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I.Kant カント 純粋理性批判 コミュのある視点  eine bestimmte Rucksicht 

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(古今東西の名言格言・
気になった誰かの発言・
気になった何かの記事・などを記録ください。
自作/他作・自薦/他薦、呟きくらいの内容から長文まで大丈夫です。
発言者名や、気になった経緯なども添えてくださると解釈を深めます。)
 


何かが美化を概念によって規定するような、趣味の客観的な法則はありえない。
なぜなら、趣味の判断はすべて直感的であるから。
つまり趣味の判断の規定根拠は主観の感情であって、容態の概念ではない。
 


人間は安楽に満足して生きたいと思うが、
自然は人間が安楽と無為の満足に甘んじさせず、労苦や労働に打ち克つ手段の発見にし知恵をしぼらせようとして、労苦や労働のなかに人間を放りこむ。
 


民主政治は専制政体と変わらない。 なぜなら
「民主政治とは全員がひとりの意志を無視し、時にはこれに逆らって議決しうる」
という全員ならぬ全員が、議決しうる執行権を認めるから。
 


人間はすべて、文明が進めば進むほど俳優になっていく。
つまり人間は他人に対する尊敬と好意、典雅と無私の風を装うが、それにたぶらかされる人はいない。
 


啓蒙とは、人間が自分自身に責任ある未成年状態から抜けでること。
未成年の状態とは、他人の指導を受けずに自己の悟性を使用する能力がないこと。
 


女は自分の前を通ったよその婦人の眼が自分を注目したか、否かを直感的に悟る術を心えている。
女が身を飾るのは、他の女たちを意識しているから。
 


モラルある政治家は、国にとってなにが最善かをモラルを踏まえて考える。
モラルを説く政治家は、自分の政治のためにモラルを利用しようとする。
 


成功に至る第1歩は、自分が心で何を望んでいるかを見つけだすこと。
それがはっきりわからないうちは何を期待しても駄目。
 


酒は口を軽快にする。
だが酒はさらに心を打ち明けさせる。
こうして酒は道徳的性質、つまり心の素直さを運ぶ物質。
 


人が財産を使うに際しては慎重さとためらいとがある。
それは善行ではないし、手腕も能力も必要とはしない。
 


理性は自らの原理を片手に持ち、その原理によって考案した実験を、もう一方の手に持って自然へ赴く。
 


法においては、他人の権利を侵害するときは罰せられる。
道義的には侵害しようと考えるだけで罪。
 


女をきみと同等にまでするな。
というのは、そうなったらきみはすぐに尻の下にしかれるから。
 


無限に善と見なされうるものはただ1つ、
善なる意志以外に、これを考えることはできない。
 


苦悩は活動への拍車。
そして活動のなかにのみ、私たちは私たちの生命を感じる。
 


人間の構想力は、明るい光のもとよりも、暗がりのうちでしっかりと働くもの。
 


互いに自由を妨げない範囲で、自らの自由を拡張すること、
これが自由の法則。
 


真の人間性に最もよく調和する愉しみは、
よき仲間との愉しい食事。
 


徳にとってまず要求されることは、自己自身を支配すること。
 


教育は、人間に課すことのできる最も大きい、難しい問題。
 


宗教とは、私たちの義務のすべてを神の命令と見なすこと。
 


哲学の義務は、誤解によって生じた幻想を除去すること。
 


義務とは、法則に対する畏敬に由来する行為の必要性。
 


私から哲学を学ぶべきでなく、
哲学することを学べ。
 


内容のない思想は空っぽで、
概念のない直観は無為。
 


自由とは、すべての特権を有効に発揮させる特権。
 


自然にあるすべてのものは法とともに行動する。
 


あらゆる宗教は道徳をその前提とする。
 


大自然の秩序は宇宙の存在を立証する。
 


私は孤独。
私は自由。
私は私自身の王。
 


すべての知識は経験に基づく。
 


友情関係は同等関係。


 

http://www.youtube.com/watch?v=KC8T86MnANM&fmt=18
 

コメント(11)

 


