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言語学コミュの「は」と「が」:現象文と判断文の原理批判

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これは次のような内容です。

  「現象文と判断文の原理」と呼ぶのは、モダリティの面からの文の分類によって「ハ」と「ガ」の使い分けを説明するものである。つまり、現象文の主格に「ガ」がつき、判断文の主格に「ハ」がつくという原理である。次の(12)と(13)の例はそれぞれ現象文と判断文である。

  (12) 雨が降っている。
  (13) それは梅だ。

モダリティの面からと言っていますが、そもそもモダリティ論自体が明確でないため、現象文と判断文の定義自体が明確ではなく、結局、主格に「ガ」が付くのが現象文で、「ハ」が付くのが判断文という同語反復の域をでません。

「現象文は見たままの事実や感想を述べる文です。判断文は性質などの判断を述べる文です。」などという説明もありますが、認識、判断なしに表現はありえず、「見たままの事実や感想を述べる」ためには対象を判断しなければ、「雨」「降る」などということはできません。

精神障害の一種に観念奔逸という症状があり、考えが次から次へとほとばしり出ることになり躁状態にみられます。この場合、「連合弛緩」が起こり纏まりのない文が羅列され「見たままの事実や感想」ではなく、前後関係が不明な文章になります。適切な判断なしには文の表現は不可能で、現象文などという曖昧な概念は全く役にたちません。

最初に述べたように、判断の内容の相違を明らかにしなければ、「ハ」と「ガ」の相違、使い分けを明らかにすることはできません。■

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