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日本基督教団・魔女発信コミュのキリスト教離れのすすめ

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こんなタイトルの本作ったら売れるかな。安保闘争の時に教会員となって35年以上の時が流れました。早いものです。その間世の中は移り行きましたが、教会は不変の真理を説き明かすところだからでしょうか。あまりかわっていません。その中でも以前からいちばん変わらないのが、若い人がいないことまたは少ないこと。なぜでしょうか。若い世代はなぜ教会に足が向きにくいのでしょうか。もちろん韓国のような例外もなくはありません。それを見習うべきとも思いますが、しかし、若人が集う教会なんてどこか胡散臭さも漂うようで、そう考えると日本の教会の現状の方が健全なのでしょうか。

教会員独特のあの羊のようなやさしい眼と声色、それに私は付いていけない。熱心な教会員ほど、熱心な教会ほど、伝道にも熱を上げます。当然だろ、教会だもの、なんて言わないでください。近辺にトラクト配りに回った経験が何度もありました。その時の寂寥感、罪悪感と言ったらまるでカフカの世界の疎外に通じるものがあります。また、特伝と称する狂気の決起集会にも私はアレルギーを起こしました。むかし野球場でやったビリーグラハムとやらでその嫌悪感は頂点に達しました。あれじゃアレフが再生して同じことやったってだれも文句は言えませんよ。

あんなことばかりやるから若い人が来ないのではないですか????? 「熱心な伝道」は善意でいいことと思ってやっているのでしょうが、そのマイナス面をも学習しないのはなぜでしょうか。私の偏見で言わせてもらえば、教会の伝道とは会員を増やすための販売促進という名の営業活動にほかなりませんよ。確かに会員が増えれば教会の力も大きくはなります。でも、大きくなってどうするというのですか??? アメリカ兵と一緒になかよくイランに乗り込むとでもいうのでしょうか。教会が大きくなればなるほど、疎外感も増幅します。クリスチャンという仮面をかぶった輪の中で、それに乗らないととんでもない挫折感を味わう羽目に。

イエスはそれを批判したのではないですか??? 人ののどの渇きを知ってか知らぬか、それに目を閉ざして伝道に励む、悩んでいる人を救うかのようなふりをして教会員に引きずり込む、そして冷たい水風呂にほおりこむ、それで生まれ変わったと公言する方がよほど人生観が変形している、というか救われてないな。

もちろん名誉のためにも言うがよい教会もよい牧師もあまたいる。でもそんなの少数派。わが勤務するキリストさま大学の中でも、熱心なクリスチャンがいて、ほんとに熱心ならいいのだけれど、魂のベクトルは教会員獲得の方へ。そしてやんぬるかな、典型的な教会面、それで試験監督中にもトラクト配ったやつがいたのにはたまげ果てた。本務の専門論文書かないで、「教会奉仕があるから教授会を休む」、と公言したどえらい執事様もおいでになりましたわ。

また、むかしですが、大学の礼拝の司会をしていた時、熱心な神学生から「先生、事務的なお祈りはやめてください。それは罪です。私は大学をイエスの聖霊で満たしたいからこそ、この礼拝に来ているのです」とかなんとか文句付けてきたのがいましてね。文句付けるのはいいとしてです、こんなのにかぎって原理主義的な教会牧師になる、そうなのです、彼はいま熊本のどこかの教会牧師ですな。ああ、文化果つる熊本よ、おまえもか。神学部とはゼロックス工場ではないと思っていたのですが、それは私の誤解でした。

人の痛みを分かってくれるキリストさまはどこにおられるのですか??? 人の迷いを伝道でなく、直接受け取ってくれる教会はどこにあるのですか??? 人の弱さをそのまま包んでくれる牧師様はどこにおられるのですか??? それらがわかった時、私は教会にもう一度戻りたいですね。

コメント(5)

