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本の余白にメモコミュの『ヴィジュアル・アナロジー―つなぐ技術としての人間意識』バーバラ・マリア スタフォード/高山宏(翻訳)、産業図書

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ヒト)
ジェフ・ウォール(フォトグラファ)
ジョゼフ・コーネル

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近似を感じる感受性
「推論とは即、事物の明白な性質を隠れた性質と対にすること、そうすることでそれらを新しい全体(アンサンブル)に纒めることに他ならない」
「アタッチメント(連愛)」をヴィジュアライズする必要

「現代人の経験は間がないことを特徴とする」=「第三の何か」を欠いている←アナロジー

アナロジー=互いに不一致な複数のものの間を絆で結び、互いに通約不能なもの同士を架橋する
digerati電子階級
まったく同じものはない。少しだけ違えて繰り返すアイデアのアナロジー。

アナロジー=根本的に参加的な知覚様態
ロマン派批判
※読書はアナロジカルに文献をつなげていく
「胃縁連想bisociation」
「互いに互いを魅了しながら、見る者と見られる物が一緒に世界を創出する」
一と多
「美の瞑想は言詮を絶し、沈黙を強いる」

ライプニッツの存在論=「美学と合して、個を、個を超えるものとハイパーリンクするところの、還元せず繋げるひとつの巨大プログラム」
普遍数学とネットワークの生む知=「どんな個人もがどんな状況とも一緒になる関係のシステム」
「予定調和の理論は繋ぎ合わせの究極の論理である」
http://www.whynotnotice.com/blog/yosh/2005/03/post_151.html

アナロジカルな思考から試みる「脱中心化された自我」
自我の非言語的「内的性」を理解するためのヴィジュアル
☆神経系美学
「自動化された無意識な知覚と意識的な思考に繋がりをつける空間芸術の永遠の力」
インターフェイシャル/インターネット
「予定混沌」

アナロジーというプロポジシオン←フルッサー的「投企」?=新しいやり方で関係するよう相手を誘う
http://www.whynotnotice.com/blog/yosh/2006/12/post_203.html

コメント(1)

p1
自ら持たぬものと結合したいという人間の欲望がうむアナロジーは、とめどない揺動を特徴とする情熱的プロセスでもある。(…)拒絶と包摂、後退と前進、不在と存在が、反定立(アンチテーゼ)から総合(ジンテーゼ)へ、そして今度はその逆にと飛躍を繰り返すアナロジーの綺想のダイナミックスを特徴付ける。

p31
道徳行為でも手続きでもある相互性こそ、互いを縛る法を互いに良しとする方法であり、とはつまり社会をやっていくフェアなやり方なのである。道徳的不一致が資源不足、寛容さの欠如、部分的でしかない理解、両立しがたい諸価値などによってさらに煽られるような時代にあっては、審議し、互いにコミュニケートするのを助けてくれるのは、ただただアナロジカルな討論の手続きだけであろう。

p52
洗練されたアナロジー理論がないと、あるのは差異の否定弁証法ばかりで、行きつくところは同化のふりか、アイデンティティへの固執と引き篭もりかの、いすれにせよ突破不能の袋小路であって、意味あるコミュニケーションの生じる可能性はない。アナロジー化のよいところは、遠くの人々、他の時代、あるいは、現代のさまざまなコンテクストさえ、我々の世界の一部にしてくれる点である。過去のこと、遠いもの、異なるものを近似のものとすることによってのみ、それは我々に理解できるようになる。

p128
蒐集する、とは即ちパターン化することだ。人工物の世界が一個の手にそれらを秩序化するように、身体化した一個の目玉にそれらを知覚するように働きかけるのは、宇宙と同じであった。ちがった場所、ばらばらな時に集められた別々の事物は、見るものの洞察の「飛躍」を介して「ハイパーリンク」されなければならなかった。さまざまな座標系の交錯するこのネットワークの生む知は、均質でありながら異質なものの塊であって、つまりは合成的(シンセティック)なのである。

p140
見るとはつまり、何かが何か他のものと繋がっている、繋がることができると即攻理解することに他ならない。とりわけ高度な視ということでヴィジュアル・アートは、捉えにくいこの意識を外界に実現することの中で、十分リアルなものに変える。

p144
イメージが我々に差し出すのは翻訳不能、それ以上還元不能のパターンである。これらは人々に、場所に、事物に我々が現在進行形で続けている順応を知覚が細かく調整するところを、多数に記録する。このヒトの連繋能力は個別たると同時にグローバル、特殊たると同時に一般的なものであり、差異と協和の形象(フィギュア)をこもごもうみだすことができる。

p185
忘れられている、あるいは蔑されているアナロジーにもう一度生命を吹きこむことで、一体どのようにして精神がクリアーな構造とファジーな構造を繋ごうとするものか、日ごと我々の四囲に増大しまさる厖大な量の混沌たるデータを総合していくものなのか分かり始めるだけでなく、精神がいかに再三再四、我々の変化果てない複数複合の自我を縫い合わせて、意識段階にあるひとつの自我にしていくものかも理解し始めるのである。

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