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200×年映画の旅コミュの映画の評価軸

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◎映画のことをどう評価するか。これは映画ファンにとって永遠のテーマだろうと思います。
◎例えば“いい映画”とそうでない“悪い映画”。これはもう少し敷衍して言えば、“出来のいい映画”と“出来の悪い映画”ということになりましょう。これはわたくしもよく使う二分法ですが、何をもって出来の良し悪しを判断するかといえば、結局は観た者の主観でしかなく、多くの人に説得力を持つ評価軸とは言えない面もあります。わたくしがこの「映画の旅」で、“これは出来がいい”などと断言していても、それはあくまでもわたくし個人の見解に過ぎないのですから…。あらゆる批評行為というのは、その人の独断の披瀝とすら極言できるわけですが、その“独断”を如何に説得力ある言葉で語れるかということに、その筆者の力量が問われるということでしょう。
◎もっとよく使う二分法は、“面白いか”またはそうでない“つまらないか”という評価軸です。「○○という映画、観たよ」「どうでした?」「面白かったよ(または、つまらなかったよ)」……わたくしたちがごく日常的に交わしている会話です。この面白いか否かという二分法は、先の“良いか悪いか”よりさらに評者の主観に拠っているものですから、滅多やたらにこの評価軸を他人に披瀝するのは躊躇われます。お互いの気質、映画の好み、もっと言え映画史観に共通項がない人と、この評価軸を披瀝し合っても、不毛な会話に陥るのがオチです。以前、わたくしが少女漫画の編集者だった頃、担当した若い漫画家にお薦めの映画を尋ねられ、とりあえず小津「東京物語」のような普遍的“名作”を挙げたところ、素直にその映画を観たその漫画家から「あんなにテンポがノロい退屈な映画は観たことがない。あんな映画のどこが面白いんですか?」とやり込められたことがあります。かの「東京物語」にして、人によってはこのような反応が返ってくるのですから、軽率に「あの映画は面白い」などということを発言することができないのです。わたくしは普段、人から「あの映画、どうでした?」などと尋ねられても、「わたくしにとっては面白かったですが、他人様がどう思うか保証はできません」などと、愛想のない返事をすることにしているわけです。
◎世の中に一番多く流通している評価軸は、“自分が好きか”それともそうでない“嫌いか”という二分法でしょう。インターネット上に流通している多くの人々の評価は、ほとんど“好きか否か”という二分法に拠っています。かく言うわたくしも、この「映画の旅」で採用している星取り表では、最高点である★5つにはこれまで「誰が何と言おうと、わたくしは好きです」という言葉を冠しています。しかし、好きか否かという単純二分法ほど卑怯な評価軸もあるまいとすら思えていることも事実で、自分の嗜好を一方的に宣言して、あとはケツを捲ってしまえばおしまい、というやり口ほど便利なものはないと思うものの、そこには他者との双方的な関係を事前に遮断してしまう閉鎖性しか残りません。好きか嫌いかの表明など、幼稚園のガキにもできることじゃないか、という反撥が頭を掠めてしまい、少なくとも自分の好みを表明する以上は、どこがどのように好きなのか、そのディテールを語るくらいの芸当を見せないことには、他人様を説得することなどできまい、と思うのです。
◎ここで思い出すのは、わたくしが最も敬愛する映画評論家である山田宏一氏がどこかで書いていた言葉で、山田氏は「世の中に“いい映画”と“悪い映画”があるわけではない。“幸福な映画”とそうではない“不幸な映画”があるだけなのだ」といったようなことを書いておられ、わたくしはその言葉に深く共感したことがあったのでした。これとて、何が幸福で何が不幸かを峻別するのは、観た者の主観に拠るしかないのではありましょうが、少なくとも、良し悪しや好き嫌いを一方的に宣言して作品に押し付けるような偉そうな姿勢は感じられないのであり、作品と己との関係をナイーヴな“生き物”として捉えようとする山田氏の哲学が、この言葉にも反映しているように思えたものです。
◎そんなわけで、これからは、星取り表の“目安”についての表記を以下のごとく変更することにします。なんだかわかったような、わからないような評価軸ですが(そもそも幸福と不幸に“文句なし”や“まずまず”という程度の差があるかどうか疑わしいですが)、まあ当分はこれでいきたいと思います。

“★★★★★”文句なしに幸福な映画 “★★★★”まずまず幸福な映画 “★★★”どちらかと言えば幸福な映画 “★★”どちらかと言えば不幸な映画 “★”残念ながら不幸な映画

コメント(6)

よくぞ言って下さいました。溜飲を下げました!

