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200×年映画の旅コミュの2007年5月上旬号(邦洋画旧作)

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2007年5月上旬に侘助が観た邦画・洋画の旧作

「続 三等重役」(5月6日 自宅DVD鑑賞/エアチェック)
1952年/監督:鈴木英夫

【★★★ 急造の続編という感じはあるが、鈴木英夫の職人としての巧さは窺え、森繁から名演技を引き出す】

 “ミクシィ”のオフ会の際、友人が贈ってくださったDVDです。わたくしはミクシィ上では鈴木英夫監督コミュニティの管理人をしているのですが、この「続 三等重役」が日本映画専門チャンネルで放送されるという情報が話題になった時、わたくしの家ではこのチャンネルを観ることができない、と書き込んだのを、この友人が覚えていてくださり、DVDにダビングして譲ってくださったのです。有り難いことです。
 春原政久が監督した前作は結構前に観たので、最初のうちは設定を思い出せず話についていきにくかったですが、すぐに思い出してきました。
 先代のオーナー社長・小川虎之助から会社の経営を任された戦後派の雇われ社長・河村黎吉が、お調子者の人事課長・森繁と繰り広げるサラリーマン喜劇。いわずと知れたのちの社長シリーズの源流です。
 前作の「三等重役」も、大きなストーリーの縦軸を作らず、河村社長の質実なキャラクターを背景として、管理職の悲哀を中心線に据えた細かなエピソード集といった趣の作りになっており、ギャグで笑いを取ろうとする後年の社長シリーズとは違って、むしろペーソスと人情を前面に立てた映画でしたが、この続編もまた、いくつかのエピソードを通して、サラリーマンの悲哀を浮き彫りにしようとする映画でした。
 前作が封切られたのが52年5月で、そのヒットを受けて作られたこの続編は52年9月に上映されていますので、急遽作られた続編といった感じは否めず、鈴木英夫の演出も細部への配慮があまり感じられないまま、いつもより淡白な作りになっているように見えてしまいますが、手堅い娯楽作に仕上げる職人としての鈴木の腕は確かであり、テンポよく小市民の哀感を綴っています。
 特に、森繁久弥からは前作以上の芝居を引き出しており、「女房を服従させるなんて屁のカッパ」と同僚の前で豪語しながらも、実は恐妻家の森繁が、同僚たちの目の前で妻・千石規子に逆に服従させられる姿を晒してしまい、苦し紛れにドジョウ掬いを歌い踊り始める芝居の撮り方に、鈴木と森繁との格闘の成果が窺えて、なかなかの見せ場にしていました。
 「三等重役」シリーズは、主演の河村黎吉がこの映画の公開後急死してしまったため、今度は森繁を主役に立てた社長シリーズへと横滑りしたわけですが、河村が存命だったら日本映画史はどうなっていたか、想像を巡らせてみるのも悪くありません。


「オペラの怪人」(5月6日 東京芸術劇場小ホール)
1925年/監督:ルパート・ジュリアン

【★★★★ ロン・チャニーの怪物性と、野獣が美女に恋するメロドラマ性のバランスがよくとれて胸に迫る】

 ミクシィを通じて知り合った活弁士・斎藤裕子さんによる活弁つきサイレント映画の鑑賞会。この日は、ピアニスト三沢治美さんとのコラボレーションという企画で、三沢さんによる作曲と演奏に合わせて、斎藤さんの活弁が展開される形でした。
 上映された「オペラの怪人」は、ガストン・ルルーによる小説が1910年に発表されてから最初の映画化で、ユニヴァーサルの看板俳優だった“千の顔を持つ男”ことロン・チャニーの変装を活かした企画です。
 冒頭、暗闇の中にランタンを持った男のシルエットが浮かぶという映像からして、ゴシック・ロマンス風の雰囲気が濃厚に漂います。
 パリのオペラ座を舞台に、夜な夜な現われるという怪人と、その怪人を“音楽の天使”と信じて、彼のおかげで大役を得たと思っている新進女性歌手、彼女に想いを寄せる子爵らが繰り広げる物語ですが、ロン・チャニーの怪物性を強調したおどろおどろしい見世物性と、野獣が美女に恋してしまうというメロドラマ性を浮かび上がらせるという、ユニヴァーサルらしい、すなわちカール・レムリが大好きな路線の雛形をなす映画です。
 確かにチャニーのメイクは、ドクロそのもので、観る者を怖気づかせるものですが、そんな彼の一途な純情についほだされてしまうのも事実で、ちょうど「キング・コング」の大猿に感情移入してしまうのと同じように、わたくしたちはチャニーの恋に思い入れてしまうのです。
 斎藤さんの活弁は、映像が伝えるものを逸脱せず、なおかつ装飾すべきところはきちんと装飾するという、活弁士としての最高のパフォーマンスを見せてくれたと思います。また、三沢さんのピアノやオペラ場面で出される声も素晴らしく、斎藤さんとの間で見事な阿吽の呼吸を実現していたと思います。
 わたくしたちは、一昨年、アンドリュー・ロイド・ウェッバー版の舞台を映画化したジョエル・シューマッカー監督によるミュージカル「オペラ座の怪人」を観たのですが、怪人のほうが色男に見えるという、あの映画の“ええカッコしぃ”より、このロン・チャニー版のほうが野獣の哀しみは伝わり、わたくしたちのハートを遥かに強く打つものでした。


「女番長 スケバン」(5月11日 シネマヴェーラ渋谷)
1973年/監督:鈴木則文

【★★ 贔屓女優だった杉本美樹が出ているだけで許す映画だが、中身は誉められない。】

 シネマヴェーラ渋谷で開かれていた鈴木則文の特集上映“最終兵器・鈴木則文降臨!”は、何回か足を運んでみたいプログラムがあったものの、フィルムセンターの今村昌平・黒木和雄とダブっていたりして、行けず仕舞いでした。しかし、よりによって鈴木ソクブンを称揚しようなどという素晴らしい企画にはぜひ賛同したいし、一度は足を運んで雰囲気を味わいたいと思い、最終日となったこの日、大昔に観たことのある2本立てではありましたが、ようやく馳せ参じました。
 「女番長」は、忘れもしない1973年1月22日、かの「仁義なき戦い」第1作を上野の封切館で観た時の併映作でした。鮮烈極まりない「仁義なき戦い」の出来と印象の前では、併映作などカスに等しいと思いながらも、個人的には当時のミューズの一人だった杉本美樹の裸身を眩しく見つめていたものです。この前年、「午前中の時間割り」というATG映画の製作のお手伝いをした時、その完成披露試写に荒木一郎(「午前中の時間割り」では荒木が脚本家の一人として参加していました)が、杉本嬢を横に侍らせて現われたことがあり、その時にナマの杉本嬢のクールな美しさに魅了されたという個人的事情もあって、特に彼女が眩しく見えたのでしょう。
 あれから34年も経って観直した「女番長」は、お話はきれいさっぱり忘れており、杉本嬢の裸場面も少なくて拍子抜けでしたが、杉本のクールな魅力に再会でき、色男役の宮内洋の弟分として荒木一郎が出ていることにも個人的にはツボでした。この映画に荒木が出演していたことなど、すっかり忘れていたからです。
 しかし映画としてはお世辞にも誉められた代物ではなく、杉本が率いるスケバンたちが、別のグループを率いる池玲子と組んで、天津敏率いるヤクザ組織をやっつけるという構図が、あまりにも安易に思えますし、いわば玩具のピストルで本物の機関銃を相手にして勝ってしまうといった展開にも呆気にとられるほかありません。また、池と杉本の双方と関係を持つことになる宮内洋の設定が、甲子園球児のなれの果てに天津に拾われた子飼いというあたりに、古臭い浪花節のヤクザ映画の骨組みから一歩も出ていない構図が見えてしまい、やや辟易します。やたらと手持ちキャメラをぶん回す手法にもわざとらしさを感じました。
 とはいえ、オープニングとラストの、どこかの高速道路を走る車を超ロングショットで捉えた絵の中で、電線に偶然とまった鳥や、絶妙なタイミングでフレームインするカラスなどを映してしまえるところに、ソクブンという監督のツキというか、映画の神様に愛されてしまった者だけが撮れる僥倖を感じてしまうのであり、やはりソクブンは只者ではない、という実感を持たせられます。