彼女のことをよく考える。
どんな気持ちだろうと思ってみるけど、想像しきれない。

飛んでいきたい
違法トンネルをくぐってでも行きたい
ただ、会いたい・・。

そんな、言葉にも もうできないほどの切望、
そして毎日突きつけられる現実に絶望、
それでも家族との対話を欠かさず・・

ガザと日本とのギャップ。
日本社会にあって一人だけこころがガザにある孤独。
ガザの家族とともに生きているのに一人だけ日本にいる孤独。
日々は過ぎていく。葛藤、希望、絶望の繰り返し。


一度お会いしたことがある。おっとりとしているのにお茶目、とても可愛らしい声の人だった。側にいるだけで癒されるようで、もっとたくさん話が聞きたかった。

その後起こったあの2008年から9年にかけての「ガザ紛争」のとき
離れたままでいる家族の身に、いつ何が起こるか分からない状態で・・

いや、その時の話はいまは止めておこう。
私がいまここで話すべきではないような気がする。


それより、私がお伝えしたかったこと、いや彼女から下のニュースを通して受け取ったメッセージは、人生は続くということ。

どんな状況にあっても、どんな経験をしても、命のある限り人生は続く。

人生の続く限り人は生きる。

彼女が元気でいる姿を見ることができて嬉しかったのと、
着実に何かをやっていく実行力に感心感動感銘感服・・・なんて言ったらいいんだろう?

早速飛んでいってすごいねーがんばってるねーよかったねーえらいねーごめんねー

って言いたい。


http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/201865


彼女は例え一人の力でもパレスチナを占領から開放させようと努力するだろう。
ガザの封鎖を解けと一人でも訴え続けるだろう。

パレスチナに関する講演会や報告会がもっと手軽に開けるような場所が必要で、それを自分で作っちゃったんだろうと思う。

イベントのない時でもみんなが集まれるような、少しずつでも、一人ずつにでも何かを伝えられるような、そういう場所にしたいんだろう。
とっても彼女らしい。

カフェは彼女が仕事の休みの日にだけオープンするようだ。

前もって電話をするようになっているらしい。

彼女の健康と家族との再会と、パレスチナの解放、すべてうまく行きますように、祈るばかり。
 




(『飛んでいきたい』
2010/10/07 18:35↑
 
added sentence & picture: w a r m a r t ;ID1098147↓
 
エルサレム在住、ある友人の日記。
承諾を得て転載しました。
 
2010/10/06 西日本新聞朝刊
『パレスチナのブックカフェ開店へ 早良区の藤永さん』
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/201865↓
 
> 中東のパレスチナに関する書籍を中心にそろえたブックカフェ「ヤスミン・ライブラリー」が24日、福岡市早良区西新にオープンする。店を開くのは、パレスチナ人の夫(38)を持つ同区の会社員、藤永香織さん(39)。夫ら家族8人はパレスチナにいるが、イスラエルによる封鎖で会えない日々が続く。藤永さんは「パレスチナを幅広い視点で知ってほしい」と、個人で集めた約200冊を同店で公開する。
> 藤永さんは大学時代にイスラエルやパレスチナを訪問。卒業後の1997年から2年間、パレスチナ自治区のガザ地区にある障害者施設でボランティアをした。2001年に結婚したが、イスラエルから配偶者ビザが発給されず、観光ビザでガザに滞在していた。
> 反イスラエル闘争が激しくなるにつれ、イスラエルはガザ封鎖を強化。藤永さんはエジプトで夫と面会していたが、06年を最後に会えていない。家族と暮らしたのは通算でも8カ月ほどという。
> 藤永さんは、パレスチナの取材経験があるジャーナリストを福岡に招いて講演会を開催している。だが、「継続的にパレスチナのことを伝えることが必要」と考え、同店の開設を決めた。
> 店は西新4丁目のマンションの一室。店名は、パレスチナでの藤永さんの愛称で、アラビア語で「ジャスミン」の意味。
> 書籍はパレスチナだけでなく、イスラエルやイスラム教に関する専門書、滞在記など幅広い。また、現地のオリーブオイルやハーブを販売し、アラビア語教室も開く。
> 1日1回、夫と電話で話す藤永さん。夫はアラビア語教室の開講を喜んでくれたという。藤永さんは「気軽に店に立ち寄ってほしい。そして、パレスチナに行きたいと考える人が一人でも増えてくれたら」と期待する。
> 開店時間は土曜・日曜・祝日の午後1‐9時。
 
