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栃木県の廃線コミュの大谷ー鹿沼間石材専用軌道

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この路線については、宇都宮や鹿沼の資料を調べても、
イマイチはっきりしないが、大体の経緯としては、
大正12年頃、小林清一郎氏が大谷石採掘事業を起業すべく採掘権の獲得及び、
輸送用専用軌道の用地確保に着手したとあります。
大正12年12月1日から5年間の道路借用許可が、鹿沼市東部からおりました。
その軌道ルートにつていは、既に宇都宮石材軌道が開設していた宇都宮方面ではなく、
鹿沼方面を選択したのは、宇都宮方面については新参者の入る余地がなく、
新たに用地取得するには難がありすぎた、という事と考えられます。
大正14年頃、中野信吾氏が事業に参加し、軌道用地の追加確保が行われたが、
なんと創始者の小林清一郎氏が11月に脱退してしまうのです。
小林氏は起業して利権譲渡する生業だったのか、中野氏が買収したのか・・・
かくして大正15年(昭和元年)に輸送が開始されたらしいのだが、
残念ながら、採掘権を得た山が粗悪な石を産出する山で2年余りで採掘を断念、とあります。
そして、昭和4年には前年で切れていた借用5年の継続を申し出ます。
条件つきながら、借用継続は承認されます。
昭和5年、鹿沼ー小峰ヶ原区間を新設し、観光ルート化を目論んだ野州鉄道免許を申請、
しかし、昭和6年7月20日に自動車の台頭から鉄道建設必要なしと却下される。
昭和12年9月14日、中島鉄道大臣により再三工期延長を行った大谷石材鉄道に免許取消が下る。


左画像:鹿沼駅
石材軌道があったのは向こう側です。

中画像:石材軌道起点より鹿沼駅を望む

右画像:石材軌道起点より大谷方面を望む
鹿沼駅構内から専用側線が延びていたようです。

コメント(18)

左画像:クロス地点
駅前通りを走って、線路を越えてすぐある信号を左折した地点。
この辺りを横切っていたと思われます。

中画像:クロス地点2
住宅街の中で、ここも横切っていたであろう地点です。

右画像:希望橋
新興住宅地の中の武子川に掛かる橋です。
路線中、最大の架橋が行われたであろう地点ですが、現在は遺構は何もありません。
実際は、川に対して斜めに掛かっていたようです。
左画像:クロス地点3

中画像:クロス地点4

右画像:栃窪溜入り口付近

宅地化や耕地化・道路整備などで途中途中のルートはだんだん分りずらくなっています。
左画像:栃窪溜沿いを走る路線跡

中画像:栃窪溜沿いを走る路線跡2
以前、改修工事をした際に遺構が出てきたという話もあります。

右画像:栃窪溜を過ぎた地点
なんとなく切り通しになっている感じがします。
左画像:栃窪溜を越えた地点
現れた道。以前は砂利道だったけど、今は舗装されています。
もしかしたら、正面の丘を越えたルートだったかもしれません。

中画像:路線跡?
先の丘を越えて行った所にあります。
墓があったりしますが、それだけのために作られた道とは考えにくいほど、
先まで延びています。

右画像:路線跡
等持院(左の白壁)の敷地を少しかすめて路線は走っていたようです。
この先も、河川は改修され、田畑化が進み、住宅も増えているようで、
痕跡や遺構はもう無いのかもしれないです。
左画像:大谷街道に出た地点
この信号を真っ直ぐ進んでいきます。

中画像:分岐地点
この辺りで、右へ分岐していく路線もあったみたいです。
本線は、このまま真っ直ぐ進んで行きます。

右画像:路線跡
まっすく進んで行きます。
左画像:路線跡
右沿いを真っ直ぐ進んで行きます。

中画像:右折地点
この一番右の電信柱辺りが橋になっているのですが、そこから右折していきます。
この手前には休息所が設けてあり、柱が大谷石製でした。

右画像:路線跡
左から来た路線は、この道沿いを少し走って行きます。
左画像:路線跡
道は左へカーブしていきますが、路線はこのまま真っ直ぐ走っていたようです。

中画像:真っ直ぐ来た地点
この道は「ガソリン道」と呼ばれているそうです。
路線にガソリンカーを走られていたからだと思います。

右画像:路線跡
こちらには掘削された大谷石が大量に重ねて置かれています。
路線との関係性は不明です。
左画像:森の中の路線跡?
先ほどの大谷石が積まれた先にある、森の中の路線跡。
見事なまでに、路線が走っていたと思わせるスペースがあります。
大谷石が積まれた場所より、少し西側より小道があり、そこを走って行くとあります。

中画像:森の中の路線跡2
山の方面を向かって行く路線跡。
こちらにも路線が走っていたと思われるスペースがあります。

右画像:打ち捨てられた大谷石
林の中に大谷石が埋もれているというのは、路線だったかは別として、
この辺りが運搬ルートであったという証拠じゃないでしょうか。

この先に軌道終点と思われる場所があり、その付近では採石が行われていたようです。
路線ルート図

左:大谷ー鹿沼間石材軌道

右:大谷石材軌道3線
赤:大谷ー鹿沼間石材軌道
水色:東武鉄道大谷線
緑:宇都宮石材軌道
>>[4]
うぅわぁ表情(青ざめ)
いつも わんこと散歩していた…この道、線路跡だったとはあせあせ
>>[10] 大谷石材運搬の路線は広大でしたので、散歩道になったり通勤路になったりしてますね。スマイル
>>[11]
ちょうど、画像の場所を 散歩してました。あの山の中に、むかしの街道跡が通っていて
お寺(等持院)も そこにあったらしいです。
>>[4]
この広い農道を作る前は 道 無かったです。鉄道の跡を道にしたというわけでは ないと思います。
>>[9]
田野町東交差点から田下町駐在所前にかけては、いまの国道293号って 切通しを掘って開通させたので、若干ルートずれるんでしょうかね。
旧道が 鉄道だったのでしょうか?
非常に興味深い調査です、ありがとうございます警官
この廃線跡を歩くイベントがあります。
ご興味がある方は参加されてはいかがでしょうか。

https://www.facebook.com/events/2436756639889035/?ti=icl
>>[16]
初めまして、情報ありがとうございますぴかぴか(新しい)
うわぁ…魅力ある催しです顔(げっそり)
>>[17]
初めまして。
参加してみたいですが、当日は別の予定があるので断念します。

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