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200×年映画の旅コミュの2007年9月下旬号(新作・2)

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「ショートバス」(9月22日 シネマライズBF)
2006年/監督・脚本:ジョン・キャメロン・ミッチェル

【★ 前作に感銘を受けたので期待したミッチェルの新作だが、真面目なセックスの押し売りに辟易して爆睡】
 ジョン・キャメロン・ミッチェルの前作「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」は、性転換手術に失敗して、5インチあったペニスのうち4インチは切り取ったものの、“怒りの1インチ=アングリーインチ”が残ってしまい、男性にも女性にもなれぬという“性のアイデンティティ”を失った青年が、ロックスターとして成功してゆく過程で、己という存在と向き合うというドラマを、誠実に物語ってみせ、感銘を受けました。
 したがって、彼の新作には期待を寄せ、前売り券も購入していました。
 冒頭から、アパートで全裸になった青年が、身体を巧みに折り曲げて、己のペニスを己の口に含もうとするというアクロバティックな試みに興じている様子(もちろん日本では醜いボカシが画面を汚しています)や、アジア系の女性が夫らしき顎鬚男と激しいセックスをしている様子(ずばり本番そのものです)、さらには、いわゆるデリヴァリー風俗というのでしょうか、ホテルの一室に呼び出されたSM女王が、クライアントの青年を鞭で打つ場面などが、次々に描かれます。
 アクロバティックな変則マスターヴェーション男・ジェイムズは、同性愛者の青年・ジェイミーと同居しているのですが、そろそろマンネリズムに陥っているお互いの関係をどう修復すべきか悩んでいる様子で、過激セックスのアジア女性・ソフィアが開いている恋愛セラピー教室を訪れます。そこでソフィアは、思わず、夫・ロブとのセックスでは実はオーガズムを味わったことがないと告白してしまいます。そこで、ジェイムズとジェイミーのカップルは、NYの街中で性の解放区となっているような秘密クラブ“ショートバス”を紹介します。
 そのショートバスに通うようになったソフィアは、SM女王のセヴェリンと知り合い、ソフィアにつられてこのクラブを訪れるようになったロブは、妻以外の女性との関係を覚え、一方、ジェイムズとジェイミーのカップルにも、別々のパートナーが現れるに至る、といった、セックス、セックスのお話が展開します。
 911以降渇いたNYの人々を潤すのは愛とセックスにほかならない、という主張を奏でようとしていることは理解できますし、その主張自体は決して非難すべきではないでしょうが、最初から最後までオーガズム、オーガズムと繰り返されるのは辟易し、途中で20分ほど寝てしまいました。
 眼が覚めたら、彼ら、彼女らの相手は多少変わったようでしたが、相変わらず、男女を問わず、相手が同性か異性かを問わず、乳繰り合っている姿を映し出すばかりで、うんざりしました。
 猥褻さを欠いた、真面目なセックスを見せられても昂奮はしないし、第一、他人様の真面目なセックスを覗いても、面白くも何ともないことが発見でした。


