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キリスト教(聖書)への素朴な疑問コミュの預言書(イザヤ、エレミア、ホセア)について

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エゼキエル書以外に関連スレがなかったので上げておきます。
https://kotobank.jp/word/%E9%A0%90%E8%A8%80%E6%9B%B8-146004

「預言書
旧約聖書の三大区別の一つ。ヘブライ人は聖書をその意味内容に従って「律法」 (モーセ五書) ,「預言書」,「諸書」 (ハギオグラファ) に分けたが,その第2群をいう。構成的には,歴史書に入る「前預言書」すなわち『ヨシュア』『士師』『サムエル上下』『列王上下』と「後預言書」から成る。後者はさらに『イザヤ』『エレミヤ』『エゼキエル』の「三大預言書」と「12小預言書」すなわち『ホセア』『ヨエル』『アモス』『オバデヤ』『ヨナ』『ミカ』『ナホム』『ハバクク』『ゼパニヤ』『ハガイ』『ゼカリヤ』『マラキ』に分けられる。大小というのは分量による区分である。通常,預言書というのは特にこの「後預言書」をさす」

コメント(143)

>>[103]

で、エゼキエルの妻を殺すわけ?
わけわからん。
>>[102]
ふしだらな妻がいる預言者に、唇が汚れた預言者に、政府に反発する輩ばかりでは、いかん。有徳の祭祀あたりを預言者にしないと。
自由主義を締めないとという意味ですが
>>[102]
イリアさんはホセアかイサヤかと
wikiにも通説が在りますが、エゼキエルは?な存在で妻が陥落前に死去も伝説かと。
「エゼキエルの生涯に関してはエゼキエル書以外に記載は無く、そのエゼキエル書も個人的な記述が非常に少ないために不明な部分が多い。」
>>[108]
詳しくはエゼキエルは他にスレがあるのでそちらで触れるが、私がエゼキエル(他にもあるが出てきたときまた)をここで取り上げないのはイザヤとエレミアとその先行者であり、現代的意義のあるホセアを重視するからです。

>個人的な記述が非常に少ないために不明な部分が多い。」

確かにイザヤ、エレミアのように召命については詳しいが(「聖書の基礎知識―旧約編」ヴェスターマン、左近他訳)、ヘレニズム時代の黙示思想(千年王国という解釈もある。
https://www.google.co.jp/url?sa=t&source=web&rct=j&url=https://m.youtube.com/watch%3Fv%3DON13jsTlYho&ved=2ahUKEwj984rpnKLjAhX5y4sBHRUECGIQjjgwDXoECAgQAQ&usg=AOvVaw3rnAOt7FQrRGSaGITIDnLs )
が現れている。
黙示思想はヘレニズム時代のものである。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%99%E7%A4%BA
「紀元前2世紀から紀元1世紀にかけては、ヘレニズムの中心都市であるアレクサンドリアを中心に、ユダヤ人たちの間でギリシャ語でかかれた黙示文学が盛行し、多言語にも訳されるほどの流行を見た。この時期はしかし、パレスチナのユダヤ人国家が困難に直面した時期でもあった」
後の付加としては余りにも大量で、反対に召命の記事など過去をイザヤ、エレミアから編集したというのが自然です。
>>[104]
お互い教徒に妻がいるならとっくに教徒と一度くらい結婚している。エゼキエルの妻(まあ、ポートマンのように美人で敬虔)は無理、無理。肩凝りでギクッだし。
この際、ゴメルにマクダラに
イリアさんはイザヤでいくか、+ホセア?
>>[3]
『預言書』(『預言者』)が詰まらないというのがおかしい。


アメリカだかどこかの素人のケン・スミス『誰も教えてくれない聖書の読み方』晶文社、2001年、を読んで呆れた。「聖書で二度と読みたくない書大賞を堂々受賞」103頁と書いていたが、本当にその神経が分からない。ハッキリ言って金と時間の無駄な本だった。

私は特にエレミヤ書が預言者の中で一番面白く、大好きだ。
自分はイエスと論理上寸分違わず同じ事をやってきたけど、それでもイエスよりもエレミヤに強いシンパシーを感じる。「この地上にエレミヤがおったら自分がそれだ」ぐらいの感覚がある。だからエレミヤ書を心底から面白いと思っている。