好きか嫌いかの評価表現についてであります。侘助さんも輩も飽きもせず映画を見てはせっせと書き込んでは友人たちに読んでもらっているわけですが、最近ではこのミクシイのような名前も顔も知らない人たちとの世界も広がりました。

ボクたちが「この映画が好きだ」という表現を採るとき、どこかに「出来栄えはもうひとつのところもあるけど好きだから仕方がない」という「こだわっている」面がありませんか?

ボクが未熟だったのかも知れませんが昔はたった一箇所でもこころの琴線に触れたならば評価していました。

いまは全体を見て評価しています。
好きか嫌いかの評価のわかれ目は曖昧ですが、実は明解です。自分の価値観に沿っているものかどうかじゃないですか。

ふと思うのは、その決断が「研ぎ澄まされた価値観」に根差すものであって「その映画を評価するボクが好き」評価によるものでないことを祈りたいです。
成程、感銘を受けました。
しかし、批評をするということは難しいことですね。今後の参考にさせていただきます。
北京波さん、

“好きか嫌いかという決断が、「研ぎ澄まされた価値観」に根差すものであって「その映画を評価するボクが好き」評価によるものでないことを祈りたい”

……まさに至言です。

わたくしに「研ぎ澄まされた価値観」が備わっているか、甚だ心もとないのではありますが、映画歴35年以上の経験で培った観方からくる自信がなければ、監督、脚本家、キャメラマン、装置家、役者たちあらゆるスタッフ・キャストが心血を注いだに違いない映画作品に対して、軽々しく好きだ嫌いだなどと言い放つことはできませんよね。

しげさん、

わたくしがやっていることは批評などと呼べるほどのものとは思っておりませんが、映画について言葉で語ることの難しさには常に直面しております。
書き込みしたのにUPされてなくて、ちょっと失敗しました。同じ内容を2回書くのは、悔しいですね。

とても力入ってますね(^_^) 何かあったのでしょうか(^_^;)

“★★★★★”誰が何と言おうと、わたくしは好きです!
“★★★★”お薦めします、ぜひ観てください
“★★★”観て損はないと思います
“★★”お暇だったら観てもいいかも 
“★”薦めません

私は、はっきりと自分の気持ちをストレートにわかる方が好きですね。だから、上記の表現方法は好きでしたよ。ただ、星2つとか1つは、違った表現の仕方はあるかもしれませんね。

みんな感じ方は違うのでね、難しいですよね。でも、結局はプライベートなものですからね。私は、堤クンが「好きか」「嫌いか」を読むのが好きでした。

私と感じ方が違うときは、「えーどうして、納得いかないぃ」とか「おんなじだよ、やっぱりね」と一人でニタニタしてます。

映画製作の一部を担っている職業についている私としては、とてもありがい事であります。感謝です。
わたしもよしGさんと同じく上記の表現は好きでした。
「幸せな映画と不幸な映画」は素敵な表現ですね。
映画を愛する想いが伝わってきます。いい言葉ですね。

わたしの場合は「おもしろいかつまらない、好きか嫌い」が占めるかな〜?あとは俳優や監督です。この場合はかなり贔屓目が入ってしまいます。

友達に感想を求められたときは正直に伝えますが、相手が好きかどうかも考えてしまうので結局うまく話せず歯がゆくなります。

「気持ち良くなるか、不快になるか」感情面が大半を占めてるかも。映画は観るまではそれがわかりませんが、どんなに「不幸な映画」が続いても「幸せな映画」に出会えた喜びがある限りやめられないし観続けたいです。
「幸せな映画」この表現、本当にいいなあ〜。映画に対する見方が広がりました。
よしGさん、
パンダさん、

そのように言われると、また元のように“誰が何と言おうと好きです”に戻してしまいたくなりますが、まあ当分は新しいほうのコメントを採用しておきます。

パンダさん、“幸福な映画”というカテゴリー、山田宏一さんはいいことをおっしゃいますよね。

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