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200×年映画の旅コミュの2007年9月上旬号(旧作邦画・2)

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「網走番外地 望郷篇」(9月12日 フィルムセンター)
1965年/監督・脚本:石井輝男

【★★ 話は平凡で、網走番外地というタイトルを冠したことにも違和感。杉浦直樹のカッコよさだけ印象的】
 この日は、物故映画人を偲ぶフィルムセンターの特集で、石井輝男監督「網走番外地 望郷篇」を鑑賞。対象物故者は石井監督と俳優の中谷一郎です。
 この映画は高校時代に銀座並木座で観て以来約35年ぶり。しかし、肺病やみで白いスーツ姿の殺し屋・杉浦直樹が「七つの子」を口笛で吹きながら登場する場面のカッコよさはよく覚えていました。
 今回久しぶりに観直して、杉浦のくだりだけ覚えていて、ほかを忘れていたのも無理はないと思いました。筋立ては、よくあるヤクザものと大差なく、長崎の老舗のヤクザで今は堅気に港湾事業を営む嵐寛寿郎が、新興ヤクザの安部徹に押される中で、健さん扮する網走帰りの男がアラカンの協力者となり、ついには安部のところに単身で殴り込むという筋立ては平凡と言わざるを得ず、正直なところ睡魔に負けてしまったほどですが、杉浦の登場場面とラストの健さんと杉浦の決闘はカッコよく決まっていたからです。
 網走での刑務所体験はほとんど物語に利用されず、途中わずかにモノクロで健さんが回想する場面が出て来る程度です。何のために「網走番外地」というタイトルを使ったのか理解に苦しむほどです。
 ただ、孤児院にいる黒人との混血少女が健さんと心を通わせるといったあたりの展開は目新しくは思えるのと、再三触れている杉浦のダンディな悪役ぶりは、やはり強く印象に残るものでした。


「蛇精の淫」(9月13日 シネマヴェーラ渋谷)
1960年/監督:曲谷守平

【★★★ もっとチャチな珍品を想像したが、演出もキャメラも堅調で、主役の小畑絹子が色っぽくて魅力的】
 シネマヴェーラの特集で観た新東宝映画。60年製作のモノクロ・シネスコ作品で、その頃の新東宝といえば、中川信夫の傑作「東海道四谷怪談」「雷電」「地獄」などがあり、会社の勢いもまだまだある時期ですが、そうした社勢はこのような怪奇仕立ての小品ラヴストーリーにも反映されており、なかなか手堅い出来になっています。今回の特集に選ばれるくらいなので、相当の珍品を期待していたのですが、いい意味で裏切られてしまいました。
 白蛇の精が、庄屋の娘・小畑絹子の身体にとりついて、蛇が瀕死のところを助けてくれた部落の青年・浅見比呂志の愛を求めて悶えるという、まあ新東宝らしい題材です。
 図式的で直線的な話だし、安上がりに作っていることは間違いありませんが、もっとチャチな映画を想像した割りに、平野好美のキャメラは堅実だし、演出も堅調、何より、蛇の精の淫乱さに身悶える小畑が悪くありませんでした。小畑といえば、わたくしの世代から見るとTV初期のメロドラマの女王で、貞淑ながらよろめいてしまう人妻役ばかり観たものですが、こういう役も色っぽいです。


「愛の陽炎」(9月13日 シネマヴェーラ渋谷)
1986年/監督:三村晴彦

【★★★ 橋本忍脚本の自爆テロ並みの暴走には唖然とするが、迫力にも圧倒され、珍品ながら面白く観た】
 シネマヴェーラの特集、この日2本目は三村晴彦監督「愛の陽炎」。初めて観る映画です。
 珍品だとは聞いていましたが、後半から一気に雪崩のように、自爆テロのように、プライヴェートな呪いと怨みを映画にぶつけてゆく橋本忍シナリオには、思わず笑いを誘われつつも、圧倒されてしまいました。
 主役はアイドル歌手の伊藤麻衣子ですが、役柄は秩父の山奥にある製材所に勤め、赤いバイクに乗って雑用をこなすという地味なもの。その彼女が、材木運搬のトラック運転手・萩原流行と恋人関係にあり、ラヴホテルで密会しては高台に二人の新居を持つ夢を語り合うという場面が描かれます。アイドル歌手の相手役が萩原かよ!と驚き、ファンが納得しないのではないかとも思いましたが、実は女癖が悪いという萩原の役柄が次第に明らかになり、なるほどと思いました。
 萩原には高校生の愛人に堕胎させた過去があるばかりでなく、隠し妻の風祭ゆきがいて、新居のために必死に貯めた金も萩原が独り占めしようとしていると知った伊藤が、復讐のために選んだ手段というのが、祖母の北林谷栄から教わった、藁人形に五寸釘を打ち付ける呪いの儀式だったのです。
 田舎の納屋の2階で、祖母と孫娘が何やらあっけらかんと、蝋燭を立てる燭台やら、赤い櫛やら、ハンマーやらを持ち出して、呪いの儀式のリハーサルをやっている姿には、緊張感もヘッタクレもなく、おふざけに興じているようにしか見えませんが、橋本脚本は大真面目そのものであり、いよいよ伊藤が神社の境内にある大木に釘を打ちつけようというくだりには、おどろおどろしい音楽と照明により、呪いの儀式が描かれ、この日本古来の因習に対する橋本の思いが並々ならぬことを感じさせられて、圧倒されるのです。
 この呪いの儀式のせいで萩原は原因不明の痛みに襲われ、入院する羽目になるのですが、病院ではケロッとしているらしいことを友人の看護師から聞いて落胆した伊藤は、もう儀式はやめようとすら思います。しかし、祖母の北林に励まされてあと2日だけは儀式を続ける決心をした夜、実に都合のよい事故が起きるという次第。しかも、女癖のだらしない悪人だと思っていた萩原が、実は“いいひと”だったというオチがついて、観る者を脱力させるのであり、あの名手と謳われる橋本にして、このような“迷作”を手がけてしまうことに茫然としたわけですが、思わぬ方向へと物語を走らせる点や、日本古来の因習への思いなどが、橋本が監督して失敗作と世論で断じられた「幻の湖」に通じるものを感じ、あの映画の怨念がまだ残っているのか、と恐ろしくも圧倒される思いも抱いたのでした。
 三村演出は、加藤泰の弟子らしく、ローアングルの足元を何度も映して、しつこいくらいですが、橋本シナリオの要求にはきちんと応えていたとは思い、演出家としての手堅さは見せていたと思います。三村は、この映画の翌年「瀬戸内少年野球団 青春篇」を撮ったのち、監督作が撮れなくなっていますが、それはやはり勿体ない事態だと思います。
 珍品には違いないけど、結構面白く観てしまいました。


