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200×年映画の旅コミュの2007年4月下旬号(今村昌平)

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2007年4月下旬に侘助が観た今村昌平作品。

「あほう」(4月17日 フィルムセンター)
1975年/監督:今村昌平

【★★★ 今村校長の学校の実習作品。校長なら生徒に撮らせればいいのに、自分で監督する点が今村的】

 フィルムセンターの2007年度最初の特集は、“追悼特集 映画監督・今村昌平と黒木和雄”。ともに去年亡くなった監督であり、わたくしも同時代を生きた者として、何本も観てきた監督です。今村は松竹大船を飛び出して日活に移り、のちに独立プロを興したほか、日本映画学校を開校した、カンヌ最高賞2度受賞の人。黒木は岩波映画でドキュメンタリーやPR映画を作ったのち、劇映画に転じた人。こう概観すると、両者はまったく違う道を歩んだように思えますが、フィルムセンターのチラシには両者の共通点も指摘されており、“両監督の演出スタイルは異なるものでしたが、日本映画の最盛期にデビューしつつも従来の映画産業の構造に反旗を翻したこと、劇映画とノンフィクションの双方で活躍したこと、社会の弱者やマイノリティの視点を常に抱いていたこと、そして原爆被害者への鎮魂の思いを込めた作品を持つことなど、共通する点も少なくありません”ということになります。
 わたくしとしては、両監督の最近の作品はともかく、昔の作品は未見のものや、忘れたものも多いので、このチャンスに追いかけておこうと思います。
 そして、まずは今村が、日本映画学校の前身たる横浜放送映画専門学校の校長として指導・監督した第1回実習作品「あほう」です。校長なら自分で監督せず、生徒が監督すべきだとも思えますが、生徒から巻き上げた授業料で自分が監督してしまうという図太さこそ、イマヘイの本領という気もします。
 この映画は、京都からヒモのようなヤクザ男を連れて、女が田舎の実家に里帰りする場面から始まるのですが、女には知恵遅れの兄がいて、彼は女のことを“姉ちゃん”と呼んでいます。ヒモ男はこの知恵遅れを徹底して侮蔑するのですが、妹は兄を庇い、それが周りからは近親相姦的に見えてきてしまうあたりが、「にっぽん昆虫記」やら「神々の深き欲望」での土着的家族共同体の在り様とよく似たものに見えてしまう点で、これはこれで立派なイマヘイ作品になっているのでした。
 ちなみに、知恵遅れの男を演じている日野利彦は、「赤い殺意」で主人公の息子を演じていた子供だそうです。


「凍りついた炎」(4月17日 フィルムセンター)
1980年/監督:今村昌平

【★★★ 同性愛のお話かと思ったら、さらに母子の近親相姦的な溺愛や狂気が描かれ、イマヘイらしくなる】

 前記「あほう」が横浜放送映画専門学校の第1回実習作品なら、こちらは第3期研究科の実習作品。これまた校長自らが監督・指導しています。また、「あほう」では観たことのない人が出演していたので、恐らく専門学校の生徒が出演しているのだろうと察していたのですが、こちらは、主人公に扮した山本龍二という男こそ知らないものの、母親役の猪俣光世、妻役の渡辺とく子、主人公の同性愛の相手になる北村和夫、妻の浮気相手・青木富夫など、錚々たる役者が出演しており、校長先生のコネの強さを見せつけています。
 主人公の山本は、しがない理容師。都内の都電沿線にある古い理容店で地道に仕事しているようなのですが、新婚早々だというのに、妻の渡辺とは関係を持てません。それもそのはず、山本は同性愛者なのです。
 ある時、妻の渡辺は、夫の性癖を暴露する電話を受けたことから青木とともに新宿2丁目に出向き、そこで夫の山本が北村とホテルにシケ込むところを目撃してしまいます。夫がなぜ自分を抱こうとしないのか、その理由を知った渡辺は、誘われるまま青木に身体を許してしまいます。
 ここまでは、ただのホモセクシャルものか、と思って観ていたのですが、山本の性癖を導き出したのが、母親・猪俣による近親相姦的な溺愛であることが明らかとなり、山本は自分で自分をコントロールすることができなくなって、新宿で放火を繰り返し、ついには狂気へと旅立ってしまうに至り、イマヘイらしいねちっこいドラマが展開されるのです。
 前記「あほう」では、脚本・我妻正義とクレジットされ、この「凍りついた炎」では脚本・田村浩太郎、清水信行とクレジットされるなど、恐らく専門学校の生徒が脚本を担当したのだろうと思われますが、相当にイマヘイ校長の指導が行き渡っていると思われ、いずれも見事にイマヘイらしい話になっているのです。


