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キリスト教(聖書)への素朴な疑問コミュのキリスト教は心で感じるだけの宗教なのか

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 私が所属している教会(カトリック)では「キリストの教えは頭で考えるのではなく心で感じるもの」という思想(?)がまかり通っています。
 入門者のためのクラスでも布教担当の主宰者が事あるごとに口癖のように「頭で考えるのではなく心で感じましょう」という言葉を連発するので、周囲の人たちもそれにすっかり感化されてしまい、たまに私や他の人が聖書の話やキリスト教に関する疑問などを口にしようものなら「私たちは難しい話を聞くために教会に来ているんじゃない」とばかりに反発されてしまいます。
 そもそも司祭からしてフロイトやユングがどうこうとか右脳左脳がどうこうといった怪しげな心理学にかぶれているような人で、何かというと聖書やキリストの教えを本来キリスト教徒全く関係のないような心理学の学説とこじつけて話をするので、まともに聖書やキリスト教の教義について学びたいと思う人ほど教理クラスなどに顔を出さず、わざわざ別の教会の勉強会や聖書講読会に足を運びに行くという異常な事態になっています。
 今月から「ヨハネ福音書」の講読会が開かれ、ようやくうちの教会でもまともに聖書を読む機会ができたと思っていたら、そこでも右脳型とか左脳型とか正直どうでもいいような区別でグループ分けしたためにたちまち意見が衝突、年配のおばさん信者を中心に「宗教は頭で考えるんじゃなくて心で感じるものなの!」という声が上がる始末。
 確かにキリスト教に限らず宗教というものは知性や理性で捉えきれるものではありませんし、主観的、感性的な要素が大きいとは思いますが、かといって「頭で考えるな。心で感じろ」と感性や主観ばかり重視するような考え方に偏り過ぎてしまっては、キリスト教に対する各々勝手な個人的解釈や宗教観を許すことになってしまい、ひいてはカトリックがカトリックでなくなってしまう恐れがあると思うのですが、皆さんはどう思われますでしょうか。

コメント(226)

トピ主さんのおっしゃっていることはとても全うなことだと思います。
宗教を言葉を超えた部分だけに削ぎ落とし、言葉で語りうる領域をいい加減に済ましたり、検討なしの臆測・思いなしが幅をきかせるままにするなら、
そうした感性主義は結局はひとりひとりの日常の行動において、常に過ちをからませた状態から脱しきれないおそれがあると思います。
>>[187]

そもそも、全知全能の神が善であることと、
この世に悪や害があることは矛盾する。

ルターは、神は不可解だと逃げ、
ルター派のライプニッツは、こんなロクでもない世界を最善世界と言ったが、
そうではない。

地球を愛するが故に、地球を害する人間に滅んで欲しいのだ。
神は悪に染まりやすい人類を作った事を後悔しているのは、聖書にもある。

現に、放射性物質をばら撒きまくっている島国があるではないか。

神は善なるが故に人類が嫌いなんですw
戦前の矢内原忠雄は、エレミヤ書の構図を日中に当てはめ、
アッシリアないしバビロニアを大日本帝国、中国をユダと考えた。
彼は、「ユダを懲罰するアッシリアはユダよりも罪深い」と言いながらも、中華民国国民政府に、エレミヤの言う通り「早く降伏せよ」とまで言った。
まあ、植民政策学者だから仕方ないが。

しかり、昔から危機管理が甘いと言われているのに怠り、原発を爆発させ、小学生を津波が来る中州へ避難させる国の民は罪深い。
また、「日本の原発は世界一。事故は起こりえないから、事故が起こった時の対処は考えない」といっていた国の官僚が、
「事故を想定してなかったから徴収しなかった危機管理費用を五十年分国民から徴収しよう」などという言うような政府が、正義のわけもない。

放射性物質をばら撒き、アンダーコントロールと嘘をつきながらも太平洋に山ほど出し、全世界に迷惑をかける島国があるのに、
「神は独り子を遣わすほどにこの世を愛された」もないものだ。さすがに愛想が尽きても仕方ない。

矢内原は、「昭和天皇よ、聖書を学べ」と説教し、まあ、実際に皇室は聖書を講読したのだが、立憲君主体制で元首一家が聖書を学んだところで意味がない。
本来なら、為政者や財界や日本国民が学ぶべきだったのだが、日本人は自分たちの幸運に胡坐を書いて、甘えた。

