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キリスト教(聖書)への素朴な疑問コミュの史的イエス

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以前イリアさんが立てた同名トピックがあったのですが、無茶苦茶になっていたので仕切り直します。

>さて、ユダのベツレヘム出身ではないことが明白となった、ナザレのイエスですが、
実際に彼はどういう人物だったのでしょうか。

まず、「ナザレのイエス」の表現は「ナザレから」(アポ・ナザレト。マルコ伝1:9)起源なのが確実なので、
イエスの故郷はナザレ。
マルコ6:1の「彼の故郷へ」のギリシャ語はパトリスの目的格で、その意味は「父の家」で、通常、生まれ故郷を意味します。

イエスはマムゼルだったか?
しかし、死海文書によると、マムゼルとは単に私生児という意味ではなく、両親の両方が完全にユダヤ人であるのかどうか、あるいは彼ないし彼女を母親が身篭った際に、法的に正式な結婚関係にあったかどうかを証明できなかった全ての人物を意味するようになってました。

また、イエスの職業は?
マルコ伝6:3で用いられるギリシャ語テクトーンは、「大工」を意味しない。
職人なら誰をも指す言葉でもあるが、一般的に(たとえばシビュラの託宣などでは)石工を意味します。
つーか、イエスは大工仕事の比喩を使ってないんですな。

そんな、「実際のイエスはどういう人物だったか」というトピです。

皆さんはどう思いますか。

コメント(75)

>>[34]
メシアイエスの活動は隣人への愛の行為ですが、古代の時代と現代では愛に対する捉え方が違い理解が難しいわけです。
(ひょっとすると、身近なところにも古代はあるかも知れません。これは各自考えて見ましょう。)
>>[25]
>実際のイエスは平和と愛を説いた救世主(christ)ではなく

この辺り、やはり医学部の宗教学だけではわからないかも知れません。

指摘通り、愛をある意味説いたのです。
愛を行うことがイエスの愛です。
癒しや赦しと同じなわけですね
>>[34]

ん?
まず、十字架刑は実在。
で、熱心党のシモンの実在は不明。
イエスースは、「ユダヤ教徒」であって、ユダヤ教を改革しようとしていたわけ。
イエスースのモデルになった人がいたとして、
その人は「キリスト教は布教していない」
あくまで、ユダヤ教の人。

いるかいないかわからないけれど、いわゆる十二使徒もそう。
あくまで、ユダヤ教徒。

で、パウロがキリスト教を作った。

パウロの実在もちょっとだけ疑義があるけれど、いたとみてほぼセーフかな。

簡単に言えば、史実で実在が確かなのは、
「パウロ以降」

これは覆らないね。

死海文書とかで、とんでもない発見がない限り。

いつも良い指摘、疑念をありがとうございます。ヌーボさんに、おおっさん。おかげで研究に役立ちます。信条を押し付けられても研究には役立たない。
>>[40] おおっさん
>熱心党シモン
私はこのシモンとシモンペテロの重複説をとりますが、シモンペテロを別にするのが通説ですね。
http://bbbible.com/bbb/bbbmt10a.html#mt10.5-15
そうだとしても

ヨハネによる福音書/ 18章 10節
シモン・ペテロは剣を持っていたが、それを抜いて、大祭司の僕に切りかかり、その右の耳を切り落した。その僕の名はマルコスであった。
ペテロは切りつけた首謀者です(ルカには二人の不詳の弟子が剣を抜いたとある)。 


>その人は「キリスト教は布教していない」
あくまで、ユダヤ教の人。
%%
生前のイエスはユダヤ教のナザレの分派(ナザレ派といわれる)で、私はキリストとはいってないのは確か。メシアだといったかも知れない。ナザレ派の解釈をキリスト教の萌芽としては見れる。この辺りは主観的で個人差あるかもしれない。

>いわゆる十二使徒もそう。

福音書では弟子を使徒と名付けたとありますが、マルコの教会以下(マタイ、ルカ、ヨハネ)が使徒と名付けたのも確かではある。
しかし、12弟子と云われるナザレ派の人々がいたのは確かです。
>>[40]
しかしだが、ローマ側の歴史家ヨセフスらが、差し引いてもピラトが十字架につけ処刑したイエスが復活したという迷信を信じる忌々しい輩は止まなかったと記してます。
福音書の初期伝承では周りのマグタラら女性が復活顕現を受け(実感の伴ったクオリアのある現象)、弟子らに告げ、次第に弟子らに復活経験、信仰が生まれたことがわかります。
パウロの名前はありませんが、パウロがキリストの「顕現」を受けたのも使徒書は直接、自身の書簡では間接的に触れていて確かだと思います。それは実感の伴ったクオリアのある一瞬の出来事だったかもしれませんが。
>>[40]
しかし、現在の少なくとも日本の社会でイエスの活動を見倣うのはナンセンスです。現在の日本社会では剣を持ち自衛したり、暴力を用いないでも社会を変えられる制度があります。
古代ではすぐ拷問されるか切り捨てられずに(実際はこちらの方が属国では一般的とも)、シュプレヒコールも行え、選挙もあります。
ここで、私は矛盾するようですが、さらに一歩勧めて無抵抗主義、平和主義を唱えたいと思い
話の聖書箇所
ルカ福音書 口語訳1955
22:35 そして彼らに言われた、「わたしが財布も袋もくつも持たせずにあなたがたをつかわしたとき、何かこまったことがあったか」。彼らは、「いいえ、何もありま せんでした」と答えた。
22:36 そこで言われた、「しかし今は、財布のあるものは、それを持って行け。袋も同様に持って行け。また、つるぎのない者は、自分の上着を売って、それを買うが よい。