「西銀座駅前」(4月17日 フィルムセンター)
1958年/監督・原案・脚本:今村昌平

【★ 今村としては不本意に手掛けざるを得なかった映画らしいが、あまりにも手抜きが過ぎて、退屈】

 この日3本目に上映されたのは、今村昌平としては「盗まれた欲情」と「果しなき欲望」に挟まれた監督第2作「西銀座駅前」で、わたくしは初めて観る映画です。
 フランク永井のヒット曲(♪ABC、XYZ、それがおいらの口癖さ♪というのが歌詞ですが、そんな口癖の奴はいません)をタイトルにしているだけあって、冒頭から永井が出てきてキャメラ目線で語り部になり、物語の主人公たる柳沢真一が山岡久乃扮する妻の尻に敷かれていることを説明します。
 銀座で小さな薬屋を営んでいるのが、妻の山岡で、夫の柳沢は居候のような婿養子でしかないのですが、ある日、山岡が二人の子供を連れて2泊3日のピクニックに出かけたため、一時的な独身生活を送ることになった柳沢が、友人の獣医・西村晃の指導のもと、浮気に走ろうとするお話です。
 1日目は浮気をしようとする意欲ばかりが空回りしたのに対して、2日目は、ターゲットを向かいの万年筆屋の女性・堀恭子に絞って、堀とのアヴァンチュールを楽しもうとした結果、単なる隅田川下りのボート遊びだったつもりが台風に巻き込まれて南の島に辿り着き(柳沢には、軍隊時代に南の島で出会った島娘との甘い思い出が今も頭を離れません)、一気に冒険ものの様相を呈するものの、結局そこは山岡がピクニックに行った先の避暑地だったというオチが用意されるのです。
 企画の発端は永井の歌しかなく、そこからプロットをデッチ上げた映画だということは容易に想像できるものの、それにしても、お話はあまりにもまとまりを欠いた荒唐無稽なもので、スラップスティックにしては笑えないし、かといって何か風刺めいたものが含まれているとも思えず、退屈しました。フィルムセンターのHPによれば、「盗まれた欲情」を撮るために仕方なく手がけた映画だと今村は述懐しているそうですが、時間がなかった中で仕上げた映画とはいえ、あまりにも手抜きが過ぎるように思えます。


「にっぽん昆虫記」(4月19日 フィルムセンター)
1963年/監督:今村昌平

【★★★★ 戦後を狡猾ながら逞しく生き抜いた女の姿に説得力があり、力強い映画になった】

 フィルムセンターの特集で今村昌平「にっぽん昆虫記」を鑑賞。1971年に並木座で観て以来、36年ぶりの再会です。
 ヒロインの左幸子が、血のつながらない父親で知恵の遅れた北村和夫に乳房をしゃぶらせる場面は記憶に強烈に残っていましたが、そのほかはさすがに細部を殆ど忘れていました。
 冒頭、砂地を一心不乱に進む昆虫の大接写(昆虫に対して“一心不乱”とは言わないでしょうが)。彼(または彼女)に目的地があるのかどうか知りませんが、ただ本能に従って前へ前へと進む昆虫の姿に、今村は戦後日本人の象徴を見ているのです。そして、この昆虫の姿を俯瞰的な観察者の視点から見るのではなく、地べたに這いつくばったキャメラが昆虫と同じ高さの視点から眺めるというのが今村の方法論なのです。
 ちなみに、この日に観たプリントは、この冒頭の昆虫観察映像のあとについていたはずのメインタイトルやスタッフ・キャストのクレジットがついていませんでした。
 物語は、大正末期の東北田舎村、知恵遅れの北村和夫という夫がいながら彼には目もくれずに浮気に忙しい佐々木すみ江が、誰の子かわからぬ女の子を産むところから始まります。北村はこの子を自分の子だと思い込んで溺愛し、子供のほうも北村を実父として慕うのです。
 この子供が大きくなって左幸子になり、地主の息子・露口茂と関係して娘を産み落とし、製糸工場の職員・長門裕之との関係を深める中で終戦を迎えるのです。金を稼いで父・北村や娘と一緒に暮らしたいという左は東京に出てきて、米兵のオンリーをしている春川ますみの家の家政婦をしたり、新興宗教にはまったりしながら、売春宿の女将・北林谷栄と知り合ったことから、売春斡旋の道に入ってゆくことになるのです。
 戦後を売春婦として生き抜く物語は掃いて捨てるほどありますが、売春婦たちを口八丁手八丁で操る手練手管の持ち主として主人公・左を描くことによって、狡猾ながら逞しく戦後を乗り切った女の姿を象徴することに成功しています。
 松川事件、血のメーデー、60年安保など、時代の節目になった事件の脇で、したたかに身体を資本にした人生を送る左の逞しさと、男に振り回される女ゆえの哀しさ。イマヘイらしい土着性に根ざした作劇が、さすがの説得力を持ちます。
 フィルムセンターHPの解説文には、“今村が「何とか違う(映画作りの)方法を探ろうとした」本作には、ストップ・モーションの多用や、段落の合間に挿入される主人公の詩の吟詠など様々な工夫が見られる。”と書かれていますが、こうした技巧の数々は、“日本の戦後にこういう女がいました”という証拠写真として、観客の胸の中のアルバムにしっかりと貼り付けられる効果を生んでいます。
 やはり今村の代表作の1本だろうと思います。好きか嫌いかと言えば、左のキャラクターも吉村実子も強すぎて辟易してしまうため、それほど好きな映画ではありませんが、力強い映画であることは認めざるを得ません。