 今やインターネットの世界、トラクト配って「自分は伝道を良くやった」というのは典型的な自己満足。インターネット上には日本語も含めた世界各国の言語で相互通信しながらキリスト教伝道している有名なサイトもあるくらいです。その中でカウンセリングしながらキリストの教えを説いているのはほとんどが平身とのボランティア、今の日本語人口の中ではどうもそちらのユーザーの方が多いようです(アクセス数から見れば)。話聞きたい人も「気が向いた時」にアクセスすればいいわけですからね、ずっと本質的。
 目立つように十字架建てて、トラクト配ったり、「文書伝道」とかしゃかりきになるのよりもそっちの方が「まともなキリスト教」に思えるのは私だけ(基本的に相当な福音はグループがやっているのですけどね)。
ルターのころはネットなんかなかったけれど、主旨はそれじゃな。人の痛みをわかろうとしない教会なんかいらないよ。ネットでもいい。要はそこで本当の「福音」が説かれるかどうか。福音は明治初期か、「ふくおと」とよまれたそうな。そのころの方がよほどキリストさまに近かったのではないかね。

神学者がキリストさまからいちばん遠い所にいる、と思うのは私の偏見かもしれないが、そのカフカ的「城」に住むみたいな特権意識がどうも気になる。歎異抄のような神学者って言葉の矛盾なんですかねぇ???
神学者と教会の乖離は大きいとわたしは思います。
それから、むしろグラハム的な教会の方が若い人は多いのでは?

いずれにせよわたしが直面している現在の教会の課題は、どう人を送るかです。
継承問題は「けっ」と思っています。

もしそれで終わるなら、教会だって息絶えていいのよ。
今のところ、今いる場所で、見届けようと思ってますが。
チャイとの会話。
わたし:「以前通っていた教会のフジンカイからハズされているおばはんが、今日、わたしの所に、グチとも泣きごととも言えないようなおしゃべりをしに来た。いろーんなこと、ぐだぐだしゃべったら気が済んだようにして帰った。ふーむ、信仰って何なん?今さらだけど。信仰の基盤が、通っている教会である必要はマッタクないんだけど、孤独だよね。」
チャイ:「あ〜ぁ、ぐだぐだおばさんね〜。いるね、そういう人。信仰って、神とわたしとの関係だから、多分教会運営とは異質の代物だろう。けれど、個が確立してないと言うか、自律出来てないから、何でも神が関与してくれると思い、『神、神』と呼びまわる。まあ、呼ぶのはそれぞれの腹の中の神だったりするんだけどね。」
わたし:「そのおばはんは、そこの教会の前々担任のファン。だから、今の担任にはなじめない。ファンであった牧師が、そこを辞める時、何とか引き止めたかったようだ。しかし、結局、教会はその担任をクビにして、次に来た牧師もクビ!そうまでして、今の代務教師を呼びたかった。同じように、現担任をクビにし、決定していた次の人事を『イラク戦争に反対を表明するような牧師はいらん!』と、断ってしまうような○○教会といい、驚くような教会が熊本には多いんだよ。」
チャイ:「せーさんだせんれいだと大騒ぎしてるけど、そんなん、神の側からすると、何の目安にもならん、と思う。教会があることの意味があるとすれば、その地域の問題や、そこに住んでる人の問題に向き合えるかどうか、という事にかかってる。それができないのなら、教会は棒杭化の一途。神の裁きは神の宮から、って聖書に書いてあるじゃん。」
(棒杭化という用語は、今いる年寄りがくたばってしまったら、誰も通う人がいなくなり、教会の跡地に「日本基督教団○○教会跡地」という棒杭が立つ、というもの。そういう教会を、「棒杭化しつつある」と形容する。)
わたし:「この地区は、セクシュアル・ハラスメント問題で揺れているんだけど、そもそもそういう体質がずーーーっと温存されているの。以前の教会で、九州教区のセクシュアル・ハラスメント対策特設委員会の相談窓口のポスターを貼ってくれ、と頼んだところ、牧師が『まさか!このわたしですよ!セ・ハラなんか無縁ですよ!』と言って、貼ってくれなかった。たけど、自分にそんなつもりがあろうがなかろうが、牧師っていうのは、信徒にとって、ある意味理想の異性。相手は好意を持ってんだからね。無意識だろうが何だろうが。」
チャイ:「人と結びついてたんじゃ、教会は成り立たないよ。牧師は、安全な異性だけどね〜。まあ、危険なヤツもいるけどさ。」
わたし:「だよ。だから、人間関係もドロドロした、ヘンテコなことになるんだろうが。問題のあった教会も、牧師がやめるどころか、居座って相変わらず人権侵害が起こり続けているんだよ。」

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