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お父さんへの千羽鶴コミュの特攻隊に想う

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今年も、終戦記念日が近づいて来ました。

テレビのスポットではこの時期、特番のPRに、必ず火を噴いてきりきり舞いをしながら墜落する、特攻機の悲壮なシーンを繰り返し放送します。

我々が特別攻撃隊の方たちから汲み取るものは、その悲惨さだけなのでしょうか。
マスコミがアピールするものは、その無慙さだけなのでしょうか。
決してそんな馬鹿なことがある筈がありません。

「犬死」「犬死」と、日本人すらもが言い募り、忌避するの感すらある特攻。

それは、観念的な部分を除き、軍事的に、科学的に、物理的に、本当に犬死だったのでしょうか。

当時米軍がこの命中率を、3%程度とも5%未満とも言っていたのは、事実です。
日本軍首脳部ですら、20%程度と踏んでいた節がある。

しかし、本当にその程度のものだったのか・・・?!

米海軍では、当時相次ぐ特攻隊の来襲により、戦争神経症(戦争ノイローゼ)患者が続出する事態に驚愕。
自軍向けに、敢えて過小な戦果を報道していた形跡があります。
そして戦後も、先ず自軍兵士へ今更本当のことを言う訳にもいかず、その過小な戦果を公表し続けていました。

一方日本軍では、戦果確認機である護衛の戦闘機も、特攻機同様未帰還に成るケースが多かったこと、またレーダー兵器の立ち遅れによって、詳細な戦果確認が出来かねており、敵電の傍受内容等から類推する他ありませんでした。

そういったことから、特攻隊の戦果には、正確なものが存在しなかったという背景があり、この点が「犬死」という自嘲意識を増長せしめた感があります。
そしてこのことが、特攻隊への正しい評価、そして顕彰を妨げていることを、我々は知らねばなりません。

では、一体、特攻の戦果の実態とは、どういうものだったのでしょう。

実は、最近刊行された書籍によると、こういうデータが検証されています。

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太平洋戦争末期、劣勢の旧日本軍が多用した航空機の体当たりによる米艦への特攻作戦で、米軍が至近自爆を含む特攻機の命中効果率を半年間で56%と算定し、日本側推定を大幅に上回っていたことが、米国立公文書館に保管されている米軍機密資料で分かった。
日本側は特攻初期のフィリピン海域での特攻命中率を26〜28%と推定していた。戦史家の原勝洋氏が入手したこの資料は、未公開分を含む米側撮影の特攻写真
340枚とともに、15日発売の「原勝洋著、KKベストセラーズ社)で公表される。 
(時事通信 06年11月)

(上掲中の書籍:
「写真が語る「特攻」伝説―航空特攻、水中特攻、大和特攻」KKベストセラーズ 原勝洋著 2310円)
http://www.amazon.co.jp/%E5%86%99%E7%9C%9F%E3%81%8C%E8%AA%9E%E3%82%8B%E3%80%8C%E7%89%B9%E6%94%BB%E3%80%8D%E4%BC%9D%E8%AA%AC%E2%80%95%E8%88%AA%E7%A9%BA%E7%89%B9%E6%94%BB%E3%80%81%E6%B0%B4%E4%B8%AD%E7%89%B9%E6%94%BB%E3%80%81%E5%A4%A7%E5%92%8C%E7%89%B9%E6%94%BB-%E5%8E%9F-%E5%8B%9D%E6%B4%8B/dp/458418979X

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勿論、この戦果は特攻作戦発動直後の戦果であり、米軍が特攻に慣れなかった時期のものではあります。
終戦までの通期算定をすれば、これより落ちることは明らかでしょう。
しかし、日本軍の算定していた戦果の、約二倍の戦果が実態であったということは、実に興味深い。

命中率56%ということは、過半数が命中している、ということです。
これだけ成功率のの高い、実用的な攻撃は、滅多に類例がありません。

艦に科学力の精緻を極め、乗員に錬磨の極限を追求したあの戦艦大和、その誇る世界一の巨砲の命中率が、距離三万メートルで5%に過ぎないのです。

これをしても、無駄死に、犬死であったと云う者がいるのでしょうか。

しかし、戦果が挙がったから特攻隊を称揚しよう、特攻隊員を顕彰しよう、という考え方は、唯物主義的ご都合論に過ぎません。

物理的戦果に期待は持てないにせよ、それでも征く。

この覚悟こそが何より尊いことは、「お父さんへの千羽鶴」が、見事に描いています。

作品の中で、最後の爆弾を抱いて突入するお父さん、被弾してコントロールを失った機を、必死で敵空母に向け操縦するお父さん。

この悲壮にして勇敢な覚悟こそが、特攻隊の、我々の父祖の、真価なのです。

そして、実は日本軍想定の倍以上の戦果を、彼等の金輪際の努力がもたらしていたことに、感動しはしないでしょうか。

しかし、そう、最も大きなその精神的遺産は勿論ですが、軍の作戦として、実効的効果もまた多大であったことを、米軍に甚大な被害を与えていたことを、我々は知らねばならないと思います。

