず、続編に持ち越されるのですが、それでも結構愉しめる映画だったのであり、満足感を胸に劇場をあとにすることができたのでした。


「春雪」(5月11日 フィルムセンター)
1950年/監督:吉村公三郎

【★★★ 吉村らしい華麗な技巧は影を潜めているが、貧しき正直者の健気さが胸に沁みる。主演女優が下手】

 フィルムセンターの脚本家・新藤兼人特集で吉村公三郎監督の「春雪」。初めて観る映画です。
 冒頭、藤田泰子扮する主人公が家の前の土地に鍬を入れて耕そうとしているのですが、ここは田舎ではなくれっきとした東京の住宅地です。父親・志村喬に呼ばれて藤田は家の中に入り、家族で朝食をとるのですが、母・英百合子、弟・高橋貞二、上の妹・沢村晶子、下の妹・山本清子の6人家族が黙々と食事する場面を、母は右の真横から、父は斜め下からのアオリ、藤田は斜め左から、沢村は真正面から、そして6人が卓袱台を囲むところを真上から俯瞰で、といった具合にそれぞれアングルを変えて撮っており、テクニシャン吉村らしい遊び心を見ることができて微苦笑が浮かびます。
 上の妹・沢村はこの日からセメント会社社長の家で女中として住み込みで働き始めることになっており、これで家計が楽になると語られていることから、家はかなり貧しいことがうかがえます。そして沢村は田園調布へ、藤田と志村は渋谷へと、東横線の中目黒から出掛けてゆきます。
 藤田の勤務先は東急線渋谷駅で切符売りや改札をやっています。運転士の佐野周二とは2年越しの付き合いで結婚の約束も交わしていますが、藤田の家が彼女の収入を頼りにしているため、なかなか結婚に踏み切れません。佐野は待ちくたびれて、今夜こそ親から結婚の承諾を得てほしいと藤田に念押ししています。
 渋谷駅舎の屋上で弁当を食べながら語り合う藤田と佐野の眼下では3両編成の東横線が走り、周囲には高い建物もなく、牧歌的にすら見えるのですが、むしろ戦後の不景気から抜け出せず貧しさの只中にある東京の姿でもありましょう。
 志村のほうは、工場に出勤したふりをしていますが、実は工場はとっくに閉鎖され、志村は失業中なのです。閉鎖された工場の空き地に腰を下ろして寂しく弁当を食べる志村も、貧しい東京の姿そのものなのでしょう。
 物語は、藤田が切符売りとして知り合った龍崎一郎が、妹・沢村が勤めるブルジョワ家庭の御曹司であることがわかり、その龍崎が藤田に惹かれて求婚するに至ったことから、佐野と龍崎の間で藤田が揺れるという展開となります。
 このように書くと、典型的な三角関係のラヴストーリーかと思えますが、実際の映画はホームドラマの要素が強調されています。
 家賃を4か月分も滞納しながら志村が失業中の家では払うこともできず(藤田が妹・沢村に頼み込み、龍崎の家から給料の前借りをしてもらうことで、当座の家賃滞納催促を何とか切り抜けます)、両親は、藤田が富豪の家に嫁いでくれれば経済的な援助も期待できると、龍崎との結婚を望んでいます。龍崎に誘われて彼の住む豪邸を訪れた藤田は、妹・沢村が女中として甲斐甲斐しく働く姿を見ながら、電気冷蔵庫やコーヒー・サイフォンが揃った広いキッチンに憧れの眼を向けています。弟・高橋は貧しさに居直り、家賃など無理して払わなくてもいいのであり、まずは食って生き抜くことが先決だと主張する一方、金ほしさのあまり悪い友達の仲間に入り万引き未遂事件を起こして警察に補導されてしまうのです。
 しかし、だからといって彼ら家族の生活が卑屈に歪んでいるかというとそうではなく、貧しさに押し潰されながらも間違った生き方だけはするまいと懸命に健気に生きている善人たちなのであり、龍崎がくれた高級洋菓子を箸で食べる母・英の仕草に、主人公一家の貧しいけれど飾らず健気に生きる姿が象徴的に表象されています。
 吉村公三郎の作風には、貧しき人々への支持を真摯に表明する旧左翼的な“主義者”としての側面があり、この映画もその傾向の1本に数えられるでしょうが、もう一方で、風俗的な題材をキザなまでに贅沢に、華麗に描くテクニシャンとしての側面のほうに誰にも真似できない個性が発揮されていたのであり、その意味ではこの映画にはケレンとも呼べそうな吉村の技巧は封印され、先述した冒頭の朝食場面における多彩なアングル採用や、藤田が佐野の真っすぐな想いを受け止めようかと思う電車の場面における線路の描写などに、テクニックの披瀝が認められるものの、総じて技巧は主題の陰に隠されていますから、吉村らしさは希薄だとすら思えます。
 そこに物足りなさを感じなかったと言えば嘘になるでしょうが、貧しさに負けることなく生きる人々に強い共感を覚えることも事実です。
 物語は、佐野が静岡に転勤するという転機を導入し、途中まで送りに行った藤田が佐野とともに曇天の海岸を散歩したのち、海辺でつましく焚き火をして、そこで口づけを交わす場面を用意します。佐野との結婚を決意した藤田は、帰宅して両親に龍崎との縁談を断るよう伝えます。落胆しながらも、娘の決断を支持する両親。
 映画のラスト、春雪が降った翌朝の家の前の空き地に藤田が蒔いた麦が芽を出しているのを発見し、踏まれれば踏まれるほど強く育つという麦に自分たちをなぞらえるところにエンドマークがかぶります。わたくしたち観客には、彼ら健気な一家に幸多からんことを願いながら、劇場をあとにします。
 貧しさという主題は古今東西の映画を豊かにしてきたのですが、日本映画黄金時代と呼ばれる1950年代もこの主題が底流にあったことをまたしても痛感しました。
 なかなか味わい深い佳作だったのですが、難点は主演・藤田の芝居の拙劣さ。素人に毛の生えた程度の科白回しでは観客をシラケさせてしまうこと甚だしく、八重歯が印象的な顔立ちには魅力を覚えつつ、到底主役を張れる力はないと言わざるを得ません。


