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200×年映画の旅コミュのパッチギ!

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まずは、2005年1月に観た今年のベストワン候補の1本について、1月下旬当時に書いた文章です。

 まだ1年が始まったばかりの段階でこのような軽率な断言をするのも如何なものかと思いつつ、早くも今年のベストワンはこの映画で決まり!と申し上げたい気分です。井筒和幸は、TVで「こちとら自腹じゃ」などと威張りくさって(映画を自腹で観るのは当たり前じゃ!)、他人の作った映画をコキ下ろす姿には、少なからず反感を覚えたこともありますが、もうすべて許す! 「ガキ帝国」が持っていた、粗削りながらほとばしるような青春の“たぎり”と、「のど自慢」や前作「ゲロッパ!」が持っていた語りの巧さや歌心を併せ持った、真に傑作と呼ぶに値する映画を、ついに井筒が撮り上げたのです。
 この映画については、わたくしの友人たちの間でも悪く言う人は一人もおらず、そのうちの一人もわたくしと同様、今年のベストワン決定などと断言しておられます。こうなると臍曲りな性格が頭を擡げ、批判派に回ってしまおうかなどという邪念も頭をよぎるのですが、この映画の面白さ、美しさの前では、批判めいた言葉を綴る気はまったく起きず、ただ、井筒よ、あんたは偉い!という賛辞ばかりが口に洩れてしまいます。
 1968年、京都。冒頭は、派手な衣装に身を包んだグループ・サウンズのメンバーが舞台の上で演奏していて、観客席の若い女性たちが黄色い声を上げています。キーボードを弾いている赤毛のオカッパ頭の男には、どうも見覚えがあり、オックスの赤松愛によく似ているなぁ、などと思っていると、ヴォーカルの男性が歌のサビにかかったところで、観客席の女性が次々と失神し始めます。場面変わると、ジャズ喫茶と看板が出ている店の前で、高校生の男子2人が「女とヤルにはこの髪型に限る」などと話していて、店の看板には「オックス来店」などと書かれていますので、冒頭に登場したグループはほかならぬオックスだったことがわかる仕組み。失神バンドとして有名だったオックスを冒頭から登場させて、早くも大いに笑わせてくれる快調な出だしです。
 このあと、高校生2人(主人公の康介と親友の紀男)は早速オカッパ頭にしたものの、女の子からは気持ち悪がられているのですが、そんな折、長崎から修学旅行に来ている高校生と京都の朝鮮高校の生徒との喧嘩騒動に巻き込まれます。この喧嘩騒ぎは、朝鮮高校の女学生を長崎の男子生徒がからかったことから始まったものですが、女学生のチクリを受けて、朝鮮高校の男子生徒たちが大挙して京都の観光地を走っている絵が、圧倒的な迫力を生んでいます。映画はアクションであるという原理に則った、この運動感! 若者たちが全速力で走ることだけで、観ているほうも血が躍り出すのを感じます。
 朝鮮高校の生徒が喧嘩のキメ技として披露するのが、“パッチギ(朝鮮語で頭突きの意味)”なのですが、これは東京では“チョーパン”と呼んで恐れられたものです。わたくし自身は幸運にも朝鮮高校の生徒との喧嘩に巻き込まれたことはありませんが、高校時代の喧嘩好きな友人は、チョン高と国士舘の喧嘩を目撃した経験を昂奮して語り、その“チョーパン”の威力について畏怖を込めて語っていたものです。映画を観ながら、そんな昔話を思い出していました。それはともかく、映画は一貫して朝高生徒とこれを敵視する日本人高校との間で繰り広げられる喧嘩を軸に展開してゆくのですが、若くて血気盛んな男たちの肉体の躍動を作劇の中心に置いた、映画のアクション性にこだわったところが、井筒の偉いところです。その意味で、この映画は21世紀の「けんかえれじい」と呼びたい気がします。
 このあと登場する主人公の担任教師(光石研)が、これまたリアリティがあって、68年当時、世界を席捲していた毛沢東語録を授業中に取り出して、「戦争を止めるには戦争をもってするほかない」などという言葉を得々と語ってみせたりする姿は、わたくしの高校時代の世界史教師を思い出させて、苦笑を呼びました。いたんだよなぁ、ああいう教師。それはともかく、この教師が登場する場面は、劇構成上では主人公と紀男に朝鮮高校との親善サッカー試合を申し込みに行かせる、という意味を持つだけに過ぎないとも言えるのですが、光石がここで黒板に「WAR」という3文字を書きつけた意義が、あとになってジワジワと映画全体にボディブローのように効いてきます。ヴェトナム戦争反対の機運が高まり、世界中で同時多発的に若者たちによる“異議申し立て”が顕在化する1968年という時代の空気が、グループ・サウンズの髪型を真似てナンパにいそしむ能天気な高校生の日常にも静かに侵入し、「WAR」の3文字が彼らの頭上にのしかかってくるからです。それにしても、こうした社会的な主題をさらりと物語の中に溶け込ませる脚本の巧さには、まったくもって感心しますし、この一連の場面をごく自然に演じきってしまう光石の芝居も、そうした芝居を促す井筒の演出も、実に見事と言うほかありません。
 このあと場面は、朝鮮高校に主人公たちがサッカー試合の申し込みに行くことになるのですが、ここでも感心する場面が出てきます。朝高のトイレで、番長(高岡蒼佑)とその仲間がダベっている場面なのですが、彼らがそこで話題にしているのが、「アメリカ軍とわが人民軍(北朝鮮軍)が戦えばどちらが勝つか」ということなのです。光石が黒板に「WAR」と書いた時にはまだ漠然としていた戦争の像が、すぐ隣町の高校ではナマナマしいイメージとして実感をもって語られていること。そして、北朝鮮という、いつアメリカや韓国と戦争を始めてもおかしくない国を祖国とする人々が、同じ京都の隣町に住んでいるということ。……このあと、主人公は音楽室から聞こえてくる「イムジン河」の旋律に惹かれるようにしてヒロイン(沢尻エリカ)と出逢い、恋に落ちることになるのですが、映画全体の底流を形作る「イムジン河」のメロディと歌詞には、常に北朝鮮の影がチラつくことになるのですから、番長たちによる便所での会話は、これまたボディブローのように映画全体にジワジワと効いていると思われます。
 ありゃりゃ、映画が始まってまだ15分しか経っていない部分を記述するのに、長文を費やしてしまった。話を追うのはこのへんでやめて、映画のポイントについて記述しておきます。
 井筒は、主人公たる能天気高校生やその仲間のことより、朝高の生徒たちのほうに思い入れしているがごとく、生き生きと描き出しています。番長のアンソン(高岡)、親友のバンホー(波岡一喜)、弟分のチェドキ(尾上寛之)の3人組が繰り広げる喧嘩、猥談、じゃれ合いの、なんと愉しいことか! アンソンの妹で、主人公が恋するキョンジャ(沢尻)も、控えめなようでいて芯がしっかり通っていて、カッコいい女の子です。沢尻エリカという女優は、今後必ずや大成してくれるでしょう。それ以上にカッコいいのが、朝高の野郎どもをクールに見つめながら慈愛を隠さない女ガンジャで、この役を演じている真木よう子という女優は、これまで観たこともない人なのに、一気に贔屓になってしまいました。アンソンの恋人の桃子(揚原京子)は、最初に登場した時はオツムのちょっと弱そうなボウリング場娘くらいにしか見えませんでしたが、映画が進むに従い段々と存在感を増し、映画が終わった時には、これまた桃子のことが好きになっている自分に気づく有様です。朝鮮人部落の住民たちも、皆素晴らしい。映画の中で一番輝きが鈍いのが、実は主人公の康介だったような気がします。
 「イムジン河」という歌が映画全体の底流を形作ると前述しましたが、この南北朝鮮を隔てる河の持つ性格は、朝高生徒と日本人生徒の無益な対立を隔てる鴨川に引き継がれます。康介と親友の紀男が、鴨川にかかった橋の真ん中に立ち、「もしこの川に国境線が引かれたらどうする?」などという会話を交わす場面が象徴的ですし、康介が憧れのキョンジャに「付き合ってほしい」と告白するのも、この川を渡る行為を伴うものでした。告白を受けたキョンジャが「もし私たちが結婚することになったら、あなたは朝鮮人になれる?」と問う科白は、康介ばかりでなく観客の胸にも重く響きました。そして、ラスト近くの大乱闘が、まさに鴨川の両岸に朝高の生徒群と大阪・京都の反朝鮮連合軍が対峙する形で始まるのです。
