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200×年映画の旅コミュの2007年8月上旬号(今村昌平ドキュメンタリー)

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「からゆきさん」(8月9日 新文芸坐)
1973年/監督・解説:今村昌平

【★★★ 日本のアジア侵略に利用されながら国に棄てられる女たちの体験を丁寧に掘り起こしてゆく】
 フィルムセンターの特集では観逃してしまった今村昌平のドキュメンタリーが、新文芸坐での戦争映画特集で上映されましたので、勇んで駆け付けました。
 明治の日本から東南アジアに連れてこられ、娼婦として働かされた女性・からゆきさん。熊井啓が「サンダカン八番娼館 望郷」で描き、今村自身ものちに「女衒」で描くテーマです。
 この映画では、広島の被差別部落出身のお婆さんを中心に、数人の元娼婦のもとを今村が訪ね歩き、日本の帝国主義的アジア侵略のいわば尖兵として働きながら、一切報いられることなくあしらわれた末、戦後は積極的には帰国しようともせずに故国を“棄てた”彼女たちの体験をインタヴューによって掘り起こしてゆきます。
 今は中国人やマレー人の夫を持ち、異国の地で暮らす彼女たちが、日本への怨み節を愚痴るわけでもなく、今村の質問に淡々と答えているのですが、女衒に騙されて異国に送られ、多額の借金を押しつけられて娼婦にさせられ、日本人客は恥ずかしくて取れなかったと、異国の男性たちに身体を開いていった末、日本のアジア軍事侵略が本格化して現地からの排斥運動が強くなると、娼婦たちは日本政府からは見捨てられて違法なものと見なされてしまうという理不尽な事態を耳にしてしまうと、聞いているわたくしたちのほうに無念の思いがこみ上げてしまうのでした。
 今村の粘り強さがよく出ているドキュメンタリーで、歴史の暗部に光を当てるという視点の鋭さも発揮されています。


「未帰還兵を追って マレー編」(8月10日 新文芸坐)
1971年/監督:今村昌平

【★★★ 今村による執拗な捜索によって見つかった未帰還兵が、敬虔なイスラム教徒になっていることに驚愕】
 この日は夏休みをとり、午後は映画三昧だったのですが、まずは前日に続いて新文芸坐の戦争映画特集で今村昌平のドキュメンタリーを3本鑑賞しました。
 「未帰還兵を追って マレー編」はテレビ東京で放送されたドキュメンタリーで、日本政府の公式見解としてはマレーに日本軍の未帰還兵など存在しないと言われながら、現地では噂が絶えないため、終戦後も帰国せずに現地の共産軍ゲリラ活動に従事し、今は日本人社会の一員に溶け込んでいる人などのインタヴューを通して、今なおマレーの奥地で現地人として暮らしている元日本兵を探し歩く今村の姿を描きます。
 中国人街やインド人街などを丹念に探したのち、ようやく見つけた元日本兵は、今は熱心なイスラム教徒となってアッラーの教えに殉じようとしており、かつては天皇を神と崇めてアジア侵略の残虐行為へと駆り立てられた日本兵が、過酷な現地生活を繰り返したのちにようやく辿り着いた思想的・宗教的な安息地として、アッラーへの祈りを黙々と繰り返す姿には、どこか鬼気迫るものを感じます。
 彼は敗戦後の日本政府から置き去りにされ、見棄てられた存在であると同感に、彼のほうからも故国は見棄てているのでもあることが感じられ、そうした個人と国家による鋭い関係性が、今村昌平の丹念な掘り起こしによって浮かび上がってくるところが、実にスリリングです。