「人間蒸発」(4月21日 フィルムセンター)
1967年/監督・企画:今村昌平

【★★★★★ 劇映画とドキュメンタリーの垣根などどうでもいい次元へと観客を連れ出す恐ろしい映画】

 わたくしが今村昌平の映画を観たのは、1970〜71年に集中しており、この映画も71年に、伊勢丹の向かい、新宿文化の並びにあったシネマ新宿という名画座で観て以来、36年ぶり2度目の鑑賞です。
 しかし、それだけ長い間観ていない映画ではありますが、今村の号令でキャメラが引くと、そこは撮影用に組み立てられたセットの中であることが明かされるという衝撃をはっきり覚えていますし、蒸発した男の行方を追っていたはずの女性が、次第に取材パートナーである露口茂のことを好きになってしまう展開に、人間存在の魔可不思議なる真実を見た思いがしたものです。映画という媒体によってできることの可能性に、心底から驚愕させられたのが、この映画を観た体験だったのであり、わたくしが映画の魔力という底なし沼に引き寄せられてゆく大きなきっかけを作ったうちの1本でもありました。
 とはいえ、36年も経っているだけに忘れている部分が殆どで、今回久しぶりに観直して、“ネズミ”と渾名された主人公の女性が、恋人の蒸発の原因は実姉が握っていると疑って追求するくだりなど、映画の中核をなす部分をすっかり忘れていただけに、またしてもグイグイと引き込まれてしまったのでした。
 失踪した恋人が、失踪前に実姉と繰り返し逢瀬を重ねていたらしいことを、実姉の住むアパートの近くの魚屋の証言によって掴んだ妹“ネズミ”が、実姉に執拗に迫り、証言者たる魚屋を連れてきて追及しようとするものの、姉は一切これを否定し、魚屋の記憶違いだと主張し続ける日本間での場面は、典型的な水掛け論に終始するのですが、ここで議論をキャメラの脇で聞いていた今村が、セットのバラシをスタッフに命じて、ここが普段は虚構のドラマを毎日作り続けている映画撮影所であることを暴露しつつ、人が真実と思っているものが実は虚構の衣に包まれているかも知れないことを示唆した上で、議論を宙吊りにする時、やはり今回も胸を衝かれるような思いに襲われると同時に、わたくしたちは劇映画とドキュメンタリー映画の間の垣根などどうでもよくなってしまうという次元へと連れ出されてしまったのです。
 わたくしの記憶では、このセットのバラシ場面が終幕に用意されていたと思い込んでいたのですが、実際の映画はこのあとも続き、ネズミの実姉のアパート近くに主な登場人物が呼び集められ、再び証言者の魚屋や、新たな証言者たるアパートの1階従業員らが登場し、失踪男性とネズミの姉がこの界隈で何度も逢瀬を重ねた事実があったかどうかが、延々たる堂々巡りとして再現されます。そして、この堂々巡りを傍らで聞いている今村や浦山桐郎の姿を映し出しながら、観客も呆気にとられるほかないのですが、ここで今村が盛んに繰り返すのは、この映画はフィクションなのだということで、これは、最早収拾のつかぬカオスと化したこの場を誤魔化すための詭弁に違いないと思う一方、真実が何かなどということを宙吊りにして不毛な議論を続ける人々の哀しくも可笑しい“人間喜劇”が、紛れもないフィクションだとも思えるようになるのでした。
 それにしても、この映画で主役を演じた(!)ネズミこと早川佳江という女性の凄さには圧倒されるばかりで、今村や浦山らスタッフの興味を、実姉と失踪者との関係へと導いてゆく、その心理的駆け引きの巧さも、キャメラの前で露口への恋心を吐露する面の皮の厚さも、映画が進むに従ってどんどん綺麗になってゆくという変貌ぶりも、映画の中で今村がいみじくも指摘した通り、まさしく“女優”そのものなのであり、あらゆる女性たちには、このネズミと同じような素質があるのだろうという思いに立ち至った時には、人間が本来持つ虚と実の奥深さに驚愕するほかありませんでした。この映画は、実に恐ろしい映画なのです。