 「イムジン河」という歌が、1968年、フォーク・クルセダーズによる「帰ってきたヨッパライ」に続くシングル盤として発売直前までいきながら、政治的な理由によって突然発売中止になったといった事件を、自分自身の痛みとして体験したわたくしたち世代からすれば、この歌への思い入れは大きいもので、例えば「さよなら、クロ」の中で使われたチューリップ「青春の影」や、「チルソクの夏」の中で使われたイルカ「なごり雪」などよりも、わたくしの琴線を直撃する破壊力を持って耳に響くものでした。この歌を放送しようとするラジオ・ディレクター役の大友康平が、放送を阻止しようとする松澤一之に向かって、「歌ってはいけない歌なんて、ないんじゃ」と喝破した時は、実に胸がすく瞬間でしたし、思わず共感の涙が溢れるのを抑えられませんでした。
 涙といえば、映画の後半は、もはやとどめることもできずにただただ泣いてしまったのですが、そのきっかけとなったのは、朝高トリオのうちでも主人公・康介の恋に一番理解を示していたチェドキが不慮の事故で死んでしまったあとの葬式の場面にほかなりません。
 番長アンソン、その親友バンホーと一緒に弔い酒を飲んでいた康介。アンソンとバンホーは、葬式には出ないで独自にチェドキの弔いをすると宣言し、アンソンはチェドキが欲しがっていた腹巻を棺桶に入れて欲しいと康介に託します。一人で葬式に臨もうとした康介は、足をもつれさせて棺桶の前でひっくり返ってしまいます。その時、死んだチェドキの伯父である笹野高史(このところ、端役として出る映画、出る映画で、渋く光った演技を見せてくれる俳優さんです)が「帰れ、帰ってくれ」と語り始めるのです。「生駒トンネルを誰が掘ったのか、知っているか? 国会議事堂の大理石を誰が切り出して積んだのか、知っているか? お前らチョッパリ(日本人の蔑称)は、知らないなら知らないままで、平気でいるんだろう」などと語られる言葉。笹野が喉から搾り出すように発語する「知っているか?」の言葉は、康介だけでなく、観客であるわたくしたちにも深く突き刺さるもので、じじつ、議事堂の大理石のことなど知らずに半世紀も生きてきた自分自身の恥ずかしさに、頭をうなだれたくなってしまいました。それよりこの場面で巧いと思ったのは、笹野が「帰れ」という言葉を発するきっかけを作ったのが、康介が足をもつれさせて倒れるという醜態であったことです。康介がごく普通に棺桶の前に進み出たところで、やおら笹野が「帰れ」と言い出したとすると、笹野の日本人への憎しみばかりが強調されることになり、その言葉はきつ過ぎるものと思えたかも知れません。しかし、あそこで康介にコケさせたことで、笹野が最初に放つ「帰れ」はスムーズに受け取られ、続いて「帰ってくれ」と繋げる言葉が実感を伴って耳に響くことができたように思えます。こうした細かな演出が場面のリアリティを担保しているのだと思え、井筒への敬意がますます増幅されたのでした。
 笹野に言われた言葉は、康介に深く突き刺さり、彼が鴨川の橋の上からギターを投げ捨てる行為へとつながります。そのバックに流れる「悲しくてやりきれない」を聴きながら、わたくしの瞳からは涙が止まらなくなり、このあと康介によるラジオでの「イムジン河」熱唱、河原の大乱闘、アンソンの彼女・桃子の出産などの畳み掛けを経てのエンディングに至るまで、もはやハンカチを使う余裕もないほどでした。
 このところ、在日朝鮮人を題材とする映画は、崔洋一「月はどっちから出ている」以来ひきもきらず、李相日「青 chong」、行定勲「GO」、そして崔がライフワークとして取り組んだ「血と骨」まで、作られ続けていますし、1960年代末〜70年代前半という“政治の季節”を背景に持つ映画も、松岡錠司「さよなら、クロ」、李相日「69 sixty−nine」などが作られていますが、今回がピカイチ! 間違いない!