「殺したのは誰だ」(5月12日 フィルムセンター)
1957年/監督:中平康

【★★★ 菅井一郎が主演する、戦中派世代の悲哀映画。50年代の中平康の鋭い切れ味を再認識できる佳作】

 この日もフィルムセンターの新藤兼人特集で中平康監督の「殺したのは誰だ」。
 中平映画は3年前にユーロスペースで回顧上映が行なわれた時に27本を観て、50年代の中平演出に強く惹かれたのですが、この「殺したのは誰だ」は観ていませんでした。
 冒頭、日活マークが出ているバックで車のエンジンをかける音が響き、運転席の計器類からキャメラが右にパンすると男の手がカーラジオのチューニングを始め、ラジオからジャズィーなブルースが流れ始めたところにタイトルがかぶるという、なかなかキザな出だしです。
 主人公・菅井一郎は外国製中古車のディーラーで、今まさに銀座の商店主との商談をまとめようとした矢先に(商談光景のバックには銀座並木座の看板が見えます)、後輩ディーラーの西村晃に仕事を横取りされてしまいます。
 タイトルからは殺人事件を契機としたサスペンスものを想像していましたので、すわこのへんで殺しが起きるのかと思ったら、さにあらず、菅井との腐れ縁を続けている内妻・山根寿子、金持ちの級友の小遣いを資金に賭けビリヤードをしてバイト代を補っている大学生の息子・小林旭、山根と父の関係を疎ましく思うキャバレー勤めの娘・渡辺美佐子らに囲まれながら、なかなか仕事がうまくゆかずに焦燥を深める菅井を描いてゆくばかりです。しかも、中古車ディーラーを追う“職業もの”という範疇に収まる話というわけでもなく、戦中派の大黒柱に疲弊が見え始めた家族それぞれが現在と格闘する姿を描き出すホームドラマの要素を濃厚にしてゆくのです。
 犯罪サスペンスものを想像していたわたくしは、肩透かしを食ったような思いを味わいながらも、菅井を中心に登場人物たちが生き抜くためのぎらぎらしたエネルギーを発散させてゆく迫力には圧倒されていました。
 山根が経営する一杯飲み屋兼定食屋にぶら下げられた蝿取り紙、その店にいつもたむろしている廃人同然の戦中派男・浜村純が放つ腐臭、旭が興じる賭けビリヤードにおけるボールのスティッキーな動き、旭が流す汗、等々、映画の中に提示される記号の一つ一つが、ぎらぎらした現状への焦りやそこから抜け出したいという欲望を比喩的に表わし、中平はそれを多彩なフレーミングと小気味よいカット割りで画面に切り取ってゆくのです。
 菅井が金に困っている中、西村からある危険な話が持ちかけられます。保険金狙いで、わざと外車をどこかにぶつけて壊したいので、その運転をやらないかという話で、菅井は山根の反対を押してそれを引き受けてしまいます。千駄ケ谷のロータリーと呼ばれる場所に車をぶつけようとして何度もチャレンジするものの、ぶつかる寸前にハンドルを切ってしまう菅井。ところがたまたま居合わせた仕事仲間の殿山泰司が代わりに運転して、車を大破させ自分の命も落としてしまいます。
 この一連の場面を、クレーンキャメラを駆使して大胆かつスリリングに演出してゆく中平は、公開当時の日本映画界では最も斬新かつダイナミックな映像センスの持ち主であったことは間違いないでしょう。
 殿山の死によって、観客は漸く「殺したのは誰だ」というタイトルの真意を読み取れるようになるのですが、お話の中の菅井は、このままの生活に限界を感じ、故郷に引き上げようかと考え始め、山根は安堵の思いで彼と行動をともにすると伝え、飲み屋も畳むことにします。しかし、たまたま外車の売れ先を見つけた菅井は再びディーラーの仕事にやる気を燃やしてしまいます。