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=14564950
 

http://m.youtube.com/watch?v=XeoKpuc6WwI)
 
 

『明日の神話』は原爆の炸裂する瞬間を描いた、岡本太郎の最大、最高の傑作である。
猛烈な破壊力を持つ凶悪なきのこ雲はむくむくと増殖し、その下で骸骨が燃えあがっている。
悲惨な残酷な瞬間。
逃げまどう無辜の生きものたち。
虫も魚も動物も、わらわらと画面の外に逃げ出そうと、健気に力をふりしぼっている。
第五福竜丸は何も知らずに、死の灰を浴びながら鮪を引っ張っている。
中心に燃えあがる骸骨の背後にも、シルエットになって、亡者の行列が小さな炎を噴きあげながら無限に続いてゆく。
その上に更に襲いかかる凶々しい黒い雲。
悲劇の世界だ。
だがこれはいわゆる原爆図のように、ただ惨めな、酷い、被害者の絵ではない。
燃えあがる骸骨の、何という美しさ、高貴さ。
巨大画面を圧してひろがる炎の舞の、優美とさえ言いたくなる鮮烈な赤。
にょきにょき増殖してゆくきのこ雲も、末端の方は生まれたばかりの赤ちゃんだから、無邪気な顔で、びっくりしたように下界を見つめている。
外に向かって激しく放射する構図。
強烈な原色。
画面全体が哄笑している。
悲劇に負けていない。
あの凶々しい破壊の力が炸裂した瞬間に、それと拮抗する激しさ、力強さで人間の誇り、純粋な憤りが燃えあがる。
タイトル『明日の神話』は象徴的だ。
その瞬間は、死と、破壊と、不毛だけをまき散らしたのではない。
残酷な悲劇を内包しながら、その瞬間、誇らかに『明日の神話』が生まれるのだ。
岡本太郎はそう信じた。
この絵は彼の痛切なメッセージだ。
絵でなければ表現できない、伝えられない、純一・透明な叫びだ。
この純粋さ。
リリカルと言いたいほど切々と激しい。
二十一世紀は行方の見えない不安定な時代だ。
テロ、報復、果てしない殺戮、核拡散、ウィルスは不気味にひろがり、地球は回復不能な破滅の道につき進んでいるように見える。
こういう時代に、この絵が発するメッセージは強く、鋭い。
負けないぞ。
絵全体が高らかに哄笑し、誇り高く炸裂している。


 
http://www.1101.com/asunoshinwa/↑
 
http://m.youtube.com/watch?v=50_vSShjjGY
 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E6%9C%AC%E5%A4%AA%E9%83%8E
 
http://taroten100.com/
 
 

悔しくて、悔しすぎて、記憶から消していたことが、いろいろ蘇ってきて辛いです。
ひとつは、観光気分で来た自分探しボランティアの連中のこと。
彼らは、人から感謝されることを楽しみにやってきただけでした。
だから、汚れ仕事やしんどい仕事は何かと言い訳しながらやりませんでした。
彼らで集まって楽しそうに親睦を深め合っていました。
そんな彼らに「惨めな被災者」と扱われる屈辱。
何日か経ったとき、避難所のリーダーが耐えきれずに怒鳴り散らして彼らを追い返してくれました。
彼らがいなくなっても、彼らに受けた屈辱は消えませんでした。
 
 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
 
しかし、ほんとうの復興など、そんなにすぐできるわけがないのです。
そういう報道が為されだすくらいから、必要な物資や、必要な人的支援や、必要な資金などが明確になってくるいっぽうで、反比例的に「助けを求めている!」という報道は減少します。
さっきまで国じゅう挙げて「力を合わせて」といっていたのに、さらっと忘れるのです。
そういったときにこそ、小さな情報を拾って、みんなに呼びかけてあげてください。そして応えてあげてください。
 
