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キリスト教(聖書)への素朴な疑問コミュの雅歌について

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雅歌についてWikiには下記のような記述がみられるのみである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%85%E6%AD%8C
『雅歌』(がか シール・ハッ=シーリーム, [Shir ha-shirim] 独: Hohes Lied, 英: Song of Songs
あるいは the Song of Solomon)はヘブライ聖書の中の一編。男女の恋の歌であり、ユダヤ教では
「諸書」のうちに入る。
キリスト教では伝統的に預言書の前に置かれる。恋愛と男女の賛美を歌い上げる詩であるため、扱
いをめぐって古来から議論が絶えなかったが、さまざまな経緯を経て正典におさめられた。キリスト教
の置換神学においては比喩的に解釈して「キリストと教会の関係」を歌う歌であるという解釈がされて
きた。ある
意味、異色の作品である。

https://kotobank.jp/word/%E9%9B%85%E6%AD%8C-43274

雅歌
がか
Song of Songs
『旧約聖書』のなかの一書。ヘブライ語の原題は「歌の中の歌」で、もっとも優れた歌の意。ソロモン
王の作に帰せられているが、ソロモンの名が本文中に何度も出てくるのをみると(1、3、8章)、かえっ
てソロモンの作でないことは明らかである。雅歌には、男女がお互いに相手の美しさをたたえる歌が交
互にみられるので、元来男女の愛を描いた戯曲的な作品であるという説もある。しかし、戯曲としての
一貫した筋をたどることは困難である。むしろ古代イスラエルにおける結婚式の祝いの場で、さまざま
に歌い交わされた歌を集めたとみるのが妥当であろう。雅歌の起源については明らかではないが、エジ
プトの恋愛詩などとの類似も指摘され、エジプトの影響が強かったソロモン王時代を考えることも不可
能ではない。[木田献一]
**
結婚式の他、下記の「Song of Songs: A Close Reading」などの注解書においても雅歌は「出エジプト
記」とともに過越祭において読まれてきたとあります。
ラテン語でCanticum canticorum

原典
BHS
https://www.academic-bible.com/en/online-bibles/biblia-hebraica-stuttgartensia-bhs/read-the-bible-text/bibel/text/lesen/stelle/22/10001/19999/ch/c23971e897454e2f484085015fbb5fb3/
無料のせいか、読みづらいので下記の対訳が良いと思います。
http://www.mechon-mamre.org/p/pt/pt3001.htm

朗読
http://www.aoal.org/hebrew_audiobible.htm#SongofSongs
結婚式、過越祭で慣れているのか、他の書に比べて上手い。

文学的研究の実際
手に入りやすく、実際に教会の釈義に役立ちそうなのを選びました。Kindleで手に入ります。
サイトですぐ読めないものは避けました。
チュービンゲンの流れに属する米国バプテストのマーク・マックギネスの「雅歌の聖書神学への
選択的修辞法の考案への貢献」
https://www.amazon.co.jp/Contributions-Selected-Rhetorical-Biblical-Theology-ebook/dp/B01IQQ7NW2/ref=sr_1_cc_5?s=aps&ie=UTF8&qid=1489831970&sr=1-5-catcorr&keywords=Song+of+songs+theology#reader_B01IQQ7NW2”Contributions of Selected Rhetorical Devices to a Biblical Theology of the Song of Songs”

Contributions of Selected Rhetorical Devices to a Biblical Theology of the Song of Songs,
Mark McGinniss,Wipf and Stock Publishers,2008.
***
内容
第一章 導入
第二章 一人称代名詞の用法
第三章 修辞学的問い
第四章 詩的な特質
第五章 結論
補遣 1: 雅歌ヘブライテキストにおける一人称代名詞の出現の図
補遣 2: テーマ的な要素の概要の提案
参考書目

感謝
略記
第1章 導入
この研究は、雅歌(SoS=Song of songs)で使用されている3つの文学的考案、すなわち著者の用い
る一代人称代名詞、修辞的問い、およびそのページにある様々な特質を調べるものである。 これら
の文学的ツールの個々は歌のおのおの文脈の中で識別される。 いったんこれらの道具が特定される
と、この研究は、聖書の作者が神学的なメッセージを伝達するために修辞的にそれらをどのように使
用するか示唆を提供する。
このプロセスによって、読者はこの古代の愛の歌の聖書的な神学を理解することができるのである。
研究の必要性

本研究の合理化は7重である。(1)雅歌が神学を持っていないという主張を反論しようとする。
(2)聖書の神学のいくつかをこれらの文学的手段を通じて実証することによって、古典的な愛の歌
の寓意的な解釈を暗黙のうちに、健全な、文字通りの、文法的な解釈を提示することによって暗示す
る。 (3)それは、教会の理解と雅歌の使用を可能にする。 (4)完全な解説のためのシュルツ1)
の勧告に従うことによって、これまで詩の細かい作業をしていたが、その神学的推力を明確にする
ことには至っていない学究の注釈過程を完了させる。 (5)雅歌には多くの書が書かれているが、ま
だ問題が残っている。ソロモンの自身の役割は特に重要である; 1(6)修辞的方法論が採用されるか
もしれないことを実証することで聖書詩の研究をさらに進める古代ヘブライ語の詩から成果を用いて
(7)聖書神学的事業における文学的および神学的注釈の重要性を実証することによって、新しい地位
を築く。これまでのところ、文字通り文法的解釈学の観点から試みられたプロジェクトはない。

最初の合理化この研究は、雅歌における正当な聖書的神学の存在と、今日の教会に対するその有用性
を示す。 マルテンスは今日、聖書神学が教会のためのリソースとして必要であることを認識して
いる。「聖書神学は、米国における健診センターが国民に健康であることを示すように教会の健康に
与えることです。 キリストの体:聖書神学は、教会が現実のチェックを行い、信仰のコミュニティ
が信念の中で異常でも不足でもないことを確実にするためのリソースとして有用である。 信仰と行動
の規範は、聖書の神学の訓練が行われている教会のために重要である。

こうした視点は見落とされてきた。「雅歌は芸術的にもテーマ的にも美しいが、特に神学的に豊かで
はない」といった学派の学者の雅歌評価は誤りである。5この聖書の恋歌作者の様々な修辞的な装置の
使用を通じて、その歌は元の聴衆とその読者のための神学的なメッセージを今日再現することができ
る。これはマルルやグロスバーグなどの学者への挑戦でもある。 マルルは次のように書いています。
「旧約聖書は近代的な聴衆のためのものではなく、当時の人々のためのものでもないことが知られてい
る・・ 。さらに、困ったことには、同時代の一部の特定のエリートのために書かれたのではないかと
考えらる」。グロースバーグは、「この不思議な世俗的作品には、表面的な神学的、宗教的、道徳的な
意図はない。」という。
神学と雅歌の学者の注釈的な研究の間には、隙間が生じています。このプロジェクトは、それをまたぐ
ことを目指し、人間愛の側面について研究したストゥープ・バン・パラドン*)の目標にさらに貢献す
ることを目指しています。彼女は研究を要約し、今後の研究の必要性を以下のように示唆している。

青少年と青少年の間の愛では、性的な性的欲求を含め、人間の人格のすべての層が強調されています。
この愛は独特で忠実であり、雅歌で扱われるテーマです。この愛の中で、主に人類に対する神の愛のイ
メージばかりみると、雅歌のメッセージは評価されていません。人間の愛は、エロチックな性的次元を
含めて神聖であることを意味する1つの本質的ステップが省略されているからです。この認識は過去何
回も行われてきましたが、しばしばそれは学者が尻込みしています。この人間の愛をさらに調整し、学
際的に研究することで、結果を曝け出す出すことができます。


*)ストゥーヴァン・パリドン 現代アメリカにおける「雅歌」の研究者。下記の研究書のことを指
して用いられているものと思われる。
http://www.worldcat.org/title/song-of-songs-shir-ha-shirim-a-philological-analysis-of-the-hebrew-book/oclc/59002752
The Song of Songs = [Shir ha-shirim] : a philological analysis of the Hebrew book
P W Th Stoop-van Paridon 、Louvain ; Dudley, MA. : Peeters, 2005.
概説
”Presents a story that runs from "The Song of Songs" 1.2 to 8.14 with a cohesive structure,
which is comprehensible and logical.
This work employs consistent use of language, which means, for example, that the individual
speakers are recognisable. It is also a story of the love, which unites two people.”
「雅歌」1.2から8.14まで、理解可能で論理的なまとまりのある構造を持つ物語を提示する。
この作品では、たとえば、個々の話者を識別できる一貫した言語の使用されていることを意味し、
これは二人を結ぶ愛の物語でもある。

更に死海文書、エジプト恋愛詩などを含めた研究概説は以下参考。Google で引けます。
Perspectives on the Song of Songs,Anselm C. Hagedorn,Walter,Berlin,NY,2005.
https://books.google.co.jp/books?id=wahEDz68raQC&printsec=frontcover&dq=Song+of+songs&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwiu0cOxpuDSAhXIabwKHd9SA5UQ6AEIJDAB#v=onepage&q=Song%20of%20songs&f=false

注解書
https://net.bible.org/#!bible/Song+of+Songs+
よく読むと本文研究の他、歴史批判、エジプトの恋愛詩との比較考察もされていて高度。
カトリック
Song of Songs: A Close Reading,Gianni Barbiero,Brill,2011.Google である程度引けます。
https://books.google.co.jp/books?id=WRDpOELGNdcC&printsec=frontcover&dq=Song+of+songs&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwig_Y6TqeDSAhWMyrwKHQIyD4wQ6AEIOjAE#v=onepage&q=Song%20of%20songs&f=false
ユダヤ教や初期キリスト教における研究史解説が充実してます。
この本でも「雅歌はまず、恋愛詩として歌われたと仮定しなければならない」と書かれています(P3)。
プロテスタント
NIC”Song of Songs”Tremper Longman,Eerdman,UK,2001. Google で引けます。
https://books.google.co.jp/books?id=PDnMuOcIUjEC&printsec=frontcover&dq=Song+of+songs+Longman&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwjzteKfqeDSAhWMy7wKHXDdC70Q6AEIGjAA#v=onepage&q=Song%20of%20songs%20Longman&f=false
***
以上から得られる結論は、男女の間にも神の愛を見出すということが正典である理由にも思えます。
エロース∩アガペーという関係見出すのが、雅歌の視線だと思われます。本来のイエスの地域、時
代においては日本語の「愛」に近似すると思いますが・・。-+

コメント(87)

>>[41]

おいおいw

草木が豊富に繁ってない時点でアウトだw
>>[48]

最近のイリアさんは、人が壊れてしまったかのようでしてね。イリアさんの主張に無理や矛盾があっても、何故か気が付かない。

「エデンはバーレーンにあった」説に疑いを持たないのに、アトランティスが出てくるとオカルト扱いですからねぇ。

まあ、でも、「サハラは人為的に砂漠化された」との記事も、この間は出ていましたがね。アラル海の干上がりについても、あり得ないほどであるし…。
>>[33]

青椒肉絲と山芋と鮭の醤油炒めを食べて、寝ていました。
御飯はホーロー鍋で水を炊飯器を多めにして作っても美味しい。最初強火で沸騰したら弱火、あとは消化機能をつかう(無いものなら20分位)
>それから、モーセ族と言う分け方はしないと思いますが?レビ族には、モーセ系とアロン系が居るそうです

私はイスラエルをパレスチナの原住民とパレスチナに集まった人々の共同体と考えてます。
(元々、パレスチナにいたヘブライ人が飢饉でエジプトに行ったという先史は?です。エジプトには不明の遊牧民が渡来したという記憶しかない)
後にエジプトからやって来てモーセといわれるようになった大家族、グループをさして便宜上用いているだけです。モーセ氏族といってもいいかも知れません。
エジプトからやって来た一群です。
>>[49]

いや、イリアさんは一貫して何かを主張するタイプではなく、その場に合わせて自身の持つ抱負な知識の断片を紹介しているに過ぎないw
だから前に言ったことと矛盾していてもソースが異なっているだけで、イリアさん自身が矛盾しているわけではないw

偏屈なリアリストなのでアトランティス大陸は認めないが、アトランティスは固有の大陸ではなくサントリーニ島にあったという説なら大好物だったりw
>>[51]

偏屈とはw
そりゃまあ、サントリーニ島がモデルだった、みたいな話なら乗りますが…
創世記の天地創造自体、
氷河期の終わりの海水面上昇(日本で言えば縄文時代)が収まり、
海水面が低下していった現象に由来するともされる。

海水面上昇時は、今のバグダッドの辺りまで海岸線が迫っていた。

海水が引いて、豊かな土壌が現れたら神の創造行為と古代人が感嘆しても当然だし、
実際、地層にはその痕跡がある。

また、メソポタミアは元々森林が覆っていた地域。
今の姿は伐採し過ぎた後の姿。

そんな状況で、現存してない二つの川の位置を含めて、
チグリス・ユーフラテス川沿いにエデンを探す方がナンセンス。

エルドラドやシャングリラの類。
まあ、スペイン人がエルドラドを求めて南米を放浪したり、
「シャングリラから爆撃機を飛ばしたw」という米の広報を真に受けて、
シャングリラを探させた某東條英機内閣総理大臣の真似事をしても、
暇つぶしにはなるかもしれません。
>>[50]

>後にエジプトからやって来てモーセといわれるようになった大家族、グループをさして便宜上用いているだけです。モーセ氏族といってもいいかも知れません。
エジプトからやって来た一群です。

この場合、バプ連の先生方は、「モーセの一団」とか「モーセの一群」とかと表現するようにしています。「モーセの一団」が多く使われますが…。

『イスラエルの12支族』にモーセ族は出て来ないので、混同を避けるために、そうしている。出エジプトはヤコブの子供達(と孫達)からだと何百年も後の話なので…。でも、下手なことを教えると混同する人が続出する。

どうも教団は、言葉遣いに適当だなぁ。
>>[53]

偏屈または頑固ですよ、イリアさんは…。

私が興味を持っているのは、こっち。月刊ムーのヘンテコリンな記事じゃない。

※※※※※※

大西洋の海底に「陸地」発見 アトランティス痕跡?
http://mw.nikkei.com/sp/#!/article/DGXNASDG07016_X00C13A5CR0000/

日本経済新聞 2013/5/7 10:32

 【リオデジャネイロ=共同】ブラジル・リオデジャネイロ沖の大西洋にある海底台地で、陸地でしか組成されない花こう岩が大量に見つかり、かつて大西洋上に大陸があったことが判明したと、海洋研究開発機構(神奈川県横須賀市)とブラジル政府が6日発表した。「アトランティス大陸のような陸地が存在した極めて強い証拠だ」としている。

海洋研究開発機構などが「大陸があった痕跡を発見した」というブラジル沖の海底

 アトランティスは大西洋にあったとされる伝説の古代大陸。高度な文明を誇り、約1万2千年前に沈んだと伝えられるが、これまで痕跡は見つかっておらず、実在したかを含め長年、議論を呼んできた。今回見つかった「大陸」は数千万年前に沈んだと推定され、人工構造物も現時点では見つかっておらず、時期や実態が異なるが、ロマンをかき立てる重要な発見といえそうだ。

 調査は、同機構の有人潜水調査船「しんかい6500」を使って実施。南大西洋での有人潜水艇による調査は初めて。同機構が4月末、リオから南東千キロ以上沖合の海底台地「リオグランデ海膨」を調べたところ、水深910メートルの地点に、高さ、幅それぞれ約10メートルの岩の崖があるのを発見。撮影した映像を分析した結果、花こう岩と確認した。周辺には海では組成されない石英の砂も大量にあった。海底の岩盤は主に玄武岩とされる。

 同海膨全体の幅は最大部分で約千キロ。1億年以上前に南米大陸とアフリカ大陸が分裂した際に残った大陸の一部とみられる。同機構は「周辺の海底で見つかった化石などから約5千万年前には海上に出ていたが、波などで土砂が削られたり岩盤が海水で冷えて重くなったりして、数百万年後には海に沈んだと推定される」としている。

 同機構によると、大西洋には大陸だったとみられる海底台地などの候補地はリオグランデ海膨以外にない。これまで、周辺海底で花こう岩が二つ見つかっているが、通過した船が落とした可能性もあるとして、大陸存在の根拠としては疑問視されていた。

 古代ギリシャの哲学者プラトンの著書によると、アトランティス大陸は約1万2千年前の洪水で海に沈んだとされる。
>>[57]

人類が発生した年代とは合わないので、アトランティス伝承とは無関係。
そもそも論として、だ。

キリスト教の創造信仰(天地創造を主に強調する信仰パターン)というのは二世紀後半から強まるが、
パウロの時代にそういう考えがなかったわけでは全く無い。
むしろパウロらが活躍した使徒行伝の時代には非キリスト教においてそれが無茶苦茶語られていて、
その例が、パウロ自身が使徒行伝十七章で、「あなたがたの詩人」と言っている、ストア派の詩人アラトス、その著作である「現象論」。

アラトスの「現象論」はラテン語訳もされて、キケロも翻案をつくっているが、
今残っている写本のほとんどはキリスト教中世でなされたものの。
パウロの言う、「我々は(神の)一族である」もちゃんとある。

引用すると、

「我々はゼウスから始めよう。
我々人間は、いつも、彼について語らずにいることがない。
全ての通りがゼウスにあふれ、人間たちのすべての集まりも、また海も港も、ゼウスにあふれている。
我々は皆どこでもゼウスを必要としているのだ。
我々は彼の一族でもあるからだ」

アレクサンドリアのユダヤ人で、宣教文学を書いたアリストブロスは、アラトスを引用した後、
「当然のことだが、我々はこの詩において、『ゼウス』と呼ばれている表現を『神(セオス)』という語に変えて引用した。
それで正確に意味を示していると思う」
とまでちゃんと書いているw
ユダヤ人は、バビロン捕囚まで、天地創造物語に関心はなかった。
実際に、創世記冒頭は祭司文書で、バビロン神話のパクり。
で、大地をソロモン神殿に見立てることが出来るよう、ソロモン神殿にあった二つの「常夜灯」に、太陽と月をなぞらえている。

その無関心ぶりは実はユダヤから派生したクリスチャンも同じで、
古ローマ信条を基に使徒信条はつくられたが、初期の頃は、「我は信ず、全能の父なる神を」だけで、「天地の造り主」はついてない。
ただ、カルタゴ教会などではつけられているが、少なくともローマ教会では初期は造物主であることを強調する意味を付加する気はなかった。

つまりね、天地創造が信仰の重要課題となるのはヘブライ思想からではなくて、ヘレニズム思想なわけね。
エデンがどうした失楽園がこうした、つーのは、初期クリスチャンにとってはそれほどの関心はなくて、自然神学は、教養の一つで主軸ではなかった。
テルトゥリアヌス以前は原罪思想もなかったのだし。

ヘレニズム色が強まって、アラトスの「現象論」などが常識扱いされ共有されて、はじめて、
「天地の創造」がクローズアップされたわけで、
逆ではない。
メソポタミアの、猫の額みたいな地域の一神話が全てをカバーしているわけではない。
>>[58]

アダムとイブは、ホモサピエンスの最初のカップル。ネアンデルタール人は、それ以前から居た。

アトランティスやメソポタミアは謎とされる文明で、聖書の記述とは食い違いも甚だしい。どこから来たのか、どこへ行ったのか、分からない。ネアンデルタール人の文明だとハッキリしている訳でもない。

よって、この食い違いが原因で、「アダム歴には間違いがある」と言い出したのが、今の科学や考古学。どちらかしか信じられない状況となって行った。

アトランティスを信じられなければ、おそらくは、メソポタミアも信じられないはず。「いや、メソポタミアのほうは信じる」なんて言い出すのならば、そこに矛盾がある。

だから、ユダヤ人的には…。「アダムとイブはホモサピエンスの始まり。メソポタミアは、どこから来たのかハッキリしないが、我々とは違う」と考えている。『天空から飛来した人々』が文明を築いていたと考えなければ、辻褄が合わない。
>>[61]

〉アトランティスを信じられなければ

はい解散。

スタバで田川建三の本でも読んで、
有意義な暇つぶしでもしますか。

撤収〜
>>[62]

「アダム歴とメソポタミア歴には矛盾がある」と言っているのだがなぁ。

メソポタミア歴を信じておいて、アダム歴をそのまま何の疑問も無く受け入れられたら、ただのバカ。

ついでに言えば、メソポタミアとアトランティスは時代がかぶるらしいから、あのような記述になった。

別に、「アトランティスが大陸だった」とは考えていない。島々だったのかも知れないし、1つの島だけれど大陸とは言えないサイズだったのかも。(ナウル共和国ほどの極小サイズ国家だったとかも考えられる。)

単に、「アトランティス人は居たでしょ?」と言っているだけでしてね。
ネアンデルタール人は単にクル病を患っただけのホモサピエンスw
>>[68]

おいおい。ネアンデルタール人とホモサピエンスの混血が可能だったからと言って、クル病とは…。

「羊も原種に近ければ、ヤギとの混血が可能」と言っているようなレベルですよ。

まあ、「羊とヤギでは混血できない」などどと言い出すのがクリスチャンだがw
>>[69]

全然違うw

原種でも亜種でもなく、現代人と全く同じ人類だと言っているw

病気が原因で奇形なだけでねw
>>[70]

言いたいことは伝わっていたが…。クル病説は、あまり聞いたことがない。どこから出てきたの?

クル病は遺伝疾患じゃないと思うが…。単に、栄養失調と日光不足だと言っていることになるのですが?
>>[71]

クル病説は、ネアンデルタール人に対する分析の中でも最も古くからある説ですよw

進化論側からの紹介
http://www.shundaichi.com/1249312450125311248712523124791254012523.html

創造論側こらの紹介
http://blog.livedoor.jp/tacodayo/archives/8558287.html

飛鳥説からの紹介
http://savage.blog.shinobi.jp/%E4%BA%BA%E7%A8%AE%EF%BD%A5%E6%B0%91%E6%97%8F/%E7%AC%AC%E5%9B%9B%E3%81%AE%E4%BA%BA%E7%A8%AE%E3%80%81%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%89%E3%81%AE%E8%AC%8E%E2%91%A1%EF%BC%8D%E2%80%9D%E5%8F%B2%E4%B8%8A%E6%9C%80%E5%88%9D%E3%81%AE%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E8%80%85%E2%80%9D%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%81%A8%E3%83%8D%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AB%E4%BA%BA%E3%81%AE%E9%96%A2%E4%BF%82%EF%BC%8D
>>[72]

あのね、一般的な話だと、「見つかっていたネアンデルタール人の骨にクル病が見られた」と言うやつで、「皆が皆クル病だった」とは断言できていないようだけれど?

それなのに、飛鳥説だけは、「ネアンデルタール人はクル病のホモサピエンスだった」と、話がすり替えられていた。

ネアンデルタール人とホモサピエンスの遺伝配列比較とかもあるから…。遺伝子的には、かなり離れている。分岐点を探すと、アフリカ人と日本人の分岐点よりもずっと遡らなくてはならないようだがなぁ。 

※※※※※※※
ミトコンドリア・イブとネアンデルター人
http://www.geocities.jp/ikoh12/kennkyuuno_to/002_1mtDNA_2_2neanderthal.html

  衝撃的なアフリカ単一起源説の登場

 既にみたように、人類は490万年前、チンパンジーとの共通の祖先から枝分かれして、独自の進化をすることになった。そして今、世界の人口は66億人を上回る。

 その現代人の起源について、古人骨の発掘に基づいて、形態人類学は、ヒトの進化は、もっぱらアフリカの中でのみ起こってきたが、100万年前、右図のように原人段階のホモエレクタスが“出アフリカ”を果たした。

 このうちアジアに進出したのが、ジャワ原人や北京原人であり、ネアンデルタール人はヨーロッパ型の原人の末裔と考えられている。

 現代人は彼らを祖先種として、それぞれ独立に進化した、すなわちオーストラリアの原住民はジャワ原人から進化したものであり、日本人や中国人は北京原人の子孫であると説明してきた。
 このように、各地域でそれぞれ独立に、原人から旧人へ、旧人から新人(現代人)へ進化の道をたどってきたと考えるのが、多地域(並行)進化説である。
 堅く信じられてきた多地域進化説に疑問を呈する人が現れた。カリフォルニア大学のアラン・ウィルソンである。

 彼らのグループは、現代の主な集団、アフリカ人・アジア人・オーストラリア先住民・ニューギニア人・西ユーラシア人241人から得られたmtDNAのタイプ182種の系統樹(参照 )を作成した。

 その系統樹では、アフリカ人の7つのグループが根元から枝分かれし、続いてその他のアフリカ人と全ての非アフリカ人が枝分かれしている。このことからウィルソンらは、「現代人のすべては14万年前から29年前に出現したアフリカの祖先集団に由来する」という、アフリカ単一起源説を主張した。
 すなわち、原人から旧人(ネアンデルタール人など)に進化しつづけた種は絶滅してしまい、20万年ごろアフリカにいた別種の人類が、現代人になったという説を出したのである。

 この衝撃的新説は、現代人の起源について大論争を巻き起こしたことは言うまでもない。 
 この論争は、新説と伝統的な説との新旧対立であると同時に、革新を続ける遺伝学と伝統的手法を守る形態学という革新と伝統の研究手法の対立という側面を持っていた。そして、当然のことというべきか、今やアフリカ単一起源説が圧倒的な支持を得ていると言っていいだろう。

  ミトコンドリア・イブはアフリカのエデンの園にいた! 
 
 こうした状況は、分析に母性遺伝するmtDNAを使った当然の帰結として、ただ一人の母、“ミトコンドリア・イブ”が20万年ぐらい前のアフリカにいた、というロマン溢れる仮説を導き出し、普遍化した。
(もちろん、エデンの園にはイブだけでなくアダムもいたであろうし、突然変異で現れた最初のホモ・サピエンス・サピエンスは、数十人ぐらいの集団であったろうと考えられている。そして現代までの進化の過程のなかで、ミトコンドリア・イブは幸運にも自分の遺伝子を残せたということであろう。)

 宝来聡が作成した次の系統樹も、鮮やかにアフリカ単一起源説を立証しているので、ここに紹介しておきたい。

(以下略)
遥か彼方の遠い過去なので、私から白黒つける気は無い。ミトコンドリア・イブがアフリカ起源だとかも、懐疑的に見ている。

タイムマシンが無ければ分からないことだから、個人の好みで判断すべきではない。

…と、私は考えている。以上。
>>[73]

実は、中国にネアンデルタール人の村が現存するらしいんですよw

ネアンデルタール人は全員クル病と見て間違いないw
クル病にかかってない人骨はホモサピエンスのものとしてネアンデルタール人としては扱われないからねw


>>[75]

「NHKが常に正しい」とは考えないようにはしているけれどね。

そんな、「北海道には純血アイヌが存在する」レベルで、「中国にはネアンデルタール人の村が存在する」と言われても…。

ネアンデルタール人にクル病が多かったのは事実のようだが…。同じ洞窟から見つかれば、ネアンデルタール人と判断しているようだけれど?

さっきも書いたけれど、クリスチャンの中には、「羊とヤギは交雑できない」と言い出す方々が居るのでね。

実際は、ジャコブ種と言う羊が居て、原種に近いので、ヤギとの交雑が可能だったりする。

そして、このジャコブ種と言うのは、ヤコブ(イスラエル)が飼っていた故にジャコブ種と呼ぼれている。羊の角とヤギの角が同時に生えていたり、珍妙。一応、羊の染色体数を持つので、羊だとなるらしいが…。

しかし、信仰とは恐ろしいもので、「トーラーに出てくるのは、ヤギ」と言い出すのがユダヤ人だったりする。過ぎ越しの生贄はヤギと考えられていたり…。

「トーラーに出てくるsehと言う動物は、これじゃないか?」と私は考えている。

だから、私は、こういうことで白黒つけるのが嫌いな訳です。
>>[76]

まぁ、洞窟生活してるせいで日射量が不足してクル病を患うのでしょうけど、外界と断絶した状態ではそれが標準となるため彼らは気にも留めないのでしょうw
>>[77]

水鏡では限度もありますし…。マジョリティがクル病ならば、クル病である身体のほうが普通でしょうからね。

「クル病のホモサピエンスがネアンデルタール人だった」にも白黒つけていませんがねぇ。

ホモサピエンスが洞窟生活をしていたら、クル病になる確率も高かったので…。「そんなホモサピエンスだとネアンデルタール人の風貌をしていた」とも解釈できそうですがね。

まあ、しかし、いずれにしろ、信仰/不信仰が邪魔をするような話題ではありますね。
ずっと、「私は黒いけど美しい」ばかりにはいきませんので続けます。
新共同訳1987
1:1 ソロモンの雅歌。
1:2 どうかあの方が、その口のくちづけをもって/わたしにくちづけしてくださるように。
◆おとめの歌
1:2 ぶどう酒にもましてあなたの愛は快く
1:3 あなたの香油、流れるその香油のように/あなたの名はかぐわしい。おとめたちはあなたを慕っています。
口語訳1955
1:1 ソロモンの雅歌
1:2 どうか、あなたの口の口づけをもって、わたしに口づけしてください。あなたの愛はぶどう酒にまさり、
1:3 あなたのにおい油はかんばしく、あなたの名は注がれたにおい油のようです。それゆえ、おとめたちはあなたを愛するのです。
>>[79]
そもそも訳語の「雅歌」というのが翻訳された時点で、異質なものになっているわけです。華やかなシンバルやドラの文化がお正月のCM.の小太鼓ポンになっているわけです。雅歌は下品でない上品な歌という意味で、確かにシャハシリーム自体上品なエロスを感じる作品ではあります。川上ではなく、ローレンスな訳です。
正確には「歌の中の歌」、至上の歌が正確かと。
恋歌、ソロモンの恋歌です。
ソロモンといってもソロモンに献呈されたか、ソロモンの権威を借りたという訳です。
みなさん、映画「SNS」の大学校のように、自由気ままで、何よりです。が、多少本題もお願いします。(SNSの学校の先生見たいないいかたですが。
発想を大事にする訳です。
日本の学
しかし。ソクラテス方式は、象牙の塔でやらないと、元祖ソクラテスと同じく、青少年を惑わせたとか、転ばした?とかで杯あおらないといけないこともあるとか?
たとえば、イエスの生涯はどこからはじめても良いわけです。私は日本の学校出で文部省いや教団特選の復活からはじめてますが、イエスのミステリーでも、イエスの墓でも、結局、イエスの生涯、旧約、最後に教会の書物にいく訳ですね。
日本では最初から最後まで二ケア、信仰告白路線、良くて最初は自由、自由でも、格闘の前にホイスル
紹介の本、サイトにあるように、雅歌は死海文書の中にあるテキストの一つです。