ケン・スミスって人に信仰がないのは知ってるが、この人(エレオス氏)はどういう"信仰"生活を送っているのか?
本当に信仰持ってるのだろうか?
ひょっとして『詩篇』の素晴らしさも分からないのだろうか?
やっとイザヤ書を読み終わったと思ったら次はエレミヤ書。
おお、神よw
癒やし系の「Mothra Thema&song」を聴きながら「エゼキエル」の解説書を読んでます。オーケストラのサビのところがとても良い。YouTubeでも大変な人気です(ザピーナッツの音源も今も使われ、双子ならではの完璧なハーモニーだが)。

イザヤ(123)、エレミアは原典も文も文字の並びが良いが、それは長い間の編集かもしれない。しかし、バランス、内容からいって偏りがなく抜本的な変更はない気もします。
ホセアは並びがバラバラだとされるが、それだけ内容は編集されてない訳です。

エゼキエルは捕囚時代のことを見事にヘレニズムにつなげ文体、文字列が整然、つまり編集者作??
>>[113]

私はエレミアはかなり好きです。庭にアーモンドもまだ、実がならないが? 雨が多すぎるかも知れない。
干魃の年にはなるかと思います。

近所では梅とか桃みたいな桜ですね、ですが。
まあ、桃もかなり近い
>>[112]

ふむ。

では、とりあえず、ナホム書の魅力について語ってくれ。
割り込み失礼します。
私は小預言書はホセア書除き、ナホム書、マラキ書などは概論だけですが。
https://kotobank.jp/word/%E3%83%8A%E3%83%9B%E3%83%A0%E6%9B%B8-108429
ナホムしょ【ナホム書 Book of Nahum】
旧約聖書の〈12小預言者〉に属する預言書。ナホムについてはエルコシの出身というほかに何も知られていない。彼の預言は前612年アッシリアの都ニネベが,新バビロニアによって滅ぼされることを主題としている。1章1〜9節には〈いろは歌〉の技巧を使っており,1章12,13,15節,2章2節にはユダ王国の救いについての預言も見られる。《ナホム書》はアッシリアの属領状態から脱しようとするユダの民族的預言である。【木田 献一】
ニネベ
wikiはいのちのことば社の写しなので下記サイト
https://ameblo.jp/worldhistory-univ/entry-11907546868.html
ニネベは1400年存続した都市で王立図書館で知られますね。

この書もナホムも不詳の人物であり、不明。

福音派的には妬み復讐するという神が描かれているとされますね(服従するものには祝福ですが、歴史的にはそうなってない問題が出る訳です)。
>>[117]

ナホム書とヨナ書のどちらが、
アッシリアに対する神の態度なの?
>>[118]
ナホム書はある程度古い書でまだ、アッシリアへの恨みがあった時代と思います。
ヨナ書は文学でしたが、後にアッシリアがなくなるとこちらが流行ったのではと思います。
聖書は社会・政治情勢にも関係ありますね。
新約でも、明確なのはユダヤ教と緊張関係にあったマタイはユダヤ民族の呪いを残してますし、ローマ対立期のヨハネ黙示録はローマ帝国をパビロンと読んでいる。ネロは666だし。
宗教的作品は観衆、詠み手によって取り方はまちまちで、伝承は多様に拡がっていくのが、最近の映画の聖獣に対する伝承でわかります。これが外国となるとさらに多彩になる。日本の制作側ではストーリーも解釈は決まっているのだが、実に多彩。
またか、と思われるので名前はあげませんが。
>>[121]
実は「ゴジラ」はあまり流行ってない。
それは日本の制作者も外国の制作者も映画の主役を間違えているからだと思うが。モスラには夢中。
モスラが弱いものの救い主で平和の神である線だけは啓示(^^;、。

彼らが日本の音楽に感じるものは我々がネパールの音楽に感じるものよりも遥かに大きい。
キリスト教の音楽は肩が、なにか変に締め付けられる感が、魂が解放され楽になる音楽にしないと。
音楽性が低いし(^^;、
みんなそういってる。次のアルバム、ミュージック!
>>[115]
旧約の預言書ばっかり読んでると、祝福されるどころか呪われてるような気分になってくるんですよw
>>[125]