 その頃息子・旭は姉・渡辺の貯金をはたいてイチかバチかの賭けビリヤードに打ち込んだものの、無残な敗北を喫しています。そんな旭に対して西村が再び保険金目当ての車事故の話を持ちかけるのです。旭が西村の話に乗ってしまったことを聞いて、千駄ケ谷に車を走らせる菅井。わざとぶつけるため車を発進しようとする旭。いよいよ物語の終結点に向けてサスペンスが引き絞られてゆきます。
 老残兵の無惨な退場劇を観ながらわたくしは、戦争を潜り抜けてきた世代が戦後の価値観変容に追い付けなかったという悲劇をドラマの裏側に感じていました。それを中平は、じりじりした焦燥として随所に盛り込んでいったのだろうと思ったのです。
 面白い映画でしたし、50年代の中平はやはり切れ味抜群の演出家だったことを再認識しました。


「源氏物語」(5月12日 フィルムセンター)
1951年/監督:吉村公三郎

【★★ カンヌで受賞した杉山公平のキャメラ、名手・水谷浩の装置などは見事だが、宮廷絵巻には乗れず惰眠】

 フィルムセンターで新藤兼人脚本・吉村公三郎監督の「源氏物語」。紫式部の古典も、与謝野版や谷崎版、瀬戸内版も読んだことはなく、平安の宮廷絵巻ものは好みでもないのですが、世評では吉村の代表作の1本に数える人もいるくらいですから、まあ観ておこうかな、と思って前記「殺したのは誰だ」に続いてフィルムセンターに居座りました。
 冒頭は光源氏の母親となる桐壺が若い頃、御門の正妻から嫌味を言われながら御門の寵愛を受けていたことを描いているのですが、正妻に扮した東山千栄子と桐壺役の相馬千惠子が対峙する場面で、平安時代の光量の少ない光源たる蝋燭が風に揺れるのに合わせて、光がゆらゆらと両者の顔や全身を行き来する繊細な照明設計に驚かされました。奥行の深い宮廷をセットとして再現し、部屋の一つ一つにスノコを垂れ下げて、衣裳や髪型なども含めた世界観を見事に作り上げた水谷浩の美術監督ぶりも賞賛に値するでしょう。カンヌ映画祭が杉山公平に撮影賞を贈ったのは至極真っ当な評価だったでしょう。
 このあと、蟄居した桐壺が御門の子である光の君を産み、その光が長じて都の女たちの噂話の中心をなす美男子になるという展開。光は、葵の上(水戸光子)という正妻がありながら、御門の側室でもある藤壺(木暮実千代)に想いを寄せ、二人をほぼ同時期に妊娠させた上、藤壺と面会できなくなると紫の上(乙羽信子)という美少女を養女として貰い、自分のことを誘惑する右大臣の娘・朧月夜の君(長谷川裕見子)のことは一夜の遊びとしてあしらって右大臣の怒りを買うといった具合に、プレイボーイぶりを発揮してゆき、さらには右大臣の嫌がらせから逃れるために須磨に引き込んでからは原作にない淡路の上(京マチ子)というキャラクターや右大臣が差し向けた刺客と光が立ち回りを演じる場面も盛り込んで、大映10周年を記念して作られた大作に相応しい派手さを纏ってゆくのです。
 しかし、雅びだか何だか知りませんが、生活感を欠いた宮廷生活の中で、次々と女を篭絡しておきながら藤壺と逢えなくて寂しいだのとうそぶいて涼しい顔をしている破廉恥漢の自慢話(それは21世紀の眼から見て破廉恥と思うのであって、10〜11世紀では常識だったのかも知れないとしても)には興味が持てず、ところどころで睡魔に負けてしまったのでした。