結果がこのざまだ。日本人の振る舞いだけでも、ホモ・サピエンスに対する愛情が薄れてもおかしくない。
見ろ、お笑いだ。
我々は歩くだけで罪深いのに、
ドイツ人はアウシュビッツを、
アメリカ人はヒロシマとナガサキを、
日本人はフクシマを見ない振りをする。

それで、神は人を愛さない筈がないと言う。

これ以上のジョークが地上にあろうか。
>>[190]
主の平和!
おはようございます。

>ドイツ人はアウシュビッツを、
アメリカ人はヒロシマとナガサキを、
日本人はフクシマを見ない振りをする。

人災については神はご覧になり悲しんでいるというのが基本理解だと思います。人間は愛をもって知恵を出し合いお互いに協力して解決するよう求めているというものです。これは私も同旨です。
自然災害に関しては試みとか人間には解せない摂理という考えがまずあります。基本ですね。
神は自然の自律も重んじ、我々には災害を未然に予測する潜在的な力や知恵を活用するように求めているといるという考えがあります(自説)。
>>[190]
自然災害(+人災?)に関しては、私にも不思議な経験があります。
何時も通り、春めいてきたボートが走る川を眺めてコーヒーしていると、その情景が消えて、燃える旧研究所(自宅)の光景が見えました。
すぐ帰れば良かったのですが、幻覚だなと思いました。三日あとに灰に(^^;
東京が燃えていたら、今度は災害注意報を(^^;
多分、三日あと位には、白日夢(幻覚)でないと違う見たいです。
>>[188]

>そもそも、全知全能の神が善であることと、この世に悪や害があることは矛盾する。


おっしゃる通り、私たちは神は全知全能なんだと夢見ながら、手元の世界がこんなふうであることに葛藤を覚えざるをえない。
だからある者たちは全知全能の神がいるなんて一度でも想像したことを撤回し、
またある者はこの矛盾を解決する論理を考え出そう、見出そうとして頭をひねり、祈りを捧げる。


>ルターは、神は不可解だと逃げ、ルター派のライプニッツは、こんなロクでもない世界を最善世界と言ったが、そうではない。地球を愛するが故に、地球を害する人間に滅んで欲しいのだ。神は悪に染まりやすい人類を作った事を後悔しているのは、聖書にもある。現に、放射性物質をばら撒きまくっている島国があるではないか。神は善なるが故に人類が嫌いなんですw


そうすると自らそんなに嫌悪する生き物を創り出し、しかもとっとと廃棄おもちゃにできない神は全知全能とは言えないじゃないかと、神の属性や定義に疑問符を突き付けることになる。
>>[196]

然り。
聖書の神が善ならば、聖書の記述と同様、神は全知全能ではない。

>>[195] アリアさん
アリアさんは神秘体験をよく経験する方のようで…。難儀な…。

子供時代の私はそうでしたが、養父を散々巻き込み、「この世だけで生きる訓練をしろ!」とドヤされましたよ。その訓練あって、今はこの世だけで生きることになっています。今でもテレパシー的なものは感受しているけれども…。

>>[197] イリア・エレオスさん
神が全知全能だとしたら、目的のためには手をこまねいているのですが…。
>>[192]へ、
福島の方…戻る期間はあと30年遅らせたほうがいいでしょう…

あなたは神様ですか?
何を根拠に30年?
神をも畏れぬ発言…
アカンのと違いますか?
>>[197]

>聖書の記述と同様、神は全知全能ではない。


「聖書を正しく読解したなら、そこには明らかに(あるいは図らずも)神は全知全能ではない旨、書かれているのだから、
私たちは全知全能ではないものとして神と親しむべきか、あるいは神に心を寄せるなんてゆう理不尽はいい加減、よしたほうがいい」
ということでしょうか。
>>[200]

