ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

ラテン(イベロ)アメリカ文学コミュのぶんがくてき点鬼簿

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
スペインではスペイン文学界の長老Miguel Delibesが89歳で亡くなったことがおおきく報じられている。

いっぽう、南米ボリビアでは84歳でJulia Urquidiが亡くなるが、このひとこそバルガスリョサの"La tía Julia y el escribidor"の主人公であり、バルガスリョサが19歳のときに、10歳も年上、しかも離婚経験者の叔母でありながら、周囲の反対を押し切って結婚、五年余りいっしょに暮らす。

リョサが文学的出発を考えていたときにいっしょだったこともあり、この知的な叔母の存在なくしてはリョサの文学は成り立たなかったとまでいわれている。
のちにはボリビア大統領の夫人たちの秘書も務める。

この叔母のことは上記の作品に描かれているが、のちにこの叔母は"バルガスちゃんが言わなかったこと"という本も公刊。


http://www.jornada.unam.mx/2010/03/12/index.php?section=cultura&article=a07n3cul



Falleció ex esposa de Vargas Llosa
Afp

Periódico La Jornada
Viernes 12 de marzo de 2010, p. 7
La Paz, 11 de marzo. Julia Urquidi, quien inspiró el libro La tía Julia y el escribidor, una suerte de autobiografía de su ex esposo, el escritor peruano Mario Vargas Llosa, murió este miércoles en la ciudad boliviana de Santa Cruz, a los 84 años de edad, víctima de una complicación respiratoria.

Juba, como se le conocía, escribió un solo libro en su vida (un alegato contra la novela de Vargas Llosa), pero leyó muchos, pues sus allegados la definen como una mujer culta.

El joven Vargas Llosa, de 19 años, y Urquidi se casaron a finales de los años 50 del siglo pasado, a pesar de la oposición de la familia, pues ella, 10 años mayor que el escritor y divorciada, era además su tía política. El matrimonio duró hasta 1964 y, un año después, el escritor se casó con su prima, Patricia Llosa, con quien tuvo tres hijos.
En La tía Julia y el escribidor, se relatan pormenores de esa relación, pero Julia, insatisfecha por la versión, contestó con otro libro, Lo que Varguitas no dijo.

Alta y delgada, Julia, quien poseía una personalidad subyugante, ocupó cargos públicos, como secretaria privada de las esposas de los presidentes bolivianos René Barrientos y Hugo Bánzer.

En una entrevista con un medio peruano en los años 90 de la centuria anterior, Julia había dicho: a Mario no le guardo ningún rencor; ¿por qué? Cada uno tiene derecho a escoger su vida. Me hubiera gustado más honestidad, porque se hubieran evitado muchos problemas y sufrimientos.

コメント(25)

 メキシコの長老的詩人、アリ・チュマセロが10月22日に92歳で死去、肺炎。

 ナヤリ州出身で、半世紀以上をフォンド・デ・クルトゥラ・エコノミカ社にて校正者として過ごす。

 わたしは保守派であるかのような印象を抱いていたが、今回、知識人の幅広い層からの声を聞き、考えをあらためる。

 昔々、チャプルテペックのカサ・デル・ラゴのTaller de lectura(ラテンアメリカ・ナラティヴ読解コース)に通っていたころ、クラスの代わりにこの詩人の講演があり(聴衆は十人以下だったか)。

 そのとき「詩人はどこで書くか、が大事なのだ」と語ったことが記憶に刻まれている。
 これは「どの陣営で書くか」も意味していて、ロルカらのことも思わされるが、より深い意味をになっているのだろう。

 写真1は、出身のナヤリ州の舞踊グループによるguardia(ミゲル・エスピノサ撮影、エル。ウニベルサル紙)
 
 メキシコ人作曲家ダニエル・カタンが4月10日に死去(1949年生まれ)。
 
 オクタビオ・パス原作の「ラパシー二の娘」、ガボの「コレラの時代の愛」に基づいた「アマゾン川のフロレンシア」、それにパブロ・ネルーダを描き、アントニオ・スカルメタ原作「イル・ポトシーノ」というタイトルで映画にもなった同名の作品のオペラ化などを残している。


http://www.eluniversal.com.mx/notas/758317.html
 スペインの作家ホルへ・センプルン(Jorge Semprún)が昨日、パリにて死去、1923年生まれで87歳。

 スペイン市民戦争でフランスへと逃げのびるが、フランスにてナチの手により、強制収容所へと一年以上も送られ、死の恐怖のみならず、すべての悲惨さを味わう。

 戦後、解放され、政治でもジャーナリズム、文学でも多面的な活動をこころみた。
 その生き証人としての作品は、際立つ。
(しかしわたしは読んだことがありません)
 時が前後するが、チリの代表的詩人、ゴンサロ・ロハスが四月二十五日に死去、享年93歳。
「1938年の世代」とも呼ばれ、ネルーダとともにチリの国民的詩人として親しまれ、ラテンアメリカの代表的詩人としてみなされてきた。
 その著名さのわりには、ニホンで紹介されたことは皆無にひとしい。


http://www.jornada.unam.mx/2011/04/26/cultura/a03n1cul

http://www.jornada.unam.mx/2011/04/26/cultura/a04n1cul
 今週の日曜の早朝、キューバ出身で、キューバとメキシコの二重国籍を所持している作家Eliseo Alberto氏が亡くなる。
 1951年生まれ。
 腎臓移植を実施したが、その数日後、心臓発作で亡くなったとのこと。
 1990年よりメキシコ在住。
 「Caeacol Beach」によりアルファグアラ長編国際小説賞受賞し、他にも作品多し。
 スペインの内戦時にメキシコに渡り、すぐれた詩人、評論家としての名声を得ていたトマス・セゴビア氏が84歳にて癌により先週の月曜に死去。

