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在原業平の魅力コミュの業平の絶唱

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   わすれては夢かとぞ思ふおもひきや
     雪ふみわけて君を見むとは (古今和歌集 雑歌下 970)

 この歌には詞書がついている。
「惟喬の親王のもとにまかりかよひけるを、頭おろして小野といふ所に侍りけるに、正月にとぶらはむとてまかりたりけるに、比叡の山のふもとなりければ、雪いとふかかりけり。しひてかの室にまかりいたりて、拝みけるに、つれづれとしていと物悲しくて、かへりまうできて、よみておくりける」


 久曾神昇の解釈: 親王が出家なされわび住まいなさっていることを、ふと忘れて、夢ではないかと思うことである。かって思ったであろうか、雪を踏みわけて行って、親王にお目にかかろうなどということは。

 この歌の良さはどこから来るのだろうか。「わすれては夢かとぞ思ふ」と、ぐっさと人の心に素直に訴える言葉で始まるが、すぐ「思ひきや」というそれに反する言葉が出てくる。この組合せが強烈である。ここではまだ一般的な話で、何なのかと人の気持ちをくすぐる。すると、「雪ふみわけて君を見むとは」という具体的な叙述になる。しかし、この歌のドラマは詞章を読んで納得できる。しかも、親王とはどういう人なのかということを理解していればもっとこのドラマ性が理解されるのだ。

 このドラマ性は親王の哀しい現実だ。比叡山の麓、小野という場所、しかも雪深い里、親王がこのようなところにお住まいになっているという現実だ。

 百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、
「惟喬親王(これたかしんのう、承和11年(844年) - 寛平9年2月20日(897年3月30日)は、平安時代前期の皇族。文徳天皇の第一皇子。母は紀名虎の娘・更衣紀静子。別名小野宮。同母妹に恬子内親王がいる。
父・文徳天皇は皇太子として第四皇子である惟仁親王(後の清和天皇)を立てた後、惟喬親王にも皇位を継承させようとしたが、藤原良房の反対を危惧した源信の諫言により実現できなかったといわれている。これは、惟喬親王の母が紀氏の出身で後ろ盾が弱く、一方惟仁親王の母が良房の娘明子であったことによるものとされる。その後、大宰帥・弾正尹・常陸太守・上野太守を歴任した後出家し、小野に隠棲。そこで在原業平・紀有常らと交流した。木地師のなかには惟喬親王を祖とする伝承が全国的に見られる。」

 惟喬親王は皇位継承の政争に破れ人であり、政治の表舞台には登場できない人である。ところで、業平は惟喬親王よりは19歳年上で、業平の義父(紀有常)と惟喬親王の母(紀静子)が ともに紀名虎(きのなとら)の子供という親戚関係にあったことで、惟喬親王に仕えた。ある意味で惟喬親王と運命を共にしたわけだ。

 古今和歌集の序では「在原業平はその心餘りて詞たらず」とされるが、その「心余りて」は僕には歌のメロディーが豊かにあると思えるのだが。序では詞章がないと歌が理解できないということなのであろうか。詞章があるからこそ、業平の歌にはドラマがあり、しかも深いのだろう。そして、歌自身が美しい。紀貫之は紀氏との関係でどういう位置づけにあるのか知らないが、貫之は業平の歌に憧れを抱いていたように思えてならない。業平が天才肌とすれば、貫之は秀才肌で、歌筋が異なるから余計そうなのだと思う。

 親王の返歌
   夢かとも何か思はむ浮世をば
     そむかざりけむ程ぞくやしき

 夢の浮世を背いて出家しなかったことが悔しい。この歌の中身が業平の気持ちと同じであることが悲劇性を高める。

コメント(2)

「その心あまりてことば足らずしぼめたる花の色なくてにほひ残れるがごとし」という紀貫之の評。もどかしい気持ち?人の心を解るのって、難しいですものね。私は、業平の歌、大らかな感じで好きですぴかぴか(新しい)

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