終戦を迎えるに際し、「お父さんの千羽鶴」、そして、この「特攻伝説」を、併せて読み直してみようと思っています。


 −註−
冒頭の写真は、出撃二時間前の特攻隊員たち。
飛行服から、陸軍の特別攻撃隊と思われます。

コメント(8)

よいお話を、ありがとうございました。
写真の無邪気そうな笑顔を見ると、涙が止まらなくなってしまいます。
第72振武隊、別名『ほがらか隊』と部隊内では呼ばれていたそうです。
人前ではいつもニコニコし、あまりにも明るかったので『ほがらか隊』。
子犬を抱いている兵士も含め、17〜23歳ぐらいだったと記憶しています。
飛行帽を見なければ現代の高校生なんらと変わりません。
>ふくろうさん

とんでもありません。
ときた先生の作品を通じて、もっともっとこういう事に想いを馳せる世の中になれば、最高ですよねえ!
>ケンケンうにうにさん

そうなんですよ・・・・・・!
これが、二時間後に爆弾を抱いて出撃し、激烈な対空砲火や直掩機の攻撃を掻い潜り、敵艦へと突っ込む任務を帯びた人間の顔でしょうか・・・!
気負いも屈託もない、ただ澄明な明るい表情には、本当に涙が出ます。
特攻隊員は、生きながらにして神のようであったという記述を、よく当時の軍人の手記などで読みますけれど、この写真にわたしはそれを感じます。


>(再)メルギブソンさん

ご教示、ありがとうございます。
まったく存じませんでした。

折角教えていただいたので、自分でも「第72振武隊」について調べてみました。
この写真そのものも、有名なものだったらしいですねえ。

犬を抱いている飛行兵は、少飛出身の荒木伍長とおっしゃる方なんですねえ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%92%E6%9C%A8%E5%B9%B8%E9%9B%84

仰る通りで、飛行服をブレザーや詰襟に着替えたら、現代の高校生と全く変わりませんね。
そういう彼等が、余りにも偉大な壮挙に臨んだのだということに、今更ながら頭が下がります。

はじめまして・・・

クマ™ 様からご紹介頂き 「お父さんへの千羽鶴」 をAmazonで取り寄せました。

柔らかな水彩画(ですよネ?)の画面が とても素晴らしく、そして悲しいです・・・・

大戦末期の日本軍は陸海軍とも もう飛行士が極度に払底し 少年飛行兵は勿論のこと、 妻子のある方でも 特攻出撃して行ったのですネ。

痛ましい限り、痛恨の極みです・・・・
>bayaronさん

そうなんです。
ときた先生のタッチは、物凄く柔らかで、優しいですよね。
色合いも、物哀しいほどの淡い輝きに満ちている。
これが、とても魅力的な特徴のひとつだと思います。

「お父さんへの千羽鶴」、わたしも何冊か購入させて戴き、知人や取引先に配らせて戴いたんですが、「泣いた」という感想が、極めて多かったです。
奥さんに読ませたら、泣いて困ったとか仰ってた方もいらっしゃいました。
お父さんの機が被弾し、それでも眦を決して敵空母に突進してゆく場面では、わたしも涙が出ました。
それが本当にあったことで、しかも何千人もの父祖がその現実の渦中にあったのだということに、荘厳な感動を覚えます。

わたしの日記で書いて下さっていたbayaronさんの目撃談も凄かった。
邀撃に上がった戦闘機が撃墜され、落下傘にぶら下がって脱出降下中の飛行兵へ、グラマンが突っ込んで来たという・・・。
そういう光景を目の当たりになさった体験をお持ちの方の感慨は、この作品をお読みに成っても、また一入だったことと存じます。

若しよろしければ、またbayaronさんのご体験を、色々と教えて下さいませ。
楽しみにしております。

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