いまみたいに、テレビが連日特番をやっている情況では、
みんな「なにかしたい」と思っています。
献血に長蛇の列ができたりするのです。
それはそれで、たいへん価値のある行動だと思います。
しかし、血液もいつまでも保つわけではないので、献血の行列がなくなりかけたときこそ献血をするべきです。
いま、自衛隊、全国の自治体の救援部隊、さらには外国からの援軍も被災地に投入されていっています。
彼らがまずは現地入りして、救援の統制系統の下地を整えた状態であれば、ボランティアは活きてくる可能性もあります。
ただし、彼らの指揮下に入ることが最低条件です。
 
 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
 
いま、私たちができることは、「呼びかけに応えること」です。
「呼びかけたい」のであれば、「呼びかけに応えよう」と呼びかけるべきです。
政府、各自治体、身元のしっかりした組織や企業の呼びかけに、積極的に応えるべきです。
なにより、いまできることは、募金を「すること」です。
(独自に街頭に立ってよびかけることではなく・詐欺が横行します)
呼びかけるとすれば、身元のしっかりしたところへの募金を呼びかけるべきです。
それくらいしかないのです。
でも、いまはそれがいちばんありがたいのです。
私たちは復興に必要な技術を持っていません。
私たちは復興に必要な訓練を受けていません。
でも、それぞれの財布から出る色のついていないお金は、
絶対に復興の邪魔になりません。
 
また、この災害は、明確に国難です。
株価も下落し、甚大な経済的損失も待っています。
そして、それは国民が働いて埋めていくしかないのです。
だからこそ、被災していない人たちは、それぞれのところで、一所懸命規律正しく働いて、税金を納めることこそ、ほんとうに被災していないみんながやるべきことです。
日本はこれくらいでは沈まないのです。
なぜなら、私たちはまだ生きていて、きょうも規律正しく一所懸命働けるからです。
「大災害にもかかわらず暴動が起こらない・秩序が乱れない」と、外国人たちは、日本人に対する敬意を新たにしています。
だから、首都を空襲されても、原子爆弾を投下されても、日本人は強く生きているのです。
そんな記憶はない私も、阪神大震災で被災して生きているのです。
だから。
日本人としての誇りを失わずにそれぞれの場所で強く生きることこそが、大切なのです。
 
2011/03/13...14
http://xdl.jp/diary/↑
 


2011年東北地方太平洋沖地震に対する支援活動
http://ja.wikipedia.org/wiki/2011%E5%B9%B4%E6%9D%B1%E5%8C%97%E5%9C%B0%E6%96%B9%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%B2%96%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%81%AB%E5%AF%BE%E3%81%99%E3%82%8B%E6%94%AF%E6%8F%B4%E6%B4%BB%E5%8B%95
 
http://m.youtube.com/watch?v=dzGMOFBdiWE
 
http://m.youtube.com/watch?v=Vnhena5QVl8
 
 

“危機的状況の中の希望”
 
先週の金曜、港町・横浜にある我が家を出て、午後3時前、いつも行く新宿のホテルにチェックインした。
普段から私はここに週3〜4日滞在し執筆活動やその他の仕事をしている。
 
部屋に入ってすぐに地震が起きた。
瓦礫の下敷きになると判断し、とっさに水とクッキー、ブランデーのボトルをつかんで頑丈な机の下にもぐりこんだ。
今にして思えば、高層30階建てのビルの下敷きになったらブランデーを楽しむどころではないのだが。
だが、この行動によってパニックに陥らずにすんだ。
 
すぐに館内放送で地震警報が流れた。
「このホテルは最強度の耐震構造で建設されており、建物が損傷することはありません。
ホテルを出ないでください」という放送が、何度かにわたって流された。
最初は私も多少懐疑的だった。
ホテル側がゲストを安心させようとしているだけではないのかと。
 
だが、このとき私は直感的に、この地震に対する根本的なスタンスを決めた。
少なくとも今この時点では、私よりも状況に通じている人々や機関からの情報を信頼すべきだ。
だからこの建物も崩壊しないと信じる、と。
そして、建物は崩壊しなかった。
 
日本人は元来“集団”のルールを信頼し、逆境においては、速やかに協力体制を組織することに優れているといわれてきた。
それがいま証明されている。
勇猛果敢な復興および救助活動は休みなく続けられ、略奪も起きていない。
 