「エロ将軍と二十一人の愛妾」(5月11日 シネマヴェーラ渋谷)
1972年/監督:鈴木則文

【★★★★★ 娯楽作としてきちんと成立させながら、時代を映す鏡にもなっている、堂々たる傑作】

 鈴木則文特集の最終日もう1本「エロ将軍と二十一人の愛妾」は、75年に昭和館地下で観ました。わたくしは、高校時代は池玲子派ではなく杉本美樹派でしたが、75年頃には池も、杉本も、渡辺やよいも、みんないいという状態で、東映のエロ路線全体を愉しんで観ていたのですが、この「エロ将軍〜」は特に、百花繚乱で面白かった印象が残っていました。ただし、物語の細部はすっかり忘れてしまっていました。
 今回観直して、女優たちの裸だけでなく、権力や権威を徹底的に茶化し、乱し、反逆する姿勢が話を弾ませていて、大いに楽しめました。昔観た時より時間を経た今のほうが、より面白く感じられたと言っていいでしょう。これは傑作と呼べる域に達しています。
 徳川11代将軍の座に就いた一ツ橋家の豊千代(林真一郎)は、本を読むことにばかり夢中で女を知らず、後見人の田沼意次(安部徹)は豊千代の筆下ろしを吉原の花魁に依頼しますが、この花魁が膣痙攣を起こし、豊千代は登城不可能になってしまいます。そこで田沼は、泥棒・鼠小僧(池玲子)の入れ知恵により、豊千代と瓜二つの風呂屋三助の角助(林真一郎の二役)を代役に立てます。こうして、第11代将軍・家斉になりすました角助が、大奥の女たちを次々とものにして妊娠させまくり、ついには、京都の公家出身の正妻・茂子(杉本美樹)をも角助が征服し、まさに酒池肉林の饗宴が繰り広げられるというお話。
 杉本美樹や池玲子は、前記「女番長」での出し惜しみなどどこへやら、といった感じで脱ぎまくり、男性観客の眼の保養をさせてくれるのですが、角助が田舎に残してきた許婚という設定の渡辺やよいが、家斉になりすました角助の呼出しに応じて江戸城にやってきた末に、大奥のしきたりと複雑な人間関係に疲れて自殺してしまうあたりも、説得力を持ちます。
 そして、恐らく俳優人生最初で最後の大役を割り振られた林真一郎が、学究一筋の家斉と性欲満々の角助というキャラクターを熱演し、役柄に生命を吹き込んでいます。何よりも凄いのは、当初は安部徹扮する田沼意次やその手下の名和宏の操り人形に過ぎず、「よきに計らえ」としか言わなかった角助が、次第に権力の虜になってゆく過程であり、政治の面白さに目覚めると同時に政治の恐ろしさに足を掬われてしまう悲哀が、実に説得力を持ったのでした。ラスト近く、角助は大量の政治犯を牢屋から解放して大奥に招き、腰元たちを政治犯にあてがって、まさに大奥は性の解放区と化すのですが、このあたりは製作当時の“政治の季節”を反映して、連合赤軍事件なども視野に入れた設定だと思われます。わたくしが75年に観た時も、こうした政治状況を巧みに織り込んだ作劇に感心したことを思い出しました。角助が権力と刺し違えようとして挫折し、無念を噛み締めるあたり、この映画が見事に1972年という時代の鏡たり得ていることに、今回もまた大いに感心しました。
 その後、ミクシィを通じた友人の南木さんが日記に書き込まれたことを拝読して、ハタと気づきました。角助は田中角栄をモデルにしているということをです。南木さんの日記を無断で一部引用させていただきます。
 “さて「角助」は「越後出身」という設定、公開された年代から考えると小学校しか出てなくて一国の首相に上り詰めた「田中角栄」をイメージしてるのは明らかでしょう。「日中友好」の象徴としてパンダならぬ「パンタ」という小人の「人間性具」も出てきます。優れたエンターテーメントは真面目な映画よりもはるかにいろんなことを語れるのだいうことを思い知らせてくれます。”
 ……そうだったか、なるほど。角栄だとは、75年当時も気づきませんでした。わたくしがバカでした。
 南木さんも書いておられる通り、優れた娯楽作は、ゲージツ作より遥かに見事に時代をまるごと掴み取ることができるのであり、この映画における掛札昌裕・鈴木則文脚本はそれを成し遂げていると思います。また、則文演出も、角助がヨーロッパ美女とベッドで格闘している横に、“毛沢山”なる役名を与えられた由利徹を置き、性戯の実況中継をさせるというふざけた真似をさせることによって、時代を痛烈に風刺するという技を実践してみせたのであり、その手際にはほとほと感心させられました。
 映画が終わって、劇場を出ようとしたら、やはりミクシィを通じた友人で、今回の則文特集に通い詰めておられるHHさんと遭遇し、この映画の面白さを確認し合いました。
 則文特集はシネマヴェーラの企画の中でもヒットだったらしいですから、第2弾、第3弾も遠くない将来に実現するでしょう。その際には、もっと足しげく通いたいと思います。

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