いや、神が全知全能ならば、おかしい律法が存在してるんですよ。

一応、原文で、「エル・シャダイ」を「全能の神」と訳す伝統がありますが。
削除依頼

管理人さん並びに 副管理人さんへ

福島の原発についての書き込みがありますが、
キリスト教信者であっても、社会の流れを読みながら書き込むべきではないかと思う。

11/16

原発避難いじめ悲痛と言う新聞記事が 読売に またテレビでも放映されました
この男子生徒は 福島から横浜に移り転校先の学校でいじめにあい 今も不登校。
かろうじて フリースクールに 通っています。
学校はいじめを認めなかったが、第三者委員会によって「教育の放棄に等しい」という
報告書によって、本人も「しんさいで多くの人がなくなったので、自分はいじめを受けても
自殺しなかったことを伝えたいと 手記の公表になったようです。
彼の書いた文面です。

「今まで何回も死のうとおもった。
でも、しんさいでいっぱい死んだから
つらいけどぼくはいきるときめた」

「ばいきん(菌)あつかいされて、
 ほうしゃのう(放射能)だとおもって
 いつもつらかった」

「福島の人はいじめられると思った」

このような手記が載りました。

せめてキリスト教に関係しているこのコミュにおいては
控えてほしい。

うちの司祭は最近エセ心理学の話はしなくなりましたが、代わりに何でもかんでも自分の過去の体験談に結びつけて話するようになりました(前々からそういう傾向はありましたが)。
今日の聖書講読会でもイエスが湖の上を歩く逸話の解説で、自分が昔ボートに乗ってて難破しかけた話を延々と……。
司祭様、多変申し訳ないのですが、私は貴方の昔話を聞くために教会に来ているわけではないのですが……。
>>[207]

「水の上を歩くって本当に大変で、尋常なことじゃないんだよ〜」というお話だったのでしょうか。
>>[207]

それは、もう仕方ないのでは?
説教にしろ、証にせよ、話す事と言ったら、キリストと自分の交わりか、聖書そのものの事ぐらいでしょう…
>>[207]
主の平和!
今晩は失礼します。

>今日の聖書講読会でもイエスが湖の上を歩く逸話の解説で、自分が昔ボートに乗ってて難破しかけた話を延々と……。
>>[207]
主の平和!
今晩は失礼します。

>今日の聖書講読会でもイエスが湖の上を歩く逸話の解説で、自分が昔ボートに乗ってて難破しかけた話を延々と……。

この話はイエスがキリストであるということを当時の奇跡物語の手法で表したものです。
当時のユダヤ文化では水は死の象徴ですから、キリストは死を乗り越えた存在であることをあらわしていると考えられます。
復活の光り、経験から描かれていると云えます。
>>[209]
昔話をするのはいいとして話に「オチ」がないのが関西人の私にとっては時に怒りさえ感じるほど許し難いことなのですw
まあ、アメリカ人にオチを求めても仕方がないのかもしれませんが。
>>[213]
話者に話術を求めてはいけないのでしょうか。
>>[214]

一応、話してるのは聖霊とゆー事になってますな。
だから、個人の能力や徳性は無関係。
心理学を怪しげななんて言ったら
宗教は怪しげたるもっともな物だろw

頭で考えたって答えが出ないんだから
考えるな!感じるんだ!は至言だわ。
ま、司祭に反感持ってるんなら違う教会に行けば良いだけの話。

改めさせようとか考えないこったわ。
今さらですが、キリスト教、特にカトリックではミサにおける作法(決められた時にちゃんと決められた言葉を言ったり、賛美歌をしっかり大声で歌ったりなど)を守ることが大事だと気づいた。
ある意味茶道の茶会みたいなもん。
決められた所作をきっちり守っておればそのうち後から心(精神)も付いてくるもんだ。
…賛美歌を信徒が歌う事を禁じていたのがカトリックだったのだが。
>>[221]
そんな細かいことはいいんだよ。
要は雰囲気雰囲気。
「俺はキリスト教のミサに参加しているんだ」というような雰囲気さえ感じさせ続けていれば、それなりに様になったキリスト教徒が出来上がるんだよ。
>>[222]

このコミュで暴れてる人を見る限り、
形は所詮、形だけですな。
カトリックがステンドグラスやマリア像やグレゴリオ聖歌で、
「感覚的に」
信徒に理解させてた事を、
現代日本でDVDを使ってさせようとするホーリネスがいるそうな。

所詮人間は偶像崇拝からは逃れられない。
プロテスタントであろうが日本人は所詮日本人。
>>[223]
形から入りやがて信仰に目覚め、そして狂信へと至る。
まさに守・破・離という奴ですなw

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