「人が人を愛することのどうしようもなさ」(9月22日 シネパトス銀座1)
2007年/監督・脚本:石井隆

【★★★ 喜多嶋舞のAV女優並み芝居はやり過ぎだと思いつつ、孤独が伝わり圧倒される。石井隆が低迷脱出】
 石井隆の映画を観るのは、04年に公開された「花と蛇」以来3年ぶりです。「花と蛇」は、貞淑な人妻が囚われの身となり、暴力的な調教によって異常な性の世界へ堕ちてゆく、という筋立てですが、杉本彩という女優が、誰がどう見ても“貞淑な人妻”には似合わないという点が致命的なように思え、ただ卑猥な中年男の興味を掻き立てるだけのフツーのエロ映画にとどまってしまった感じでした。したがって、次に作られた「花と蛇2」は観る気が起きず、無視しました。
 しかし今回の新作は、1994年の「天使のはらわた 赤い閃光」以来久しぶりの“土屋名美もの”だったため、観なければなるまいという気を起こさせてくれました。石井は、ロマンポルノ「天使のはらわた」シリーズの脚本を書いていた時代から(そのピークは、相米慎二の傑作「ラブホテル」だと思われます)、自分で監督した「死んでもいい」「ヌードの夜」など一連の村木・名美の物語において、閉塞した状況の中で孤独を抱えた男と女が出会って、お互いの魂をスパークさせ、激情へと突き進む関係を丹念に描いてきたのであり、これぞ石井隆ワールドという輝きを放っていたのです。
 今度の新作は、喜多嶋舞扮する名美が人妻女優という役柄で、実生活においても夫で俳優の永島敏行に浮気されて破局寸前という設定の中で、今は「レフトアローン」というタイトルの映画で夫、および夫の浮気相手である新進女優・美景と共演中であり、そんな名美に対して、芸能記者と思しき竹中直人が新作映画の内容や撮影の裏話を聞く、というスタイルで、物語が進行します。映画の中の役柄と、名美の実生活がダブり、いわば虚と実を往還しながら進むお話からは、いつもの名美ものと同様、閉塞した状況の中で孤独を抱える人間像が観客の共感を呼ぶことになります。
 「人が人を愛することのどうしようもなさ」などという、やけに大袈裟なタイトルには気合いを感じ、事実、主演の喜多嶋のAV女優と見紛うばかりの芝居といい、虚実渡りの話を編んだ石井の作劇といい、確かに観る者を圧倒するほどではありますが、電車の中での大股開きにせよ、伊藤洋三郎を相手にした制服プレイにせよ、正直なところ、あまりにもやり過ぎだというのも事実で、途中までは石原真理子の恐るべき自己執着映画「ふぞろいな秘密」を彷彿とさせるほどでした。
 しかしながら、愛によって満たされることのなかった女・名美が孤独の果てに狂気に至るというドラマを強引なまでに展開してゆく石井の力業には、深く心を動かされてしまったこともまた事実であり、ズッシリと重い読後感を抱えて映画館をあとにするのでした。
 「花と蛇」に先立つ「フリーズ・ミー」や「GONIN1・2」にはあまり感心せず、石井はすっかり低迷しているのかと思っていましたが、ようやく底を脱したと思え、次回作が楽しみに思えます。


「M」(9月24日 ユーロスペース1)
2006年/監督:廣木隆一

【★ 馳星周原作、斎藤久志脚本、廣木隆一監督という顔ぶれの割りに、ステレオタイプの話で拍子抜け】
 廣木隆一が一昨年の2006年に作った映画です。エンディング・クレジットを観て、これが馳星周の原作を斎藤久志が脚色したものだと知りました。
 新人女優・美元(ミヲン)扮する人妻が、夫・大森南朋の目を盗んで、携帯サイトを通じてこっそり主婦売春をして小遣いを稼いでいたところ、ヤクザの田口トモロヲに眼をつけられてしまい、田口に金を巻き上げられるようになる一方、かつて幼い頃にDVから母親を守るため、父親を刺し殺して少年鑑別所に入っていたという過去を持つ新聞配達少年・高良健吾(「サッド ヴァケイション」に続いて、この若者が出演する映画を相次いで観たわけです)が、配達の過程で美元のことを知り、彼女を田口の暴力から守るための行動に出るという話。
 馳の原作、斎藤の脚色、廣木の演出と、結構な顔ぶれを揃えた割りには、ステレオタイプの主婦売春ものでしかなく、いささか拍子抜けしました。
 主婦売春に関与するヤクザ、ネリ鑑帰りの青年、モラトリアム夫など、題材がすべて使い古されたもので、日活ロマンポルノの「団地妻」じゃあるまいし、設定が30年古いと思いました。
 主演の美元は元モデルだそうですが、そうは見えぬフツーの容貌が役柄にリアルさを与えたと感じたものの、フツーの主婦の中に潜む淫乱さを出すには演技力が足りなかったようです。

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