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200×年映画の旅コミュの2007年2月下旬号(新作)

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2007年2月下旬に侘助が観た新作映画


「ドリームガールズ」(2月25日 日劇1)
2006年/監督・脚本:ビル・コンドン

【★ カットを割りすぎで、踊りのリズムも歌の臨場感も殺ぐこと著しい。黒人音楽映画を白人が撮る欺瞞】

 このところ日本映画の旧作ばかり通っていて、新作に飢えてきたので、前記池部良2本立てのあと銀座に出ました。何にしようかちょっと迷った末、世評の高い「ドリームガールズ」を選択しました。
 しかし、わたくしにはまったくダメでした。
 どうしてあそこまで細切れにカットを割るのでしょうか。歌や踊りというものは、呼吸法に則って、息を吸う、吐くのリズムが躍動と感動を波及させるもので、つまり一呼吸の間はノーカットで見せないと臨場感もへったくれもあったものではないと思っています。
 踊りなら、キャメラは踊り手の頭の先から足の爪先までのフルショットを収めて、一定フレーズをまるごとノーカットで見せることによって、その技の素晴らしさを観客に伝え得るし、歌なら、どうせ予め吹き込んだ声に画面では口パクで合わせただけだとは知りつつ、一定フレーズをノーカットで見せることによって、その人がその場で歌っているような臨場感を得られるのだと思います。
 フレッド・アステアのタップはワンカットで撮影されているがゆえに、その奇跡的な躍動感に酔うことができたのですし、「踊る大紐育」の冒頭「ニューヨーク・ニューヨーク」に胸躍らされるのは、たとえ口パクだとわかっていても、ジーン・ケリーやシナトラの歌に臨場感を覚えたからにほかなりません。
 しかし、「ドリームガールズ」は、「シカゴ」や「オペラ座の怪人」の例に洩れず、カットを小刻みに割っては観る者のリズムもズタズタにしてしまいました。冒頭の素人コンテストの場面から、踊りや歌、ギター演奏の様子を細かいカット割りで刻む演出には唖然とするばかりでしたし、話題となっているジェニファー・ハドソンの歌すら、フレーズの途中でキャメラを切り替えてしまう有り様です。確かに彼女の歌声を聴くだけで、木戸銭を払う価値があるとは思うものの、その演出には失望を隠せませんでした。
 もはやハリウッドは自分たちの輝かしい文化的伝統を継続する意欲すら失ったのではないかと絶望的にすらなりました。
 ビル・コンドンという監督は、「シカゴ」では脚本を手掛けており、自らも「ゴッド・アンド・モンスター」や「愛についてのキンゼイ・レポート」といった佳作を監督している人なのですが、音楽映画のセンスは皆無だと断言するしかないでしょう。
 ついでに文句をつけてしまうと、この物語は、誰もが知るように、モータウン・レコードの誕生秘話をベースにしているわけで、白人文化に陵辱されながらもデトロイトを拠点に黒人によるR&B開発に尽力したベリー・ゴーディ・ジュニアをモデルに、シュープリームスとダイアナ・ロスを模した女性歌手たちを描いたお話だったわけですが、確かに出演している多くの役者は黒人たちで占められているものの、映画用の歌を書いたのも、監督・脚本のコンドンも白人なわけで、黒人音楽の讃歌を白人が作っているといういびつな構造にも、わたくしは胡散臭いものを感じてしまいます。


「孔雀 我が家の風景」(2月27日 Q−AXシネマ2)
2005年/監督:顧長衛(クー・チャンウェイ)

