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個人的作品置き場コミュの煙草屋の角

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コメント(2)

 煙草屋って、なんで決まって角にあるんだろう。四丁目の角にも煙草屋がある。木造二階建の小ぢんまりとした建物で、高層ビルに挟まれアスファルトと大理石でできた街の中、『たばこ』と白抜きされた赤い看板が目立つ。その古さときたら映画のセットであるかのような、いや寧ろ一人娘のキィちゃんが昭和のキネマ女優のようで。
「どうかしました?」
「あ。いや。別に」
 煙草屋とは言ってもパンに牛乳、いつ入荷したのか分からない洗剤とか。それは何しろ僕がこの街で働き始めた頃から、ずっと置いてあったような気がする。
「ゴロワーズひとつ」
「はーい、ありがとうございまーす」
 歳の頃は二十代半ばといったところだろうか。全く化粧をせず、そばかすもそのまま。それでも近所で働くサラリーマンたちの間では意外と人気が高かった。ハイヒールの音高らかに、口紅とマスカラで武装したOLたちに囲まれて仕事していると、それがかえって新鮮に思えるのだろうか。しかし母親のモンペを履いて出て来た時は、さすがに皆を仰け反らせた。
「暑いね」
「ほんと、暑いですね」
 気温は年々上がる一方。すでに骨董品とも言える扇風機は窓口に座りきりのオバチャンが独占しており、娘のキィちゃんの白い額には汗の粒がたくさん吹き出ている。
「相変わらず暇そうだね」
「ええ、暇なんです」
 襟足を掻く僕。話が続かない。
「コーヒー牛乳もらうよー」
「あ、はーい」
 僕と同じようなサラリーマンが割って入ると、彼女は僕に向ける笑顔と同じ笑顔で接客する。
「お金ここに置いとくね」
 言い残し僕は、三百円を置いて去った。
 仕事帰り、夕方になって急に崩れだした空模様。西の空は明るいのに頭の上は鼠色。と、上を向いていたらポツリ、ポツリ。
 雨? と思うやいなや歩道に斑点が広がり、やがて文字通りバケツをひっくり返したような、突然の夕立ち。僕は合成皮の鞄をかざして走り出した。煙るアスファルト。真横からのみ照らされた街並みはどこか現実離れしていて、やがてその色の無いグラデーションの中に浮かび上がってくる赤い看板。
「すごい雨だねぇ。あらやだずぶ濡れじゃないのサ」
 思わず飛び込んだ店先では、オバチャンが早めの店仕舞いをしていた。
「ひゃぁ参りましたよ。まぁ、どうせ夕立ちだろうけど」
「ちょっと待ってな。希代美、タオル持っといで」
「あ、はい」
 店の奥から出て来たキィちゃんから白いタオルを受け取ると、彼女はそのまま傘を差して雨の中へ。
「雨、止むまで中で休んできなよ」と、お節介なオバチャンは戸板をレールにはめる。
「いや、でも」とは言え雨音は激しさを増すばかり。
「いいから。そんなトコ突っ立ってたらまーたビショビショんなっちゃうよ」
 店の奥には、水色のタイルが時代を感じさせる小さな流し台がある。その脇にある狭くて急な階段を昇れば、恐らく居間や寝室があるんだろう。僕は店と台所を仕切るカマチに、肩を竦めて腰を下ろした。
「ボロい家だろう?」
「いえ、そんな」
「もう、築五十年……近く経ってるからね……いつ倒れても……おかしくないくらい……だよ。はぁ」
 息を切らしながら軋む階段を昇るのも辛そうだ。入れ替わるように裏手の勝手口から、尻を濡らしたキィちゃんが戻って来た。
「自販機?」
「うん、お金の回収」
 トントン、と、土間で傘の水を払う。裸電球の薄暗い明かりの中、濡れた前髪が額に張り付いている。彼女の開けた冷蔵庫の中がやけに明るいな、と感じていると、目の前でよく冷えた麦茶が注がれた。
「男物のシャツでもあれば貸したげたいんだけど、無いんだよねー」
 と、その時鳴り響いた雷鳴に、抱きついて来たりはしない。そんなことはない。
「やだ、雷?」
 もっと近ければいいのに、なんて。彼女のことが気になる、興味を持っている、なんて、そんな中途半端な想いを抱き始めたのはいつの頃からか。
 僕は外の様子を伺ってみようと、勝手口を開けてみた。瞬間、閃光に青白く照らし出される台所。
「傘貸すね。あ、でも、もう少し小降りになるま……」
 キィちゃんの言葉を、遅れて轟く雷鳴が遮った。びくりと彼女は肩を竦める。
「僕ね、来週転属になるんだ。今更新宿の本社に栄転」
「え? あ、そうなんだ……良かったじゃないですか」
 キィちゃんのこの笑顔も見れなくなるのだ。しかし、逆に考えればもう顔を合わせなくて済む。そう、例えば今ここで彼女に告白して振られたとしても、気まずさや居心地の悪さは感じなくて済む。想像しただけで背中から胸の辺りまでが疼き、どこか重くなるような感覚。例えばの話だ。それでも、どうせこれっきりと言う思いが僕の背中を押した。
「その……転勤になる前にひとつだけ、言い残してる事、あんだけどさ」
 キョトンとした上目遣いに息が詰まりそうだ。
「その、俺と付き合って、貰えないかなぁ、なんてさ」
 やっちゃったよ。しかも直球だよ。
「あの、なんていうか、その、キィちゃんの笑顔、ずっと見てられたらな、なんて……」
「あ……ごめん。その……今、好きな人がいて」
 ああっ!
「別に、付き合ってる訳じゃないんだけどね、うん……あ。でも、嬉しいよ。とっても」
「ハハ」
「その、前はあなたの事、いいかなって思ってたけど」
 痛い。
「ご、ごめんね。でも、ありがとう。ほんとに」
 よく喋る。だが既に彼女の言葉はほとんど耳には届かない。僕はただ板の間の木目を見つめていた。
「そっか。ハハ…………少し、小降りになってきたみたいだな。今のうち帰るか」
「あ、そこの傘持ってって」
 傘を開けば桔梗模様。恥ずかしいくらいのオバチャン傘だ。しかし傘の柄には微かな温もり。
「あ、でも、また来てくださいね」
 来る機会なんて無いだろう。それ以前に、気まずくて来れないと思う。
「あ、ちょっと待って」
 雨が傘を叩いた時、突然彼女が僕を引き止た。
「最後に、握手!」
 ギュッ♪
 少し湿った小さな温もりが僕の心にとどめを刺した。
 思い出したかのような薄暮が、濡れたビルを、アスファルトを照らす中、僕はまだ止まぬ小雨に向かって駆け出した。逃げ出すように。なぜだろう、笑いが込み上げて来て止まらない。色んな感情が溢れ出して、それを覆ってしまわんばかり狂ったように笑う。
 別れる間際。いつも人々を和ませていた彼女の微笑が消え、その目が少し潤んでた事に僕は気づいた。それを見て僕はひどく後悔している。最後にこんな爆弾落として行くなんて。彼女を傷つけてしまったかも知れないと。しかし、言わずに去ってもきっと僕は後悔しただろう。

 だけど今は、滲む涙を雨で誤魔化しながら、笑って走るしかないのだ。

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