22:49 イエスのそばにいた人たちは、事のなりゆきを見て、「主よ、つるぎで切りつけてやりましょうか」と言って、
22:50 そのうちのひとりが、祭司長の僕に切りつけ、その右の耳を切り落した。
22:51 イエスはこれに対して言われた、「それだけでやめなさい」。そして、その僕の耳に手を触れて、おいやしになった。
22:52 それから、自分にむかって来る祭司長、宮守がしら、長老たちに対して言われた、「あなたがたは、強盗にむかうように剣や棒を持って出てきたのか。

ペテロが剣を使用する前に以下があります。
ヨハネによる福音書/ 18章 03節
それでユダは、一隊の兵士と、祭司長たちやファリサイ派の人々の遣わした下役たちを引き連れて、そこにやって来た。松明や灯や武器を手にしてい。

(ヨハネは意外に歴史的な資料を用いているとされ、その一つです。ただ、ローマに対して剣を上げ、このていどだったかは疑問が残ります。ローマは反乱者に対してはロシアと同じで容赦なかったからです)。
>>[47]
>そばにいた人たちは
複数形に注意
οἱ 不詳の多数の人
ユダを除き、11人以上いたことは確かです。
>>[42]
日本では剣道部とかで日本刀を扱ってないと剣は実感がわかないと思います。
そこで当時の再現率の高い映画を

>>[26]
「イエスは実在したか」について
読み直してますが、こちらの方がかなりまともな解説です。
アスラン自体は私より知っているかもしれません。
https://gnostikoi.hatenablog.com/entry/20150102/1420213094
>>[26]
「イエスは実在したか」
ためし読み。25ページ
https://viewer-trial.bookwalker.jp/03/16/viewer.html?cid=33625f72-bb98-4e59-85ee-f08ad683b218&cty=0
イランからカルフォルニアに逃れ、バイブルキャンプでイエス・キリストに出会う。そこから、史的イエス研究へ
ムスリムの預言者イエスの理解に近い理解である。

かなりまともな本
>>[52]
良いしてき指摘ですね。
イエスのナザレ派共同体における開放性とパウロの異邦人伝道における更なる加速と私は思います。
他のユダヤのメシアはあくまでもユダヤ主義だったのは確かです。
この辺りはまた。
>>[50]

>「ナザレのイエス」が、そのような当時知られていたいくつもの宗教がらみの政治運動のどれかに属していたとはっきり位置づけるのはむずかしい。

実在したかどうか?ではなく、
実在した、という前提で「どういう人だったのか?」
そういう事を考えている本ということか。

数多いる偽預言者の中で、イエスースとは?と。

残念なのは多分、
聖書解釈から出られない(他に有効な資料がない)ことだな。
捕捉
アスランには時代史研究の「熱心党」という本も出してますね。こちらも一部読めます。
https://www.penguinrandomhouse.com/books/201653/zealot-by-reza-aslan/
Zealot
熱心党
Chapter One
1章
A Hole in the Corner
秘密
Who killed Jonathan son of Ananus as he strode across the Temple Mount in the year 56 c.e.?
56年に神殿の丘を闊歩していた(祭司)アンナスの息子を殺したのは誰か。
No doubt there were many in Jerusalem who longed to slay the rapacious high priest, and more than a few who would have liked to wipe out the bloated Temple priesthood in its entirety.
(その時代の)エルサレムには、強欲な大祭司の殺害を望んでいた人が多数いたことは疑い無く、肥大化した神殿の権力を完膚なく一掃したいと思っていた人も少なくなかった。
For what must never be forgotten when speaking of first-century Palestine is that this land—this hallowed land from which the spirit of God flowed to the rest of the world—was occupied territory.
1世紀のパレスチナについて語るときに決して忘れてはいけないのは、聖霊が他の地域に流れた、この地は神聖な土地がローマの占領地域だったということである。

