ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

200×年映画の旅コミュの2007年10月上旬号(新作・1)

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
「クローズド・ノート」(10月4日 シネマメディアージュ・シアター6)
2007年/監督:行定勲

【★ 脚本はご都合主義でわざとらしく、行定演出も緩ばかりで急がなくダレ、長く感じる退屈な映画】
 公開初日の舞台挨拶での主演女優・沢尻エリカの不貞腐れた振る舞いが逆に興行価値を高めるなど、中身とは関係のないことばかりが話題となっている行定勲の新作は、あの酷かった前作「遠い空に消えた」に比べるとよかったと言う人もいますが、わたくしにとっては五十歩百歩。
 桜の花びらが舞い散る4月、沢尻が古風なアパートの2階の部屋に引っ越してきて、北海道日本ハム・ファイターズのエース投手と結婚することになった女優が、沢尻と中身のない世間話をする冒頭のエピソードから、既に映画には求心力はなく(桜、いつまで散らしてるんだ!)、その沢尻がアパートの前の住人が残していった日記を見つけるという経過も、沢尻がファンだと公言している男性タレントが出演しているヴィデオ(あのお寒い探偵アクションは何?)の鑑賞中に、突然ヴィデオ鑑賞を放棄して日記の盗み読みへと駆り立てられる展開も(ファンなら消さずに最後まで観ろよ!)、沢尻が万年筆専門店でアルバイトしているという設定も(今どき、万年筆だけを扱う店があるか? しかも、わざわざ美人のバイト娘を雇うか?)、その店にやってきた画家の伊勢谷友介に沢尻がネコの絵を描いてみせるという会話も(客に対して、突然タメ口をきくなよ)、伊勢谷が見たいという万年筆について、店の社長である中村嘉葎雄が偉そうに「見せてやれ」などと、客に言うには相応
しくない乱暴な言葉を吐く不自然さも、沢尻の日記朗読とともに過去に遡って登場する竹内結子のエピソードが、沢尻の1日が竹内の1日と正確に符合してしまうというご都合主義も(日記が面白いなら、どんどん先を読み進めるだろうに!)、ラストで竹内の教え子たちがなぜか一斉に紙ヒコーキを飛ばす場面も(紙ヒコーキ、いつまで飛ばしてるんだ!)、何もかもがわたくしにはわざとらしく感じられるのでした。
 行定の演出も、役者のセリフの間合いを大事にして、丁寧に撮ろうという意図はわからないじゃありませんが、緩ばかりで急がなくてダレることも事実で、そもそもこの程度の話に138分もの尺を費やすのは、バカのなせる仕業だとしか思えません。せいぜい100分以内に刈り込める題材でしょう。
 設定の大半を事前に種明かししてしまった予告篇にも不満です。この映画のラスト近くに置かれたエピソードによって、沢尻はある驚愕の事実に直面するということになっていますが、その事実を、わたくしたちは予告篇によって、とうの昔に知ってしまっているのです。
 沢尻は、別にプッツンしたから言うわけじゃありませんが、一途な片想いを貫くという役柄は、違和感を拭えず、今はどうしても女王様然とした沢尻の傲慢そうな顔を思い浮かべてしまいます。2年前なら、こんな役柄でも通用したのでしょうが、今は辛い。
 竹内のほうも、女性としての一番美しかったピークは過ぎたことを感じざるを得ず、やはり2年前なら通用した役柄だろうに、と思ってしまいます。


「めがね」(10月5日 銀座テアトルシネマ)
2007年/監督・脚本:荻上直子

【★★★★ 途中までは胡散臭いが、犬がいいし、氷あずきは旨そうだし、スローライフが観る者を武装解除】
 「バーバー吉野」「恋は五・七・五!」の頃は、饒舌なはしゃぎ過ぎが鼻についた荻上直子でしたが、前作「かもめ食堂」で抑制を覚えて好評を得たものだから、調子に乗って抑制をエスカレートさせ、人物の背景説明もセリフも削りまくり、寡黙極まりない映画に仕立てました。
 抑制するにしても、やり過ぎなんだよ! と突っ込みを入れたくなりますし、セリフは抑制しているくせに、キャメラが饒舌に動き過ぎなんだよ! とも思いましたが、犬がいいし、氷あずきが旨そうだし、体操が素敵だし、結局武装解除されて無条件降伏させられました。
 南の島の浜辺の町に、1機の小型飛行機が降り立ち、中から出てきた“もたいまさこ”は、1軒のペンションにやってきて、そこの主らしき男・光石研と丁寧な挨拶を交わします。そして、もたいと光石は、それがごく当然の振る舞いであるかのように、海辺に面した小屋の扉を開け、小屋の中に置いてあった木製のベンチを砂浜に移動させ、いわば“小屋開き”をします。
 一方、同じ飛行機から出てきた小林聡美のほうは、大きなジュラルミンのバッグを引きずりながら、やはり同じペンションに到着し、しばしの滞在を告げます。
 もたいや小林が何者なのか、映画は一切を説明しませんし、光石がこの地でペンションをやっている経緯も説明せず、この島で高校教師をしていると語られる市川実日子にしたところで、教師をしている場面など描かれることはなく、いつもこのペンションにフラリとやってきては食事にありつき、小林に不躾な質問をぶつけるばかりですから、教師という設定もとりあえずのものに過ぎないかと思えます。
 ただ、小林がこの島を訪れた理由はさりげなく説明され、それはどうやら観光目的ということのようなのですが、この島に観光名所などありそうもなく、光石や市川は“たそがれる”ことこそがこの島に最も相応しい振る舞いであることを強調します。しかし、“たそがれる”ことになぜか抵抗を覚える小林は、朝、自分の寝室に侵入して平然と「朝です」などと不気味に告げるもたいから逃げ出したいという思いもあって、島にあるもう1軒のペンションに移ろうとするのですが、そこは薬師丸ひろ子扮する主人が有機農業の実践を強要する場所だったため、小林はさっさとそこを立ち去ります。
 正直なところ、このあたりまでの展開には胡散臭さと違和感を覚え、確かに寡黙に物語っているものの、前述したように、キャメラは人物の周りをグルリと回ったりして動きすぎに思えましたし、人物の背景を説明しないことに対しても、思わせぶりに過ぎぬようにも思えたのでした。
 しかし、小林がこのペンションに居座るようになり、彼女のことを追ってきた加瀬亮(小林のことを「先生」と呼ぶところを見ると、小林は作家で、加瀬は編集者のようにも見えます)も加わり、もたいが毎朝海岸で開く体操教室に全員が並んで、何やらコミカルに身体を震わせ、海辺の小屋でもたいが作る氷あずきにようやく小林が手を出し、それを味わった瞬間にカットが切り替わって青い海と白い砂の絵によって氷あずきの味の爽やかさを表象してみせ、誰もがこれこそ最も己に相応しい態度であるかのように、海に向かってボーッと座るという“たそがれ”を体現してみせ、光石が書くアバウト極まりない地図が、なぜか忠実にこの土地の地形を伝え、といった具合に、前作「かもめ食堂」が描いた“スローフード、スローライフ”という主題を変奏するに従って、ジンワリと映画の魅力がわたくしたち観客の身体に浸透してゆくのでした。
そして、エンドクレジットとともに流れる大貫妙子の主題歌を聞きながら、ついつい頬が緩んでしまう自分がいるのでした。
 荻上はまた小さく前進したと思います。しかし、荻上は次回作こそが勝負となるのであって、今度も「かもめ食堂」「めがね」の延長線上の映画を作ったら、こいつはバカだと断言せざるを得ないでしょう。ここは、我々をアッと驚かせるような路線変更を鮮やかに決めて欲しいと思います。