「日本怪談劇場 牡丹燈籠 鬼火の巻 蛍火の巻」(9月15日 シネマヴェーラ渋谷)
1970年/監督:中川信夫

【★★★★ 怖さはないが、格調高く端正な時代劇であり、美術、演出などを堪能できる傑作】
 1970年に東京12チャンネルで放送されていた「日本怪談劇場」というシリーズの中で、前後篇として作られた中川信夫監督の「牡丹燈籠」を鑑賞。TV放映の時も観ましたが、この「日本怪談劇場」シリーズにはなかなかの秀作が多いと思う中でも、この「牡丹燈籠」は屈指の傑作だと思い、根っからの悪党・戸浦六宏のピカレスクものとして記憶に刻まれていました。
 小さなドブ池を囲むようにして建てられた、ボロで廃屋同然の長屋の造形がまず素晴らしい。新東宝の装置家・鳥居塚誠一が手掛けたものですが、TVのスタンダードサイズの狭苦しさが逆に巧く活かされていて、息苦しいほどの暑さや池が放つ悪臭が画面から漂うように思えるとともに、ロングショットとアップを巧みに組み合わせた的確な中川演出によって、戸浦と阿部寿美子扮する夫婦の好色で狡猾な小市民ぶりや、田村亮と円の純朴な恋愛などのドラマが切り取られてゆくのです。
 悪党・戸浦によって、死という形で悲恋を閉じる田村と円を描く前半「鬼火の巻」、円から奪った金を元手に社会的な成功を納めて荒物屋主人になった戸浦が、酒場の女・長谷川待子に惚れたがゆえに女房の阿部が邪魔になって殺した挙げ句、阿部の亡霊に悩まされて自滅するに至る後半「蛍火の巻」。
 ともに、怪談としての怖さという点では不足していると言えましょうが、実に格調高く端正な時代劇であり、因果応報、人間存在の弱さといった普遍的な主題が身に染みる優れた映画になっています。


「きつね」(9月15日 シネマヴェーラ渋谷)
1983年/監督:仲倉重郎

【★★★ 際物ふうの題材だが、フォトジェニックな撮影と役者たちの新鮮さで、メルヒェンとして成立】
 シネマヴェーラの特集、この日2本目は、仲倉重郎監督の「きつね」。初めて観る映画です。
 35歳の低温科学者(北極の氷を研究していますが、実体はどんな研究なのか、映画は明かしてくれません)という設定の岡林信康と、エキノコックス症という、野性のきつねが媒介になって病原菌を人間に移し、致命的なダメージを与えてしまうという奇病に罹った14歳の高橋香織のラヴストーリー。
 シネマヴェーラのチラシには、“少女の難病の正体が判明するや、本作は思わぬ方向へ狂い咲く?”“仲倉重郎、痛恨の(?)初監督作”などと書かれているので、よほどの珍品かと思ったら、夏〜冬〜春と北海道の自然を丹念に追った坂本典隆のフォトジェニックな撮影に支えられて、美しいメルヒェンになっていると思いました。
 冒頭、靄がかかった森の中を、猟銃を手にした岡林が歩いていて、森を抜けると突然明るく視界が広がって、花が咲く草原には本を読んでいる少女・高橋がいる、という流れからしてメルヒェンチックであり、草原で戯れる二人の周りには誰一人いないことを示すヘリコプター空撮によって、この二人は社会からは隔絶した小世界を形成していることが宣言されているのです。
 このあと、高橋は病気がちで療養のために親元から離れて北海道の田舎のホテルに滞在していることや、岡林が研究所内ではライヴァルの原田大二郎に出世の先を越されていること、岡林には三田佳子扮する人妻の愛人がいることなどが描かれてゆきますが、どうも岡林・高橋の二人の世界以外のことにはリアリティが感じられず、結局のところ映画は、二人だけの世界に収斂してゆくように思えました。
 そして、ともすると淫靡なロリコンものに堕してしまいかねない題材ながら、岡林と高橋という新鮮なキャスティングによって、淫靡な道を免れ、前述したようなメルヒェンに到達したと思うのです。
 俳優としては数少ない出演作であろう岡林ですが、図太さと繊細さ、無骨さと優しさ、包容力と危うさなどを併せ持った彼の持ち味が、少女へのシンパシーが次第に愛情へと変わってゆくという役柄の、微妙なバランスに巧く反映して、説得力を得たと思いますし、高橋香織(高橋かおりとは別人)の壊れそうなナイーヴさも心に残りました。
 岡林はつい最近出た「週刊文春」で阿川佐和子と対談し、ミュージシャンとしての健在ぶりをアピールしていましたが、役者としてもまだ使えると思います。

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