しかし集団の目の届かないところでは、我々は自己中心になる。
まるで体制に反逆するかのように。
そしてそれは実際に起こっている。
米やパン、水といった必需品がスーパーの棚から消えた。
ガソリンスタンドは枯渇状態だ。
品薄状態へのパニックが一時的な買いだめを引き起こしている。
集団への忠誠心は試練のときを迎えている。
 
現時点での最大の不安は福島の原発だ。
情報は混乱し、相違している。
スリーマイル島の事故より悪い状態だがチェルノブイリよりはましだという説もあれば、放射線ヨードを含んだ風が東京に飛んできているので屋内退避してヨウ素を含む海藻を食べれば放射能の吸収度が抑えられるという説もある。
そして、アメリカの友人は西へ逃げろと忠告してきた。
 
東京を離れる人も多いが、残る人も多い。
彼らは「仕事があるから」という。
「友達もいるし、ペットもいる」、他にも
「チェルノブイリのような壊滅的な状態になっても、福島は東京から170マイルも離れているから大丈夫だ」という人もいる。
 
私の両親は東京より西にある九州にいるが、私はそこに避難するつもりはない。
家族や友人、被災した人々とここに残りたい。
残って、彼らを勇気づけたい。
彼らが私に勇気をくれているように。
 
今この時点で、私は新宿のホテルの一室で決心したスタンスを守るつもりでいる。
私よりも専門知識の高いソースからの発表、特にインターネットで読んだ科学者や医者、技術者の情報を信じる。
彼らの意見や分析はニュースではあまり取り上げられないが、情報は冷静かつ客観的で、正確であり、なによりも信じるに値する。
 
私が10年前に書いた小説には、中学生が国会でスピーチする場面がある。
「この国には何でもある。
本当にいろいろなものがあります。
だが、希望だけがない」と。
 
今は逆のことが起きている。
避難所では食料、水、薬品不足が深刻化している。
東京も物や電力が不足している。
生活そのものが脅かされており、政府や電力会社は対応が遅れている。
 
だが、全てを失った日本が得たものは、希望だ。
大地震と津波は、私たちの仲間と資源を根こそぎ奪っていった。
だが、富に心を奪われていた我々のなかに希望の種を植え付けた。
だから私は信じていく。
 




(村上龍 タイムアウト東京編集部翻訳)
2011/03/17 NYタイムズ
http://www.nytimes.com/2011/03/17/opinion/17Murakami.html↑
2011/03/18 タイムアウト東京
http://www.timeout.jp/ja/tokyo/feature/2581/↑
 
2011年東北地方太平洋沖地震
PC:http://ja.wikipedia.org/wiki/2011%E5%B9%B4%E6%9D%B1%E5%8C%97%E5%9C%B0%E6%96%B9%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%B2%96%E5%9C%B0%E9%9C%87
CP:http://www.sjk.co.jp/c/t.exe?y=http://ja.wikipedia.org/wiki/2011%E5%B9%B4%E6%9D%B1%E5%8C%97%E5%9C%B0%E6%96%B9%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%B2%96%E5%9C%B0%E9%9C%87
 
http://m.youtube.com/watch?v=E9dcOaBkSWg
 
 

  “歴史は繰り返す”
 
偶然だが、私は地震の前日、数日後の朝日新聞の朝刊に掲載された記事を書いていた。
その記事は1954年のビキニ環礁における水爆実験で被爆した漁師に関する記事だった。
私が彼のことを聞いたのは19歳のときだった。
後に彼は核抑止力の神話とそれを支持する人々の高慢さを批難するのに生涯を捧げた。
あの大震災の前日にあの漁師を思い起こすことになったのは一種の悲しい予兆だろうか。
彼はまた原子力発電所とそれがもたらす危険性とも戦った。
私は日本の近年の歴史を次の3つのグループの人々の視点を通して見る方法について熟慮を重ねて来た。
つまり、広島や長崎の原子爆弾で亡くなった方々、ビキニ環礁の水爆実験で被爆した方々、そして核施設の事故で犠牲になった方々である。
日本の歴史をこうした事件を通して考えれば悲劇は自明である。
今日、原子炉の危険性は現実になったのを確信することができる。
今全貌が明らかになりつつあるこの災害がどのように終わろうと、私は克服しようとする人々の努力には全幅の敬意を払っているが、この災害の意義はどう考えてもあいまいではあり得ない。
日本の歴史は新たな段階に入った。
そしてもう一度我々は核の力の犠牲になった人々の目の視点に立たねばならない。
苦しみながらも勇敢さを見せた男性たち、女性たちの視点に。
現在の震災から何を学ぶかは、この震災を生き延びる人々が過ちを繰り返さないと決意するかどうかにかかっているのだ。
 
