ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

在原業平の魅力コミュの伊勢物語と古今和歌集 第六十段

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
伊勢物語と古今和歌集 第六十段



   五月待つ花橘の香をかげば
     昔の人の袖の香ぞする  (夏歌 139 読人不知)

「五月をまって咲いた橘の花の香をかぐと、昔したしくしたあの人の袖の香がして、なつかしく思われることであるよ」(久曽神昇)


 この有名な歌が伊勢物語にあるとは知らなかった。どういう話でこの歌が出てくるのか非常に興味がある。その段をそのまま引用すると、次のようである。

「 第六十段(新潮古典集成)
むかし、男ありけり。 宮仕へいそがしく、心もまめならざりけるほどの家刀自、まめに思はむといふ人につきて、人の国へいにけり。 この男、宇佐の使にて行きけるに、ある国の祇承の官人の妻にてなむあると聞て、『女あるじにかはらけとらせよ 、さらずは飲まじ』といひければ、かはらけ取りて出したりけるに、さかななりける橘をとりて、

   五月待つ花橘の香をかげば
     むかしの人の袖の香ぞする

といひけるにぞ、思ひ出でて、尼になりて、山に入りてぞありける。 」

 宮仕えが忙しく、妻をかまってやれなかった。その妻は言いよって来る他の男と駆け落ちした。前の夫は出世して、宇佐八幡宮への勅使として行ったところ、逃げた妻がある国で、勅使接待の役人の妻となっていることを知った。その妻を酌婦として所望したのだろう。そして、この歌を歌ったわけである。女はすぐ前の夫であることを知ったという。ここでは中国の覆水盆に返らずの例のように女は元の妻に戻して欲しいと云わず、わが身は恥じ、尼になり山に入った。

 どうも、歌が先にありきで、話は後に作ったのではないだろうか。和歌の高い格調に比べて、話がつまらないように思える。「五月待つ花橘」が生きていない。下の句だけみても、酒の杓と袖の香が直截的にはつながらない。

 谷崎潤一郎が祇園の磯田たか女のもとで遊んだ時、その袖の伽羅の香りに女性を感じた時に詠んだ歌と想像した方が色気がある。尤も、磯田たか女の愛した花はあじさいであったが。

   五月まつあじさい咲くや白川の
     たか女なつかし伽羅の香の袖  イベリコ  

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

在原業平の魅力 更新情報

在原業平の魅力のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング