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本の余白にメモコミュの『ラカンの精神分析』新宮一成、講談社現代新書

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「人間の欲望は、他者の欲望である。」
精神分析とシュールレアリズム
バタイユとラカン
対象a
「話す存在としての人間の辛さ」
夢=主体の努力
居場所がある=語られている
精神分析の欲望の自由=他者の欲望になる←禅的、東洋的自然の欲望

鏡を信用するということ
「人間の存在は狂気なしには理解されえない」
他者の場において感じる私の「連続性の感覚」
「愛」=充足?
「甘美な運命」
社会における分析家の位置

4つの語らい - ひとり歩きするものとは?
分析家の語らい
大学の語らい
主の語らい
ヒステリー者の語らい

agent autre
------- → -------
verite produit


「『愛』の中には、偶然が必然に変わる瞬間がある」=縁
「愛という名の下に、自己と世界との関係の中に必然性を導入せずにはいられない。」
「愛とは、もっていないものを与えることである」
「必然性の受容が、『愛』と名付けられているのである」

コメント(2)

p51
「人間の個体が鏡像に向かった時に示す悦びの中には、自我の統合と性的な活動の両方が混在していると推定される。(…)鏡という虚像の次元の中で、性的な目標と理想的な自己が強固に結びつけられるのである。ほどなくこの『鏡の私』は『社会的な私』へと急旋回する。すなわち鏡に代わって、社会的な価値を担った者としての同胞の像が現れるのである。この旋回は、人を社会的に意味のある何者かとして安定させる方向性を持つと同時に、人を社会のとわれれの身とし、パラノイア性狂気の構造を準備する。」

p97
「私が、私を見る神の視点をもって隣人を見るとき、隣人の中に、神にとっての私の姿が見えてくるのである。そんな場合にとっての私にとっての隣人が、黄金数、すなわち対象aである。(…)隣人の中に対象aが認知されるとき、それは私自身が神の目をもって私を見ているのだ。」

p127
「他者の語らいにおいて、私のことが語られてはいる。しかしその語らいは、意味として私の中に回収できないものである。なぜ他者は、そのような謎めいた仕方で、私について語るのか。(…)まさにその語り続ける他者の、語る欲望こそが、始原(アルケー)において私の受け取る生存の意味となる。」

p133
「言語という他者と人間主体との間の最も中心的な関係は、人間が自己自身を示す言葉(シニフィアン)を持っていないということの中にある。この欠如に直面して、人間は自分自身を、言語という他者にとっての欲望の対象として経験することになった。この経験が人間にとって真にい現実的と言えるものである。(…)人間が言語を通じて世界を経験し、その経験が言語の空中楼閣でなく現実であるための基盤は、認識ではなく欲望、それも他者の欲望である。」

p241
「我々は、眠りにつくことによって、自分の頭の中に、他者の語らいを浮かび上がらせる。そして、その他者の語らいの対象として、本来の欲望の対象を、見出す。夢の中において話題にされている対象は、もう無いものとしての自己である。これがアガルマ、そして対象aである。」

p283
「ラカンの挙げる4つの語らいは、存在の無力に曝された主体が、社会的紐帯の中に組み込まれることを通じて、何とか自己の起源を支えているありさまを示している。『私が生きているということはどういうことか?』とか、『私の存在の価値は何か?』といった問いへの答えを求めて、内面と社会の両方向に繰り広げられる語らいの多様なありさまは、主体を示す言葉と主体の間の自己言及的で痛々しい関係、言葉の組み合わせとして形成される知、そして主体が言葉を超えた支えとして求める現実的な対象、といった、ごく基本的な諸要素間の関係によって書き表される。」
ラカンの全体像を知りたいと思った時、一番手軽に見える本ですよね。だからといってわかりやすいわけではない。じっくり読み込むことがどうしたって必要な内容ですね。

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