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キリスト教(聖書)への素朴な疑問コミュの神は隠れているか?

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「裸の神は、哲学者の神」とルターは断じました。

「隠されたる神」は、元はイザヤ45:15由来ですが、ルターの思想の根幹です。

ハイデルベルク討論には、次なようにあります。
「19 神の見えない本質が、被造物によって理解されると認める者は、神学者と呼ばれるに相応しくない。
20 しかし、神の見える本質と、神のうしろとが、受苦と十字架とによって理解されると認める者は、神学者と呼ばれるにふさわしい」

奴隷意志論では、隠されたる神は、「自己の本性と荘厳をもって」統べられ、「全てにおいて全てをなされる神」であり、
この神と人間との間にはなんの関わりも交わりもない。

とのこと。

露わにされるのはただ一つ、受苦と十字架上だけというルター。
皆さんは、神は隠れていると思いますか。

コメント(278)

>>[15]

〉モーゼはユダヤ人らしく、納得しないことに反論しますが、神は頑固で押し切ってしまいます。

「私だ」でユダヤ人全員に分かるという点に納得しないモーセって、ユダヤ人らしいと言えないのではないか?というツッコミは、しない方がいいですか?w
>>[239]

赤ん坊の時に、エジプト人に拾われて育てられていますから

考え方もライフスタイルもヘブライ人らしくはないでしょうね。

ちなみにモーセはユダヤ人(ユダ族)じゃなく、レビ人なんですけどね(笑)

割込失礼します。

モーセがレビ人であるという指摘は鋭いと思いました。

偉大な指導者のモーセは奇しき神の恵みにより、王女に見出され、エジプトの王家に育てられた訳ですね。
このあたり、神は隠れながらも救いの手を伸ばしています。
そもそもモーセという名前自体、エジプト風らしいので、実はエジプト人だったという可能性もある。
主の再臨
https://tocana.jp/2019/05/post_96664_entry.html
>>[240]

国籍というニュアンスとしてのユダヤ人は南朝ユダ王国以後に誕生したと思われ、その中にはレビ人も含まれるわけですが、モーセの時代はイスラエル人と呼ぶべきかと思いますw

ただ、公式なユダヤ人の定義がユダヤ教徒であることを考えればユダヤ教の開祖であるモーセをユダヤ人と見なすことは妥当かとw
>>[242]
割込失礼します。
信仰の事実、問題でなく、歴史の探求になりますが。
いわゆるローマ教会では近代主義、自由主義の立場の旧約学の意見ですね。
レビ人はエジプトの神官であった可能性もあるようです。
いずれにしても、出エジプトの伝承層ではないかと思います。
>>[244]


この当時は諸外国・異民族からはヘブライ人と呼ばれてましたね。

イスラエルの子らとかイスラエルの人々は自称です。

パウロも自分の部族を大切にしていましたね。

ローマの信徒への手紙 11章 01節
では、尋ねよう。神は御自分の民を退けられたのであろうか。決してそうではない。わたしもイスラエル人で、アブラハムの子孫であり、ベニヤミン族の者です。

フィリピの信徒への手紙 03章 05節
わたしは生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、

>ただ、公式なユダヤ人の定義がユダヤ教徒であることを考えればユダヤ教の開祖であるモーセをユダヤ人と見なすことは妥当かとw

現代のユダヤ教やユダヤ人によるユダヤ人の定義は、聖書とは何の関係もありません。聖書の時代のユダヤ人は男系、現代のユダヤの定義は、ユダヤ人の母親から生まれた人やユダヤ教徒を指すもので別物。

>>[242]

モーセ(モシェ)はエジプト語のメス(彼は子を産んだ)という言葉から来ているとされていますね。

聖書のヘブライ語のマーシャーは後付けです。エジプトの王女が奴隷の言葉で名を付けるわけはありませんから。

通常メスの前に神々の名前が来ます。有名なところで

ラムセス(ラー+メス)

