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キリスト教(聖書)への素朴な疑問コミュの皇室キリスト教改宗計画(ネタトピ)

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皇族の方も国民の一人ですから、当然、信教の自由があります。だから強制改宗のようなことはできませんが、米国の属領である日本のEmperor家なのですから、段階的にキリスト教に改宗していただいたほうが良いと思います。

なによりも、皇后陛下 美智子様が聖心大学ご出身ですし、救世軍のボランティア活動を表敬もしていますから、素地はありますし、秋篠宮家の佳子内親王さまも国際基督教大学に入られました。

どのようにしてキリスト教をお勧めすればよいでしょうか。

あくまでネタトピですので、皇居前に街宣車を乗り付けて「神と和解せよ」などとやるような方はご遠慮ください。

では。

コメント(70)

>>[31]

明治天皇は、近代化路線に乗っかった人物だし、大正天皇は礼拝への熱心さどころではなかったでしょう。
昭和天皇は、大日本帝国の「成功経験」の中で育ったので、大日本帝国の儀式に熱心なのはある意味当然でしょうな。
今上天皇も昭和天皇の影響を強く受けた…というか、本人は割りと短気なのですが、
美智子妃殿下と結婚する際、大学時代の友人に「皇室がブルジョアと手を組んだというわけか」と聞かれて、
「それを言われるのが一番つらいんだ。そんなことはない。僕は美智子を一人の女性として愛しているんです」と答えるほど男気がある人物です。
現皇太子はどうか知りませんが…まあ、でも、秋篠宮紀子殿下が国母になる気満々で、雅子皇太子妃殿下の方は適応障害…つまり、「皇室に合わない」状態なので、
ここ数代で宮中祭祀というか皇室の在り方で一悶着ありそうな気がしないでもないですが、まあ、余所の宗教ですし…
つーか、宮中祭祀に対する健康上の理由とかあるなら、憲法の規定で摂政でもおけば良いし、
何なら、憲法改正して関白を設置して分担させれば良い気もしないではないですがね。

ついでに参議院を元老院とかに名前を変えたら何か古風で良いですな。
(元老と違って、実際にあった明治政府の元老院という組織は大して意味がなかった)
>>[32]

別にイスラエル支族の末裔だろうと何でも良いのですが、
日本人にユダヤ人の理屈好き・議論好きが継承されているとは全く思いません(笑)
大蔵省から金融庁を切り離して財務省にする時、
当時の大蔵省官僚が「昔からの由緒ある名前である「大蔵」の名前を捨てるなんて」と反発したの対して、
橋本龍太郎が、
「では検非違使庁を復活させるか」と皮肉で返したそうですが、
逆にどんどん古風な名前を復活させると面白いかもしれません。
防衛省も防人司、警察も検非違使、参議院も元老院、両院協議会を枢密院とか、
国会をdiet(食事節制ないし諸侯会議)と呼称させているし、アラブの王族のターバン姿や何かのように、日本皇室も和服に烏帽子とか、十二単衣とか着ていたら面白いかもしれません。
参議院議長とか、まあ昔は参院のボスと言われた村上正邦とか青木何とかとか居ましたが、
「元老院議長」とか、「元老院筆頭」とか名乗ったら何か凄そう…

防人司についての新法制定で元老院と衆議院が対立したので、枢密院が開かれた、とかニュースが流れたら何か面白そうで良いかもしれません。
>>[034]

自分も日本人だということを忘れてない?
>>[33]

>美智子妃殿下と結婚する際、大学時代の友人に「皇室がブルジョアと手を組んだというわけか」
>と聞かれて、
>「それを言われるのが一番つらいんだ。そんなことはない。僕は美智子を一人の女性として愛し
>ているんです」と答えるほど男気がある人物です。

そして、皇族筋からは「粉屋の娘」呼ばわりですからなぁ・・・

現在の東宮の場合、嫁はほとんど「六波羅探題」みたいなもので(笑)、皇族の嫁選びも大変です。

だから、秋篠宮筋の内親王様がたが一致協力して、「愛される皇室」を作りましょう。

となると、国家神道の臭いのする旧弊な皇室ではなく、明治維新の発願である脱亜入欧にふさわしい、キリスト教受容を考えるというのが、最近の僕のブーム。

>>[39]

まあ、右派辺りの理屈から言うと、
皇室がクリスチャナイズするということは、
天壌無窮の神勅は間違いだと宣言するようなもので、
天皇が日本国統合の象徴だとする根拠が割とあっさりと消えます。
三島由紀夫はだから天壌無窮の神勅に拘った。

左派は護憲とか言っても、天皇制の擁護というヤツは護るべき憲政には入ってないので、まあ、どうでも良いでしょうけど。

象徴というのは、英コモンウェルスでの英女王と同じ地位ですが、まあ英米法の継受とか気にしてないだろうし、
どこぞの憲法学者、まあ宮沢ですが、天皇は「門番」だとか言ってました。