「未帰還兵を追って タイ編」(8月10日 新文芸坐)
1971年/監督・解説:今村昌平

【★★★★ 三人三様の未帰還兵を一同に集め、その個性のぶつかり合いを記録するという方法がスリリング】
 今村昌平のドキュメンタリー、この日2本目の「未帰還兵を追って タイ編」は、前述した「マレー編」の続編に当たりますが、元日本兵へのアプローチは全く違っており、こちらでは事前調査によって既に3人の未帰還兵が捜し出されています。映画は、この3人を一堂に集めて、彼らが戦争体験や日本に帰らなかった事情などを語り合うという形で進行します。
 チェンマイ近くで農民をやっているという藤田松吉さんは、最前線で味方兵とはぐれたあと、日本軍が16年後に再びやってくるという噂を信じて待っているうちに30年を経過してしまったという人で、今も米英人を見ると敵意がムラムラと湧いてしまうという“天皇陛下の赤子”でもあります。
 利田銀太郎さんは、上官から下される残虐行為の命令に嫌気がさし、敢えて逃亡兵の道を選択したという人で、天皇批判も平然と口にします。今は、現地人に日本人をよく思ってもらいたいなどと言いながら、医師免許も持たずにもぐりの医者をやる一方、どこか後ろめたいような、日本への郷愁を絶ち難く持っているような表情を垣間見せる人です。
 もう一人の仲山波男さんは、利田さんとは対照的に医師免許を持って都会で開業している医者で、キャメラの前では、自分の戦争体験や天皇のことをどう思っているかなどということを一切口にせず、ほかの二人とも適度な距離を置き、3人の中では最も現地に溶け込んで成功している人に見える一方、東京からやってきて自分たちから天皇批判めいた言葉を引き出させて、日本政府にチクるのではないかなどと、今村に対して懐疑的な態度を貫くという意味では、今なお日本という国を信用せず、郷愁と無縁で生きている人でもあります。
 こうして三人三様の考え方で戦争や日本と向き合っている元日本兵を一同に集め、彼らの個性のぶつかり合いによって、1+1+1=3以上のものを引き出すというのが、「人間蒸発」以来の今村のドキュメンタリーの方法論なのであり、今回もそれが見事に実践されています。
 と同時に、彼ら3人を見つめながら、彼らから“棄民”という概念を引き出してゆく今村の思考が実にスリリングで説得力を持つのであり、今村は映画監督であったと同時に、戦後のオピニオンリーダーの一人だったことも思い起こされます。


「無法松故郷に帰る」(8月10日 新文芸坐)
1973年/監督・解説:今村昌平

【★★★★ 33年ぶりに故郷に戻った元日本兵の、故郷を棄て、かつ棄てられるドラマを見つめる視線が鋭い】
 この日の今村昌平戦争関連ドキュメンタリーの3本目は、前記「未帰還兵を追って タイ編」に出てきて、強烈な印象を残した藤田松吉さん(今村がつけた渾名が“無法松”)が33年ぶりに日本に帰郷した姿を描きます。
 羽田に着いた藤田さんは、妹さんの親戚によって出迎えられ、まず妹と涙の再会を果たすのですが、妹は実家の兄と対立し、兄のもとを飛び出す形で東京近郊に出て、今のご主人と結婚し、5人の子供を設けています。藤田さんは、この妹さんとは気が通じているのですが、どうやら兄のことは快く思っていないらしく、妹さんから兄の女性遍歴や贅沢な生活ぶりを聞かされ、兄への反撥を強めています。
 そうした精神状態で故郷の長崎に戻った藤田さんが実兄と再会し、自分が戦死したと役所に届けられたいきさつを追おうとします。藤田さんは、腕に銃弾を受けてマレーの野戦病院に入院し、その後マラリアに罹って死んだというのが、日本に残された家族にあてて送られた政府の通知だったのであり、その情報を伝えた人物として公式文書に残された名前が、藤田さんとは同郷で藤田さんの兄の友人である森田という人でした。
 藤田さんは森田という人に詰め寄り、自分が腕に銃弾を負った事実も、マラリアに罹った事実もなかったことを訴えると、森田氏のほうは、公文書に自分の名前が記される理由がわからないと言い、役所に何かを届けた記憶はないと突っ撥ねます。
 藤田さんは、こうしたからくりの裏では実兄が手引きしていたのではないかと睨み、実兄と鋭く対立します。
 戦後も日本に帰ろうとしなかった藤田さんのような人々には、実は帰りたくないような家庭や故郷の事情があるからではないか、という問題は、「からゆきさん」の中でも、被差別部落出身者ゆえ地元で差別されていたお婆さんの事情として描かれていたのですが、ここにおける藤田さんも、自分のことを受け入れてくれる妹は首都圏にいるものの、生まれ育った長崎では、両親は原爆で死亡し、ただ一人残る兄とは鋭い対立関係にあったわけです。こうして故郷にいられなくなった藤田さんは、元上官に会いに行ったのち、タイに帰ってゆきます。
 故郷に棄てられたと同時に、故郷を棄てた元兵士の悲劇。あの戦争がもたらした一断面に向けた今村の視線は相変わらず鋭いものです。

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