ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

『萬画尽生』コミュの『美味しんぼ・54巻』前編・ダッチコーヒー・グルメ番組編。

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
『美味しんぼ・54巻』日本酒とっくり(おちょこ付き)のあきれるほどの嘘の歴史。

1996年・平成8年・2月初版。41歳。
穂積忠彦せんせいと、ロスから地ビールの開発輸入を実行した、翌年。

夏に痛風発作、秋にTIA発作で倒れ、集中治療室で浮遊するその年の、春。人生の区切りの年であった。

まだ、日本酒が、全部、贋物であると、思っていた。そういうものしか、出会わなかったし、ビールしか、眼中になかったし、飲まなかったし、麦酒で腹いっぱいで、太ってて、飲めなかった。甘くて、頭痛のする、毒物のように、おぞましい、身体が受け付けない、気持ちも許せない、代物であった。


そう言えば、農学部裏、銀閣寺道の『きんちゃく』で呑む、菊正の垂派、ウマかったな。



水出しコーヒー


僕が始めてコーヒーを飲んだのは、1970年万博の年、高校受験に失敗して、中学校の担任・小説家・近藤精一郎せんせいに再受験の相談をお願いした、豊津の喫茶店でのことであった。

真っ黒な液体の表面に、ぶわぶわと浮かぶ白いものを、フレッシュミルクとは知らず、タバコの灰が浮かんだと思った。

1976年修学院離宮道のアパートで、MJBのレギュラーコーヒーを、ドリッパーで落とし、グラニュー糖を、一匙と三分の一。森永のフレッシュミルクをニュルリと浮かべて、その、コーヒーと・砂糖と・牛乳脂肪との境目が、味雷と触れ合う瞬間の感動が、コーヒールンバなのだ、などと言っていた。


京都・カラフネヤの、水出し・ダッチコーヒー。


17歳・1972年・高校で机を並べていた・辻正純くんのクリニックから借りてきて、2009年5月の今日読んでいる『美味しんぼ・54巻』


二人で暮らすようになった、士郎とゆう子が、水出しコーヒーのサイホンを、ゲットする話。・・・そしててまた、シナリオは、目の前の現実的な物理的なサイフォンは、尾黒さんと、彼が捜し求めて10年再会を果たした咲子さんの二人の手に帰する。


渋皮のことを知ったのは、2003年、人生棚卸・路地素敵駆旅行の時に、いりたてやの、宮社長から、教わったもの。

とんでもない、飛んでいる、今時の新人類・新入社員が、新聞社に遣って来て、テレビの料理番組のアシスタントになって行く姿を、リアリティそのものに、描いている。


本物コーヒー話も、探し物・めぐり合いの話も、グルメ・料理番組の裏側も、僕の人生の、バイウェイで、同時進行で、リアルに、繰り広げられていたのだ。



衝撃的54巻は、日本の酒税法と、日本酒の嘘と没落の実像が、写し出されている。


後半は、濃い!






本



人生の一段落、一服の時、萬画が遣って来るのかな。

1993年に、会社の事務員さんから借りて読み出した、『美味しんぼ』

2008年11月、吹田市立片山中央タコ・ネコ公園図書館に、驚きの萬画コーナーが新設されて、再会した『美味しんぼ』

2009年3月、西宮の坂道を転げ落ちて、胸を強打して、東淀川区・瑞光寺の、辻クリニックの待合室でさらに、これでもかと遣って来た『美味しんぼ』


シツコク、僕の尽生に、これでもかと遣って来るのだ。


後半は、僕が、怖気づいて踏み込めなかった、日本酒・酒税法に、実在の穂積忠彦さんを、お招きして、展開する。


アップした写真の1枚目は、穂積さんと僕で1996年に開発して、新聞をにぎわした、キッチンBEERサーバーの心臓部。マイミクじゃんくチャンが、楽器と評した瞬冷コイルサーバー。

2枚目は、ABCテレビ。エプロンが、醸自倶楽部えぷろん。
3枚目は、毎日文化センター・自ビール教室のメンバー。



ああ、いよいよ、来たな!

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

『萬画尽生』 更新情報

『萬画尽生』のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング