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200×年映画の旅コミュの2007年9月上旬号(旧作邦画・1)

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「落語野郎 大脱線」(9月8日 シネマアートン下北沢)
1966年/監督:杉江敏男

【★★★★ 落語のネタが巧く物語の中に織り込まれ、落語家たちは伸び伸びと芝居し、女優たちも達者】
 世間では、ほんとかどうか知りませんが、落語ブームだそうで、確かに映画の世界でも「しゃべれども しゃべれども」などという落語ものが上映されましたし、わたくしも近所の飲み仲間である落語家さんの影響もあって、ここ数年、落語を聞く機会が増えました。
 そんな折、落語ブームを反映した特集上映をシネマアートンがやってくれたので、下北沢まで足を運びました。
 「落語野郎大脱線」は66年製作で、桂米丸が魚屋の熊さん、三遊亭歌奴が大工の八つぁん、立川談志が博打打ち、三笑亭夢楽が占い師、桂歌丸が小間物屋、春風亭柳好が桶屋、柳朝が八百屋、金原亭馬の助が子沢山の炭屋、そして漫談家の牧野周一が大家など、当時の人気落語家・漫談家が勢揃いして長屋の住人になり、落語のネタをもとにした話を展開させるという映画です。
 大家の若旦那に牧伸二が扮し、「あーああ、やんなっちゃった、あーあああ、驚いた」と歌うのを観て、66年当時人気があった「大正テレビ寄席」がベースになっているのだと納得しました。「笑点」が出るまで、TVの演芸番組はこれが一番人気でした。
 さて映画のほうは、実にウェルメイド。
 “へっつい”(七厘を囲う容器みたいなものでしょうか)に隠した金に未練を残した幽霊が、へっついの買い主とサイコロ博打を始めてしまう「へっつい幽霊」、清元の師匠に惚れ込んだ泥棒が、師匠に何から何まで奪われてドロンされる噺、仲間に頭を剃られた腹いせに、仲間のカミさんたちを騙して剃髪させる噺、がさつな町人の嫁として馬鹿丁寧な言葉を話す女がやってきて、いちいち「あーら、わが君」などと亭主に話し掛ける噺など、わたくしでも知っているネタが物語に巧く織り込まれて笑いを誘います。
 さらに、魚屋の娘・酒井和歌子が、親の仇を狙う若武者に惚れるものの、この若武者が実は男装した娘だと発覚するという、落語のネタなのかどうか判然としない話も加えられて映画全体をヴァラエティ豊かなものにしています。
 出演している落語家たちが、手慣れたネタだけに伸び伸びと演じているのは当たり前にしても、女房役の女優たちも、「あーら、わが君」の久保菜穂子にせよ、猛烈な早口を披露する横山道代にせよ、落語家に負けず劣らずの達者ぶりを披露していて、観る者の頬を緩ませてくれました。
 杉江敏男の演出も安定した職人ぶりを示し、落語世界を楽しく再現してくれました。


「落語野郎 大馬鹿時代」(9月8日 シネマアートン下北沢)
1966年/監督:杉江敏男

【★ 今度は舞台を現代に置いたオリジナルだが、落語家ばかりが出演する必然を感じない設定のため、退屈】
 前記「大脱線」に続く「落語野郎」シリーズの第二作「大馬鹿時代」は、第一作とはガラリと趣を変え、落語を元ネタにしたお話ではなくオリジナルですし、舞台も江戸時代の長屋ではなく、ある地方の土地売買を巡る現代ものです。
 談志がお調子者の土地ブローカーに扮し、スーパーマーケット建設のための土地を買収しようと、終戦当時に疎開先で同級生だった歌奴や円鏡、小せん、夢楽らを相手に丁々発止のやり取りを見せるというお話。
1966年当時の高度経済成長期を反映した設定の中で、談志が植木等並みのC調野郎として画面狭しと跳び回り、あわよくば長寿シリーズ化を目指したとも思えますが、普通に役者がやればいい役を落語家たちが演じるだけの映画ですから、落語家ばかりが出ていることに違和感を覚え、やや退屈でした。
 東京の落語家だけでなく、桂米朝が上方から招かれているというので期待したのに、関西のスーパー王という役どころで1シーン数カットしか出番はなく、笑わせ場所もなくて拍子抜けしました。


「運が良けりゃ」(9月8日 シネマアートン下北沢)
1966年/監督・脚本:山田洋次

【★★★★ 民衆パワーを見せ付ける話で、山田洋次らしい社会性が映画を湿っぽくしたが、演出の巧さに驚愕】
 この日の落語映画の3本目は、山田洋次「運が良けりゃ」。確か、中学生の時に名画座で観て以来30数年ぶり。話は忘れていました。
 江戸長屋を舞台に、ハナ肇の熊さんと犬塚弘の八っつぁんが古典落語の世界を再現するというコンセプトは、先に観た「落語野郎 大脱線」と共通するものですが、同じ66年製作でもこの山田作品のほうが公開は早いので、これがヒントになって「落語野郎」が生まれたのだろうと推測しました。
 但し、こちらの映画に盛り込まれているネタ元の落語を知らないので、話全体としては「大脱線」ほど、“あー、この話、知ってる、知ってる”という喜びはなかったのですが、貧乏長屋の住人がハナを中心にして結束し、料亭を騙して無銭飲食したり、強欲な大家を火事騒ぎに巻き込んだり、金貸し婆の遺体を大家の店先に運んで“かっぽれ”を踊らせたり、餅に包んだ金を飲んで死んだ婆の遺体を、火葬場に無理矢理持ち込んで、骨の中から貨幣の塊を取り出して山分けにしたりと、いわばイマヘイ的な民衆パワーを見せ付ける劇として結実して、観応えがありました。
 長屋住人たちが飢饉や貧しさを痛感し、時代背景としての“ええじゃないか騒動”もチラリと描かれるあたりの社会性が、ヨヨギシンパの山田洋次らしいところで、笑いに徹するよりペーソスのほうを強調する作りが、映画を湿っぽいものにしてしまったとは思いますが、60年代後半という時代の空気がこういう作りをさせてしまったのかも知れません。
 そんなことより今回わたくしが驚いたのは、山田洋次の演出の巧さです。人物の出し入れ、フレーミング、所作の付け方、花びらの散らせ方をはじめとする小道具の使い方、編集リズム、等々、“ああ、巧いなぁ”と惚れ惚れしました。これまで山田のことは、脚本家としての才能は高く買ってきたものの、演出家としては不満を抱くことが多かったのですが、こんなに巧い人だったっけ、と認識を新たにしました。遅いよ!今ごろ。


「結婚の夜」(9月10日 シネマヴェーラ渋谷)
1959年/監督:筧正典

【★★★★ 安西郷子の美しい黒髪とバタ臭い美貌なくしては成立しない企画。安西や筧監督の代表作か】
 ゲイリー・クーパーとアンナ・ステン共演、キング・ヴィダー監督による同名の映画がありましたが、これは成瀬巳喜男の弟子・筧正典が監督した1959年のモノクロ・ワイド作品。シネマヴェーラでの特集“妄執、異形の人々2”にラインアップされた映画です。
 女誑しのデパート時計売り場の店員・小泉博が、時計の修理に訪れた黒髪の美女・安西郷子を見初め、手を出してしまったことから起こる顛末。
 後半一気に怪奇ものに傾斜してゆく展開に、安西の美しい黒髪姿がうまくはまっており、彼女のバタ臭い美貌なくしては成立しない企画です。
 わたくしのマイミクさんは安西の代表作と言っておられましたが、確かに、彼女の主演作でほかに思い出せるものはなく(助演作なら思い出しますが)、このクール・ビューティぶりは強く記憶に残り、これまで微温的で鮮明さに欠けた映画ばかり観てきた筧監督としても、スリリングな緊張感が全篇を貫く映画になっています。
 この特集は昨年に続いてのものですが、昨年は行きたいと思いながらも一度も行けなかったので、今年はなんとしても通う覚悟です。


「発狂する唇」(9月10日 シネマヴェーラ渋谷)
2000年/監督:佐々木浩久

【★ 話は支離滅裂で、何から何まで安っぽい。まだ日本映画自体が夜明けを迎える前の映画か】
 シネマヴェーラこの日2本目は、2000年製作のジャパンホラー「発狂する唇」。
 わたくしがようやく映画を観るようになった年の映画ですが、今やハリウッドで偉そうにしているプロデューサーの一瀬隆重も、この頃は高校の映研以下みたいな映画を作っていたんですね。彼は既に「リング」「らせん」といったヒット作も手掛けていたはずですが、アヴェレージの高いプロデューサーでもなかったようです。
 女子高生が連続して猟奇的に殺される事件が起き、その犯人と目される男性の家には連日マスコミが押し寄せるのですが、家の中では男性の母親・吉行由美と妹二人(夏川ひじり、三輪ひとみ)が次第にノイローゼを募らせてゆき、ある時、末妹・三輪が街に出た際、霊能師・栗林知美の事務所を訪ねたのをきっかけに、女霊能師・栗林と助手の男・下元史郎が家に居座るようになり、母親・吉行は下元に身体を任せるばかりとなる一方、何やらFBIの手先と称する人物たち、大杉漣がTV放送を通してこの家とコンタクトをとったり、その大杉の部下である阿部寛もこの一家に関わり始めたりするようになるといった話。まあ、支離滅裂です。
 今やメジャー映画の主役を堂々と張るようになった阿部寛も、この頃は情けない役で出演しており、笑えます。
 終末ブームに乗ったやっつけ企画でしょうが、日本映画自体がまだ夜明けを迎える前の感じで、何から何まで安っぽいです。

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