「にっぽん戦後史 マダムおんぼろの生活」(4月22日 フィルムセンター)
1970年/監督・脚本:今村昌平

【★★★★ 己の肉体を武器に戦後を生き抜く逞しい女性像は、「にっぽん昆虫記」に連なる。女性の強さを痛感】

 前日の「人間蒸発」に続いて、この日もフィルムセンターの今村昌平特集で「にっぽん戦後史 マダムおんぼろの生活」を鑑賞。1970年、新藤兼人「触角」との2本立てを東宝系封切りで観て以来です。
 “おんぼろ”というバーのマダムとして、身体を張って戦後を生き抜いた逞しい女性を追ったドキュメンタリー映画という骨格は覚えていましたが、細部はすっかり忘れていました。
 冒頭、監督のイマヘイが電話で出演交渉している場面から映画が始まり、ギャラの交渉までしています。通常のドキュメンタリーでは取材謝礼は払っても些少ですから、それをここではギャラとあえて言うことによって、金を払ってキャメラの前で演じてもらうこと、即ちこの映画の虚構性を予め宣言しているのであり、「人間蒸発」と同じ方法論が貫かれていることを感じました。
 続く場面は、ある屠殺場で牛が殺されて解体される様子を映すもので、牛の死体に時折ヴェトナム戦争のソンミ村虐殺の写真がモンタージュされます。この映画が作られた70年はまだヴェトナム戦争の真っ最中だったのですから、今村は、これから見せようとする映画が、時代の今と拮抗していることを明確に打ち出そうとしていると感じましたが、実際のところは、この映画の主人公である女性の実家が屠殺場を営む肉屋であることが、のちに明かされるのでした。
 山陰地方の田舎町で肉屋の娘として生まれた女性が、戦後の混乱の中で、付き合った地元の男のDVに耐えた末、横須賀に出てきて米兵相手のバーを営むようになり、日本人バーテンダーや何人かの米兵との同棲などを経たのち、自分の娘と大して年が変わらぬ若い米兵と結婚して、さっさとアメリカに渡ってゆく姿を描いています。
 彼女のインタヴュー場面が全体の中心を形成するのですが、彼女の話と並行して、天皇の玉音放送をはじめとした戦後のニュース映画が流されます。日映新社の制作した映画だけに、同社が保有する膨大なニュース映像素材が活用されているのです。
 そして、己の肉体を武器にして戦後を逞しく生き抜く主人公の姿は、先日観た「にっぽん昆虫記」と正確に重なり合うのであり、実にイマヘイ好みの題材だと思いました。と同時に、日本人としての国籍などにしがみつくことなしに、あっけらかんとアメリカに渡り、「米国の市民権を獲得したら今の亭主とはさっさと別れて、さらにいい男たちとの恋を楽しむのだ」と平然と宣言する主人公には、なんとも清々しいまでのパワーを感じてしまったのでした。女性は強し、ということを痛感しつつ、この国の戦後は、まさしく女性たちによって牽引されてきたのだということも改めて思い知ったのでした。
 主人公の赤座悦子は、春川ますみや沖山秀子とよく似たタイプの肉体派であり、今村の女性の好みがよくわかります。