【★★★★ 文化大革命以降の時代を背景に、人生の重さを実感させる家庭劇。中国映画の新しい魅力を感じる】

 アルゴピクチャーズに勤務する友人に薦められて観た映画ですが、実に味わい深いホームドラマでした。
 事前の予備知識なしに観たので、監督が何者なのか知らなかったのですが、クー・チャンウェイは、チェン・カイコー(「子供たちの王様」「さらばわが愛 覇王別姫」)、チャン・イーモウ(「紅いコーリャン」「菊豆」)、チアン・ウェン(「太陽の少年」「鬼が来た!」)といった中国を代表する映画監督と組んだキャメラマンであり、かのロバート・アルトマンに招かれて「相続人」まで手掛けている人だということをあとから知りました。
 さらには、映画を観ている間は、時代背景があまり描かれないな、と思っていたのですが、物語の背景として設定されたのは1977年、すなわち11年間続いた文化大革命が4人組の逮捕という傷跡を残して終了したあとの時代だということをHPなどで知りました。
 そうした背景を頭に入れて映画の中身を思い起こすと、さらにこの映画が味わい深いものに思えます。
 夕闇が迫りつつある路地を俯瞰で捉えた絵から映画は始まるのですが、さすがにキャメラマン出身監督だけあって、構図や光線処理などが見事で、ファーストカットから唸らされます。
 続くカットでは、家族5人がアパートのヴェランダに出したテーブルを囲んで夕食を採っています。そして、この家族の末息子のモノローグに導かれて、3人の子どもたちが辿る人生の喜怒哀楽を次々に綴る3通りの物語が展開してゆくのです。
 まず最初にフィーチャーされるのは、一人娘のウェイホン。彼女は、ガラス瓶を洗う工場に勤めていますが、その単調な仕事に飽きて、保育所の仕事に転職します。しかし、誤って赤ん坊を手から落としてしまう事故を起こしてしまい、再びガラス瓶工場に舞い戻ります。感受性は強く夢想家でもあるものの、現実に手を動かすような仕事は苦手とするという、実に不器用な生き方しかできない彼女には、観客もつい共感してしまいます。
 そんな彼女が軍の落下傘部隊の演習を眼にして、その部隊にいる一人の兵士に恋してしまいますが、あっさり失恋に終わって兵士は街を去ってゆきます。大空への憧れや彼氏への断ち難い想いを胸に、ウェイホンが自転車に落下傘を括り付けて派知らせる場面が、彼女の見果てぬ夢を表象して、強く印象に残ります。
 そして、そんな夢想家の彼女も、現実世界ではまさしく現実的な選択を迫られることになり、落下傘自転車を走らせた時に知り合った男との腐れ縁がありながら、その男との関係は断ち切り、平凡な男と結婚し、平凡な生活を選び取ることになります。
 こうしてウェイホンの物語を綴り終えると、画面には再び冒頭と同じくヴェランダでの夕食シーンが出てきて、今度は知恵遅れの長男ウェイクオ、そして最後は末息子のウェイチャンの物語を描いてゆきます。
 そして、三人三様の人生から浮かび上がるのは、彼らが手に入れることができなかったもの、手に入れながら結局は失ってしまったもの、しかし結局最後には手にしたものなど、要するに彼らが選択した人生が正しかったか間違っていたかは問わずに、ただ人生が重さとして実感されるという厳粛なる事実なのです。
 予備知識なしに観ていた間は、この映画には時代背景に対する政治的・社会的関心が稀薄だと思え、チャン・イーモウやチェン・カイコーのように、常に文化大革命によって蒙った心の傷にこだわる姿勢とは対照的なだけに、政治的視点から自由になっているこの映画の作劇が新しく感じられました。
 しかし実際は、文革が終わった時代を設定していることからして充分に政治的・社会的な意義を持っているわけですから、政治的視点から自由になっていると思ったのは誤解に過ぎなかったわけですが、文革というトンネルを抜けた先に、一体どのような人生を選択すべきだったのだろうか、という問題意識自体が、文革による傷跡にばかり拘泥する視点より新しいこともまた事実に思え、中国映画がまた新しい顔を持ち、新しい魅力を持ち得ていることを実感するのでした。
 アルゴピクチャーズの友人は、客足がなかなか伸びないことを憂えており、確かに場内はガラガラ蛇が鳴くような閑散ぶり。もっと多くの人に観てもらいたい映画ですから、この場を借りてわたくしからも皆さんにお薦めしておきます。


「世界最速のインディアン」(2月28日 銀座テアトルシネマ)
2005年/監督・脚本:ロジャー・ドナルドソン

【★★★★★ スピードにかける執念、アメリカ大陸に単身挑む無茶さなどに圧倒され、老人パワーに脱帽】

 予告編を何度も観ている限りは、正直なところ観る気は起きませんでした。ロジャー・ドナルドソンという監督には感心させられたことがありませんし、最近のアンソニー・ホプキンスは訳知り顔の“権威”という感じがして好きになれなかった上、この予告編ではホプキンスの色男ぶりが鼻についた(ベッドの女性の前で「ユア・マイ・サンシャイン」をおどけて踊る場面のわざとらしさ)のです。
 しかし友人の吉川北京波さんが仲間内のメールで推薦しておられたので、観てみようかという気になりました。
観てよかった!
 主人公がスピードのために燃やす執念にはほとほと呆れるばかりですし、貧しいニュージーランドの老人が単身で合衆国に挑む無茶さには圧倒されるほかなく、そうしたジジィのクソ力を平然と演じ切るホプキンスにもただただ頭が下がるだけでした。
 そしていつの間にかこの爺さんを必死に応援している自分に気付き、レース本番では自分のことのように昂奮しました。
 ロスのモーテルでホプキンスの味方になるドラッグクィーンくん(化粧が似合わないのに、目付きだけで人の好さが表れていて、可愛らしかったです)、対向車もない中でトレーラーを壊して困っているところを助けてくれたネイティヴ・アメリカン(ホプキンスは無遠慮に「あんた、インディアンかい?」と差別語を口にしても、平然と「そうだよ」と応える鷹揚さがいいです)、ユタ州まで車に同乗するヴェトナム戦争兵士(戦争批判を四の五の口にしないところがいいです)、そしてホプキンスのレース出場を後押しするレーサー仲間(演じているのはピーター・ローフォードの息子らしく、親父そっくりの容貌でした)ら、協力者の面々も味わい深いです。
 北京波さん、薦めていただきありがとうございます。
 エンドクレジットを眺めていたら、製作指揮には日本人の名前がいくつか並んでいました。こういう映画に出資した日本人には、どうせ使うなら日本映画に使えという言葉をグッと飲み込んで、グッドジョブ!と言ってあげましょう。

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