この震災は、劇的な方法で、2つの事象を結びつけている。
日本の地震に対する脆弱性と、核エネルギーに代表されるリスクに対する脆弱性である。
前者はこの国がもとより直面してこなければならなかった現実である。
後者は、地震や津波によりもさらに壊滅的であることがあきらかになるであろうが、人災である。
日本広島の悲劇から何を学ぶであろうか?
2008年に亡くなった現代の日本の偉大な思想家の一人、加藤周一は、原子爆弾と原子炉に言及して、千年前に清少納言という女性によって書かれた『枕草子』の一節を引き、「とても遠くにあると見えるものも、実際には、とても近い」ものだと言っている。
核の悲劇も、遠く非現実的な仮説に見えるかもしれないが、その可能性はしかし常に我々の身近にあるのである。
日本人は核エネルギーを工業的な生産性の文脈で考えるべきではない。
広島の悲劇から経済成長の「レシピ」など引き出すべきではない。
地震、津波、そしてその他の自然災害のように、広島の経験は人類の記憶に深く刻まれるべきである。
人の手で生み出されたからこそ自然災害よりもはるかに悲劇的なのである。
原子炉を建設することで人間の生活をあからさまに蔑視する過ちを繰り返すのは、広島の犠牲者の記憶に対する、可能な限りで最悪の裏切り行為である。
 
日本が戦争に負けた時私は10歳だった。
その翌年新しい憲法が公布された。
私はその後何年にもわたって、我々の憲法に明記された、戦力の不保持や後の非核三原則(もたず・作らず・持ち込ませず)を含む平和主義が、戦後日本の基本的な理念の正しい表象たり得ているかを自問し続けてきた。
実際には、日本は段階的に再軍備をし、1960年代の密約でアメリカ合衆国が核兵器を持ち込むことが可能になったため非核三原則は無意味になってしまったが、戦後の人間の尊厳の理念は完全に忘れられたわけではない。
亡くなられた方々は我々がそうした理念を尊重するよう監視しているし、亡くなられた人々の記憶があるから我々は政治的現実主義の名のもとで核兵器の破滅的な性質を過小評価するわけにはいかない。
我々は分裂している。
現在の日本があいまいに見えるのはそのためである。
アメリカの核の傘に守られた平和主義者の国なのだ。
福島原発の事故で、日本人が再度、広島や長崎の犠牲者と連帯し、核の危険性を認識して、核の賛成派が提唱する核抑止力の幻想を払拭することが望まれている。
 
成熟したと一般に見なされる年齢に至って、私は『我らの狂気を生き延びる道を教えよ』という小説を書いた。
今晩年に差し掛かって、私は『最後の小説』を書いている。
私がこの狂気を何とか生き延びることができれば、その本の冒頭でダンテの『神曲』の最後の一節、「そして我々はもう一度星々を見るために外に出た」を引くつもりである。
 


(大江健三郎 HISTORY REPEATS)
2011/03/23 ニューヨーカー
PC:http://www.newyorker.com/talk/2011/03/28/110328ta_talk_oe↑
CP:http://www.sjk.co.jp/c/t.exe?y=http://www.newyorker.com/talk/2011/03/28/110328ta_talk_oe↑
http://blog.livedoor.jp/itobun/↑
 
http://www.youtube.com/watch?v=dENGxFil-bQ
 
http://www.youtube.com/watch?v=QCbW7bUVNw4
 
http://www.youtube.com/watch?v=CGqFXRqdDwk
 
 

“〜 芸術家に自由を! 〜
艾未未 (アイ ウェイウェイ) の釈放を求める緊急アクション”
 