 2005年だったか、グアダラハラの国際書籍見本市でのフアン・ルルフォ賞を受賞。
 しかしそのとき、フアン・ルルフォの未亡人が今後はフアン・ルルフォ賞と呼ぶのを拒否。
 その未亡人によると、メキシコの作家というのはマフィアみたいなもので、仲間同士で褒め合い、賞のやり取りだとか見るにたえない、ということだったらしい。

 その仲間内、ということはべつにメキシコかぎったことではなく、もちろんニホンの「文壇」にもあること。

 メキシコの場合は、知的リーダー、たとえばフェルナンド・ベ二テスのまわりにカルロス・フエンテスやらモンシバイスやらパチェコやらクエバス、あるいは雑誌ブエルタに依ったオクタビオ・パスを中心にした、エンリケ・クラウセとその仲間たち、といった具合にグループの存在というのはメキシコ近・現代文学史を語るうえで欠かせられないはず。
 でもそれはすぐ仲間内、というかブロック的になってしまうのはうなづける。

 でもそれも相まって、わたしの場合は、若手の作家のものを読むのを渋りがちで、かつてのブームの世代の作品に魅力を感じてしまう。

http://www.jornada.unam.mx/2011/11/08/cultura/a04n1cul
 ホセ・ドノソの娘が死亡。
 María Pilar Donoso Letelierという名で享年44歳、養子であった。
 Correr el tupido veloというタイトルで2009年に自伝、家族の内情告白の書が注目をあびる。
 とりわけドノソの同性愛について明かしたことがショックをあたえる(公然の事実でもあったが)。
 ドノソの抱えた問題、その奥さんの問題、そしてピラル自身の問題があり、ちりわけ離婚し、娘たちとの不和でも悩んでいたらしい。
 薬物による死亡であるが、はたして自殺であるか、事故であったか不明。
 写真は以前のもので、EFE提供。

http://www.eluniversal.com.mx/notas/809259.html

 下のテキストは、FBにわたしが綴ったもの。


Vivir en la familia artista es sumamente dificil. Todavia no se sabe si la muerte de su hija adoptiva era del suicidio o del accidente. Lo cierto es simplemente su hija habia sufurido tanto, y esta pena si provenia de la culpa de su familia o de algo general en la sociedad en donde vivimos. Donde sea que estemos tenemos que superar nuestra dificultad. Pero purocuro comprenderla. Esta hija habia presentado una historia autobiografica hace algunos anos, y la hija se entusiasmo para manifestar la particularidad de la familia o su padre escritor. Ella podia obtener lo que quiso, entonces, asi yo queria que ella seguia vivir a pesar de todo. (Aunque no se hasta donde tiene el peso lo que menifiesto)
 メキシコの若手作家ダニエル・サダが昨晩、死去、58歳。
 いくつかの賞もうけ、カルロス・フエンテスやらロベルト・ボラーニョらによっても高く評価されていた。
 腎臓疾患で、ビールス性のものだった模様で、だいぶ長く患っていた。
 今年のメキシコの文化功労者賞も授与されると発表されていた。
http://www.jornada.unam.mx/2011/11/19/sociedad/035n1soc
 コロンビア出身の作家・詩人Alvaro Mutisが90歳にて死去。
 ’56年よりメキシコ在住。
 なによりもガルシア=マルケスの盟友として知られる。
 葬式にはガルシア=マルケスの夫人のみ参列、沈痛を推し量るべし。。。

http://www.jornada.unam.mx/2013/09/23/cultura/a40n1cul
 フアン・ヘルマン(Juan Gelman)が一月十四日に死亡、83歳。アルゼンチン出身の詩人でのちにメキシコへずっと亡命。
 アルゼンチンの軍事独裁政権に虐げられたひとり、息子夫婦を殺害され、長いあいだ、孫娘を探し、ついに会うことが可能となった(写真1)。
 セルバンテス賞を受賞、ニホンにもセルバンテス協会にて詩の朗読を試みる。
 写真2、3はわたしのおんな友達と。
 フアン・ヘルマンの遺灰はメキシコシティのお隣、メキシコ州のソール・フアナ・イネスの記念館の置かれるところの小川に撒かれた。それが故人の意志であったということ。
本日、メキシコの誇る詩人、小説家、翻訳家であるホセ・エミリオ・パチェコが74歳にて亡くなる。金曜に転倒して頭を打ったということであったが心臓発作が死因とのこと。金曜はフアン・ヘルマンの追悼記事を執筆していて就寝後、そのまま意識を戻さなかったことになる。ヘルマンに引っ張られたような形か。
 上の写真については言い忘れましたが、三枚目の写真でお隣にいる方はわたしのおんな友達で当時はスチュワーデスをなさっていた方です。
 オクタビオ・パス生誕百周年にあたる今日、訃報が入る。
 最初の奥さん(エレーナ・ガロ)とのあいだの娘さん(エレーナ・パス・ガロ)がクエルナバカの自宅にて死去とのこと。
 74歳で自然死だという。
 冥福を祈りたいところです。
 1933年生まれのメキシコの劇作家ビセンテ・レニェロが12月3日に亡くなる。
 問題作といっていいような小説も著しているが、劇作家としてのほうが高名(さらに政治系週刊誌ともおおきく関わっていた)。