「楢山節考」(4月25日 フィルムセンター)
1983年/監督・脚本:今村昌平

【★★★★ 人間を自然の中の一員と考える姿勢が貫かれ、姥捨ての悲劇性より人間肯定の明るさが残る映画】

 お恥ずかしい話ですが、このカンヌ受賞作をわたくしは観ていませんでした。ちょうどわたくしが映画からは遠ざかっていた時期の映画だという理由もありますが、当時のわたくしがかぶれていたハスミ教授が今村を貶し、「最良の今村より最悪のベルイマンのほうが上」とか何とか、カンヌ受賞を批判する扇動的なことを書いており、そんな言葉に感化されたわたくしは足が遠退いたのでした。
 この題材を取り上げた以上、今村の念頭には木下恵介版の存在があったことは間違いなく、木下が歌舞伎様式を取り入れたオール・スタジオドラマに徹したのに対し、今村はロケを多用し、蛇、フクロウ、蛙、鼠といった動物を人間ドラマの傍らに配して、映画全体に自然の摂理を行き渡らせます。じじつ、フィルムセンターHPに書かれた解説文によると、“生き物が生き物を食べたり、生殖したりするシーンを挿入することで、木下恵介の『楢山節考』(1958年)とは異なるリアリズムを加味しようと試みた”と今村本人が語っていたそうです。
 さらに今村は、楢山に老いた親を棄てに行く話だけでなく、同じ深沢七郎の「東北の神武たち」からユーモラスかつ大らかな艶笑喜劇の要素を加味してみせます。「東北の神武たち」は、市川崑が手がけた60分の中篇がありますが、市川版が木下恵介「楢山節考」と同様にセットの様式美を狙っただけに、今村版における自然重視の作りが強く印象づけられます。
 そして、こうした作劇から浮かび上がるのは、親棄ての悲劇としての側面より、自然界の一員として応分の生と死を全うしようとする人間たちに対するシンパシーに溢れた讃歌なのだと思いました。そうした人間肯定的な側面が感じられただけに、映画を観終わった時には、暖かくて明るい印象が残ったのです。
 CGのない時代に、山の中に立つ一本の木の周りに風を起こしたり、人間が芝居している横を蛇が這ったり、山の下のほうから一斉に鳥が飛び立ったり等々、撮影を実現するためにスタッフが払った努力のあとが偲ばれますし、険しい山を背中に坂本スミ子をおぶって歩いてみせた緒形拳の役者根性にも頭が下がります。カンヌがこの映画を高く評価したのも、わかる気がしましたし、日本映画を愛する者として誇らしい思いもありました。


「黒い雨」(4月26日 フィルムセンター)
1988年/監督:今村昌平

【★★★★ 人間喜劇の側面を抑えて直球勝負に徹し、今村らしさに欠けるが、原爆への怒りが真っ直ぐに出た】

 またしてもフィルムセンターにて今村昌平「黒い雨」を鑑賞。これも今回初めて観る映画でした。
 お話の詳細は事前に何も知らなかったものの、原爆被害を描いた映画であることは知っており、広島の被爆者たちが抱えた戦後の苦しみという主題は、イマヘイより熊井啓あたりが相応しいような気がしていました。
 実際に観た映画も、イマヘイらしい人間喜劇の要素は従来より薄く(主人公の叔父である北村和夫が、被爆者仲間の小沢昭一や三木のり平と釣り三昧の日々を送る長閑な描写や、石田圭祐扮する戦争後遺症持ちの男の病気の描写などに、イマヘイらしい喜劇性が覗きますが、その比重は全体の中で少ないのです)、同じく広島の被爆体験を綴った黒木和雄の「父と暮せば」に比肩すべき直球勝負の描写によって貫かれていました。それは確かに、今村らしくない、という印象をもたらします。
 しかし、人類の歴史上最も愚かな発明品を生身の人間相手に使用したという愚劣極まりない行為への怒りを、隠したり誤魔化したりすることなく、ストレートにぶつけるとともに、主人公・田中好子の生の希求を池で飛び跳ねる鯉の幻影という形で表象してみせた今村の作劇には、やはり人を圧倒する力が漲っていたのだと思います。今村は、自分らしくない題材に挑んでいることに充分に自覚的でありながら、あえてこの直球勝負にこだわり通してみせたのです。
 上映後のトークショーに出てきた美術監督の稲垣尚夫氏は、製作当時のエピソードとして、この映画が“文部省特選”という扱いになっていることについて今村が、「俺が文部省特選の映画を作るようになっちゃお仕舞いだ。俺は文部省から怒られるような映画を作らなくちゃな」と語っていたことを述懐していましたが、その言葉からも、今村が自分らしくない道をあえて歩んだ覚悟のほどが窺えましょう。文部省に誉められるイマヘイ映画なんぞ糞食らえだ、というのが正論だとは思いますが、他方でこの映画が持つ力強さも否定できないのです。
 被爆地広島の光景を丹念に再現すると同時に、田舎村に建つ古い庄屋の家をオープンセットとして再現した稲垣の美術(この仕事をしていた当時、稲垣はまだ30代そこそこの若さだったそうで、彼に美術を任せた今村の覚悟も見事です)、今村とはこれ1本のみの付き合いながら、松竹大船撮影所時代からの知り合いとして、見事な女房役を果たした川又昂のキャメラなど、技術陣も素晴らしい成果を上げていますし、今村とはやはりこれ1本の付き合いだった武満徹も、胸にズシンと響く見事な劇伴を書いたと思います。

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