北京オリンピックのスタジアム『鳥の巣』の設計者であり、国際的に有名な中国の芸術家の 艾未未(アイ ウェイウェイ)さん、また同じアトリエで働いているデザイナーの劉正剛さんらが2011年4月に拘束されました。
米国のグッゲンハイムや英国の テート モダンなど世界中の美術館や芸術家、市民が艾未未さんの釈放を求めるアクションを広げています。
 
艾未未さんの釈放を求める緊急アクションに参加してください。
 
艾未未さんは4月3日、香港に向かう途中、北京の空港で警察に捕まり、それ以来拘束されたままです。
艾未未さんの家族は、拘束について正式な連絡をなにも受け取っておらず、拘禁されている場所も知らされていません。
 
4月6日、中国当局は、艾未未さんを経済犯罪の容疑で取り調べ中であるという声明を出しました。
しかし、艾未未さんは政治的活動を行っていたために拘束されたと考えられています。
 
また、艾未未さんの友人で助手の文涛さんは、4月3日に北京で、艾未未さんとは別に拘禁されました。
文涛さんは元ジャーナリストで、2010年の北京の芸術家村の取り壊しに対する抗議についての記事を書いた後、辞職させられました。
艾未未さんの会計士である胡明芬さんは4月8日に警察に連行され、その後連絡が途絶えています。
さらに4月9日には、艾未未さんのアトリエで働いているデザイナーの劉正剛さんが、私服警官によって連れ去られました。
 
チュニジアやエジプトの動きに触発されて中国でも「ジャスミン革命」が呼びかけらましたが、2月19日以降、中国当局は全土で100名以上の活動家や弁護士を拘禁したり自宅軟禁したりしています。
拘束された人びとは、常に拷問や虐待を受ける危険があります。
 
艾未未さんは、2008年の北京オリンピックの舞台となった、北京オリンピックのスタジアム『鳥の巣』の共同設計者でもあります。
後に次のように述べて、北京オリンピックからは距離を置きました。
 
「自由もなく、国民の意思に反して行われるオリンピックなどばかげている。
なぜなら、どんな一党独裁政権も民主主義国家であるふりなどできないからだ。
そんなものは、見せかけだけの調和であり幸福である。」
 
http://www.amnesty.or.jp/modules/wfsection/article.php?articleid=3837↑
 


PC:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%89%BE%E6%9C%AA%E6%9C%AA
CP:http://bbgate.froute.jp/pc2m/?_ucb_u=http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%89%BE%E6%9C%AA%E6%9C%AA
 
http://www.youtube.com/watch?v=FjMhprAvwgo
 
 


> 私たち

> もうあんまり外部の人には言ってないけど

> すごく すごく怖かったし、 いまだにトラウマになってる。

> 震災と放射能に
> 傷ついて、それでもみんな笑顔でさ、頑張ってるんだよね。
> めまいと気持ち悪くて阿武隈高原サービスエリアに来たら こんなメッセージがいっぱい貼ってあった。突然涙がでました。
> 昨日病院の看護士さんも、いま震災疲れで倒れる人が多いことも聞いた。 父もあの震災を一人で越えた。

> まだ先は遠いけど

> いつか安心がくることを信じたい。
 
(2011/11/02 マイミク)
 




Smile, though your heart is aching
微笑んで 心が痛んでも

Smile, even though it's breaking
微笑んで たとえ心砕かれても

When there are clouds in the sky, you'll get by
空に雲がたちこめるときも きっと乗り越えていける

If you smile through your fear and sorrow
怖れと悲しみの中でも微笑みを浮かべれば

Smile, and maybe tomorrow
微笑んでごらん そうすれば明日にはきっと

You'll see the sun come shining through for you
ほら明るい日差しが君を輝かせる
 

Light up your face with gladness
明るい笑顔を灯して

Hide every trace of sadness,
悲しい記憶は姿を隠していく

Although a tear may be ever so near
涙がこぼれ落ちそうになっても

That's the time you must keep on trying
そんな時こそ泣くのをこらえてごらん
 

Smile, what's the use of crying?
微笑んでごらん

You'll find that life is still worth while
人生もまんざらじゃないってきっと気づくはずさ

If you'll just smile
ただ 君が微笑むだけで




 
smile
http://youtube.com/watch?v=GWQcs6Ezp7k
 
tohoku-pacific ocean earthquake
PC:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD
CP:http://bbgate.froute.jp/pc2m/?_ucb_u=http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD
 
see you again
http://youtube.com/watch?v=vHsrLL12y-Q
 
smile
http://youtube.com/watch?v=W5YaXlsFu4M
 
 
映画『約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯』

日時変動:http://www.yakusoku-nabari.jp/ (CP:http://zhp.jp/U9jS)

