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ドゥルーズ資料館コミュのロックンロールに関すると思われる文章の抜粋/

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ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ「リゾーム」より

実際、運動的な命題は私達に言う。ひとつの体は微粒子間の運動と静止、速さと遅さの複合関係から決まってくる。肝心なことは、生を、生のとるひとつひとつの固体性を、形として、また形態の発展としてではなしに、互いに遅くなり速くなりしながら微粒子群のあいだに成り立つ微分的な速度の複合関係として捕らえることだ。

音楽においてもこれと同じように、ひとつの音楽的フォルムが音の微粒子間の速さと遅さの複合関係から決まることがある。これは音楽だけの問題ではない。生き方において問題となってくることなのだ。ひとは速さ、遅さによっていつの間にか物の間に入り込み、他の物と結びついている。人は決して始めるのではない。白紙に還元するのでもない。人はいつの間にか間に、ただ中に入っているのであり、さまざまなリズムを共にし、また与えあっているのである。

音楽はみずからの逃走線の数々を、そのまま「変型する多様体」として絶えず成立させてきた。たとえ音楽と言うものを構造化し、樹木化している諸コードをくつがえすことになっても。だからこそ音楽の形式は、その切断や繁殖に至るまで、雑草に、またリゾームに比べることの出来るものである。
〜中略〜
リゾームには始まりも終わりもない、いつも中間、物の間、存在の間、間奏曲( intermezzo)なのだ。
〜中略〜
つまり、中間とは決して中庸ということではなく、逆に事物が速度を増す場所なのだ。事象の“あいだ”とは、相互に一つのものからもう一つのものに及ぶ位置決定できる関係を指すのではなく、一つともう一つを両方巻き込んでい垂直的方向、横断的運動を指すのだ。始めも終わりもなく、両岸を侵食し、真ん中で速度を増す流れなのだ。

この速度の問題は重要であり、また非常に複雑でもある。競争で一等になることではない。速くても遅れることがある。また変化することでもない。速くて不変かつ一定であることもある。速度とは、発展でも進化でもない一生成変化に捉えられていることである。タクシーの如きもの、待機の線、逃走の線、渋滞、隘路、信号、軽度の偏執病、警官との悶着の如きものに相違ない。
一本の折れた抽象の線、「間」をすり抜けるジグザグの線であること。雑草は速度だ。

生成変化には過去も未来も、現在さえもない。歴史はないのだ。生成変化はむしろ退化に関わり、退行でも進歩でもない。生成変化とは、ますます簡潔になり、ますます単純になり、ますます賑わっている砂漠になることである。

退化するとは、より単純、節約、簡潔になる進み方である。簡潔、何かの始めでも終わりでもない単純さに達すること。退化するとは「間」、中間にあり、隣接していることである。

実は、まさに人生が何か個人的なものではないからこそ、書くことはそれ自体に目的があるのではないのだ。あるいはむしろ、エクリチュールの目的とは、人生を非個人的な力強さの状へ引き上げることである。そうすることによって人生は、いかなる領土も、自己の内に残留するいかなる目的をも破棄する。

コメント(2)

ドゥルーズに一番近いのはロック界のサティ・・初期パスカル・コムラード、

パスカル・コムラードのストーンズカバー・・ホンキートンクウィメンは・・
ちょっと苦しいんじゃないの?

ガタリってYBO2北村昌士のディフェランスを思い出す人が多いんじゃないかな?

北村昌士は畑井のこと和製ドゥールズって言ってた気がする・・

ブライアン・ジョーンズがレコーディング参加したヴァージョンの
ホンキー・トンク・ウィメンを聴いてみたい!!
誤)ガタリってYBO2北村昌士の
ディフェランスを思い出す人が多いんじゃないかな?

正)デリタっって

訂正します

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