 しかし、ここで記事を調べていて、レニェロは、いわゆるメキシコの文学上のマフィアに嫌われていたようで、そのためにレニェロの文学作品をほめたたえるひとがすくなく、そのゆえに文学的成果が過小評価されているのだとか。
 わたしのように、メキシコの文学の内にいないと、文学のマフィアなんてよく口にされるが、具体的なことはわかりにくい。
 ということで、真摯な再評価が望まれる。
 メキシコ文学のヌーベルバーグ的な動きの代表格であったGustavo Sainzが亡くなる。1940年生まれ。のちに米国の複数の大学で教鞭をとるようになっていた。少年・若者の文学から始まって、のちには前衛的な傾向を帯びた。

 邦訳あり。ガサポ(仔ウサギ) (ラテンアメリカ文学選集 13)
 メキシコ文学のの若手の世代といわれるクラック世代のなかでも顕著な活動を示していたイグナシオ・パディージャが自動車事故により、一昨日の晩に亡くなる。若手といっても47歳で、これからが期待されていたのだが。
オクタビオ・パス夫人(二番目)であり、未亡人、さらにパスの知的財産の管理人でもあるマリエ・ホー・パスがこの七月二十七日に亡くなる(1914−2018)。

http://www.eluniversal.com.mx/cultura/letras/aislada-y-temerosa-asi-paso-sus-ultimos-anos-la-musa-de-paz
スペイン語圏のノーベル文学賞ともいえるセルバンテス賞を受けたメキシコ人作家セルヒオ・ピトルは去年、2018年4月12日に85歳で亡くなった。
 その蔵書は最寄のベラクルス大学が保管の予定。ただしその住まいは、州政府やら大学へ呼びかけて記念館として保存したいというのが遺族の意向であったらしいが、協力をえられず、売りに出されるとのこと。

https://www.jornada.com.mx/2019/01/10/cultura/a06n1cul#
スペインはバルセロナ出身の人気作家カルロス・ルイス・サフォンは、大腸癌のため55歳にて、ロサンジェルスの自宅にて死去。(恥ずかしながら、わたしは読んだことなし)
亡きガルシア=マルケスの未亡人、メルセデス・バルチャ・パルドが八十七歳にして今日土曜日、メキシコシティの自宅で亡くなったとさまざまな報道機関によって報じられた。呼吸器系の病気であったといわれる。ガルシア=マルケスの作品創造のうえでメルセデスの役割はきわめて大きかったので、今後、それについても検証がはじまるかもしれない。
スペインの女性作家アルムデナ・グランデスが一ヶ月前に六十一歳にて死去。フランコ時代のスペインを描いたことで、スペインでは国民的作家と見なされる。映画化された作品「ルルの時代」のみがニホンでは上映されたらしく、邦訳作品はなし。
チリ出身の作家ホルヘ・エドワーズがマドリッドの自宅にてこの金曜日に九十一歳で亡くなる。ラテンアメリカ文学ブームの生き残り(バルガス=リョサだけかと思っていたが)。しかし微妙な作品のためにどこか孤立して生きていたような印象を抱く。今ではほとんど読まれないような気がするが、やはり読んでおかないとかつてのキューバインパクトの周囲が分からなくなりそう。ということでかつてのブームのなかでも読み落としている作品は少なくない。新しくて力に充ちた新人さんも矢継ぎ早に現れているというのに。やはりどこかで覚悟をきめなくては。写真ではガボとバルガス=リョサに挟まれているのがホルヘ。
チリの小説家アントニオ・スカルメタ亡くなる(1940)。邦訳は徳間文庫に「イル・ポスティーノ」あり。パブロ・ネルーダ宅への郵便配達夫を主人公にした作品。わたしは映画版だけ見たことあり、ニホンにて文庫化されているのは今回知ったばかり。二十五カ国語に訳されているという。児童向きの「ペドロの作文」も邦訳あり。クロアチア移民系。フルブライト・スカラーシップを得て米国にてコルタサルについての論文執筆。左翼系作家であったため1973年のクーデターにより亡命、最終的にドイツに留まり、民政復帰後に帰国。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

ラテン(イベロ)アメリカ文学 更新情報

ラテン(イベロ)アメリカ文学のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング