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200×年映画の旅コミュの2007年10月上旬号(その他邦画旧作・1)

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「不敵な男」(10月13日 ラピュタ阿佐ヶ谷)
1958年/監督:増村保造

【★★★★ 直情径行とクールさを併せ持つという増村的女性像を野添が体現し、川口は恋情を貫き、感動的】
 この日は久しぶりに阿佐ヶ谷に出て、ラピュタのモーニングショーで増村保造の監督第6作「不敵な男」を鑑賞。増村の映画は全57本のうち50本を観ていますが、この映画は観ていませんでした。
 暗いジャズ喫茶で若者たちがけだるそうに踊るタイトルバックに続いて、そこで踊っていた若者の一人、川口浩が仲間に呼び出されて店を出ると、川口がビールをラッパ飲みして、瓶を近くの壁にぶつけて割るところが、この青年の中に淀んでいる鬱屈を能弁に伝えて、印象的です。太陽族ブームは去り、60年安保にはまだ早い時期の若者の焦燥を、冒頭の僅かな時間で描いているように思えたのです。
 川口は、新宿界隈を縄張りとするヤクザ永井智雄の手下のチンピラで、永井の命令で殺人に手を貸すなど、親分に都合よく使われています。
 そんな彼が、ある日新宿駅で、田舎から出てきて迎えの人を待っている様子の野添ひとみに目をつけ、自分は迎えの人の代理だと嘘をついてアパートに連れ込み、強姦します。刑事の船越英二がアパートに乗り込んだ時には既に事は終わっており、川口は強姦の現行犯で逮捕されます。
 川口は裁判にかけられ、本人はチンピラ稼業に箔がつく程度に考えている様子なのですが、映画は、検察側、弁護側の証人尋問の様子を丹念に描き、川口がなぜチンピラの道へと転落していったのかという事情(義母から性的誘惑を受けているところを父に目撃され、父の虐待に遭う)に言及するあたりが、新藤兼人脚本の真骨頂であり、増村もこのあたりの描写に力を入れたことが、川口の人物像をリアルに膨らませる結果をもたらしているのです。
 刑務所生活1年で仮釈放された川口は娑婆に戻ってくるのですが、彼を待っていたのは、今は水商売の女に転じている野添だったのであり、彼女は、永井の愛人である岸田今日子が経営する怪しげなバー(店の女たちは岸田の斡旋で売春をやり、岸田とバックにいる永井が上前を撥ねる仕組み)で働き始めたところなのでした。川口は、そして観客も、この1年で野添がすっかり都会の毒に冒されたのだと理解し、川口は野添に「ヒモになってやる」とまで言ってホテルに連れ込み、関係しようとするのですが、その瞬間、表情を一変させた野添は隠し持っていたナイフで川口の腹を刺し、「この1年間、復讐の時を待っていたのだ」と言い放つのです。
 己の執念を静かに温存させ続け、一気に解き放つ女。……直情径行とクールさを併せ持つという、実に増村的な女性像が、ここでの野添に凝縮している事実が感動的です。
 ここからあとの映画は、クールな怨念を貫く野添と、そんな彼女を好きになってしまった川口との葛藤として描かれてゆき、そうした葛藤は川口に、永井の鉄砲玉としていいように使われている己への懐疑を導き出します。何かと川口の世話を焼こうとする刑事・船越が、永井の命令で殺害されたことも、川口の懐疑を深めることとなり、ついに川口は永井と対決し、殺害するに至るのです。
 時まさに警察による暴力団撲滅運動のさなかに、船越殺しと永井殺しの疑いをかけられた川口が、警察の包囲網によって追い詰められてゆく展開は、街をきれいにしましょう、街から暴力を追放しましょう、などという白々しい警察のキャンペーンに同調するもので、まあ建前としてやむを得ない面があろうことは理解できても、教条主義的な胡散臭さを感じざるを得ませんが、川口の態度がラストまで一貫して、警察から逃れることより、野添が自分のことをどう思っているのか確かめるという一点に絞られ、ラヴストーリーとしての結構を貫き通しているところが感動的で、やはり増村映画は素晴らしい、という感想が口から漏れるのでした。
 「不敵な男」という映画は、これまであまり語られてこなかった増村映画だと思いますが、まだまだこんな掘り出し物があるのですから、増村という鉱脈の奥深さには戦慄すら覚えます。