トトメス(トート+メス)

などが分かりやすいでしょう。

モーセもエジプト人として生活していたときには、何らかの神々の名がついていたことでしょう。

>>[247]

「私」という名前に納得しない人物の名前が「息子」って考えると、また違う面白さがw
>>[246]

現代のユダヤ教のラビが「ユダヤ人らしい」と表現しているわけですから、聖書とは別物の定義を当てはめてるという点で妥当かとw
>>[248]

アブラハムの神に名前がないから、後代のヤフェスト文献による神の名ヤハウェからのヤフメス(ヤハメス)とかにならずに、元々の神々の名を外しただけのメス(モシェ)としたのかもしれませんな。



>>[249]

現代のユダヤのラビがどう考えようと、学問的な事とキリスト教には関係ない話です。

彼らの解釈の一つにそのようなものがあると知るだけで十分でしょう。

つーか、モーセ自身フィクションなわけだから…
>>[252]

モーセの名前が、エジプト語のメスに由来するのであれば、エジプトからヘブライ人などの出エジプト(追放?、脱出?、逃亡?)をなした集団またはその子孫に伝わる古い伝承層になり、モーセ自体が実在しなかったとしても、歴史的にエジプトから出た集団につながるもので、フィクションだと切り捨てるのもどうかと。

>>[253]

モデルというか、伝承はあったでしょうけど、ねえ。
>>[254]

ヤフェスト文献もエロヒスト文献も分裂王国時代以降のものでカナン化されてますし、また、どちらも捕囚後のバビロニア・ペルシャのバイアス補正かかってますから、カナン定住のころやそれ以前のエジプトの文化の出エジプト集団の記述は、現行トーラーには断片的に見られるだけですから、モーセ自体も貴重な存在ですね。

>>[250]
ヤハウェ系の人名が最初に登場する例はヨシュアで、それ以降の王国時代になってからヤハウェ系の人名が数多く見られるようになる。
ここから推測すれば、古代イスラエル人の間でヤハウェ信仰が主流となるのはカナン定住以降らしいですな。
>>[253]
エジプト側の史料に奴隷がカナン方面に逃亡したという記録が何度か見られます。
恐らくそうした逃亡奴隷と元々カナンに住んでいた原住民の一部が合流したのが古代イスラエル人の原型でしょう。
>>[257]

良い検証だと思います。
逃亡奴隷とともに、率いたエジプトの祭祀もいたかも知れません。
>>[256]
その通りです。
だんだんとヤーウェ信仰が形成された訳です。

ヤーウェ信仰で大切なのは逃亡奴隷たちの経験とエルシャダイ、山岳信仰かと思います。
>>[257]

カナァン出身のヤコブの子らの名前で、ヤハウェに因むものはユダ(イェフーダ、 יְהוּדָה、Yehuda)だけですね。ハラン出身のレアの「わたしは今、主(ヤハウェ)をほめたたえる」からですからヒッタイトに関係があるかもしれませんね。

逃亡奴隷説は有名ですね。

また、アクエンアテン亡き後、その重臣や一族、アテン神官の一族の追放や逃亡がイスラエルの子らと呼ばれる集合民族ヘブライ人の核となったという説もありますね。

>>[260]

エジプトに山岳信仰はありませんでしょう。

それはカナァン定着後の土着化で山の神ヤハウェという考えが入ってきたのでしょう。

>>[261]
それだと古代ユダヤ教の中にエジプト的要素が見いだせないとおかしいはずですが、何かそういう根拠でもあるのでしょうか。
私が知る限りでは、旧約聖書にしばしば見られる「主は(南方からの風に乗って現れる」という記述や、あるいはモーセがシナイ山の頂上で十戒を授かったという記述を元に、ヤハウェはもともとパレスティナ南部からアラビア半島北西部一帯にかけて崇拝されていた嵐の神や山(火山?)の神と、カナン土着の神(エルあるいはエロヒーム)が融合したものであり、エジプトのアテン神のような太陽神的要素は乏しいように思うのですが。
リベラル神学は、普通のノンクリには刺激が強過ぎるようだ。
>>[262]

山岳信仰と呼べるかどうかは別にして、モーセとアロンが合流したのはエジプトの荒野にある神の山だったと書いてあるw
>>[263]

神の箱の描写などは、第十八王朝時代の出土品のアヌビスの櫃、翼をもつイシス像や翼をもつスフィンクスなどの意匠にとても近いものですね。

また、ヘブライ人たちの墓への執着など、エジプト的要素は断片的に残っていますね。

シナイ山については、現在のジェベルムーサが果たして本当にシナイ山であったのかは分かってはいませんね。

ゼカリヤ書9章以下は、ペルシャ時代の預言者ゼカリヤと別な第二ゼカリヤの文書ですね。トーラーとは時代が違いますね。


>>[267]

それは後代の研究者が勝手に言ってるだけの話で、仮に元々の文献としてE資料J資料があったとしても、それを纏めたのは当のモーセw
だからこそモーセ五書として語り継がれて来たのであり、その世界観を否定してしまえば新約聖書の前提も崩壊し、キリスト教は単なる絵空事になってしまうw

ヤハウェイストにしろエロヒストにしろ、後に聖書を編纂する者自身が神の直接啓示を受けられる預言者であると想定しなければ聖書の人類史としての資料性は全くないわけで、高等批評など机上の空論以外の何者でもなく、イエス・キリストを信じる立場においては御言葉の前提となるユダヤの伝承も含めて丸飲みしなければイエスがキリストであるという根拠すら見失うことになるw

ナザレのイエスがトーラーをモーセの書だと認めていたのなら、歴史的にもそれが真実なのであり、疑う余地はないw
>>[250]

名前のない神の息子ならばエルメスという呼び方も出来たはずで、ダシャレ好きな神の計らいを考えるなら、エジプト時代の名前はヘルメスだったかもしれないw

しかし、その名のヘブル語の意味はキリストを表し畏れ多いため、ヘブライ人としては神の名をみだりに唱えないようエルを外して本来の名前をモーセとし、救い主という意味を「引き上げる」という言葉に封印したw

と、考えるとモーセの実在性がリアルに感じられるわけで、信仰者としてはイリアさんのようにモーセの存在を否定するようなガラクタな神学は趣味の範囲に留め、聖書が歴史的にも真理を語っているという前提は大事ですw
>>[268]

>仮に元々の文献としてE資料J資料があったとしても、それを纏めたのは当のモーセw

ヤフェスト文献は南ユダ王国で成立、エロヒスト文献は北イスラエルで成立、これ等を編纂してまとめたのはバビロニアから帰還後(笑)

それをモーセがどうやってまとめる(笑)

>エルメスという呼び方も出来たはず

エールはエジプト語じゃないし(笑)


モルモンの聖書に対する無知蒙昧にはただ疲れるだけ。

あなたにまともな聖書論議などできないのだからチャチャ入れはやめなさい。

>>[269]

一応。

モーセ五書をまとめたのはエズラですぞ。
ちゃんとエズラ記に書いてありますので、よろしく。
>その世界観を否定してしまえば新約聖書の前提も崩壊し、キリスト教は単なる絵空事になってしまうw

何を今さらw
>>[263]

割込失礼します。
今のシナイ山とされる山でなく、3000m級のラス・サファというのが有力です。
wikiにもあります。
「一部の聖書学者たちは、その北側のラス・サフサファ(Ras Safsafeh / Sufsafeh)をシナイ山と同定している」
聖書時代史のホフマイヤーやギンクラスらだと思いますが、ジェベル・ムーサー(2285m)より高くかなり険しいようです。


大体、山の雰囲気からすると、北アルプスがシナイ山、南アルプス、谷川連峰がヘルモンかと思いますが。
>>[276]
悪いが山にはあまり興味がないんですw

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