コメント(1)

 上記「パッチギ!」メモには、まだ語り忘れていたことがありました。それは、劇中で主人公が親友と一緒に観にいった映画や、街中に掲げられていた映画の看板などのことなのですが、世の中にはちゃんとそういうところを語ってくれている人はいるもので、大阪・堺市に住む友人・北京波さんが発行しているメールマガジン「新世紀映画水路」2005年1月下旬号で、次のように記述されています。
 「このなかで主人公は映画を見に行く。『バーバレラ』『太平洋の地獄』『女体の神秘』の3本立てだ。なかでも画面にも登場する『女体の神秘』は思い出深い。というのも、同時期に公開された『完全なる結婚』などは完全なる成人映画。入りたくとも無理だったからである。ところが『女体の神秘』は抜群のタイトルだというのに一般映画なのだ。というのも、内容が妊娠したら母体はどうなるのか・・・、という学術映画だったからで、なにしろ国語辞典の「性交」「接吻」でも興奮する中学生たちを集めて大ヒットした。『バーバレラ』もセクシャル・コメディで、これもヤングたちが殺到した。しかし、訂正の必要があると思ったのは『太平洋の地獄』は1968年暮れの正月映画で70ミリ公開された大作だから、もしこの3本立てがあるなら1969年下半期である。また映画の看板として絵看板の『猿の惑星』が街角に張られている。この映画が最初の公開時には70ミリだったこと、完全に忘れていたなぁ。街角に張られている映画ポスターが『ガメラ』シリーズと『悪名一番勝負』であることなど、井筒監督ならではの選択だという気がする。」
 ああ、「太平洋の地獄」! ああ、「バーバレラ」! ……「女体の神秘」は観たことがありませんが、「太平洋〜」と「バーバレラ」は、わたくしが中学時代、映画に目覚めたばかりの頃に観た映画です。特に「バーバレラ」にはすっかり参ってしまい、当然の如く主演のジェーン・フォンダに惚れ込み、浅丘ルリ子狂いが始まる前のわたくしにとってのミューズがジェーンでした。「バーバレラ」の冒頭には、無重力の宇宙船の中でジェーンが着ていた宇宙服を1枚1枚脱ぎ捨ててゆくという、魅惑的な空中ストリップが描かれていたのですが、おっぱいが見えそうで見えないという、じれったくなるような編集が施されていて、友人たちと見えた、いや、見えない、などとくだらぬ論争を繰り広げたものです。この空中ストリップ見たさに、確か3回くらい劇場に足を運んだ上、しかも、全篇を1回観たあと、また頭のストリップ場面を確認して劇場を出るといった具合に(当時は今のように定員入替制などという野暮な制度はなかったので、一度劇場に入れば何度も同じ映画を観られたし、途中から入って途中で出てくることも自由にできたのです)、あの冒頭場面だけは計6〜7回は観たと思います。ばかでした。
 「女体の神秘」は観ていませんが、やはり一般映画として公開された「フリーセックス地帯を行く 天国か地獄か」なんて映画は、タイトルに釣られて観に行ったものです。今となっては、まったく中身を覚えていませんが…。「茂みの中の欲望」なんて映画にも行ったなぁ。あれは確か「仮面ペルソナ」との2本立てで公開された二番館での上映で、図らずもイングマール・ベルイマンという監督に魅せられるきっかけともなりました。「若い狼たち」なんて映画もあって、プールの中で若い主人公カップルが水中セックスに耽る場面で、女性の陰部にボカシが入るのを、やたら昂奮して観たことも恥ずかしく思い出されます。この「若い狼たち」は、あとで知ったことですが、かの「天井桟敷の人々」の名匠マルセル・カルネ晩年の作品です。しかし当時のわたくしはそんなことはどうでもよく、ただ水中セックスを繰り広げるエデー・ポトリフという女優さんの薄い胸を眩しく拝んでいただけでした。イギリスの名キャメラマンであったジャック・カーディフが監督した「あの胸にもういちど」なんて映画も、ミック・ジャガーの愛人だったマリアンヌ・フェイスフルの裸が拝めるらしいという噂を聞いただけで観に行った映画で、これが実はフランスのシュールレアリスム小説家ピエール・ド・マンディアルグの「オートバイ」を映画化したものだったことも、当然あとで知りました。フランコ・ゼフィレッリの「ロミオとジュリエット」も、のちに布施明夫人となったオリヴィア・ハッシーのおっぱいがチラリと見えたかどうかで友人と口角泡を飛ばしたものです。浜美枝が主演した「砂の香り」という映画は、18歳未満禁止の映画でしたが、「007は二度死ぬ」でビキニ姿を晒してくれた浜が、どんなきわどい役に挑んでいるのかどうしても観たくなり、中学1年生のくせに背伸びして大人料金で入ろうとしたところ、「坊や、大人ぶってもダメよ」などと切符売りのおばさんにすぐにバレてしまい、恥をかいたこともあります。
 若気の至り。このような恥をだらだらと書き連ねてしまったのも、「パッチギ!」が1968年という時代の空気を正確に再現してくれたために、わたくしの中の記憶が一気に呼び覚まされたからなわけで、またまた井筒和幸には改めて感謝を捧げておきます。

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