場所全国:http://www.yakusoku-nabari.jp/ (CP:http://zhp.jp/U9jS)

http://mixi.jp/view_event.pl?id=74262457
 
 
“『坂の上の雲』を突き抜けてしまった今こそ必要な「物語と哲学」”

明治維新以降、日本は上へ上へとのぼり、「坂の上の雲」をつかもうとしてきた。
昭和の敗戦の後も必死に働いて、平和で豊かな国を目指してきた。
いま、その夢はほぼ実現したといっていいだろう。
「坂の上の雲」を突き抜けてしまったのだ。

もちろん問題がないわけではない。
それどころか現在、問題は多様化し、複雑に絡み合っている。
「雲」を通過したあとだからこその難しさがある。

これまでは、豊かな社会を夢見て、それが現実になると信じて、がむしゃらに働けばよかった。
日本国民みんなが、ひとつの「物語」を持っていたのだ。

では、その夢が実現したら、どうなるのか。
人間がもっともパワーを発揮できるのは、夢が叶うと信じて努力しているときだ。
そして、こうしているあいだが、人は一番幸せなのではないかと僕は思う。
だからこそ、いま、国民すべてが持つことのできる新たな「物語」が必要なのである。

はたして目指すべき夢を描ける者はいるのだろうか。
「物語」には「哲学」が必要だ。
「哲学」が大事な時代になっているのだと僕は思う。
人間は何のために、そして、いかに生きるべきか。
このような時代だからこそ、真剣に考えることが必要なのではないか。

ソクラテス、カント、ショーペンハウエル、ハイデガー、ヘーゲル……。
古代から、なみいる思想家たちが、人間の生き方について考え抜いてきた。
ところが、せっかくの彼らの思想を、現代の哲学者(研究者)は、わかりやすい言葉で語ってくれない。
このことに僕は、おおいに不満を持っている。

僕は何冊も哲学書を読んだ。
真剣に「哲学」を学ぼうとしたのだ。
しかし、どの哲学書も難解な思想を、さらに難解な言葉で解説しているのである。
実にわかりにくいのだ。
理解できないのは、僕の頭が悪いからかもしれない。
けれども、なるべく多くの一般読者にわかるように語りかけるのが、この時代に生きている哲学者や研究者の役目ではないだろうか。
「難解な話をするのがえらい」「研究者仲間でわかればいい」と考えているのではないかとすら思えてしまう。

そんな僕の不満を、若手評論家で、哲学者である東浩紀さんにぶつけてみた。
東さんは、こう言った。
「古代の哲学者がどんな人間で、どんな背景があったから、その思想が生まれたのか。
こうしたところから考え、語らなければ、その思想をわかりやすく説明できるわけがない。
これをするには、実は大変な人間力が必要なんです。
ところが、そういう社会性を備えた人は、たいてい大学の哲学科に来ない。
来たとしても、哲学の専門家にはならないんですよ」

彼の答えに対して、僕はなるほどと思った。
しかし、それでもなお僕はあきらめられない。
いまも、多くの哲学者に会いに行き、話を聞き続けている。
お会いした哲学者のなかには、実にわかりやすく語ってくれる人、つまり、人間力を持っている人もいた。
こんな哲学者が、これからもっともっと増えてほしいと僕は願ってやまない。

さらに、東さんのような若い論客にどんどん発信してもらい、哲学を軽やかに学ぶ若者が増えていってほしい。
それが現在の日本、そして未来の日本にとって必要なことだと僕は思う。

田原総一朗
2013/08/26-11:59 BLOGOS
http://blogos.com/article/68811/
 
時間 http://mixi.jp/view_bbs_comment.pl?comment_number=013&bbs_id=4448609
 

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