確か昔、死海文書の講義で、スライドで断片を見ながら復元する模様を再現して見せていたと思います。
日頃からヘブライ語をいわば楷書、行書書いていて、更にテキストを視覚的に学習してないとむずかしようです。
あとはジグソーパズルを良くやったことがあるかだっとか?
最近はパソコンでうつので、巻物が出てきても解読が遅いとか。死海文書も乱筆が多いです。
>>[80]
それでは聖書研究に入りたいと思います。
雅歌1:1はソロモンによる歌の中の歌(新共同訳は「ソロモンの雅歌」)というのは明らかに書物の冒頭に記した表題である。・・これはヘブライ語における最上級表現にあたる。
ソロモンによる[新共同訳「ソロモンの]」の語句が著作をソロモンに帰する意図で記されたかどうか定かでない。ここで用いられている前置詞(leは、ウガリットの詩の表題にあって特定の神「〜について」の意味でも用いられ[る]。・・
だがいずれにせよ、この前置詞が作者を指示するのか、詩の主題内容について掲げるものかは定かでない。
「雅歌―ニューセンチュリー聖書注解」J.G、スネイス、竹内訳、2011年、P31―32。
>>[85]

>神「〜について」の意味でも用いられ[る]。・・

というところからソロモンについての雅歌という辺りが客観的なところと思います。

「異教の女を妻や妾として迎え、その総数は1000人におよび、彼女たちが王宮においてそれぞれの神々を礼拝することを黙認」するという一面もあったようです。
http://www.kingdomfellowship.com/Characters/Solomon.html
http://kingdomfellowship.com/Characters/
あんまり信用ならないが、「ニューセンチュリー」もこうした噂には触れている。

こうしたことからもとりうる説と思います。
>>[85]
私がwikiに書いたものも聖書でなく、朱子学(儒教の保守派)辺りを信じている人が消すので、また探さないとならない。
列王記上
口語訳1955
11:1 ソロモン王は多くの外国の女を愛した。すなわちパロの娘、モアブびと、アンモンびと、エドムびと、シドンびと、ヘテびとの女を愛した。
11:2 主はかつてこれらの国民について、イスラエルの人々に言われた、「あなたがたは彼らと交わってはならない。彼らもまたあなたがたと交わってはならない。彼らは必ずあなたがたの心を転じて彼らの神々に従わせるからである」。しかしソロモンは彼らを愛して離れなかった。
11:3 彼には王妃としての妻七百人、そばめ三百人があった。その妻たちが彼の心を転じたのである。
11:4 ソロモンが年老いた時、その妻たちが彼の心を転じて他の神々に従わせたので、彼の心は父ダビデの心のようには、その神、主に真実でなかった。
11:5 これはソロモンがシドンびとの女神アシタロテに従い、アンモンびとの神である憎むべき者ミルコムに従ったからである。
11:6 このようにソロモンは主の目の前に悪を行い、父ダビデのように全くは主に従わなかった。
11:7 そしてソロモンはモアブの神である憎むべき者ケモシのために、またアンモンの人々の神である憎むべき者モレクのためにエルサレムの東の山に高き所を築いた。
11:8 彼はまた外国のすべての妻たちのためにもそうしたので、彼女たちはその神々に香をたき、犠牲をささげた。

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