「小さき勇者たち ガメラ」(5月13日 上野セントラル3)
2006年/監督:田崎竜太

【★★★ 友人たちの評判がいいので観たが、子供の視点を貫いて話の風呂敷を広げなかったことが奏功した】

 この日は朝からジトジトと嫌な雨が降り続いて外出する気がせず、映画を観るのもやめようと思っていたのですが、仲間内に送られるメールでこの映画を賞賛する声が相次いでいたので、心動かされました。そこで新聞の映画館タイムテーブル欄を眺めていたら、上野セントラルという小屋が“明日閉館”と書かれてあるのに眼が行き、長年お世話になった上野セントラル(旧・上野松竹)に別れを告げるのも悪くないと思い、腰を上げました。
 上野駅前にあった映画館では、上野東宝(と地下の上野宝塚)は既に2年前に閉館となり、今は外見の洒落た飲食ビルに様変わりしています。上野松竹の入っているビルのほうは、1階には上野土産の小さな店がゴチャゴチャと雑居しており、老舗の松竹は構内の壁にはレリーフが施されているような映画全盛時代を偲ばせる立派さを持つ一方、3階や地下にある小さな小屋は元々ピンク映画をかけていたようなところで、こんな小屋でも他の大きな小屋と同じ1800円を取るのかと文句をつけたくなるような汚い小屋で、ビル全体の老朽化も眼を覆いたくなるほどでしたから、そろそろビルの寿命がきていることは間違いないのでしょう。このビルの階上には山手線電車からも覗ける囲碁会館が入っているのですが、それも取り壊されることになるのでしょう。このビルが取り壊されるとなると、ビルのほぼ真上に位置する西郷隆盛像はどうなるのか、いらぬ心配もしてしまいますが、まずはここで見せてもらった数多くの映画を思い出しながら、劇場に感謝を捧げておきましょう。これ
で上野駅前から映画館は姿を消してしまうことになります。地元に住む人間としては寂しい限りです。
 さて本題の映画。
 冒頭、1973年・三重県とクレジットされる中、海辺の村から火が上がり、人々が逃げ惑っています。何が起きているのかと思って画面の推移を観ていると、その火はガメラとギャオス数頭が闘った過程で出た火のようで、一人の少年が見詰める中、ガメラが自らの身体を極限まで発熱したのち自爆することによってギャオスともども巨大生物たちを消滅させ、人間たちを守ったことが描かれます。
 時は2006年に移り、73年にガメラの最期を目撃していた少年は、妻に死なれて一人息子を育てることになった父親・津田寛治になっており、その傍らでは息子の富岡涼が、海の上に浮かぶ小島でピカッと光る物体を見つけています。ある日、富岡が単身で小島まで泳いで渡り、その光る物体が、小さな卵とそれを載せた赤い台座のようなものだということを確認します。その卵は富岡の手の上で孵化し、中から小さな亀が生まれてきます。
 映画は、この小さな亀を父に隠れてこっそり飼育した少年・富岡が、次第に亀が巨大化するのを体験し、ちょうどそれに合わせたかのようにこの三重県の海辺に“ジーダス”と名づけられる巨大生物が上陸したため、巨大化した亀が“ガメラ”としてジーダスに戦いを挑むことになってゆく過程を描いてゆきます。そう、この映画では、あくまでも子供の目線でガメラを捉えることに徹しているのです。
 金子修介が作ったいわゆる“平成ガメラ3部作”は、「機動警察パトレイバー」等、押井守と組んできた脚本家・伊藤和典の精密なシナリオを得て、ガメラやらギャオスやらレギオンやらイリスやらといった怪獣たちの出現を本格的なSFとして組み立て、自衛隊を中心とする人間たちも叡智を集めてこの事態に対処するという、まさに大人のドラマが展開し、東宝「ゴジラ」シリーズにも大きな影響を与えたわけであり、そうした“脱ガキ向け路線”を今度の「新ガメラ」にも期待していた向きには、大いに期待外れだったことが想像されますが(じじつ、わたくしがよく利用する「All cinema online」というサイトでは、「金をドブに捨てる」「最低な低予算映画」「見る側の意図と反する作品」「キツイ出来」などと散々の書き込みがなされています)、いい年をして「ガメラたるもの、かくあらねばならん」などと本気で憤る“ヲタク”たち(わたくしもこの層に属することは自覚しております)を客層としているわけではなく、“平成3部作”をヴィデオやDVDでしか観たことのない子供たちに、大スクリーンで活躍するガメラを見せてやりたいというのが、この映画の製作者たちの狙いなのでしょうから、わたくしたちも子供心に戻ってスクリーンを見詰めることが要求されていると言うべきでしょう。
 確かに、この映画ではガメラと対峙する大人たちは政府高官の田口トモロヲと巨大生物研究家の石丸謙二郎の二人だけにほぼ限定され、自衛隊やら警察やらは後景に退いており、専ら主人公・富岡とその友人たちという子供たちがガメラを見守り、ガメラに夢を託し、ガメラに力を与えることになるのですが(子供たちの手をリレーして、ガメラにパワーを与える赤い台座が届けられる様は、思わずジーンとくるほど感動的でした)、その子供を支える存在の象徴として、富岡の父親役である津田寛治を重石のように置くことを忘れていません。
 そして、全篇を子供目線に徹して、風呂敷を大きく広げすぎないことによって、やや小ぢんまりとした印象は否めないものの、実感のこもったお伽話に仕立てることに成功しているのだと思います。この映画は、子供たちに向けたお伽話のガメラなのです。