「帰郷」(10月13日 シネマアートン下北沢)
1950年/監督:大庭秀雄

【★★★ 悪く言えば愚鈍、良く言えば丁寧な大庭秀雄演出が後半は効果を発揮し、戦後的メロドラマに結実】
 前記「不敵な男」に続いて、阿佐ヶ谷から下北沢に移動し、松竹大船文芸路線を3本ハシゴ。まずは大庭秀雄の代表作の1本と呼ばれる「帰郷」。実は初めて観る映画です。
 物語の前半は、戦時中1944年のシンガポールが舞台で、日本人街で料亭の女将をしている木暮実千代が、最初は華僑だと思い込んでいた佐分利信と一緒にルーレットに興じている場面から始まります。木暮が既知の日本海軍将校・柳永二郎から改めて佐分利を紹介してもらうと、彼は華僑ではなく、元は海軍兵士だったのに、軍の金を横領した部下の罪を一人でかぶって、妻子を日本に置いたまま海外で逃亡生活を送っていた日本人だということがわかります。街が爆撃された夜、佐分利と一緒に過ごすことになった木暮は、故郷に残した娘のことに想いを馳せる佐分利に同情し、彼と関係を結んでしまいますが、二人の関係はそれ以上には発展しません。
 このあと、佐分利のことを不審人物として睨んでいた憲兵の三井弘次に執拗に迫られたため、木暮が佐分利のことを売ってしまい、佐分利は三井からリンチ紛いの拷問を受けることになります。
 大仏次郎の原作ものというと、まず何より「鞍馬天狗」が思い出されますが、小津の「宗方姉妹」や川島「風船」などのメロドラマも何本かあり、この「帰郷」も、ブルジョワ階級の高踏趣味が出ているという点で、大仏原作ものの特徴を示しているようにも思えます。そうした題材を、池田忠雄脚本は堅実に組み立て、大庭の演出も悪く言えば鈍重、よく言えば丁寧に描いてゆき、この前半部分では、木暮がシャワーを浴びている背中にドキッとさせられるなど、まずまず引き込まれました。
 ここで舞台は戦後47年の東京に移し、料亭やバーなどを経営する木暮が、ふとしたことから佐分利の娘である津島恵子がファッションデザインをしていることを知り、津島に接近します。
 このあと、木暮にとっては形ばかりの夫である徳大寺伸が登場して、何やら木暮との間でやり取りする場面があるのですが、そのあたりは大庭演出の鈍重さのほうを感じ取ってしまい、うつらうつらしてしまいました。
 しかし、今は帰国して京都にいるという佐分利の近況を柳から聞き出した木暮によって焚き付けられた津島が京都行きを決意し、幼い時に別れてしまったため顔も覚えていない父親を探しに、京都の寺の境内でウロウロする場面あたりからは、大庭演出の丁寧さに引きずられて画面に集中させられたのであり、父娘の再会も、そのあとに続く、津島の実母・三宅邦子の苦悩、三宅の再婚相手である山村聰による佐分利への反撥などといったドラマに、グイグイと乗せられていったのでした。
 さらに、シンガポールで佐分利を憲兵に売ってしまった悔恨と、今なお爆撃の夜に結ばれた記憶に捕らわれた木暮が、佐分利が上京した際の旅館に押しかけ、これからの人生を自分と一緒に過ごしてほしいと求愛する展開もなかなか面白かったのですが、佐分利のほうが、「では神の意思に従おう」などと言って、カードゲームによってお互いの運命を決めようとするあたりが、戦後的というか、新しいメロドラマの形を示しているように思え、わたくしには面白く感じました。
 大庭秀雄の映画は、実はそれほど多くを観たわけではなく、かの有名な「君の名は」3部作も観ずに、溝口の名作をリメイクした「残菊物語」や松本清張原作もの「眼の壁」、岩下志麻版「雪国」、そして「君の名は」の路線でヒットを狙った「あなたと共に」という4本を観ただけですが、中ではこの「帰郷」が一番の出来だと思われます。

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