果たして神道的文脈を離れて日本国の象徴だとする必然的理由が残るか、どうか。
皇室関係は、明治の元老に担ぎ出されたのだと言う意識が当事者にもあるだろうし。
つーか、八咫の鏡にはヘブル文字があるとかいう話はありますな。
七支刀とか、ネタは豊富ですが。

てか、皇族には参政権が無かったり、そもそも戸籍が無いんだから、信教の自由も保障されてないのでは?
あほくさ。

キリスト教なんて、人間が作ったインチキなんだし、
そういう意味では皇室神道も同類。

お前ら、めくそはなくそで楽しいか?
>>[43]

それを言ったら、国民国家も同じ。
およそ人が拠り所にする何かで、人がつくらなかったものはない(爆笑)

一度見てみたい人間。
生物学的に自由意志がないからと言って自由を放棄する人間。
自由も人間がつくりだした理性概念だが、その為に人は生命を賭ける。
つーか、主権もそうなんですけどね、皆忘れてますが。
主権国家の主権は、ローマ法王や神聖ローマ皇帝に服さない元首の権力として位置付けられていて、
主権者は「神の法、自然法およびそのいくつかの人定法」に服する形で、国際法秩序というのが形成されていった(十六世紀、ボーダンによる)。

で、グロチウスとか色々な連中が考えて、主権国家は「必要国際法」(自然法)と「実定国際法」に服する存在として、独立権や平等権の概念がつくられていく。

だからこんなもの「目くそ鼻くそ」の類で、実は第二次大戦後、国連の国際法委員会の「国家の権利義務に関する宣言案」には、第十四条に、「各国の主権は国際法の優位性に服する」とある程度まで成り下がっている。

しかし、独立主権国家として日本国民は日本国を捉えているし、
主権の制限や移譲の承認なんか国会で発案されても決して可決されないでしょう
(ドイツ基本法には主権の移譲についての条文がある)。

つまり幻想。
自由と独立と平等も全部、人の脳内産物。
その程度の社会に生きているわけで、その程度のゲーム。
勿論、宗教と同様、人の生死も関わるけど。
>>[44]

(爆笑)

天に唾するとはこういうことだな。
あなたの知性で、イエスをとその宗教を「爆笑」しないのが理解できないほっとした顔

そういう意味で、あんた「爆笑」
>>[46]

いや、僕はバルトの信奉者だから、「人がつくった宗教は、人がつくったというそれだけの点において、偽神であり得る」という彼の意見に賛同してますよ?
人は間違うのだから、教理も間違うこともあるし、だからプロテスタント運動が生じたわけだし、これからも間違う事もある。
プロテスタント原理というのは、そういう「権威を疑う」事にあるのだから、ある意味当然。

>>[47]

まとりあえず、「キリスト教爆笑」と言わないで、
他宗教を爆笑というあなたは、そんなもんです。
>>[48]

そりゃ、真言宗立川流とかタントラ仏教とか、
淫祠邪教の類はあったわけだし、
国家神道も碌でもなかったわけで、まだプロテスタントの方がマシだとは思いますな。
疑うことを否定する宗教より、疑うことを教える宗教の方が間違いも正しやすい。
まあ、別にネタトピなんであーだこーだ言いませんが、
人というのは物語を生きる生物で、
たとえば国民国家日本の国民とか何とか意味付けをする存在なわけですな。

古代ギリシャで最初に輪廻転生を言い出したのはピタゴラスで、
犬が道端で打たれているのを見て、「打つな、あれは私の友人の魂だ」ということを言った。

プラトンはそれで悩んでいて、魂の不滅、自分という人間の永続性を仮定しよいとして苦しんでます。
どういうことかと言うと、転生を繰り返してきた魂が、今回の人生で最後だったらどうするんだ、自分が消えてなくなってしまったらどうなるんだ、みたいな話。

で、最後に行き着いたのが、ソクラテスに物語(ミュートス)と前置きさせて提示した世界霊魂。
聖書のヨハネ伝でいうロゴスに行った。
ユングの集合的無意識みたいな、もう何とも言えない物語の担保というのに行き着いてしまったわけですな。

歴史は何度も繰り返すような感じですなあ。
時代精神としての神と自我、
まあデカルトは純粋精神としてのコギトと言いましたが、
そういう時代を経て、絶対精神としての存在、とか言い始めると、
やはり不可知な何かを出さざるを得ないのかもしれません。

存在が存在するというのは自己表現であって、
人間が一番強く表現出来る手段はやはり言語でしょうから、
言語を使う限り物語になってしまうのかも。
パウロの言う、「言葉にならないうめきのようなもの」で自己表現出来れば良いですが。