「ヒルズ・ハブ・アイズ」(10月6日 シアターN渋谷・2)
2006年/監督:アレクサンドル・アジャ

【★★★★ ホラー映画の鉄則が忠実に守られ、アメリカの隠された暗部が悲劇を呼ぶという設定も効いた】
 ミクシィの友人に薦められて観に行った映画。
 “「エルム街の悪夢」「スクリーム」のウェス・クレイヴンが77年に発表したカルト・ホラー「サランドラ」を、「ハイテンション」のフランス人監督アレクサンドル・アジャがリメイクした戦慄のスプラッタ・ホラー”と紹介されている映画ですが、クレイヴンの「サランドラ」も観ていませんし、この映画の監督アレクサンドル・アジャなる人物は名前も知らなければ「ハイテンション」なる作品も知らないという、ホラー門外漢のわたくしですから、果たしてこんな自分でも愉しめる映画なのだろうかと訝しく思って、スクリーンと対しました。
 冒頭、アメリカでは戦後だけで数十回にも及ぶ核実験が行われた事実が字幕で伝えられたのち、砂漠で放射能測定をしている軍関係者らしき男たちを、姿の見えない何者かが次々に襲い、軍関係者たちは、忽ちはらわたを裂かれ、姿が見えぬ者は、その人肉に食らいついています。ここは、何が何やらわからぬまま、血肉が飛び散るばかりで、まだ恐ろしさは感じません。
 このあとクレジットバックで、核実験によるキノコ雲の映像や、爆風で破壊される街、放射能の影響で生まれたと思しき畸形の赤ん坊たちの写真などが畳み掛けられ、この映画の中心部に“核”という主題が横たわっていることを示します。
 クレジット明け。砂漠地帯にある国道沿いのガソリンスタンド。そこの主人トム・バウアーが、何やら近所をうろついている人物のことをいつも気にしているようでありながら、その人物をキャメラが捉えることはないというあたり、ホラー映画の鉄則“モンスターの姿は決して見せずに観客を引っ張り、恐怖感を煽る”という当たり前のことを着実に実践しており、この監督は映画史の伝統に忠実だと、心強く思いました。
 このガソリンスタンドに、2台のトレーラーを連結させた9人?家族(両親、長女夫妻と幼い赤ん坊、次女と長男の姉弟+2頭の犬)が到着するところから、物語が動き始め、スタンドの主人バウアーに促されるまま、9人家族は国道をはずれた近道を行くという選択をしたことから、砂漠の真ん中で立ち往生する羽目になり、モンスターによって家族が次々と襲われ、殺されてしまい、残された長女の夫と姉弟+1頭の犬が、モンスターと対決する道を余儀なくされることになるのです。
 前述したように、出るぞ、出るぞ、と思わせておいて、なかなか正体を出さずに観客を焦らすというホラー映画の鉄則が貫かれているため、前半はドキドキしながら画面に釘付けとなりましたし、後半、モンスターの正体が観客にもはっきり認識され、そのモンスターたちもまたアメリカの歴史の中で国家によって見捨てられた存在だったことに、胸を衝かれる思いをさせられ、さらにそうしたモンスターたちから自分たち家族の生命を守るために、民主党支持の非戦主義を捨てて立ち向かう若者たちの姿には、滑稽さを通り越した悲哀が滲んでいたのであり、古き良きアメリカの隠された暗部が悲劇を呼ぶという設定が胸に響いたのでした。
 なるほど見応えのある映画でした。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

200×年映画の旅 更新情報

200×年映画の旅のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング