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200×年映画の旅コミュの2006年12月下旬号(活弁つきサイレント)

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2006年12月下旬、侘助が観た活弁つきサイレント映画。

「天明怪捕物 梟」(12月29日 紀伊国屋ホール)
1926年/監督:原敏雄

【★★ 悪役専門が善人役を演じるという工夫が妙の映画だが、フィルムの3割が失われており、理解できず】

 無声映画鑑賞会の定例イヴェントとして上映された映画ですが、わたくしの友人で活弁士をやっている女性の個人的HPで告知を見て上映会の情報を知り、観たいと思ったのでした。
観たいと思った第一の理由は、原作・脚本が石田民三だったこと。 石田の名前は映画通の友人さんから聞かされて興味を持っていたのです。
 しかし映画自体はフィルムが3巻欠けているため話が飛んで、あれよあれよという間に終わっちゃいました。
 そもそもが、怪優と呼ばれて悪役が多かった団徳麿が善人の役で主演した映画であり、前任の与力役として共演している片岡佐衛門もまた、当時は悪役専門役者と思われていた人らしいので、いわば“悪役商会”所属の役者を刑事として起用するというキャスティングの妙で観客をひきつけようとした企画でしょうから、悪役かな、と思わせて実はそうではなかった、といった物語的な起伏をいくつか用意するなど、結構込み入った話みたいでしたから、もし全編のフィルムが残っていれば、理解も進んだし、もっと楽しめたでしょうに、残念でした。
 活弁の澤登翠氏の語りはさすがに巧いし、伴奏の“カラード・モノトーン”という5人組(作曲・編曲・指揮・兼三味線、フルート、ヴァイオリン、キーボード、パーカッション)も素晴らしい演奏でしたので、★1つオマケしておきます。


「男性と女性」(12月29日 紀伊国屋ホール)
1919年/監督・製作:セシル・B・デミル

【★★★★★ デミルが妙な説教をせずにエロい視線に徹し、スワンソンが妖艶さを振り撒き、実に愉しい】

 前記「梟」と同時上映された映画。
 こちらは、セシル・B・デミルとグロリア・スワンソンのコンビによる初期の代表作と言われる映画だけあって、実に面白かったです。これまで、デミルのサイレント映画は、有名な「十誡」ともう1本を観たことがありますが、そもそもエロな興味を掻き立てるあざとさが売りの作りのくせに、そうした下品な本性は陰に隠して、表向きは高邁な思想を標榜しているかのような振りをするという、戦後のデミル映画と同様の下劣さが鼻についたのですが、1919年の段階でのデミルは、まだ社会的なエロ批判に晒されていなかったという事情もあったせいか、あっけらかんと、堂々とエロい視線をヒロインのスワンソンに降り注いでおり、若きスワンソンも全身からオーラを発して妖艶さを振りまいているのであり、幸福なる映画として結実しているのです。
 映画は冒頭から、あるイギリス貴族の朝の起床場面を描くのですが、少年小間使いが家の住人の寝室を一つ一つ化ギアナから覗き、寝姿を確かめるという形で、観客の覗き見根性を刺激してみせます。デミルはのっけから出刃亀根性に自覚的なのです。さらに続いて、スワンソン扮する貴族令嬢の朝の入浴場面を描くというサーヴィスぶりは、まさに観客の欲望に忠実です。そこに余計な説教をさしはさまないところが賢明です。
 このあと、一家の面倒をクールに仕切る執事のトマス・ミーアンがスワンソンに秘かな想いを抱いていることを、さりげない視線一つで示唆してしまう演出も繊細であり、サイレントが実に能弁な表現媒体であることを思い起こさせてくれます。澤登翠氏による活弁も、このへんの映像の饒舌ぶりをさりげなくフォローするにとどめて余計な言葉で装飾しないのであり、実に過不足ない語りに徹してくれたのでした。
 この貴族一家が船で旅行した際、操縦者のミスで岸壁に衝突した船が沈没し、一家が離れ小島に漂流したことから、原始的な生活を余儀なくされる過程で、執事のミーアンの生活能力が貴族たちを圧して、自然の中におけるヒエラルキーが成立し、いわばミーアンを王様とした小世界が構築されるに至るのです。スワンソンは狩りの才能に目覚め、ミーアンは自分の前世がバビロニアの王であったことを自覚するといったエピソードもあります。
 しかし、島の近くに船が航行されているのを見たミーアンは、あっさり王としての立場を放棄して、再びイギリスの貴族邸での執事の役に逆戻りするのであり、スワンソンとの間に芽生えつつあった恋情も隠したまま、それぞれの立場に相応しい伴侶を得る道を進むというお話。
 まあ、のちのハロルド・ピンター‐ジョゼフ・ロージーによる「召使」に連なる階級闘争という主題を秘めた題材ではありますが、デミルはそうした生々しさを前面には立てず、あくまでも大衆娯楽に徹してみせるのであり、それが却って奥床しさとして機能して、身分差を伴う恋という主題を鮮明に浮き彫りにしたのです。
 スワンソンはのちの「サンセット大通り」しか観たことなかったですが、若い頃の妖艶な魅力は圧倒的でした。 デミルのエロい視線が、彼女の色っぽさを更に強調しています。なるほど名コンビと言われただけあります。
 澤登翠氏の活弁、カラード・モノトーンの5人による伴奏、ともに素晴らしかったことを付記しておきます。

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