Legions 1of Roman troops were stationed throughout Judea. Some six hundred Roman soldiers resided atop the Temple Mount itself, within the high stone walls of the Antonia Fortress, which buttressed the northwest corner of the Temple wall.
数千人単位のローマ軍の軍団がユダヤ全土に駐留していた。 そのうち約 600 人のローマ兵が神殿の丘の頂上、神殿の壁の北西隅にあたるアントニア要塞の高い石壁の内側に駐屯していた。
1)3000〜6000人の歩兵師団
The unclean centurion in his red cape and polished cuirass who paraded through the Court of Gentiles, his hand hovering over the hilt of his sword, was a not so subtle reminder, if any were needed, of who really ruled this sacred place.
赤いマントと磨かれた胸甲を身に着け、剣の柄の上に手をおいて異邦人の宮廷を闊歩した汚れた百人隊長は、もし必要であったとしても、この神聖な場所を実際の統治者を明らかに示していた。
>>[55]
イエスの実在性
実在は歴史学でも最近は通説に近いと思います。
それはタキトゥスによるものです。
カラパイアの記事と修正をしておきました。
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1986643516&owner_id=27020987
>>[55]
>実在した、という前提で「どういう人だったのか?」
そういう事を考えている本ということか。

その通りですね。
>>[47]
もう一つ、最近注目されているのが。
ルカ福音書  口語訳1955
12:49 わたしは、火を地上に投じるためにきたのだ。火がすでに燃えていたならと、わたしはどんなに願っていることか。
12:50 しかし、わたしには受けねばならないバプテスマがある。そして、それを受けてしまうまでは、わたしはどんなにか苦しい思いをすることであろう。
12:51 あなたがたは、わたしが平和をこの地上にもたらすためにきたと思っているのか。あなたがたに言っておく。そうではない。むしろ分裂である。
12:52 というのは、今から後は、一家の内で五人が相分れて、三人はふたりに、ふたりは三人に対立し、
12:53 また父は子に、子は父に、母は娘に、娘は母に、しゅうとめは嫁に、嫁はしゅうとめに、対立するであろう」。
最近、カトリックの方の博士論文が出ましたが、十字架の事実、22:35に対する反論が不十分かと思います。
まあ、ルカ特殊資料の一部をマリアに由来するたしかなものとする伝統に反する気がしますし?
Acrobat ReaderかKindleで読めます。
https://unipub.uni-graz.at/obvugrhs/download/pdf/3780242?originalFilename=true
>>[47]
私がはじめてルカ特殊資料に注目したのは降誕物語からです。
マグニフィカートともいわれるマリアの讃歌です。
 
ルカ福音書 口語訳1955
1:46 するとマリヤは言った、「わたしの魂は主をあがめ、
1:47 わたしの霊は救主なる神をたたえます。
1:48 この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました。今からのち代々の人々は、わたしをさいわいな女と言うでしょう、
1:49 力あるかたが、わたしに大きな事をしてくださったからです。そのみ名はきよく、
1:50 そのあわれみは、代々限りなく/主をかしこみ恐れる者に及びます。