ヴィトゲンシュタインは、「世界とは言語が語る夢である」と言いましたが、
世界が語られてしまう以上、物自体ではなく夢で、
観測データではなく解釈で、
経験ではなく物語にならざるを得ないのかも。

インド神話には、「神が神の中に溶けてゆく」という表現があるとか。
まあ、何事かも全て胡蝶の夢かもしれません。
池田晶子みたいに、
究極的混沌としての宇宙は完全に物語だと断言したら面白いのですが、
今は亡き彼女はヘーゲル主義者だから、弁証法的に、「混沌と秩序は同じことの裏返し」とか言ってしまう。
弁証法神学のバルトではないですが、テーゼとアンチテーゼが剥き出しのままなんですよね。
バルトみたいに神性の優位を言うと古い時代精神が復活するだけですが、
池田晶子みたいに、「不可知な何とかが池田晶子をやっている。池田晶子は死ぬが「私」は死なない」といい始めると、
ジンテーゼ的な不可知な何とか、まあルターで言えば「隠れたる神」ですか、
そういうことになる気がしないでもないですな。
しかし、ジンテーゼが不可知なら剥き出しのまま。
無限遠で交差する平行線みたいなものですかね?

実は弧を描いていて、同じところを堂々巡りしているだけでないなら良いのですが。
>>[52]

>池田晶子みたいに、
>究極的混沌としての宇宙は完全に物語だと断言したら面白いのですが、

その人の学説はよく知りませんが、実際にそれで問題ないと思います。

ウチの畑にいるミミズさんとかアリさんとかは、僕が会社で何をしているかとか、政府与党が何をやっているかなんて、「考えてもいない」はずです。下等な生き物だからではなく、彼らのワールドには無関係だからです。

システム開発理論における「カプセル化」もそうであって、「難しいことはどうでもいいからこのカプセルを飲んだらOKだから次に進め」という発想ですから、全体を統制するのはごく一部で良いわけです。

キリスト教の場合は、その統制者がGodです。
>あくまでネタトピですので、皇居前に街宣車を乗り付けて「神と和解せよ」などとやるような方はご遠慮ください。
不可知な何か。

あほくさ。

そもそもそこらじゅうに「わからないこと」だらけだけど、
「これは絶対不可知である」と盲信したい気持ちがすでにわからない。

絶対を信じたい心理が「神を望む」のだとしたら、
唾棄すべき弱者だな。
>>[54]

まあ、ある意味逆説的で、
正教会の否定神学とルターは、「不可知な何とか」で統制というか、
まあルターは「聖書と神自身を区別せよ」とエラスムスに言ったのですが、
カトリックとカルヴィンズムは、神と自我の二つの時代精神を「調和出来る」としたわけです。
トマシズムの「理性と信仰」、ロックの自然法思想なんかまさにそれ。
自然法は、口の悪い実証主義法学者や功利主義者なんかに言わせると「妄想」の類ですが、
実定法主義者や功利主義者が論拠とする理性、つまり人間性が信用ならなくなったのは、
二度の世界大戦のせい。

ま、実証主義法学の国である二つの国、我らが大日本帝国と、ナチスドイツがやらかしてしまったわけですな。
アメリカやソ連も酷いものでしたが。

で、バルトは、人間性に対する神性の優位、聖書の絶対的主権とか言ったわけですが、
…これも、現在進行形で活躍中のファンダメンタリストのお陰で賛同者は減少の一途。
冷戦時代のバルトは行くところまで言って、「カトリックよりもカトリック的」とカトリックに言われる始末です。

結局、共同体の究極的関心として、
共同体の枠内での「大きな物語」を復活させるしかないかもしれません。
共同体内では好きに物語を語れ、
一歩外に出たら、そこは近代空間で、物語の余地はない、みたいな感じで。

バルトがキリスト教教義学を語れず、教会教義学しか語れなかったのが全てでしょう。
>>[56]

絶対精神はそういう意味ではないです。
絶対精神というのは自存的な認識を発揮出来ることで、
他者依存ではない。
存在が存在するというのは、自存的であることを表現するということで、
大乗仏教のように、自性なし、すなわち因果による関係性しかない、というのとは反対。

まあ、存在と無を突き詰めたハイデガーがナチスにかぶれたりしたわけで、
自存的な何とかとかいうヤツは扱いが難しいのでしょうな。
つーわけで、日本人は日本国という幻想の共同体の中でのみ、好きに国民国家としての物語を語れ、というわけですな。
だから、クリスチャンのような余所者が邪魔をしてはいけない(笑)
別に、イデアも、あっち側の真理も、「なにか絶対的なもの」なんて必要ないよ。

クリスチャンのポンチな幻想もこの世から消えて欲しいわね。
正直、三つ子の一神教は人類悪だわ。
>>[42]

>てか、皇族には参政権が無かったり、そもそも戸籍が無いんだから、信教の自由も保障されてないのでは?

皇室典範のほうが優先でしょうから、絶妙ですね。

満州国の愛新覚羅溥儀が、逆境から救ってくれたことへのおべっかのためか、「三種の神器を奉じたい」とか言い出して、昭和天皇が「中国は伝統的に敬天の国なのだから、ムリに日本式にする必要があるのか」といぶかしがったのですが、結局レプリカを渡したらしいです。

キリスト教は、他宗教を換骨奪胎しながら勢力拡大してきた経緯があるので、割りと柔軟性はあるように思いますがねぇ。

マリア崇敬もオススメですよ。カトリックとしては。

>>[61]

真理がない、というドグマはあなたにとって真理じゃないの?

まあ、それがすなわち自我であり主観的精神であって、
もちろん神性ではないし客観的精神ではないわけ。


普遍性を否定して、固有性を求めた時、
ヘーゲルはプロイセンを最高と考えたし、
ハイデガーはナチス突撃隊を見たし、
三島由紀夫は天壌無窮の神勅に見た。

端的に言うと、物語性を否定した時点で、日本を日本たらしめる日本的なるものはなくなる。
三島の言う、「無色」の国家ね。
近代は普遍的なのが前提で、それは理性が普遍的という仮定に依拠してる。

キリスト教的な、西洋型理性に対して、
日本の固有性を主張出来ないなら、
日本はただの辺境に過ぎない。
そう言えば、内田樹が日本辺境論を主張してましたな。
で、固有性というのは自存性と相関関係にある。
自我が自存性を主張出来るほど信用出来るものでない以上、
共同体に求めるしかない。
それは普遍的な近代空間とは違うし、ただの辺境でもない。

ま、日本がただの辺境でも僕は構わないですが。
>>[062] さなやん

しかし、相手は紛いなりにも神道の元締めなんだから、お宅のトップにもキリスト教の元締めという自覚があるのなら、皇様同士で腹を割って話せばいいんだよw
「俺の話を聴け!!だが、お前の話には聴く耳を持たん!!」
てな態度は、黄金律から程遠いんだしw
で、妖怪が受けるのは、それが日本の固有性の一端を示すから。
飛頭蛮ではなくて、ろくろ首でないといけない。
妖精や小人ではなくて、キジムナーや何とか小僧じゃないといけない。
沙悟浄が日本で河童になったりするのも、そこにある。

天皇もそうだとは思うが
(明治天皇は、対外的には皇帝と称していた。
今上天皇を皇帝と呼びたい右派がいるだろうか)。

これは、モルモンなどの、アングロ・イスラエル教カテゴリーと似たようなものでしょう。
ネタトピなのに皆真面目過ぎますな。
ウィトゲンシュタインいわく、全ての哲学的問題は問題として間違っている。

ユダヤのなぞなぞ。
「壁に掛かっていて、緑色をしていて、口笛を吹くものは何だ?」
「分からない。何?」
「答えはニシンだ」
「ニシンは緑じゃない」
「ニシンに緑色のペンキを塗ったって、ニシンであることに変わりない」
「ニシンは壁に掛かってないじゃないか」
「ニシンを壁に掛けても、ニシンであることをやめるわけではないだろう?」
「百歩譲ってそれを認めるとしても、ニシンは口笛を吹かない」
「ああ、口笛ね。この問題が優しすぎるんじゃないかと思って、ひねりを入れたんだ」
…いや、つまり、ゼロポストの命題については、ウィトゲンシュタインが挙げた問題と同じだということですな。

ヴィトゲンシュタインが挙げた例:
「太陽の上では今何時か?」

あるいは。
「○○はこれをしたけれども、根はいい人だ」
または
「○○はこうだけれども、真の○○は△△だ」
ないし
「■■は▲▲だけれども、もし◇◇だとしたら●●ではないか」。

量子力学も量子言語を規則とする言語ゲームで、
その言語の規則から逸脱した命題は命題として意味を為さない。
それは、それが文化人類学的な何かであろうが、神学的な何かであろうが、社会思想的な何かであろうが同じで、
たとえば文化人類学的な命題に対して、天文学的な応答を返したら、問題自体が間違っているということは、誰だって分かる。

しかし、往々にして、神学的・宗教的・社会学的な事に対して、人はそういう事をやりたがるんですな。
面白いもんですな。
>>[66]

>皇様同士で腹を割って話せばいいんだよw

日伊の皇様ご本人は、それほど頑なではないから対話は可能だと思うのですけど側近がうるさそうですし、宗主国様はアメリカなので距離感が絶妙な感じがします。(笑)

チベットの皇様も加えて対話できれば大変素晴らしいでしょうが、まず赤い皇様が激しく怒る。

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