違うw

…聖書のテキスト上、神は自分が嘘つきと思われても平気なのだ。
評判より愛をとるのさw
>>[126]
まーた屁理屈が始まったよw
はいはいワロスワロスw
ホセア書
口語訳1955
1:10 しかしイスラエルの人々の数は海の砂のように量ることも、数えることもできないほどになって、さきに彼らが「あなたがたは、わたしの民ではない」と言われたその所で、「あなたがたは生ける神の子である」と言われるようになる。
1:11 そしてユダの人々とイスラエルの人々は共に集まり、ひとりの長を立てて、その地からのぼって来る。エズレルの日は大いなるものとなる。
2:1 あなたがたの兄弟に向かっては「アンミ(わが民)」と言い、あなたがたの姉妹に向かっては「ルハマ(あわれまれる者)」と言え。
***
しかし、ホセア書は祝福の部分も多い。
ある意味、祝福の書でもある。
ローマ人への手紙にも引用されキリスト教でも重要ではある。
口語訳 ロマ 9:25
9:25 それは、ホセアの書でも言われているとおりである、/「わたしは、わたしの民でない者を、/わたしの民と呼び、/愛されなかった者を、愛される者と呼ぶであろう。
少し戻りますが
ホセア書
1:5 その日が来ると/イズレエルの平野で/わたしはイスラエルの弓を折る。」

イエスの時代には荒廃し、中東戦争時に、確かにアラブ解放戦線の陣地になり、1949年の休戦ラインの北側ですが。
「まだ生まれぬ前に」
エレミア書 口語訳1955
1:4 主の言葉がわたしに臨んで言う、
1:5 「わたしはあなたをまだ母の胎につくらないさきに、あなたを知り、あなたがまだ生れないさきに、あなたを聖別し、あなたを立てて万国の預言者とした」。
1:6 その時わたしは言った、「ああ、主なる神よ、わたしはただ若者にすぎず、どのように語ってよいか知りません」。
1:7 しかし主はわたしに言われた、「あなたはただ若者にすぎないと言ってはならない。だれにでも、すべてわたしがつかわす人へ行き、あなたに命じることをみな語らなければならない。
1:8 彼らを恐れてはならない、わたしがあなたと共にいて、あなたを救うからである」と主は仰せられる。
1:9 そして主はみ手を伸べて、わたしの口につけ、主はわたしに言われた、「見よ、わたしの言葉をあなたの口に入れた。
1:10 見よ、わたしはきょう、あなたを万民の上と、万国の上に立て、あなたに、あるいは抜き、あるいはこわし、あるいは滅ぼし、あるいは倒し、あるいは建て、あるいは植えさせる」。
1:11 主の言葉がまたわたしに臨んで言う、「エレミヤよ、あなたは何を見るか」。わたしは答えた、「あめんどうの枝を見ます」。
1:12 主はわたしに言われた、「あなたの見たとおりだ。わたしは自分の言葉を行おうとして見張っているのだ」。
その他邦訳
http://bbbible.com/bbb/bbbjer011.html#jer1.4-19

ガラテア 口語訳1955
1:10 今わたしは、人に喜ばれようとしているのか、それとも、神に喜ばれようとしているのか。あるいは、人の歓心を買おうと努めているのか。もし、今もなお人の歓心を買おうとしているとすれば、わたしはキリストの僕ではあるまい。
1:11 兄弟たちよ。あなたがたに、はっきり言っておく。わたしが宣べ伝えた福音は人間によるものではない。
1:12 わたしは、それを人間から受けたのでも教えられたのでもなく、ただイエス・キリストの啓示によったのである。
1:13 ユダヤ教を信じていたころのわたしの行動については、あなたがたはすでによく聞いている。すなわち、わたしは激しく神の教会を迫害し、また荒しまわっていた。
1:14 そして、同国人の中でわたしと同年輩の多くの者にまさってユダヤ教に精進し、先祖たちの言伝えに対して、だれよりもはるかに熱心であった。
1:15 ところが、母の胎内にある時からわたしを聖別し、み恵みをもってわたしをお召しになったかたが、
1:16 異邦人の間に宣べ伝えさせるために、御子をわたしの内に啓示して下さった時、わたしは直ちに、血肉に相談もせず、
1:17 また先輩の使徒たちに会うためにエルサレムにも上らず、アラビヤに出て行った。それから再びダマスコに帰った。
***
その他邦訳
http://bbbible.com/bbb/bbbga01.html#ga1.10-17
>>[131]
ヘブライ語
エレミア1(エレミアッハ アレフ)
http://www.sacred-texts.com/bib/tan/jer001.htm#001
左側の本文が右から左読み、右側の発音記号が左から右
(サイトによってはコピーすると文字が全部反対方向にに移されるところもあるので注意)
ヒアリング
http://www.mechon-mamre.org/mp3/t1101.mp3
wayəhî ḏəḇar-yəhwâ ワイエーヒ ダバール以下が4節
>>[131]
ガラテア
1:10 αρτι γαρ ανθρωπους πειθω η τον θεον η ζητω ανθρωποις αρεσκειν ει γαρ ετι ανθρωποις ηρεσκον χριστου δουλος ουκ αν ημην

1:11 γνωριζω δε υμιν αδελφοι το ευαγγελιον το ευαγγελισθεν υπ εμου οτι ουκ εστιν κατα ανθρωπον

1:12 ουδε γαρ εγω παρα ανθρωπου παρελαβον αυτο ουτε εδιδαχθην αλλα δι αποκαλυψεως ιησου χριστου

1:13 ηκουσατε γαρ την εμην αναστροφην ποτε εν τω ιουδαισμω οτι καθ υπερβολην εδιωκον την εκκλησιαν του θεου και επορθουν αυτην

1:14 και προεκοπτον εν τω ιουδαισμω υπερ πολλους συνηλικιωτας εν τω γενει μου περισσοτερως ζηλωτης υπαρχων των πατρικων μου παραδοσεων

1:15 οτε δε ευδοκησεν ο θεος ο αφορισας με εκ κοιλιας μητρος μου και καλεσας δια της χαριτος αυτου

1:16 αποκαλυψαι τον υιον αυτου εν εμοι ινα ευαγγελιζωμαι αυτον εν τοις εθνεσιν ευθεως ου προσανεθεμην σαρκι και αιματι

1:17 ουδε ανηλθον εις ιεροσολυμα προς τους προ εμου αποστολους αλλ απηλθον εις αραβιαν και παλιν υπεστρεψα εις δαμασκον

http://bibledatabase.net/html/stephanos_1550/48_001.htm
>>[132]
‎4 ‏וַיְהִ֥י דְבַר־יְהוָ֖ה אֵלַ֥י לֵאמֹֽר׃
‎5 ‏בְּטֶ֨רֶם אצורך אֶצָּרְךָ֤ בַבֶּ֙טֶן֙ יְדַעְתִּ֔יךָ וּבְטֶ֛רֶם תֵּצֵ֥א מֵרֶ֖חֶם הִקְדַּשְׁתִּ֑יךָ נָבִ֥יא לַגּוֹיִ֖ם נְתַתִּֽיךָ׃
‎6 ‏וָאֹמַ֗ר אֲהָהּ֙ אֲדֹנָ֣י יְהוִֹ֔ה הִנֵּ֥ה לֹא־יָדַ֖עְתִּי דַּבֵּ֑ר1 כִּי־נַ֖עַר אָנֹֽכִי׃ פ
‎7 ‏וַיֹּ֤אמֶר יְהוָה֙ אֵלַ֔י אַל־תֹּאמַ֖ר נַ֣עַר אָנֹ֑כִי כִּ֠י עַֽל־כָּל־אֲשֶׁ֤ר אֶֽשְׁלָחֲךָ֙ תֵּלֵ֔ךְ וְאֵ֛ת כָּל־אֲשֶׁ֥ר אֲצַוְּךָ֖ תְּדַבֵּֽר׃

>>[132]