1:51 主はみ腕をもって力をふるい、心の思いのおごり高ぶる者を追い散らし、
1:52 権力ある者を王座から引きおろし、卑しい者を引き上げ、
1:53 飢えている者を良いもので飽かせ、富んでいる者を空腹のまま帰らせなさいます。
1:54 主は、あわれみをお忘れにならず、その僕イスラエルを助けてくださいました、
1:55 わたしたちの父祖アブラハムとその子孫とを/とこしえにあわれむと約束なさったとおりに」。
>>[60]
「イエスは平和主義のカリスマ巡回説教者として一般的に解され、人類の道徳基準として非暴力と愛敵を提唱した。しかし、ルカによる福音書を読んでいくと、異なるメッセージを伝えているように見える 12:49-51 節に躓きを覚えるかもしれない・・」
古代パレスチナの状況において、イエスが人類の道徳基準として非暴力と愛敵を説いたかについては疑問である。ルカには帯剣命令があり、弟子たちの二人のうち一人、あるいはヨハネにはペテロが剣を使用したことが書かれているからである。
イエスが愛敵を説いたかについても荒井先生が「イエス・キリスト」でも書かれているように疑念が残る。イエスは隣人愛を説いた。それは後に愛敵に拡大しマタイはその解釈を採用した。
&&
上記の結論に至るのはこの論文はカトリック大学のものだし、下記の事情もあるかもしれない。
マタイ福音書
18:6 しかし、わたしを信ずるこれらの小さい者のひとりをつまずかせる者は、大きなひきうすを首にかけられて海の深みに沈められる方が、その人の益になる。
(かって橋本先生はこの辺り厳しい指摘をマタイ(の教会)の教会論とみた。私は加えてマタイの教会に多かったユダヤ主義者に対する同主旨の警告とみる。新約聖書注解1該当箇所)
橋本先生も指摘するように、これは教会への言葉である(教会の学校、神学校にも拡大されるかも知れないが)。学問に拡大されとなると現代では「学問の自由」の問題になる。
しかし、学問的に古代のパレスチナにおける「平和」、「愛」というものの歴史を探究し、現代で読む方がより教会的な結論にもなるのではないかと思う。
>>[61]
論文
以前は研究入門としては下記でした
https://www.jstor.org/stable/3263007
すぐ読める英語のは少し前ですが
https://www.google.co.jp/url?sa=t&source=web&rct=j&opi=89978449&url=https://ecommons.udayton.edu/cgi/viewcontent.cgi%3Farticle%3D1425%26context%3Dmarian_studies&ved=2ahUKEwiNl6aYzLWDAxXWcPUHHZtAC9wQFnoECBQQAQ&usg=AOvVaw3Y-_CoV_jE81dUGFbxp_ix
なんといってもフランスものが多い。
>>[62]
さて、ここはmixiでは学問のジャンルですが、少し信仰の事柄に触れると「復活現象」から生まれた復活信仰で歴史のナザレのイエスの生涯を捉えた新約聖書を信じてます。イエスはキリスト(救い主)となるわけです。そのありかたをキリスト教といいます。
>>[62]
古代のイエスの歴史に対する見方が違いますが、古代の脈略ではイエスは平和を求めた愛の人です。
今のドイツ、日本ではイエスは平和主義の優しい愛の人と解釈されるのが自然だと思います。
それは「キリスト」です。
>>[66]
民主主義や司法がなかった古代での隣人愛は、隣人をくびきや罪意識から解放することですからね。
抵抗運動も愛の行為です。
>>[68]
旧約聖書、ユダや教の愛とか平和というのは「身内びいき」で、それは現代のガザの問題になるわけだと思います。
イエスの説いた愛は「愛敵」でなく、同じく「隣人愛」なので矛盾してないと思いますが。最も、(ルカには弟子らのサマリアに火降らせましょうかという言葉があるが)イエスにおいては隣のサマリア人は入り、隣人を愛することは福音書の時代においては異邦人全体に及んでいたと思います。
男女の「愛」も時代で異なる。
「愛の歴史」
https://www.fujiwara-shoten.co.jp/whatsnew/ki_200412-02/
>>[69]
ジャック・アタリの「愛の歴史」は表紙がアダムとエヴァです。
http://www.harashobo.co.jp/smp/book/b368545.html
「史的イエス」っていう言葉が、ピンとこないんだけど。

おそらくいたであろう「イエスのモデルのような人」のことで言えば、
いくつかの推論は成り立つよね。

よく言う「エッセネ派っだったんじゃないか?」とかそういうやつ。

まず神の子イエスっていう新約聖書のテーマのような「幼稚な妄想」は捨てる。
そこからでてくるのは、複数いたかもしれないモデルイエス。
基本、ユダヤ教改革者。これは多分共通。
エッセネ派よりの気はするけれど、全てがそうかというと微妙。

*福音書はキリスト教の立場で創作されているので、
 もともとユダヤ教徒であったモデルイエスの言動通りにはかけない。
 福音書作者によっても、創作の質が変わってくるし、
 モデルイエスが複数の可能性を匂わせる。

そういったなかから、「多分こうじゃないか?」を抽出するのは別に良いのだけれど、
信仰というインチキフィルターを掛けないことが望ましいね。
>>[24]

隣人のために知識を活かして思想を演習していたので、遅れました。
アスランの正確な経歴は以下です。
1972年にテヘランで生まれ、1979年のイラン・イスラーム革命時に家族とともにアメリカに亡命した(イラン革命の嫌悪から無神論の家庭となる)。・・高校時代の夏休みに参加した福音伝道キャンプで初めてイエスに出会い、感銘してキリスト教の洗礼を受けた。・・カトリックのサンタ・クララ大学に進学し宗教学を専攻した。しかし、聖書を読めば読むほど、福音書にあるイエスと、歴史上の人物としてのイエスの間に隔たりがあることに気付き・・信徒として学徒として挫折(指導を受けイスラームの信仰と文化を研究してイエスは友人と気づく、ムスリムに転向する。アイオワ大学創作学研究科に進む)、ハーバード大学神学部で比較宗教学の修士を取得したのちですアイオワ大学の宗教学部でイスラーム入門講座の講師を勤める。
>>[72]
とビズレ
(やはり、バイブルキャンプで入信というのは動機として弱い気がする。召命観の問題かなぁ。教会・聖書教育の限界性かもしれない。やはり、なんかしらの超越現象がないと)
>>[72]
「イエスは実在したのか?」(アスラン、白須訳、文藝春秋)350ページ以下。
訳者あとがき参考。また、読み終えた。基本は「イエス伝」文学かと思います。

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