「幻の馬」(5月14日 三百人劇場)
1955年/監督:島耕二

【★★★ 競走馬を育てる牧場での少年と馬との触れ合いを通して、少年の成長物語を編む。悪くないが、温い】

 三百人劇場では田坂具隆ミニ特集に加えて島耕二の4本が上映されます。「風の又三郎」「次郎物語」はここ数年来で観たことがありますので、未見の「幻の馬」「いつか来た道」の2本だけを観ることにしました。
 「幻の馬」は、大映ワンマン社長の永田雅一が馬主をしていた“トキノミノル”がダービーを制覇しながら直後に急死したことを受けて、永田社長の思い出のために作られた映画と言われていますが、確かに企画の端緒はそうだったかも知れないものの、島耕二は「風の又三郎」や「次郎物語」に通じる少年の成長物語を編んでいます。
 雪深い北国にある小さな牧場で、その牧場の次男坊・次郎(岩垂幸彦)が馬の出産を心待ちしているところから映画は始まり、翌日の夜明け前、生まれた子馬は次郎が“タケル”と名づけます。
 このあと、物語はこれ見よがしの劇的要素は含まないまま、淡々と進んでゆくのですが、近くに海があり、海岸からそれほど遠くないところには山が隆起し、海岸近くには蒸気機関車が走るという、牧歌的な田舎村を舞台に、母馬を恋うるタケルの飼育に、小さくして母を失った自分自身を投影した次郎がのめり込んでゆく様は、その健気さゆえに観る者の心を武装解除します。その仲睦まじいながらも、馬も人間も幼いがゆえに危うくもある関係は、1947年のアメリカ映画「仔鹿物語」(クラレンス・ブラウン監督)を思い起こさせました。
 この次郎とタケルの紐帯におけるいわば蜜月時代をじっくり描いたことが、中盤以降物語に変化が生じてから効いてきます。まずタケルを競走馬として立派に育てるために資金が必要となり、母馬が売られてしまいます。母を失ったということで、この時点でタケルは次郎と同質化するのです。
 さらに、タケルが山火事に巻き込まれ、次郎の父・見明凡太朗はタケルを助けようと火の中に飛び込み、タケル救出には成功するものの、自分が大火傷を負った上、死んでしまうのです。タケルのせいで父ちゃんが死んだんだ、と責める次郎ですが、タケルにはそもそも同居する父馬がいなかったのですから、これもまた次郎がタケルと同質化したとも考えられましょう。
 こうして次郎とタケルが両親を失ってから、タケルは一気に競走馬としての才能を顕在化するのであり、そこには次郎の存在が不可欠だったのです。父・見明が死んだあと、牧場は長女・若尾文子に任されるのですが、次郎は若尾に向かって「タケルは売ってくれるな」と訴えるものの、牧場の経営は困窮を極め、また競走馬としての才能を競馬関係者が放っておくわけもなく、タケルは東京の厩舎に売られてゆきます。あれほど親しかったタケルとの別離は、今度は次郎を精神的に成長させることになるでしょう。
 そう、この物語は、少年と馬との相互的な成長を描いた話なのです。
 しかし成長は順調には捗りません。タケルは中央競馬にデビューした第1戦で優勝目前の位置につけながら、山火事に遭遇した恐怖が蘇ったという設定で優勝をフイにしてしまいますし、このあとなんとか恐怖心を克服してダービー出馬寸前になりながら、厩舎の近くで火事が発生し、再び恐怖心を蘇らせてしまうのです。こうなると、今度は次郎がタケルに力を貸してやる番です。あえて母馬を連れてくるでもなく、タケルが聞き慣れた次郎の歌声と故郷の牧草の匂いがタケルの立ち直りに力を発揮するのです。
 ダービー制覇の直後、タケルが腸捻転を起こして急死してしまう展開は、大映・永田社長に“トキノミノル”の思い出をプレゼントして喜ばせるための発想だったのでしょうが、次郎のお陰でダービーを制覇したタケルには、今度は次郎を成長させるための材料が必要だったのであり、それは自らの命を賭することだったのですから、この死は、いわば物語が完結するための必然だったとも言えましょう。
 こうして馬と少年の成長物語として観てゆくと、なかなか見応えのある映画ではあったのですが、山火事の記憶がタケルに恐怖心を植えつけるなどという、人間心理学のようなものが馬に援用されていることには、やや眉唾ものの作り事を感じてしまいましたし、同じような馬と人間の交流を描いた山本嘉次郎「馬」と比較してしまうと、世界観全体がどこか生温く弛緩していると思わざるを得ない面もあり、★3つという評価に落ち着きます。


「いつか来た道」(5月14日 三百人劇場)
1959年/監督:島耕二

【★★★ 盲目で難病を抱えた弟のために奔走する姉。典型的なお涙頂戴映画だが、島演出の善意ゆえ嫌味なし】

 島耕二のミニ特集2本目は、盲目で難病のヴァイオリニストを弟に持つ山本富士子が、弟のためにウィーン少年合唱団の招致に奔走するという「いつか来た道」。
 山間を走る列車を追うタイトルバックから既に島耕二らしい牧歌的な風景を提示しているのですが、機関車は前記「幻の馬」のように蒸気ではなく、電気になっているあたりが、スクリーンサイズがスタンダードからシネスコになったことと呼応して、55年と59年という2本の製作年の間に横たわる日本という国家の変容を能弁に伝えています。
 その変容は、「幻の馬」には全編にわたって横溢していた貧しさという主題がこちらの映画にはきれいさっぱり払拭されていることにも看て取れます。山梨の田舎村で葡萄園を営む山本の家は、死んだ父親が名ヴァイオリニストだったという設定になっており、

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