‎8
‏אַל־תִּירָ֖א מִפְּנֵיהֶ֑ם כִּֽי־אִתְּךָ֥ אֲנִ֛י לְהַצִּלֶ֖ךָ נְאֻם־יְהוָֽה׃
‎9 ‏וַיִּשְׁלַ֤ח יְהוָה֙ אֶת־יָד֔וֹ וַיַּגַּ֖ע עַל־פִּ֑י וַיֹּ֤אמֶר יְהוָה֙ אֵלַ֔י הִנֵּ֛ה נָתַ֥תִּי דְבָרַ֖י בְּפִֽיךָ׃
‎10 ‏רְאֵ֞ה הִפְקַדְתִּ֣יךָ׀ הַיּ֣וֹם הַזֶּ֗ה עַל־הַגּוֹיִם֙ וְעַל־הַמַּמְלָכ֔וֹת לִנְת֥וֹשׁ וְלִנְת֖וֹץ וּלְהַאֲבִ֣יד וְלַהֲר֑וֹס לִבְנ֖וֹת וְלִנְטֽוֹעַ׃ פ
‎11 ‏וַיְהִ֤י דְבַר־יְהוָה֙ אֵלַ֣י לֵאמֹ֔ר מָה־אַתָּ֥ה רֹאֶ֖ה יִרְמְיָ֑הוּ וָאֹמַ֕ר מַקֵּ֥ל שָׁקֵ֖ד אֲנִ֥י רֹאֶֽה׃
‎12 ‏וַיֹּ֧אמֶר יְהוָ֛ה אֵלַ֖י הֵיטַ֣בְתָּ לִרְא֑וֹת כִּֽי־שֹׁקֵ֥ד אֲנִ֛י עַל־דְּבָרִ֖י לַעֲשֹׂתֽוֹ׃ פ
**
符号付きだと、字数が多くわけなければならない。
>>[131]
説教学について
https://kotobank.jp/word/%E8%AA%AC%E6%95%99%E5%AD%A6-87207
「せっきょうがく
homiletics
説教の目的,本質,構造,技術について研究する実践神学の一部門。ギリシア語のホミリアは「会話,交わり」を意味し,初代教会では聖書の語句の注釈的な話のことで,これにとらわれないセルモと区別された。しかし,現代の説教学が扱うホミリアは,その対象や方法が異なっても,聖書に記されている神の言葉を教会の公同礼拝において現実の生きた言葉として語ることである。説教学は,時代の意識や哲学と折衝しつつなす,ホミリアの準備と反省の学である」

結果的に、トライでなかったホミリアとセルモは同義に近いものになるようにも思えます。
>>[137]
「時代の意識や哲学と折衝しつつなす,」
問題はこの点にあり、100人100様の説教になるわけです。時代時代の思想と哲学の伝統というのも様々でそれを解釈するからです。

しかし、聖書の注釈、現代では歴史批判は学問的にできる部分でここから出発する必要はあると思えます。
>>[137]

少し違う視点からの「説教学」の解説もあります。
かなり、参考になるようにも思えます。
http://biblestyle.com/theology/practice3.html

説教を新約の用語から考えロゴスと見るところに特徴があります。
これは長く伝承されたエレミアの口伝承と弟子の解説、申命史観の編集者の編集からなるともされます。
1から3節は弟子の解説に編集者の編集が入ったテキスト、エクリチュールと見られます。
この召命の場面はエレミア自身の言葉に近いパロールであるこれは確かです。
昔の解説者もこの召命の場面には神と人間とのダイナミックでいきいきとした会話(パロール)があるとしてます。 
ある意味、申命史観の編集者が自らのエクリチュールにすることにより、スターテックでつまらないものにしたかもしれません。
エレミア書 新共同訳1987
2:1 主の言葉がわたしに臨んだ。
2:2 行って、エルサレムの人々に呼びかけ/耳を傾けさせよ。主はこう言われる。わたしは、あなたの若いときの真心/花嫁のときの愛/種蒔かれぬ地、荒れ野での従順を思い起こす。
2:3 イスラエルは主にささげられたもの/収穫の初穂であった。それを食べる者はみな罰せられ/災いを被った、と主は言われる。
2:4 ヤコブの家よ/イスラエルの家のすべての部族よ/主の言葉を聞け。
**
離反したイスラエルの民への言葉
自由スレでイエス・キリストが言った神の国の祝宴はエレミア書からも解釈できますね。
エレミア書
31:10 万国の民よ、あなたがたは主の言葉を聞き、これを遠い、海沿いの地に示して言いなさい、『イスラエルを散らした者がこれを集められる。牧者がその群れを守 るようにこれを守られる』と。
31:11 すなわち主はヤコブをあがない、彼らよりも強い者の手から彼を救いだされた。
31:12 彼らは来てシオンの山で声高く歌い、主から賜わった良い物のために、穀物と酒と油および若き羊と牛のために、喜びに輝く。その魂は潤う園のようになり、彼 らは重ねて憂えることがない。
31:13 その時おとめたちは舞って楽しみ、若い者も老いた者も共に楽しむ。わたしは彼らの悲しみを喜びにかえ、彼らを慰め、憂いの代りに喜びを与える。
31:14 わたしは多くのささげ物で、祭司の心を飽かせ、わたしの良き物で、わたしの民を満ち足らせると/主は言われる」。

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